日本で最も売れた本の作者はAIでした
『この本を読んでから目に映る景色が変わりました』
『今を生きる全ての人に読んでほしい』
『読み終えた時、私の世界が変わる音が聞こえた』
販売されて間もない一冊の本を全国の書店員が自主的に、猛烈に推した。理由はよくわからない。ただ、これは推さねばならぬという衝動が多くの書店員たちを突き動かした。そしてその結果SNSで話題になり、その本の名は急速に広がった。無名作家のデビュー作にも関わらずだ。
『なんか既視感がある』
『どうせ誰かのパクリだろ』
『くだらない。読者を下に見た作品だ』
SNSで話題になるとマイナスな意見も当然ながら出た。通販サイトでは低評価も緩やかに数を増やす。ただそれ以上のペースで高評価がつけられた。
『こんな本が読みたかった』
『私のために書かれた本。そんな気がしてならない』
『まさかこんなに心を揺さぶられるなんて』
SNSの広がりは大きな波となり多くの人の目に触れた。そして本はさらに売れ、話題は一層大きくなった。
話題の成長はとてもわかりやすい変化を生んだ。販売されてすぐの頃、本は書店員の手作りポップが添えられた愛が溢れる小さな売り場に並んでいた。しかし、話題になるとすぐに『話題の本』の売り場へ移り、その一週間後にはレジ横の目立つ位置で山積みにされるほどまでになった。
売り場を彩るのが手作りポップから出版社の販促物や著名人のコメントに代わり、売り場から店ごとの個性が消えた。しかしその一方で本を手に取る人は爆発的に増えた。
「こんなに映像化したいと思った作品は初めてだ」
ある映画界の巨匠がSNSで呟いた一言。その一言は話題になってから半年が経ち、収まりかけていた無名作家の人気に再び火をつけるには十分なものだった。次回作を待ち望まれていた巨匠の新作が、まさか無名作家の作品になるとは誰も想像すらしなかった。
映像化に対して賛否両論が出る中で、一つ系統の異なる話題が生まれた。
『この作者は一体何者なんだ?』
本には作者に関する情報が皆無だった。出版社もなにも発信しておらず、作者名で調べてもヒットするのはデビュー作の情報ばかり。それ以外の内容は何も見つからない。
性別も年齢もわからない作者。世間では有名作家が名を変えて書いているのではないかという憶測が飛び交った。映像化の話が進むにつれて、作者に対する世間の注目は高まり誰もが作者が名乗り出るのを待った。
メディアはここぞとばかりに特集を組み好き勝手に予測を語る。一部のファンはその一言一言に喜び歓喜し、また一部のファンは憤慨した。怒るファンは口を揃えてこう言った。「その予測が当たっているはずがない。正体はきっと別の作家なはずだ」と。
作者当てゲームは加熱していき、当初は「作者にもプライバシーがあるから」と発言していた人たちもいつしか身を乗り出して正体を気にするようになった。
「私が書きました」
作者当てゲームがメディアで取り上げられるようになって一ヶ月が経った頃、一人の作家が名乗り出た。何の受賞歴もない、誰もがノーマークの男性作家だった。
過去に数冊本を出したが鳴かず飛ばずの作家だった彼。大型書店でも彼の本は滅多に並んでいなかったが、彼が名乗りを上げた翌日から状況は一変する。
彼のニュースは瞬く間に世界に広まり、彼はたった一日で時の人となった。彼の過去の作品に注文が殺到。すぐに重版が決まるがすぐに店頭に並ぶはずもなく、在庫不足により書店は彼の本を求める多くの客によって一時パニックに陥った。
もちろん作者が判明したことにより本は再び注目を浴びた。縮小傾向だった売り場はレジ横に舞い戻り、数日後には日本で最も売れた本として各種メディアで取り上げられた。
名乗り出た作家には取材だけでなく多くの執筆の仕事が集まった。刻々と埋まるスケジュールを見て、彼は嬉しい悲鳴を上げた。
「ああ、やっと報われた」
彼はあるテレビ取材でそう呟くと目から大粒の涙を流した。その映像は視聴者の心を打ち彼の好感度は急上昇、その映像は録画され様々な媒体で何度も何度も流された。
彼の過去の作品は軒並み通販サイトの人気ランキングにランクイン。彼に対して否定的な声もゼロではなかったが、擁護する多数派の前では無に等しかった。彼は世間をしっかりと味方につけていた。
しかし、彼の幸せな日々はあっさりと終わりを迎える。彼は作者ではないと言う者が現れたのだ。
「この本は私が開発したAIが書きました」
記者会見でそう述べたのは一人のエンジニアだった。読書が好きな彼は趣味でAIに物語を書かせていた。彼はAIに過去50年ほどの著名な作家の作品を片っ端から取り込ませていた。
エンジニアの試行錯誤によって出来上がった物語は彼の想像を超える出来栄えだった。そこで彼は出版社で働く知人に読んでもらうことにした。彼は面白いと言ってもらえると思って見せたのだが、知人のリアクションは彼の想像とは異なるものだった。AIが書いた物語は駄作だとこき下ろされたのだ。
「こんなものが面白いと思うなんてお前はどうかしてるよ」
知人のその一言により心が折れた彼はしばらくあらゆる本と距離を取った。そして同時にAIに本を読み込ませるのもやめた。
しかし、時間の経過により彼は立ち直り、久々に本屋に行ってみた。そしてそこで売上ランキングのコーナーに並ぶ本を手にしたところ、知人に見せた物語が勝手に出版されていたことに気がついたのだと主張した。
エンジニアの主張に出版社側は最初は猛抗議したのだが、出版社は完膚なきまでに負けた。結論から言うと出版社側の対応が杜撰だったのだ。出版社で働く知人と言われた社員による勝手な行いがすぐに露呈した。
出版社も名乗り出た作家も世間から叩かれた。
『社員教育がなってない』
『どんな管理体制をしているんだ』
『買いたくもない本を買わされた』
出版社は当然ながら信用を失い、倒産寸前まで追い込まれた。盗作をした社員は当然ながら職を失い出版業界で二度と働けぬ身となった。
『裏切られた気分だ』
『演技が上手いだけの男』
『早く筆を折ればいいのに』
作家は瞬く間に仕事を失った。彼の本は書店で誰にも触れられなくなり、古本屋の100円コーナーの馴染みの顔になるのに時間はそれほどかからなかった。
作品に罪はないという声も上がったが、彼の作品に対する正当な評価が述べられることはその後一切なかった。
実際に本を書いたAIを開発したエンジニアは、一時的に注目を浴びたがそれは本当に一時的なものだった。誰もがAIが書いたものだと分かった途端作品に対して壁を作るようになった。物理的なものではない。心の壁である。
『私たちはAIの手のひらの上で踊らされていたんだ』
『人が作り上げた作品じゃなかったなんて……』
『これはこれで裏切られた気分』
作家の正体が分かったというのに喜ぶ者はいなかった。それどころか白けていた。理由は簡単だ。作家がAIだった、ただそれだけである。
そこに論理的なものはない。ただの感情の問題だと誰もが理解していた。理解していたが誰しもがその非合理的な考えから抜け出せなかった。
結果としてAIが作者とわかった途端映像化の話は霧散し、本は売れなくなった。そしてAIが書いた本も古本屋の100円コーナーの馴染みの顔になった。
世間がAIが書いた本に対する興味を失ってからも、エンジニアと出版社は著作権と金の問題で裁判を続けていたがニュースにはほとんどならなかった。どちらが勝とうが世間からすればどうでもよく、興味を持つものは誰もいなかった。
「以上が今から10年ほど前に起きた話です。今ではAIが芸術分野で活躍するなんて当然のことですが、少し前の私たちはそのことに対して拒否反応を示していました」
高校の社会の授業、先生は抑揚のない声で話している。先生の話をまともに聞いている生徒は半分もいない。
「まあ、今では考えられませんが私も最初はAIに対して抵抗がありました。ありましたが慣れてしまえば全く気にならなくなりましたね」
先生は生徒を一切見ることなく古びた教科書で顔を隠している。
「これで私の授業は終わりです。まさか教師もAIに立場を奪われる日が来るなんて思いませんでした。みなさんはどうですか? 私は先生がAIと聞くと抵抗があるのですが」
先生の声が震えている。ああ、そうか。先生はこっちを見ないんじゃない、見られないんだ。
明日から学校の全ての授業はAIが行うことになっている。今日この授業が先生の最後の授業だったことを思い出した。
だから泣いているのかと、私は一人納得しつつ教科書アプリを閉じてタブレットの画面を消した。
私たちからすれば先生がなんであろうと関係ない。求めるのはクオリティ。慣れてしまえばアーティストも先生も人間であって欲しいなんて思わない。
授業終了のチャイムが鳴るまで先生は誰かが反応するのを待っていた。しかし、教室では誰かの寝息が聞こえるだけで、先生の問いに答える生徒は私を含めて一人もいなかった。