襲う者・襲われる者
「一体どうなってるにゃあ?!」
古の国『ルトゲルン』に向かう道中、巨大飛行船シルビアフライヤーで移動中のハンとドトルは、べルヴィム山脈が見るも無惨な荒れ地と化しているのを目にした。
「魔法でしょうか……」
「にゃにゃ…。そうとしか考えられないにゃ。デヴォルの仕業にしては規模が大きすぎるにゃ〜」
ハンは自分専用の双眼鏡を取り出すと、操縦席前方一面に広がる窓からその様子を眺めた。
(一体何の魔法にゃ……)
山脈一帯を丸ごと崩壊させるレベルの威力だ。とてもじゃないが、自分の爆弾でもこの威力は出せないとハンは思う。
(何にせよ、腹立つにゃあ)
魔法は化学を超えている。世界中の誰もがそのように考える。
化学は魔法に敵わない。その事はハンもよく理解している。
であるから自分も、メイジソークを作って魔力を借りた。魔力と化学を組み合わせれば、それこそ最強の力を手に入れられるはずだ。
化学が魔法に勝てなくても、自分は魔法使いに勝てる。ハンはそう信じていたが、今度の魔法は只者ではない。ハンはベルヴィム山脈の残骸を端から端まで見渡しては、悔しさのあまりに唇を強く噛み締めた。
その様子を見たドトルはゾッとした。ひたすらに怖くて、とにかく彼のそばになどいたくない。隊長に報告してくると言って、早々にその部屋から飛び出してはドアを閉めた。
「クソクソクソ! クソったれにゃあああ!!!!」
「ひぃっ!」
ドトルは部屋から聞こえるハンの罵声に耳を塞ぎながら、慌てて飛行船内の廊下を駆け出した。
「気味の悪いデヴォルだったな」
ルチはエリダの家にやってきた半人半トカゲの姿を思い出しては、ボソリと呟いた。
大樹に手を触れたルチは、一瞬にして森へとやってきた。大樹はエリダの家と森を繋ぐ入口である。一見別空間へとワープしているように思えるが、正確にはそうではない。エリダの家とその庭の広い花畑は、この森の中にあるからだ。
しかし視えない。森の中をどれだけ彷徨おうと、家と花畑は見つからない。そこに行くためには、何百とある木々の中からたった一本の大樹を見つけ、手を触れるしかない。その瞬間、エリダの魔法によって、見えていなかった家と花畑が見えるようになるのだ。そしてまるで異空間にでもたどり着いたように、家と花畑と偽物の空以外は見えなくなるのだ。
「うん……?」
ルチは足を止めた。何かの気配を感じる。空気が重い。ルチは視線を動かしていく。
ザッと木々が動く音がした。ルチはそちらに目をやった。誰かがいるのは間違いない。しかしルチの動体視力でも、その姿をとらえられない。
「誰だ……」
ルチは手首を軽く振った。瞬時に右手の指の間に仕込み針が現れる。
再びダダッと地面を駆ける音がした。ルチは振り向くがそこには誰もいない。しかし間違いなく近くに誰かがいる。
「ちっ……」
怠そうな目つきでルチは舌打ちをする。次に音がしたら、姿が見えなくとも針を投げ込んでやろうとルチは思った。
「ふふ! こぉ〜っちだよ〜〜……!」
「!」
突然挑発するような少年の声が背後から聞こえ、ルチは振り向きざまに針を投げ入れた。細い三本の針が目にも止まらぬスピードで飛んでいく。しかし針は敵にかすることすらなく、遠くの大樹に深く突き刺さった。
(どこにいる……?!)
暗闇でも敵が見えるほどに訓練されたルチの視力は、人並み外れたものである。そんなルチでさえも、敵の姿を見つけられない。ルチは再び手首を振り、仕込み針を持ち直す。
「こぉ〜っちだってばぁ!!」
声ははっきりと聞こえる。かなり近くにいる。ルチは一瞬表情を強張らせた。敵はどこにもいない。
「ふふ!」
少年の笑った声が聞こえた瞬間、ルチは愕然とした。針を握っていた自分の右手首が一瞬で斬り落とされ、血飛沫と共にポトリと地面に落ちたのだ。
「ぐぁああああああっっ!!!!」
あまりの痛みに耐えかね、ルチは悲鳴を上げた。
「あははははっ!! もう針は投げられないかな?」
少年は声を上げて笑った。ルチは歯を食いしばり、左手首を振って別の仕込み針を出すと、声の方に向かって投げつけた。しかし針は先程と同様、遠くの大樹に突き刺さった。敵の姿はどこにもない。
「あああぁぁアアア!!!!」
「ふふ! 左手もいただき〜!」
すぐさまもう一方の手首が熱くなった。左手首が地面に落ちた。悶絶するような痛みと絶望のあまり、ルチの目からは涙が溢れた。
(誰……なんだ………)
あまりの出血に意識も朦朧とし始めた。見知らぬ誰かに殺されるなんてあんまりだ。まして殺し屋である自分がだ。
ルチは足に力が入らなくなり、そのまま膝から崩れ落ちた。無惨な腕の先と落ちた自分の両手を見ては、再び絶望する。
(死……ぬ………)
「あははは!! 次は足を斬り落とすよ!」
「っ!!」
甲高い少年の声が耳に響いた。ルチは逃げようと足に力を入れるが、どうにも立ち上がることが出来ない。涙も止まらず、声もあげられず、見えない敵の姿を必死で探した。
森には誰の姿もない。それなのに地面を蹴る音が聞こえる。敵が近づいている。
(斬られる……っ!!!)
報いだ。これまでに俺は人を殺しすぎた、その報いだ。
数え切れないほど、見知らぬ誰かを殺した。
それが仕事だった。
そこには最初から何の感情もない。
いや、嘘だ。最初だけは違った……。
『馬鹿だね、ほんとに』
彼女は俺を嘲笑った。肉親の返り血にまみれた俺を見て、面白おかしく笑った。俺は心の底から懺悔した。この手で殺めた自分の両親に懺悔した。でもその悲しみを絶対に表に出さなかった。平気なフリをした。それを見て彼女も、満足気に微笑んでいた。
『くく……いいよ。約束だ。着いてきな』
俺はただ彼女に、認めてもらいたかった。
どうしても彼女の傍にいたかった。
それだけだった。
『ルチ、あたしは嬉しいよ。やっとあたし、独りじゃなくなったってね』
俺は彼女の手を握りしめた。数多の命を奪い去った二本の手を、指先を、強く絡め合った。
(ああ、でも俺もやっと、そっちに逝けるか……)
死にたいわけではないけれど、もう死ぬというなら仕方がない。
諦めた。
諦めるのは早い方がいい。
その方が気が楽なんだから。
「右足いただきま〜す!!!」
少年の声が脳裏に響いた。ルチは逃げることもせず、どうせ敵の姿も見えないものだと思い、ぎゅっと目を瞑った。
スパアアンと歯切れのいい音が響いた。最初は自分の足が斬られた音かと思ったが、どうやらそうではない。自分の足には何もされていないし、音は鞭を打った時のような打撃音だったのだ。
(え……)
ルチは驚きと共にすぐに目を開けた。
(何で……)
目の前には、自分が先程襲った半人半トカゲが立ち尽くしている。そして離れた先には、薄橙色の髪の少年が尻餅をついて、攻撃を受けたであろう腹部をさすりながらうずくまっていた。
「何なに。何なのいきなり……」
突如現れたトカゲの尻尾が、薄橙色の少年の腹部に命中した。まるでハンマーで殴られたような衝撃だ。
(何で当たった……? 僕は透明になっていたはずなのに……。何で……? 意味不明……。くっそ……)
薄橙色の少年は痛みに顔をしかめながら、口から垂れた血を拭った。
少年の姿は今やルチにもはっきりと見えている。十歳前後の小柄な少年だ。薄橙色の癖一つないショートヘアで、クリクリとした可愛らしい緑色の瞳をしている。右手にはルチの返り血がついた短剣を握りしめている。
半人半トカゲは有無を言わさず動けぬルチの身体を抱え、落ちたルチの両の手も拾ってそのトカゲの手で掴んだまま、大樹に向かって駆け出した。
「お前…何で……」
「まだ間に合う! 戻るよ!」
「……っ!」
半人半トカゲは大樹に手を触れた。ルチと共に、一瞬で姿を消す。
「おい! 逃げるな!!」
薄橙色の髪の少年も何とか立ち上がると、後を追うように大樹に手を触れた。同じくその大樹に吸い込まれるようにして姿を消した。