キャルディ王国①
カゲは一人、数百メートルほど後ろから、アルティエーデたちの乗る魔法馬車を追っていた。数百メートルといってもカゲの足ならほぼほぼ一瞬でたどり着ける距離で、馬車に何かあった時にはすぐに助けられる体勢は整っていた。
整っていないのは、不覚にもカゲの精神面だった。正直カゲの人生において、ここまで落ち込んだことはこれまでなかった。
カゲの心に強く根付いた感情は一つ、『人間に対する恐怖』だ。
見ず知らずの人間たちが怖くてたまらない。まさに自分は害虫だ。人の目に見つかれば、問答無用で殺される。
これまでの行動は人の目を軽視しすぎていた。人の街でご飯を食べたり買い物をするなんて以ての外だったのだ。
そして被害を被るのは自分だけではない。自分の仲間もだ。デヴォルの味方をする人間もまた、人の敵。今はそういう時代なのだ。ここはそういう世界なのだ。
自分のせいで誰かを巻き添えにすることなんてカゲにはできない。大切な仲間だと言うなら尚更だ。
しかし約束は守る。アルティエーデを危険には晒さない。それは責任というよりも、意思に近いものだった。
デヴォルを見つけたカゲは、そいつらが魔法馬車を襲う前に全てを葬った。
カゲはアルティエーデたちの前にその姿を現さぬまま、そんな風に共に道を行きながら、もう四日ほどが過ぎた。
(ここか……)
そしてついに、魔法馬車はキャルディ王国へと入国した。その後を追って、カゲも王国の目の前にやってきた。国の入り口には誰もいない。代わりにあるのは見上げんばかりの巨大な雪の壁だ。
「っくしゅん……」
あまりの寒さにカゲは身震いした。元々寒いのはあまり得意ではないのだ。鼻水が垂れそうになるのを吸い込んで、喉を鳴らした。
カゲは高さ五メートル以上ある雪の壁を跳ぶように上ると、その壁の上から王国の全貌を眺めた。雪はとどまることなく空から降りしきっている。しかしあまりに小さいので、触れてもすぐに消えてしまいまるで気にはならない。
その国はまるで絵本の中のような、美しい銀世界だった。円柱のような形が特徴的な、小さな家々が立ち並ぶ。屋根には雪が降り積もり、道端も全く除雪されておらず、また真っ白な雪が多く積もっている。
公園には大きな雪だるまが見える。かと思えば誰かの庭には一朝一夕では作れないような見事な雪のオブジェが飾られている。
そして国の真ん中にはアルティエーデの住んでいたお城の倍以上ある巨大な城がそびえ立つ。雪にも負けないような真っ白な外観で、一ミリのブレもないかのような非常に美しいシンメトリーである。
(ここがアルティの友達のお姫様、メリア・キャルディの故郷か……)
王国と名のつくだけあり、その広さも城の豪華さも、グリンダブル国にも引けを取らない。
ただ一つ気になることは、その国に人の姿が全く見受けられないと言うことだ。
(国民は皆避難しているのかな……)
ドリィアーツ協会の手紙によれば、大量のデヴォルが押し寄せるのはちょうど明日のはずだ。国にも事前にその情報が行っていたのか、とにかく国民の姿はなさそうである。
(アルティエーデたちと合流しよう)
そう決めると、カゲは二人の魔法馬車を目指して足を早めた。雪道を進み、馬車は城の門の前まで来ると自然に止まった。アルティエーデとルチの二人がドアを開けて馬車から降りてくるのが見えると、カゲもフードを深く被り直し、巻いたスカーフを確認すると、二人の前に姿を現した。
「カゲ君!!」
アルティエーデは簡単の声を上げた。ルチはふんと鼻息を立てて目をそらした。
「もう! 勝手にいなくならないでよ!」
「ごめん……」
「最悪だったんだから! こいつとずっと二人きりなんて」
「ごめん……」
ルチはアルティエーデたちにちらりと目をやった。これまでルチとアルティエーデの二人は、本当に必要最低限の会話しかしなかった。予想もしがたいほどに窮屈で重苦しくてつまらない数日間だったと、アルティエーデはカゲに愚痴をこぼした。
すると、門がギギィと音を立てて自然に開き始めた。「うわ!」とアルティエーデが驚いたように声を出した。カゲとルチも、警戒しながらその開く門に目をやった。門の向こう数メートル先の城の扉もギギぃと開いて、中からカゲよりも小柄な橙色のくせっ毛の少女が現れ、小走りにこちらへやってきた。
「来たきた! 最後の一人! 待ってたよぅん! あれ?!」
少女は水色のまあるい瞳を更にまあるくさせて瞬きを繰り返すと、魔法馬車の前に立つ三人を眺めた。彼女の髪の左サイドには、目を引くような大きさの緑色の髪留めがとまっている。
「さ、三人? あれれん? おかしいなぁ。来るのはあと一人だって……」
「お前もドリィアーツ協会のメンバーか」
「そうだよん! キャルディ王国のデヴォル討伐メンバー、アレス・ミローナだよ! ほら見て! 黄金バッチ!」
アレスと名乗った少女は、少しばかりブカブカで、そしてやたらとモコモコの、白いコートの胸元につけた金色のバッチをルチに見せた。中にはアルファベットの『D』がお洒落な字体で描かれている。ドリィアーツ協会の頭文字だろうか。
「何なのかしらあのバッチ」
「さあ……」
アルティエーデとカゲは首を傾げたが、ルチの様子を見ると彼は納得した様子だった。アレスが仲間だとわかると、ルチは言った。
「呼ばれたのは俺だ。この二人は俺の家来」
「け、家来?!?!」
「アルティ落ち着いて……」
アレスはアルティエーデとカゲをちらりと見ると、にっこりと笑って頷いた。
「なるほど。まあ問題はないよん。戦力は多い方がいいからねん。ただし、しっかり世話してねぇ、ルチ君」
「……」
(黄金バッチはドリィアーツ協会の幹部の証。子供だが、相当な手練ということだな……)
「何で私が世話されなきゃいけないのよ!」
「アルティ、落ち着いてってば……」
「う〜ん、何だか騒がしい家来だねぇ」
アレスが眉を釣り上げたので、アルティエーデはドキっとして口をつぐんだ。まあるい瞳は少しばかり細まると、怪しいものを見るようにアルティエーデとカゲを凝視した。
(何なのこの子……)
子供なのに、何だか狂気を感じる……。
何だか嫌なオーラ。さっきまでの馬車の空気なんてなんてことない。
それくらい何だか、ピリつくオーラ。
私、直感だけどわかっちゃった。
(この子、魔法使いだわ)
アレスはカゲに近づいていく。アレスは小柄なカゲよりも更に頭一つ分小さい。アレスはカゲを見上げながら首を傾げた。
「ねぇ君……」
「!」
カゲの心臓は高鳴った。同じくしてアルティエーデとルチもドキっとした。
(出てくるタイミングを完全に間違えた……! この子に顔がバレたら僕はどうなる……?)
アレスは目を細める。深いフードは影を作りおまけに目元ギリギリまで巻いたスカーフは、カゲの顔を完全に隠していた。
「な、何でしょう……」
「う〜ん……」
「……」
アレスはカゲを見上げ続ける。右に左に首を傾けるのに合わせて、カゲもその首を動かした。
「おいアレス、何してやがる」
すると見知らぬ男の低い声が聞こえた。まもなくガタイのいい、如何にも腕っぷしの強そうな強面の男がどすどすと歩いてこちらにやってきた。白髪をオールバックにし、頬には大きな斬り傷の跡がある。茶色の厚手のコートは、彼の体格を更に一回りほど大きくさせた。
「ああジョルゼ! 最後の一人が来たんだよん」
ジョルゼと呼ばれた男はその目よりも分厚い眉をしわ寄せると、カゲたちに睨みをきかせた。
「三人もいんじゃねえか」
「彼がルチ君。あとの二人は家来だってよん」
「ふん」
ジョルゼがやけに荒い鼻息を吹き出すと、アルティエーデは完全にビビった様子で、顔を引きつらせながら一歩退いた。
「ならさっさと城に入れてやれ。外は寒すぎる」
ジョルゼはそう言い放ち、城へと戻っていった。アレスは「はあ〜い」と返事をすると、城に向かって歩き出した。
アレスの跡を追うように、カゲたちも進みだした。全員が城内に入ったところで、扉は自動的に閉じていった。
中に入ると開けたエントランスがあった。造りはアルティエーデの住んでいた城にそっくりだが、広さは三倍ほどある。壁の色は真っ白に思えたが、よく見ると色違いの薄色のレンガ張りとなっている。ところどころにまるで氷かのようなガラス造りの動物のオブジェが飾られている。馬、ライオン、それから鷲だ。全ての動物は透明に輝いている。
ジョルゼを先頭に、エントランスの目の前にあるこれまた幅の広い階段を上っていく。天井は驚くほど高く、そこには神話に出てくるような女神と天使の絵が全面に描かれている。
しかしそれらに目をくれる暇はない。ジョルゼたちは足早に進んでいく。すると給湯室のような小部屋にそそくさとジョルゼは入っていった。
「温かい飲み物を用意してやるからそこで待っておけ。それにそんな軽装で、風邪をひいちゃあいかん。アレス、コートを三人分見繕ってこい」
「はぁ〜い!」
アレスはジョルゼに命じられると、すぐさま別の部屋へと駆け出した。あっという間にジョルゼは三人分のココアを用意すると、お盆に乗せて部屋から出てきた。
「あ、ありがとうございます……」
「ふん! こっちだ。ついてこい」
ジョルゼは鼻息を立てるも、今度はアルティエーデもそれに怯えることはなかった。「あの人、見かけによらず優しいのね」とアルティエーデはカゲに耳打ちした。
ジョルゼの後を追うように廊下を進んでいくと、大部屋の前にやってきた。
「さあここだ。さっさと入れ」
ジョルゼに促され、ルチは扉を開けた。後に続いてカゲとアルティエーデもその部屋へと足を踏み入れた。