小型飛行船内
「ふぅ……助かった……」
飛行船に乗り込んだ僕は顔をあげると、背負ってきた少女を見た。どうやら気絶してしまったみたい。あんなに怖いことがあったんだから当然だ。僕もまだ心臓の音が鳴り止まない。それにしてもどうしてこの子は、たった一人で山脈にいたんだろうか。
そして僕はやっと思い出した。この子は古本屋のお客さんの一人だ。別に話をしたわけじゃないけれど、確かに緑色のニット帽を被っている女の子がいた。他人のファッションに興味はないけど、季節外れの帽子だったのを覚えている。
でもそれだけだ。完全な他人だ。会話どころかすれ違ってすらいなかったはずだ。この子も僕のことなんて覚えていないだろう。
そういえばやたらと色白い肌をしている。まるで人じゃないみたい。まあ、僕に言われたくはないか。
それよりも、この子を無事に助けることが出来て本当に良かった。僕も皆も、大きな怪我もなく無事だなんて……
「カゲ君! 無事で良かったわ!」
アルティが僕の元に駆け寄った。アルティがメテオで足場を作ってくれなかったら、助からなかったかもしれない。
「よくわかったな。魔法を使うって。この女、呪文も唱えねえのによ」
紺色の髪の男が口を開く。やたらとしわがれた声で、人相も悪く口調も荒々しいが、どうやら悪い人ではないようだ。しかし彼は、イリニアーメル。彼の黒マントの蝶の絵が、風になびいて揺れている。
「ありがとうございました。僕達を助けてくれて…」
でも彼は、僕達を助けてくれた。洞窟の中で敵の炎に燃やされているところを助けてくれたのも彼だし、カルツェベグロとの戦闘で僕をアシストしてくれたのも彼なのだ。
「お前はデヴォルなのか。それとも人間なのか?」
紺色の髪の男は操作盤をいじりながら僕に尋ねた。船の後方ではメラが眠りについているのが視界に入った。アルティは気絶した白髪の少女の腹の上に、そばにあった軽い毛布をかけているところだった。
「僕は…トカゲです。魔法で人間の姿にされたんです」
僕が答えると、紺色の髪の男は眉をひそめた。信じようと信じまいとどちらでも構わない。でもそれが事実だ。すると紺色の髪の男は、予想外にも大笑いを始めた。
「ト、トカゲって! へへへ!! 随分流暢に喋るじゃねえか! なあ、カゲ君!!」
「…何で僕の名前」
「トカゲのくせに人間の女とコレとはな! 恐れ入ったぜ!」
「……?」
紺色の髪の男は右手の小指を立てながらケタケタ笑っていたけど、何がそんなにおかしいのかも、コレの意味もまるでわからなかった。
「ちょっとあんた、そういや一体何処に向かってんのよ」
アルティが言った。因縁のイリニアーメルを前にやたらと強気な口調である。まあ彼女は割といつもそうだけれど。
「あんたじゃなくて、名前はロナだって言っただろ」
「あんたの名前はどうでもいいわよ! 何処に向かってるか聞いてんのよ」
「処刑場だよ」
「はあ?!?! あんた何言ってんの?!?! 正気?!?! 正気だとしたら今あんたをここからぶち落として、この飛行船をのっとるわよ?!」
アルティは僕の耳が潰れそうなほど声を荒げた。ちなみに僕の目の後方に空いている小さな穴が、トカゲの耳だ。僕はその穴に直ずる鼓膜を防ぐべく、両手の小指を突っ込んだ。
そしてロナというイリニアーメルの男も同様に、耳を塞いで歯を食いしばっていた。
「カゲ君がいなかったらあんたはあの巨大デヴォルに殺されてたのよ?! それなのに私達を処刑場に連れてくですって?! 命の恩人に向かってなんちゅーこと言うわけぇええ?!?!」
「冗談! 冗談だって冗談!! 冗談冗談冗談!!!」
ロナがそう言うと、アルティは猛襲をやめた。腰に手を当て、鼻息を鳴らした。
「冗談なのね!」
「冗談冗談!」
「ふん! くだらない冗談は二度と言わないことね!」
「……(怖え〜)」
僕も唖然としてアルティの様子を見ていた。そして未だにねんね中のメラを見ては、ため息をつくばかりだった。本当に呑気にもほどがあるよなぁ…。メラらしいけどね。
「アルティ、ロナさんも僕たちを見捨てないで脱出してくれたんだ。今回はお互い様だよ」
「ロナでいいよ。しかし常識のあるトカゲだな、本当に」
「カゲ君は元はトカゲだけど、今はもう立派な人間なんだから! トカゲ扱いしないでよね!」
僕は横目でアルティを見る。代わりにそう言ってくれるのは素直に嬉しい。先日ミールワームを食べさせようとしていたのが嘘のようだ。
「んじゃあ改めて、俺はイリニアーメル第三軍隊員、ロナ・ビルダーだ。お前らも知っての通り、俺の仕事は世界平和のための活動全般。その中でも特に大きな仕事が、世間を騒がす凶悪なモンスター『デヴォル』を始末することってわけだ」
ロナは話を続ける。僕たちは飛行船の床に輪になるように座って話を聞いた。
「噂の通り、デヴォルは『魔法使いの使いの悪魔』だなんて呼ばれてる。デヴォルが現れたのは世間では最近のことだと思われているが、本当はそうじゃねえ」
「どういうこと?」
「初めてデヴォルが現れたのは、十年近く前だ」
「!」
飛行船はゆっくりと空を飛んでいく。マジミスターの赤い屋根の家が僕を乗せて空を飛んだみたいに。
「俺もこの目で見たわけじゃねえが、俺たちの元本隊長が初めて、そのモンスターを見つけた。そのモンスターが自ら名乗ったんだ。自分たちは『デヴォル』という生き物で、人類の敵なんだってな」
「?!」
『デヴォル』という名前は、人間たちが勝手につけたわけじゃないのか…。それにしてもこの話は本当なんだろうか。元本隊長って、アルティが史上最悪の男だってこの前言ってたような…確か名前は…。
「それって、ベラ・ダスティレアのこと?」
アルティが尋ねた。そうだ、ベラ・ダスティレア。マジミスターを殺しにやってきてメラに食べられた…んだっけ?
「そうだ。よく知ってるな」
「当然よ! そいつ、魔法使いの大敵だもの!」
「……お前からしたらそうだよな」
「ふん!」
イリニアーメルの隊員を前に、アルティのこの威勢の良さは恐れ入る。しかしロナの話はこれまでにないほど貴重だ。どうして僕達に教えてくれるのかはわからないが、聞いておかない手はない。だから喧嘩してる場合じゃないよ、アルティ。
「ベラの命令で十年前、魔法使いの処刑が再開した。デヴォルなんて、あんな未知で凶悪なモンスターを生み出せるのは、この世に魔法使いしかいねえからな」
「確かにそうかもしれないけど、だからって魔法使いを殺しまくるなんて非常識だわ!」
アルティは怒っていたが、ロナも何だか不服そうな表情を浮かべていた。ロナにとってはイリニアーメルが正義だ。それを悪く言われることには、やはり腹がたつんだろうな。
「俺たちだって手当たり次第に処刑してるわけじゃない。俺たちに手を貸すなら殺しはしないぜ?」
「イリニアーメルに入隊しろっていうんでしょ」
「そういうこと。魔法が使えるなんてそれだけで即戦力、俺の所属する三軍の隊長も魔法使い上がりだしな!」
「だからって、皆が皆、手を貸すわけないじゃない。魔法使いにだって普通の生活をする権利があるわ。身の危険を犯してデヴォルと戦いたい人なんていないし、魔法使い殺しのあんたたちの仲間になりたいなんて、そもそも誰も思わないのよ!」
アルティの言うことはもっともであると僕も思う。イリニアーメルは人類の平和のために戦う軍隊。その存在自体は素晴らしいが、彼らの正義は歪んでいる。そんな風に、僕は感じる。
「……そうだよな」
「…!」
アルティに論破をくらったロナは、何だか落ち込んだ様子だった。それを見たアルティは彼を責め立てるのを一旦止めた。
「魔法使い側の意見としては正しい。俺もそう思うよ」
「だったら処刑なんて馬鹿なことは、今すぐやめなさいよ」
「……それは出来ない」
アルティは目を細めた。眉間にしわが寄った。僕は黙ってロナの様子を伺う。
「魔法はこの世の摂理を超える力だ。魔法使いがいつその力を悪用するかわからない。人々は魔法使いに怯えている。魔法の力は統制されるべきだ。そうじゃねえと、普通の人々は安心して生活できねえんだよ」
「そんなこと言われても…。じゃあ魔法使いたちは自分たちの生活を我慢して、世界のためにその力を使うことを強制されるわけ?」
「極論そうだ。今や世界の魔法使いの数は極少数。大多数の一般人の平和のために、安心のために、どうかそうしてほしい」
アルティは口をつぐんだ。僕はアルティの味方をしたかったけれど、何も言えなかった。イリニアーメルの正義が正しいとは言い難いが、世間の人々の思いはロナの言う通りなのだろう。それは僕にもわかるのだ。
力は脅威だ。普通じゃないということは、それだけで生きづらいのだ。
ロナは頭を掻きむしった。一度大きく深呼吸をすると、彼は言った。
「説得は得意じゃねえんだ。だからもう率直に言うぜ。お前ら、俺たちの仲間になってくんねえか?」
「!」
僕とアルティは目を見開いた。ロナは続ける。
「さっきの戦闘を見てよくわかった。お前たちは俺なんかよりも断然強い。俺はデヴォルを倒して人類を…この世界を守りたいんだ。魔法使いがイリニアーメルをよく思ってないのはわかってる。でも近年デヴォルが増加して、今回みたいな奴がまた次々現れたら、俺たちの手には負えない。だからどうか、俺たちにその力を貸してほしい」
僕は単純に驚いた。僕がイリニアーメルに抱いていたイメージや感情が覆ったのだ。ただの魔法使い殺しの集団じゃない。少なくとも、彼は違う。
僕は確かに、トカゲだった。ただマジミスターとメラと一緒に、呑気に暮らしていければ、それで満足出来るトカゲ人間だった。
正直人類の平和を考えるには、僕は人間になってからまだ浅い。人間のように考え、動けるようになったと自負していたが、やっぱり根が浅い。メラほどじゃあないかもしれないけど、僕もこの世界に無頓着だった。
だから少しばかり、感動してしまった。世界を守りたいと言ったロナの言葉は、本物だったからだ。
「アルティ…」
アルティは腕を組み直してロナを見つめた。僕は彼女の返答を待った。