古の国・ルトゲルン⑧
デグリューザ、それが俺のもらった名前だった。
「うわぁ……」
俺は目の前にある大きな石像を見上げると、感嘆の声を漏らした。俺の身体の倍以上あるその石像は、顔も身体も俺たちにそっくりだった。ただ異なるのは、その背中に図体の数倍以上の大きな翼が生えているということだ。
「気に入ったのかい?」
「うん……かなりね……」
「ふふ……僕たちデヴォルの先祖さ」
俺をその石像の前に案内したのは、ベラという名の黄土色のデヴォルだった。俺に名前をつけたのもベラ。どのデヴォルも、生まれた瞬間にベラから名前をもらっている。ベラは俺たちデヴォルのリーダー的存在だ。
「これ、何で出来てるの……」
「え? 石だと思うけど……うん、石だよ」
「石……」
ベラは多分、その先祖の姿を俺に見てほしかったんだろうけど、俺がその時気になったのは形よりも素材の方だった。
「石……」
「うん。その辺に落ちてるでしょう、ほら」
ベラは近くに落ちていた石ころを拾うと、俺に渡した。俺は手のひらよりも小さなその石を眺めながら、う〜んと頭を捻った。
「週に一度はここに来て、お供物をするんだ。デグリューザ、君なら頭がいいから出来るだろう」
「ああ……はい……」
ベラは石像の前にどこからか持ってきた果物の入ったカゴを置くと、手を合わせて何やらお祈りをした。
(ほぉ……)
俺も何となくベラの真似をしてお祈りした、ベラと共にその場を去った。しかしまたすぐに俺は一人でその石像の前に戻ってくると、咆哮が轟きそうなほど大口を開けたご先祖様の姿をまじまじと見つめた。
「……」
俺は石像を見つめ続けた。さっきベラが拾った石ころとは何かが違うと、ひたすらに見つめ続けた。だんだんと石像に近寄りながら、この世を掌握した神であるかのように神々しいご先祖様と、にらめっこをし続ける。
数分後、ベラが俺の元へとやってきた。
「デグ。またここに来たの……? えっ……?!」
まさか普段温厚なベラがあんなに怒るなんてと、俺はただただ驚いた。
「な、何てことだ……」
そう、俺はご先祖様の石像を、一欠片残らず食べきってしまったのだ。
◇◇◇◇◇◇◇◇
「うわあああ!!!!」
天井から新たな石像が降ってくると、ドトルは悲鳴を上げてその場から逃げ出した。
(やばいやばいやばいやばい!!)
大声を出してはあのデヴォルに気づかれてしまうと、ドトルはすぐに口を塞いだ。石像の落下音に紛れてかそれとも運が良かったか、どうやら灰色のデヴォルの耳にドトルの悲鳴は届かなかったようだ。
降ってきた石像は三体。衝突で石像が割れてしまわないものかとドドルはひやひやしたが、思った以上に石像の硬度は硬いようで、多少は欠けても大きく割れることはない。
(だ、誰……?)
ドトルは新たな石像に近寄ると目を凝らした。ニット帽を被った女の子と、髪の長いやたら巨乳の美女、そして最後の男は、見覚えのある軍服をまとっている。
(イリニアーメルの制服! 援軍だったのか……? でも石化しちゃってる……!)
新たな三体の石像と一軍の石像の山を順に眺め、ドトルは深いため息をついた。
(ユリスさんが増援してくれたのかな……でもやられちゃったってことか……。連絡した方がいいか……いや、でもそのせいでまた敵が来たら……)
ドトルは灰色のデヴォルの目が見えていないことに気がついていた。しかし奴は、この石造りの建物内の全てを把握し、移動することができる。目が見えなくとも、こちらの声や足から伝わる振動なんかで、その場所を察知できるようだ。
(うーん……もう少し様子を……)
ドトルは何もせぬまま様子を伺っていると、突然ニット帽の少女の石像が光り輝き始めた。
「な、何だ……?!」
声を出してしまったドトルは慌てて口を塞いだ。目を大きく見開き、真っ白い光で包まれた少女の石像をただただ見つめる。
「……っ………」
「!」
その光が消えた時、少女の石化は完全に治っていた。少女はまあるい瞳を瞬きさせながら辺りを見回し、一人石化していないドトルの姿を見つけると、ビクッと身体を震わせた。
ドトルが唖然としている中、少女は何もないところから紙とペンを取り出すと、せっせと文字を書いた。
【石化した皆さんを助けに来ました。あなたはドトル・マグイフルさんですか?】
ドトルはその文字を読むと、ハっとしたように我に返り、うんと頷いた。
「あ、あなたは誰ですか……? イリニアーメルの隊員ですか?」
ドトルは敵に聞こえないように小声で少女に話しかけた。すると少女は再びペンを走らせた。
【いいえ。私はジグ・エルシア。魔法使いです。隊員のロナ・ビルダーさんに頼まれ、ここに来ました】
「ま、魔法使い……」
【石化を治すことが出来ます】
「……!」
イリニアーメルではない魔法使いの増援が来るとは思いもよらなかったが、ドトルには今や彼女が神様のように見えた。
(そうか……石化の解除魔法を予め自分にかけておいたんだ……。そうすると石化してしまっても、時間差で元に戻る。確か上級の魔法使いならそんなこともできるんじゃなかったっけ……? ってことは何だ、この子は上級魔法使い。ていうかそもそも石化を治せるなんて、この世に指折りの魔法使いなんじゃ……)
ジグは石化した第一軍の山に目をやると、すぐさま魔法をかけ始めた。当然彼女が呪文を唱えることはなく、その傍らでドトルは謎の魔法使いの少女から目を離せないようだ。
(ほら……呪文を唱えないのは凄腕の魔法使いの証だ。何でそんな凄い魔法使いがわざわざ助けに……? ロナさんの知り合い? ていうかジグ・エルシアなんて聞いたことない。処刑リストにもいなかった魔法使いか……そしてこの若さ……。そういや治癒魔法って、才能も勿論だけど、経験による蓄積が物を言うんじゃなかったっけ? この子は一体これまでにどれほどの治療を……)
ジグは治癒の光を放出しながら、石化したロナをちらりと目にする。左肩は噛みちぎられたような大きな怪我をしている。ジグは僅かに眉間にシワを寄せる。
(まさか、メラさんが……?)
メラはというと、人の姿に戻ったまま石化している。
(どうしてこんなことに……)
ロナの傷は著しく酷い。だが幸運にも石化の間は傷の経過も同様に止まるようだ。逆にもしも石化していなかったら、出血多量で死んでもおかしくないような大怪我である。
(ロナさんが目覚め次第、すぐに治療を施さなければ……)
あとはロナの誤解が解けていることを、ジグは祈るばかりである。
「ジグさん」
「……?」
「あとどれくらいで皆の石化は解けるんでしょうか」
ドトルに尋ねられ、ジグは片手で光を放出しながら、もう片方の手でペンを走らせた。
【あと二十分ほどです】
「わかりました……」
石化にせよどんな怪我の治療にせよ、時間が経てば経つほどそれに治療魔法に必要な時間は比例して長くなると言われている。それにこの人数だ。二十分とは言うのは、恐ろしく早い数字ではないかとドトルは思った。
それにしても、治療時においても彼女は筆談を続けている。最初は敵に気づかれないためかとドトルは思っていたが、どうもそうではなさそうである。
「あの、どうして筆談を……?」
ジグは再びせかせかとペンを走らせた。ドトルはそれを見るなり「治療の邪魔をしてすみません」と慌てた様子で謝った。
【人前では声がでないもので。ご不便をおかけして申し訳ございません】
「そ、そうなんですね。こちらこそすみません……」
ジグは気まずそうに謝るドトルの方を見ると、いつものように優しく微笑んだ。その笑顔を見たドトルはドキっとして顔を赤らめた。
(どんな声なんだろう……)
この子が魔法使いだというなら、イリニアーメルである自分たちにとっては敵にも等しい。彼女からしても、魔法使いを処刑するイリニアーメルは因縁の相手のはずだ。しかし彼女は自分たちを助けてくれようとしているし、どう見ても悪い人間だという雰囲気ではない。
「どうして僕たちイリニアーメルを助けてくれるんですか……?」
「………っ……」
「あぁ、その……質問ばかりしてすみません……。僕ったら、邪魔ばっかり……」
ジグは「ううん」と言わんばかりに、やんわりと首を横に振った。
【ロナさんは私達をデヴォルから助けてくださいました】
「そ、そうだったんですね……だから……」
【困った時はお互い様です。同じ人間ですから】
「……!」
ジグは微笑む。ドドルはただただ感服の思いである。
「あ……ありがとうございます……」
魔法使いは悪い奴。そんな絵本を読み聞かせられ、そんな逸話を伝えられ、ああそうなのかと納得して疑問にさえ思わず生きてきた、それがドトルたちの世代である。
だから悪者の魔法使いをやっつけて、国の平和を、世界の平和を守る。そんなイリニアーメルに子どもたちは憧れ、自分もまた、似たような思いでここにやってきた。
(この子も処刑しなきゃいけないのかな……)
僕は絶対に嫌だけど……。少なくとも今まさに助けてもらってるわけだし……。恩を仇で返すような、そんなこと僕はしたくないな……。
するとジグは再び何かを書き出した。ドトルはドキりとしながら彼女が何を書くのかを待った。
【ドトルさんがこの部屋に行き着くまでの経緯、また何か敵についての情報があれば教えて下さい】
「……!」
山積みになっている石化した仲間たち。出口のない地下室。ドトルは今自分の置かれている状況を思い出してハっとした。
(そうだった……。いつあのデヴォルが戻ってくるかもわからないし、今はまずこれからどうするかを考えないと……)
ドトルはジグにこれまでの経緯と敵の特徴を説明する。ジグは治療を続けながら話を聞く。
敵は灰色のデヴォルで、大きさはこれまでのデヴォルとさほど変わらない。全てが石で出来たこの建物内の天井、壁、床に自由自在に身を潜めることが出来る。動きは通常のデヴォルの数倍素早く、また人間の言葉を喋ることもできる。
「僕たちの隊長が敵に斬りかかったんです。でも敵はすっごく固くて押し合いになって……でも隊長は押し勝って、敵は粉々に砕けたんです。でもそれはフェイクだったみたいで……」
「……(フェイク……)」
「別のところから敵がまた現れて、隊長も残った二人も石化してしまいました。僕ももう終わりだと思ったのですが、偶然にもあることに気づいたんです」
「……?」
「これが唯一の敵の弱点になるかと……!」
元々小声で話し進めていたドトルだったが、更に小声にし、ジグに近寄ってこっそりと伝えた。それを聞いたジグは驚いた。先程デヴォルに出くわした時には、自分が気が付かなかったことだからである。
その後は地面に沈むようにして石化した仲間もろともこの部屋に落ちてきたとドトルは言う。そしてジグたちも、同じように天井から落ちてきた、ということだ。
【よくわかりました。ありがとうございます!】
「いえいえ。お礼を言うのはこちらで……」
すると、ジグたちの傍で石化していたメラが光り輝き、石化が解かれると共に大欠伸をした。ジグとドトルは大きく万歳をするメラに目をやった。
「ふわぁあ〜!!!」
「……(メラさん!)」
「!」
メラは眠そうな目を擦ると、ジグの姿を目に捉えてハっとした。周りには石化したイリニアーメルの隊員たち。石化をしていない見知らぬ男もいるが、特にメラの目には止まらない。
「ジグ! 無事で良かったよぉ!」
ジグは軽くうんと頷いた。石化すればドトルたちの元へと送られるだろうというジグの作戦が、ひとまず成功したことにメラは歓喜する。しかし足元で未だ石化の解けないロナを見つけると、事の次第を思い出し、メラは言った。
「ジグ、僕の薬、持ってるよね?」
「……(はい)」
ジグが頷くと、メラは安心したようににんまりと笑って手を差し出した。
「早く頂戴」
ジグはすぐには渡さず、代わりにペンを走らせた。
【ロナさんの誤解は解けたんですか?】
「誤解ってぇ〜?」
【メラさんがキメラに食べられたと、ロナさんは思ったみたいですが】
「ああ、そうだったんだ。だから突然襲いかかってきたんだねぇ〜」
ドトルは何のことかまるでわからずに、二人のやり取りを見守った。
【薬が切れて人間に戻った。それで誤解は解けましたか?】
「う〜ん。そんなことはもうどうでもいいんだよぉ、ジグ」
いつも無邪気なメラの瞳が、ふいに狂気的なものに変わった。ジグもドトルも彼女から発せられる殺気を確かに感じていた。それを見たジグはメラに尋ねた。
【ロナさんの肩を傷つけたのはメラさんですか?】
「うん、そうだよぉ〜。でもあと一歩のところで薬が切れて、仕留め損なったんだ」
「……!」
(この子は何者……?)とドトルは身構えた。
ジグの仲間には違いない。見た目はただの女の子だ。キメラだとか何とか言ってたけど、一体どういうことだ。この子も魔法使いなのか? どうであれ、この子の放つ殺気はただならない。
(ロナさんを仕留め損なっただって……? この子は僕たちの敵……? それともジグと同じ、味方……?)
メラは右手を差し出しながらジグに言い寄る。
「ロナが目覚めたらすぐに殺さないとぉ。早く薬を頂戴」
ドトルはぎょっとした。それまで穏やかだったジグの形相も、少し、ほんの少しだけ、困惑しているようだった。