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キメラのメラ

僕がマジミスターの家にやってきてから、もう十年は経っただろう。マジミスターは確かに高齢だが、驚くほど元気である。あまりに活発に動けるもんで、魔法を使えば、見た目は無理でも身体の老化は防げるのかと尋ねたが、そんな魔法は使えないよと笑われた。だから単純に、マジミスターは歳の割に健康だということだ。


だけど彼女は、わざわざ僕に身の回りの世話をさせる。炊事・洗濯・掃除に、マジミスターの謎の魔法実験の手伝いだ。別段嫌だとは思わない。ここで僕が他に出来ることといったら、マジミスターの書斎の山積みの本を読むことくらいだからだ。家事をこなしても、本を読む時間は十二分にある。


ついでに彼女のペットのメラの世話も仰せつかっている。朝昼晩とおやつ時、マジミスターが魔法で用意した巨大な肉の塊を与えるのだ。


家の周りは庭である。別段広くも狭くもない普通の庭である。庭の周りはもちろん崖である。ドアの横には白いポストがある。そこに手紙が投函されたことなど一度もない。ただの装飾物である。


ポストには長い紐を通したオカリナによく似た石の笛が垂れ下がっている。それを吹くとメラを呼ぶことが出来る。僕がメラを呼ぶのは、餌の時間だけである。


庭の真ん中に、餌を置いた。僕の五倍はある巨大な赤身肉だ。マジミスターが餌をどのように出しているのかは僕は知らなかった。このまま知らない方がいいのかもしれない。


毎度のことだけれど、肉の血なまぐさい匂いが鼻につく。鼻で匂いを嗅ぐようになったのはトカゲ人間になってからだ。トカゲの時は舌で空中の匂いをこまめに口内に取り込んでいたものだ。僕たちトカゲの嗅覚は、口の中にあるからだ。だけどこの姿になってからは、その必要がなくなった。顔はトカゲだけど、機能は人間に近づいた部分も多いのだ。


僕が笛に手をかけると、バサッバサッと羽音が聞こえてきた。メラが庭までやってきたのだ。ライオンとチーターとタカのキメラが庭に着地すると、物凄い風圧が僕を襲った。普通の人間なら、いやどんな生き物でも、その巨大で異常なキメラを前にすれば、恐怖で凍りつくことだろう。


【カゲ君〜〜!!】


メラは舌とよだれを垂れ流しながらこちらに近寄ると、尻尾をぶんぶん振って僕に頬ずりをした。


【まだ呼んでないんだけど】

【ふふふ〜! そろそろおやつタイムかなぁ〜って! 待ってたんだよぉ!】

【へぇ、そんなにお腹がすいていたんだね】


メラの言葉は、人間の言葉じゃない。僕がメラに話す時に使う言葉も、人間の言葉じゃない。この言葉はつまり、人間の言葉よりももっと簡単な、動物間でのみ意思疎通可能な名のない言語だ。


【違うよぉ〜! カゲ君に会いたくってだよぉ! ふふふ!】

【ああ、そう】


僕の名前はカゲ。名前はご察しの通りマジミスターがつけた。キメラの『メラ』、トカゲの『カゲ』。マジミスターのネーミングセンスなんて、そのレベルだ。


【ふふふ〜! 今日もつれないね!】

【いいから早く食べなよ】


メラは何故だか僕に懐いている。なんて言っては、僕がメラのことをペットかなんかのように思っているように聞こえるか。身体が人間になったからか、思考が傲慢化している。


メラは友達だ。友達に餌をあげるってのもどうかしている。まあでも元々僕はトカゲだった。動物だった。だからマジミスターよりも、メラの方が親しみやすいというのは事実だ。


まあでも僕は誰かと話をするのが得意じゃないから、喋っているのはいつもメラだった。メラは見た目からは想像もつかないほど、お喋りで、気さくで、呑気で、明るい性格だ。


ライオンのたてがみがついているからオスだと思っていたけれど、この前聞いた話によるとどうやらキメラに性別はないらしい。ちなみに僕はオスのトカゲだった。だからトカゲ人間になったこの身体も男のものである。


【ああ、実はお腹が空いてないんだよねぇ。ふふ! さっきさ、毒の霧を乗り越えてきた人間を食べたところなんだ。何だか変な味がしたんだけど、不思議なことにすっごく満腹になっちゃったんだよねぇ!】

【へぇ……】


(毒の霧を乗り越えた人間…?)


メラは呑気にそう言っていたが、僕は気にかかった。何故って僕がここに住みついてから十年、人間が毒の霧を突破したことなど一度もないからだ。


【どんな奴…?】

【え? さあ〜…変なマスクがついてて顔が見えなかったよ。すぐにひと呑みしちゃったし、もう覚えてないよぉ】

【そう…】


(メラに食べられたというなら、問題はないか…)


誰かの侵入を恐れているわけじゃない。用があるならマジミスターにだ。僕には関係ない。


とはいっても、僕もこの家の住人だ。面倒事に巻き込まれることだけはごめんだ。ここでの生活は意外と退屈はしない。死ぬまでこのまま、のんびりと暮らしたっていい。最近はそんな風に思っている。


【その肉食べないの】

【う〜ん…本当に満腹なんだよぉ。ちょっと今日は食べられないや】

【珍しいね】


たかが人間一人丸呑みにしたくらいで、メラがおやつの肉を抜くなんて、実に珍しい。いつもぺろりと平らげている。その上晩御飯にはこの五倍くらいある赤身肉を、やっぱりぺろりと平らげる。そのくらいメラは、食欲旺盛な獣だ。だから今日のことは、本当に珍しいのだ。


【そうだカゲ君、今夜は嵐が来るよぉ。ここ数年で一番激しいやつ】

【へぇ、昨日そんなこと言ってた?】

【いや〜昨日の時点じゃ晴れだったけど、何だか雲行きが変わったみたい】

【ふうん…】

【だからね、この絶壁一体に、守護魔法をかけといた方がいいよ。家が吹っ飛んじゃうかも!】

【わかった。マジミスターに伝えるよ】


メラは天候がわかる。マジミスターがメラを作った時、そんな能力を付けた。


だからいつも、晩御飯の時に翌日の天気を教えてくれる。昨日メラは、今日は一日中快晴だと言っていた。確かに日中は晴れて、あっという間に洗濯物が乾いた。


メラの天気予報能力は洗濯のためだけのものではなく、マジミスターの魔法実験において利用されている。僕は魔法使いではないが、マジミスターの家の余りある書物を読み漁ったおかげで、大体の魔法知識は持っている。


マジミスターは、キメラであったり薬であったり、とにかく何かしらを作るのが得意であり、趣味でもある。そのためには何やかの素材や道具や魔法の他に、自然の力が必要なのだ。太陽光、雨、雷、風、雪。どれも非常に重要かつ強力な要因である。


【それじゃあ、僕はそろそろ森に戻るね】

【嵐が来るのに大丈夫?】

【大丈夫大丈夫! 僕の心配してくれるなんて、カゲ君は本当に優しいね!】

【……】


メラは茶褐色の翼をバサバサと羽ばたかせ、森の中へと降り立った。遥か向こうの空には確かに暗雲が立ち込めている。


「ふぅ……」


メラの言う通り、今夜は嵐が来るのだろうか。何となく空気が重く感じる。辺りは静寂に包まれている。まあでも嵐の前だからってわけじゃない。この場所はいつも静かだからね。


「この肉どうしよ」


メラの残した赤身肉の臭いに耐えかねて、僕は鼻をつまんだ。人間の嗅覚がそんなに発達しているとは思えないけど、トカゲの頃と違って勝手に臭いが鼻にくるからさ、気になって仕方がない。もう十年トカゲ人間やってるけど、こればっかりはどうも慣れない。


そうして僕は赤身肉をその場に一旦残したまま、マジミスターの家へと戻った。




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