草原③
「来ないでぇええ!!!」
「グァアアアア!!!!」
数匹のデヴォルが、アルティエーデを追いかけている。その数五匹だ。デヴォルたちは耳が痛くなるような奇声を上げながら、牙を剥いている。
「来ないでって言ってるでしょうがぁああ!!!!」
アルティエーデは全速力で駆け出した。魔法で応戦しようにも、今日はもう魔力がない。おまけに酷く疲弊している。まもなくデヴォルに追いつかれ、取り囲まれた。
(あり得ない…!! 三回目は流石にあり得ないってばぁぁっ!!)
アルティエーデはきょろきょろとデヴォルを見渡す。デヴォルも襲う機会を伺って一瞬の沈黙が走る。様々な色のトカゲ頭のモンスターが、こちらを睨みつける。
(こいつらがデヴォルなの……?!)
カゲ君にそっくり…。
「グァアアアア!!!」
「あんたたち、私は大魔法使いアルティエーデ様よ?! 魔法使いの使いなんでしょ! だったら私の言うことを…」
「ゥオオオオアアアア!!!」
(聞くわけなかったぁああ!!!)
まもなくデヴォルはアルティエーデに向かって一斉に襲いかかった。アルティエーデは頭を抱えてしゃがみ込んだ。為す術もなく、そのままきゅっと目を瞑った。
「ゥガァアアア!!」
「グォァアアアア!!」
しかしアルティエーデが攻撃を受けることはなく、代わりにデヴォルたちの悲鳴らしき鳴き声が聞こえた。
(え…?)
しゃがみ込んだままちらりと目を開けると、デヴォルたちが薙ぎ払われて遠くに飛んでいくのが見えた。そして目の前に誰かの影が垣間見え、顔を上げた。そこにはカゲとメラの姿があった。
「カゲ君!」
アルティエーデは顔を上げて歓喜の表情を浮かべた。仕留めきれなかった二匹のデヴォルが起き上がって、カゲに向かってくる。カゲは先に近づいてきたデヴォルの攻撃を、低姿勢になり何なくかわすと、ローブを払って尻尾をふるい、デヴォルを攻撃した。
「ゥギャアアア!!」
カゲの尻尾はデヴォルの顔面に直撃し、デヴォルはそのまま地面に倒れ込んだ。すかさずもう一匹のデヴォルがカゲに襲いかかったところ、割り込んできたメラにがぶりとひと噛みされ、そのまま食べられてしまった。
「さっき不味いって言ってなかった?」
「お腹すいちゃってぇ〜。背に腹は代えられないのさぁ〜」
先にやられた三匹は遠くでノックアウトされており、カゲが倒したデヴォルもまとめてメラにとどめを刺された。メラは死んだデヴォルの肉を食い漁っている。食欲は健在のようだ。
「アルティ、大丈夫…?」
カゲはふとアルティエーデを見た。アルティエーデの瞳には、涙が流れていた。
「アルティ…?」
「ぅう……ぐすっ……」
アルティエーデはそのままカゲに駆け寄ると、カゲの胸の内で泣きじゃくった。
「どうしたの……」
「っ……ぐすん………カゲ君の馬鹿ぁ……! どうして置いていくの……?!」
「ごめん。デヴォルがいるなんて思わなくって……」
「うぅっ……! そんなのいてもいなくても駄目よ!! 置いていかないでよぉ!!」
「だって……僕といると、君が……」
アルティエーデは顔を真っ赤にして、あんあんと泣き続けた。鼻水をすすりながら声を上げる様子は、まるで子供みたいだった。
(ああ、女の子を泣かせたのは初めてだ…)
まあ当たり前だけど…。マジミスターもメラも、涙とは縁がなさそうだしね。何にせよ、女の子を泣かせることが、ここまで心苦しいものだとは思わなかった。
「ううっ…うっ……」
「……街まで送るよ。もう夜だから。早く街の宿に泊まらないと…」
「カゲ君も一緒にきてよ!」
「無理だよアルティ…」
この姿で人間の街に行く勇気はない。僕が断ると、アルティエーデは泣きながらも、怒ったように顔を上げた。
「何で私を追い払うの?!」
「追い払ってるわけじゃないよ。デヴォルの見た目をしている僕と、一緒にいるなんて危険だからさ」
何なら僕は、デヴォルなのかもしれない。僕が今まで知らなかっただけで、僕は魔法使いの復讐のために生み出されたトカゲ人間なのかもしれない。
「カゲ君はデヴォルじゃない!」
「……!」
でもアルティエーデは、はっきりとそう言った。
「カゲ君はデヴォルとは全く違うわ! カゲ君はカゲ君よ!」
「アルティ……」
「女の子の一人旅なんて、その方が危険よ! 今日私が何回死にかけたと思ってるの? 三回よ、三回!!」
アルティエーデは指を三本たてて、僕の眼前に突きつけた。僕は一歩退きながらも、彼女から目はそらさない。
「カゲ君が助けてくれなきゃ、三回死んでたんだからね!!」
「え……」
「湖を渡らせてくれなかったら餓死してたかも! そう考えたら四回かも!!」
「……」
アルティエーデは涙を拭った。初めて出会った時のような強気な顔を見せると、彼女は言う。
「これ以上私を危険な目に合わせないでよ! カゲ君が私のことを守ってよ!」
「……」
そしてアルティエーデは僕の指に、再びレッドスピネルの指輪をはめた。それは僕の左手の薬指だった。
「ここは婚約指輪をはめるところだけど…」
「え?! そうなの?! パンチするのに邪魔にならないかなと思って!」
「…まあいいけど」
「は? いやいや、婚約なんてしないわよ?」
「当たり前だよ。でも、うーん……」
「え? 何?! 勘違いしないで! 知らなかっただけだから! トカゲ人間と結婚するわけないでしょう! あ、いや…違うの。そんな差別的な意味じゃなくてね、えっと…」
アルティエーデが何やら言い訳をしていたけど、僕の耳にはあんまり入っていなかった。どうでも良かった。そういや男は婚約指輪なんてはめないんだった。はめるとしたら結婚指輪か。まあでも、それも今はどうでもいい話か。
「アルティを守ってくれる人が出来るまでだよ」
「え…?」
「それまで僕が、守ってあげる」
「……!」
僕がそう言うと、アルティエーデは口を開けて、ハっとしたような顔を見せた。何か変なことを言っただろうか。
「カゲ君今、笑った?」
「は?」
「笑ったよね?」
「笑ってない」
「笑ってたよお! あはは! カゲ君が笑うところ、初めて見たぁ!」
アルティエーデは突然嬉しそうに笑い始めた。何がおかしいんだろうか。そもそも笑った覚えもないのに。ていうかこれまで笑ったことなんてないし。それに比べてアルティエーデは、よく笑っている。よく笑うし、よく怒るし。そして泣く時は、目一杯泣く子なんだなぁ…。
「はーい! じゃあ今日は野宿をしまーす!」
「え?」
「今日ばっかりは人間の街に行きたくないでしょ? 気温も快適だし、野宿しましょ! 私、子供の頃キャンプとか大好きだったの! テントは持ってないけど…」
「外で寝れるの? デヴォルがまた襲ってくるかもしれないよ…?」
「そんなの怖くないもの!」
アルティエーデはすこぶる元気になって、完全に調子が戻った様子だ。るんるんと草原を歩きだした。先程までボロボロ泣いていたのが全くの嘘のようだ。僕は呆然とした。少し進むと、アルティエーデは振り返った。
「だってカゲ君が私を守ってくれるんでしょう?」
「……!」
アルティエーデは笑ってそう言った。その笑顔に僕はまた心掴まれるような思いだった。
「…うん」
僕は頷いた。理不尽な約束をしてしまった。終わりの見えない約束だ。そして僕には何のメリットもない。でもいいんだ。損得じゃない。誰かを守りたいと思うこの気持ちは、損得なんかじゃない。
アルティエーデは子供のようにはしゃぎながら、草原を走っていく。どこに行くんだと僕も彼女を追いかけた。何だか僕も子供みたい。でもこんな風に外を思い切り走ったことなんて今までなかった。夜の風が心地良い。草むらが揺れる音が心地良い。
「う〜ん?」
デヴォルを食べ漁っていたメラは顔を上げた。気づけばデヴォルの死骸は跡形もなくなっている。
「行くよメラ!」
「ふぇ?!」
僕はメラの頭を小突いてその場を通り過ぎると、アルティエーデを追いかけた。
「待ってよカゲ君〜!!」
メラもキメラの姿のまま僕を追いかけてくる。しばらく三人で、だだっ広い草原を走り抜けた。
「ここに決〜めた!!」
アルティエーデは寝床を決めたようで、突然止まるとごろんと寝転がった。
「どこも一緒じゃん」
「いいの! ここがいいの!」
「はぁ……」
僕もアルティエーデの隣にごろんと寝転がった。いつの間に空は夜の色になっていたんだろうか。点々と星々が光るのが目に入る。そういえばこんな風に夜空を見上げたのも初めてだ。
「もしかしてあれが春の大三角ってやつ…? ねぇ、アルティ」
ちらりと横を見ると、アルティエーデは既に眠りについていた。
(早……)
ああでもわかる。今日は色々ありすぎて、頭も身体も相当疲弊している。目を閉じれば、僕も即座に寝てしまいそうだ。
「もぅ〜。何なのこの子。この子も一緒なのぉ〜?」
メラがのろのろと僕の隣にやってくると、つまらなそうな声を上げた。
「一緒だよ。大魔法使いアルティエーデ。マジミスターの自称一番弟子さ」
「ふぅん。ご主人様に弟子なんていたっけ〜?」
「そうだメラ…マジミスターが……」
「ああ。ご主人様が、カゲ君をよろしくって!」
「違うんだメラ。マジミスターが、殺されたんだ…」
未だに信じられない。でも確かに、あれはマジミスターの生首だった。僕はあの時激しい怒りに襲われたけれど、本当は悲しくて仕方なかったんだ。だってマジミスターは…僕の……
「死んでないよぉ、カゲ君」
「いや、僕はこの目で……」
メラはライオンの大きな口を開けて大欠伸をした。僕は驚いたようにメラを見た。
「死体はフェイクだよカゲ君。ご主人様は生きてるよぉ」
「ほ、ほんと……?」
「当たり前だよぉ。ご主人様が簡単に殺されるわけがないよ」
「……」
「でも今は用があって、僕たちの所には来れないの。だから僕にカゲ君を守るようにって、ご主人様が命令したんだよぉ」
メラが嘘なんてつくはずない。つけるはずもない。つまり…
(マジミスターは生きてる…!)
そう思ったら、力が抜けてきた。マジミスターが生きている。殺されてなんていない。そうだよ。マジミスターともあろう大魔法使いが、イリニアーメルなんかに殺されるわけがない。当たり前じゃないか…! 大魔法使いマジミスター・キャロンだぞ…!
「ふふふ〜。だから僕はこれからずっと、カゲ君のそばにいることが出来るんだよぉ〜!」
「……」
「ねぇ、カゲ君も嬉しいでしょう? 毎日たくさんお喋り出来るよぉ〜!」
「……」
「ねぇ、聞いてるぅ?」
メラはその謎の黄色い生き物の手で、カゲの肩を揺すった。フードが外れ、カゲの顔が現れる。その目はもう閉じられている。
「寝てるぅ〜……」
メラは仕方なくカゲの隣に寝転んだ。ふわぁと大欠伸をすると、そのまますぐに寝入ってしまった。
メラ、カゲ、そしてアルティエーデの三人は、草むらの上に川の字になって眠った。その夜デヴォルがその草原に訪れることはなかった。春の大三角が光る美しい星空である。涼し気な風と自然の草の匂いは三人の身体を癒やし、外の世界での初めての夜が過ぎていった。