キャルディ王国への道中②
鏡に映った自分の姿を見たカゲは、暫くの間その場から動くことができなかった。
そこに映っているのは、鱗と同じ黄土色の髪をした少年の姿だった。髪はさらさらのショートカットで、耳元まで隠れている。瞳は黒く、少しばかりキリっとしている。肌はやたらと色白で、唇はぷっくらとしていて赤味がある。アルティエーデの言うように、顔立ちは大変整っている。
歳は十歳くらい。背丈はトカゲ人間のものと変わらない。以前残っていた鱗や尻尾などのトカゲの部位がごっそりとなくなった感じだ。頭も人間のものとなり、どこからどう見ても人の姿である。
カゲは特になりたい姿などはイメージしなかった。エリダの言ったように完全に薬に「おまかせ」することにしたのだ。人間の姿になれれば見た目は何でも良かった。と思っていた割には、今の姿が不思議としっくりくる。つまりカゲはその姿を完全に気に入っていた。
「カゲ君って何歳なの?」
「さぁ……」
「この見た目は十歳くらいよね!」
「うん……」
トカゲ人間として生きたのは十年。その前はトカゲとして生きていたが何年生きたかは勿論覚えてなぞいない。ただ確かなのは、精神年齢は十歳は超えているだろうということだ。
「アルティは何歳だっけ」
「私? 私は十八歳よ」
「そうなんだ……」
「何だか私達、姉弟みたいね!」
「そうかな……」
(まあ確かに、友達というには歳が離れすぎているよな)
カゲは横に並んだアルティエーデを鏡越しに眺めた。背はほんの少し彼女が高い。まあでも、アルティエーデは歳の割には背が高くない方かもしれない。
「それじゃあ行きましょう!」
「うん」
二人は食事処に入ると、用意された夕食を向かい合って食べた。古民家ならではの家庭料理的な和食がお盆に並んでいる。カゲはそれらを食べようと箸を使うが、人間になったばかりの右手はまだ慣れておらず、おぼつかない様子だ。
「カゲ君子供みた〜い」
「うるさいな。前の手の方が慣れてたから……」
「うふふ」
アルティエーデは嬉しそうに笑っている。カゲは何がそんなに楽しいのかと首を傾げた。
そういえばアルティエーデと二人でご飯を食べたのはグリンダブル国の食べ歩き以来だ。このようにお店で向かい合って食べるのは初めてだ。
(本当に人間になっちゃった……!)
アルティエーデはちらちらとカゲを見ながらご飯を食べ進める。しかしあまりにも目の前の彼の姿が見慣れないのか、豆腐を取りそこねると、カゲがここぞとばかりに「人のこと言えないじゃん」と指摘した。
「だってカゲ君が……!」
「僕が何?」
「……」
アルティエーデはしばらく沈黙したままカゲを眺めていた。ついさっきまでトカゲの頭をしていたなんてにわかにも信じ難い。
それくらい、しっくり来る。
驚くほど、違和感がない。
「何でもない」
「何だよ。気になるな……。やっぱりこの姿が変とか……?」
「ううん! そんなことないわよ。すっごく似合ってるもの」
「はぁ……」
カゲは順応が早いのか、ようやく箸の扱いにも慣れてきたようだ。慣れてくれば人の手の方が扱いやすいというものだ。
「メラとジグは大丈夫なんでしょうね……」
「今はまだ向かってる途中だと思う。ルトゲルンはベルヴィム山脈の近くだから」
「どうして二人と一緒に行かなかったの?」
「いや、だから……」
『これ以上私を危険な目に合わせないでよ! カゲ君が私のことを守ってよ!』
あの日アルティがそう言った。
『アルティを守ってくれる人が出来るまでだよ』
だから僕は……
『それまで僕が、守ってあげる』
彼女を守ると約束した。
メラとジグを放ってまで、僕はここに来た。
約束を守りたかったから。
「もしかして、さっき言ってた約束って、私を守るっていう約束のこと?」
「!」
カゲはドキっとして目を見開いた。アルティエーデは約束のことなんてもう忘れているのだと思っていたからだ。
カゲはアルティエーデと目を合わせる。その目に映る彼女の姿はこれまでと何も変わっていないというのに、どうしてかいつもと違うように感じる。
「そうだよ……」
薬を飲んだ後も変化していないカゲの左手の薬指には、レッドスピネルの指輪がぴったりとはまっている。何となくカゲは恥じらいながら、しかし違うとも言えずに、小さくそう呟いた。
「ふふ! やっぱりね。ちゃんと守ったのね! 偉いわ!」
アルティエーデは嬉しそうに微笑みながらそう言うと、カゲの頭に手をやった。
「!」
カゲはその手を振りほどくことはせず、されるがままにアルティエーデの手の平が頭に触れるのをひしひしと感じていた。
「カゲ君、何だか可愛くなったわね」
「何それ……」
「髪の毛すっごくサラサラしてる。ふふ。いい子いい子〜!」
アルティエーデはカゲの黄土色の髪をしばらく撫でた。カゲはその間俯きがちになったまま、髪の毛を撫でられるという初めての感覚を味わっていた。
「ごちそうさまでした!」
「ごちそうさまでした……」
ようやく食事を終えた二人は、部屋へと戻った。そこにはルチの姿はない。彼の荷物もなくなっている。
「あいつがいないじゃない」
「宿の外に何か食べに行ったのかな……?」
「かもね。あ、私お風呂に入ってくる! 下に浴場もあったわよね! カゲ君も行く?」
「僕はもう少し休んでから……」
「そう! それじゃあ行ってくるわね!」
「いってらっしゃい……」
アルティエーデは赤色のリュックから着替えを取り出すと、部屋置きのバスタオルを共に抱え、慌ただしく部屋から立ち去っていった。
(ふう……)
部屋に一人になったカゲは、へたりと腰を下ろした。人間の姿になってようやく一人きりになることができたカゲは、力が抜ける思いだった。
おもむろに自分の頬に手を触れる。これまでに感じたことのないこの感覚にまだ慣れることができない。
(まるで自分じゃなくなったみたい……)
そのまま手を頭にやると、アルティエーデにそうされたように、自分で自分の髪の毛を撫でた。
(髪の毛撫でられるのって気持ちいいんだな……)
トカゲ人間でいた頃には知り得なかったことだ。この十年、自分は人間のように生きてきたつもりだったけれど、そんなことも知らなかったのだとカゲはふと思った。
「無能はどうした」
「!」
心臓を掴まれるような思いで、カゲはその手を下げた。振り向くとルチが部屋に入ってきた。どうやら風呂上がりのようだ。アルティエーデとは入れ違ったのだろう。
「お風呂に行ってたんだね」
「害虫の後に入るなんてごめんだからな」
「……」
ルチはカゲに面と向かって罵声を浴びせる。アルティエーデのことも『無能』呼ばわりと、口の悪さは甚だしい。
しかしカゲ自身、『害虫』呼ばわりされることに怒りはない。苦笑は隠せないところだけれど。
「キャルディ王国に百五十匹のデヴォルが襲ってくるって本当なの?」
「……」
「ドリィアーツ協会って何なの?」
「……」
カゲはルチに質問を投げかける。この距離で聞こえていないはずがないのに、ルチはわかりやすく無視している。
(僕とまともに会話する気はなさそうだな……)
カゲが様子をうかがっていると、ルチは壁際に座ったまま目を閉じた。
「布団で寝ないの?!」
「誰がいつ襲いかかってくるかわからないからな」
「僕たちはそんなことしないよ?!」
カゲの言葉など耳にも入らぬ様子で、ルチは布団もかけず、そのまま座って眠るつもりのようだ。
「もし俺の半径一メートルまで近づいてみろ。毒針を打ち込んで殺してやるからな」
「だから君を襲ったりしないって……」
「どうだか。今は人になったつもりでも、元はデヴォルだ。信用なんてできない」
「僕はデヴォルじゃないよ」
「お前がそう思ってるだけかもしれないだろ」
「……だったら明日から別の部屋をとって寝たら?」
「……」
「それか別の宿にするとか」
「……」
「もう寝たの?!」
ルチは目を閉じたまま微動だにしない。やがてスースーと穏やかな寝息が聞こえ始めた。
(変な人……)
寝顔は確かにエリダさんの面影あるかも……。性格は真逆って感じするけど。
そういえばエリダさん、ルチは昔良く笑う子だったって言ってたよね。両親が死んでから変わってしまったって……。
(どうして彼は、殺し屋になんか……)
ルチが笑うところなんて、惡いけど全く想像できないや。死んだような目してるし、僕はもちろん、この世の誰も信用していないって感じ……。
でもエリダさんのことは尊敬してるのかな。マジミスターよりすごいって自慢気に言ってたし。意外だったけど、おばあちゃんを悪く言ったりはしないんだ。根は悪い子じゃないと思うんだけど……。
「たっだいま〜! あれ、ルチいるじゃん。てかもう寝てるわけ?」
アルティエーデが部屋に戻ると、騒がしく声を上げた。
「ていうか何で座って寝てるわけ?」
アルティエーデがルチに近づくと、ルチは目をギロリと開け、アルティエーデに向かって針を投げ入れた。
「っ!」
「ちょっと!!」
アルティエーデはそのままパタリと倒れてしまった。カゲはアルティエーデの名前を呼びながら彼女の元に駆け寄る。スースーと幸せそうな寝息を立てながら、アルティエーデは眠っていた。
「アルティに何したの?!」
「睡眠針。単細胞ほどよく効く」
「ちょっと……」
悪い子じゃない。とは言い切れないかも。
「お前も騒いだら同じ目に合わすぞ」
「……」
「近づいたら殺すからな」
「大丈夫だよ。僕もお風呂に入ったらすぐ寝るから」
「ふん」
ルチは鼻息を立てると、再び目を閉じて眠りの体制に入った。
(キャルディ王国につくまで不安しかないや……)
カゲはアルティエーデを布団に運んだ後、一人浴場に向かった。帰ってきた後も部屋は全く同じ状況であった。カゲちらちらとルチを気にしながら、電気を消して布団に潜り、眠りについた。