悪徳の町②
冒険者登録する日はあいにくの小雨だった。
1人で心細かったからネリーが冒険者ギルドに連れて行ってくれて助かった。
傘なんてないこの世界は厚手の外套を羽織るか水を弾く素材で作ったフード付きマントを着るか、防水処理施した布を被るしかない。
もちろん、全部お高い。
貧乏な孤児は当然濡れネズミで、雨が止むまで我慢するしかない。
ぬかるんだ道に足を取られないようにごみごみした木造のバラック小屋群を越えて大通りまで出る。
大通りの建物は全て木造平屋。建築技術が低いのか2階建てはなかった。窓は高く小さい、昔の倉みたいな建物だかりだ。建物の回りには溝みたいに少し地面がへこんでいた。
「あそこはスラムだよ。1度連れ込まれたら生きて戻れないからね。絶対近寄るんじゃないよ。」
道を1本隔てた更に汚れてごちゃごちゃした場所を目線で差し示す。
「うちの子じゃないけどね、昔あそこに連れ込まれた子がいてね、発見された時はまともな死に方じゃなかったそうだよ。」
詳しくは教えてもらえなかったけれど、スラムの住人になれば大人だけは奴隷落ちから免れるらしい。
その代わり人間として見られないのだとか。
子供になると更に悲惨だ。
拐われた子供がスラムで死体で見つかれば幸運。大抵は奴隷商人に売られてしまうという。
子供を奴隷にするメリットは病持ちが少なく躾しやすく手間がかからないんだそうな。
子供は高く売れる。
それを心に刻み込む。
1度でも奴隷落ちしたらおしまいなのだそうだ。
奴隷紋は消せないし隷属の首輪は1度嵌めると、永久に朽ちずに働くのだと云う。
小説の様にお金を貯めて自分を買い直すのはただの空想だとばっさり切られたし、主人が奴隷解放する話も金をどぶに棄てるものと嘲笑された。
大抵の奴隷は主人に使い潰されるか、遊びで死傷させられて放置させらるか、飽きたら他人に譲るか奴隷商に売られるかするそうだ。
奴隷商に戻された奴隷は価値が低い。
性経験済みだし何かしら損傷させられている。
片目がなかったり火傷したり。五体満足な奴隷は稀少らしい。
いくら金がない人でも傷物の奴隷は忌避される。
そして買う人間はまともな扱いを考えていない。
時として冒険者に買われて囮として使われる。
また特殊な性癖の者が買って行く。
売れ残りの奴隷はまとめて鉱山送りにされるのだそうだ。
戻された奴隷は救いがない。
だから主人の寵愛が奴隷の全てとなる。飽きられて棄てられない為にも奴隷は必死で尽くすのだそう。
泣きたくなった。ここは人間なのに人間扱いされない世界なのだと。
でもそんな奴隷は安い。上手く掘り出し物の奴隷に当たれば旅の用心棒になってくれないだろうか?
私は体罰や苛めなんかしないし大切に扱うよ。
奴隷購入。要検討。
心のメモに書き込んだ。
スラムの子供は生き辛い。
大人から遊び半分に暴力を振るわれ、せっかく調達してきた食料は大人に奪われる。
ともすれば死体が路上に放置されるスラムでは病気になりやすく、怪我が元で亡くなるのもざらだ。
スラムの人間は人間ではない。
だから奴隷商人たちが定期的に子供の奴隷狩りをするという。
商人たちに情報を与えれば金になるから、スラムに住む男も女も子供の居場所や隠れ家をこぞって密告するのだ。
孤児院に連れて来られたのは幸運だったのかも知れない。
スラムに比べれば天国。恵まれた環境だ。
少なくとも安全な場所で命の危険なく眠れる。
だからスラムに棄てられまいと必死で子供たちは犯罪してでもお金を稼ぐのかも知れない。
ふとそう思った。
その町は汚く異臭にまみれた町だった。
建物のそばのへこみは窓から棄てた汚物を垂れ流しするのを流すみたいだけど、残念ながら汚物が多過ぎて溝の役割をしていない。
もう少し深く掘るか深い穴を掘って汚物を捨てればいいのに。
私でも考えつくのに面倒くさいのかな。
本当に臭い。
するとネリーが信じられない事を教えてくれた。
町中では他人の溝でもトイレに使ってもいいらしい。
町中が公衆トイレってこと?
うわぁあり得ない。
実際建物のそばでしゃがむ男の人を何人か見かけた。
酒の飲み過ぎか吐いてる人もいる。
だから流れないのか。
そう云えば井戸でトミーが云っていたっけ。
トイレしたいなら外でしなってのがネリーの口癖だって。
空気が猛烈なトイレ臭や腐敗臭がする中、その空気を吸うのが辛い。
清潔な日本で育った私には本当に辛かった。
こんなとこだったら伝染病が発生してもおかしくないよね。
家の壁だって汚物に浸ってたら腐るでしょうに。
誰も気にしないの?
井戸のところに溜まってた腐敗臭は本当にまともな臭いの方なんだと知らされた。
私が時々小さくえずくのを呆れた目で見ていたネリーによると、今日は雨だからいつもよりマシ、とのことだった。
マスクか鼻栓が切実に欲しい。あっても着けてたら目立つだろうから無理だけどね。
大通りは馬車2台分の広さ。
地面は踏み固めてはいるけど轍で溝が出来ている。
公共のものなのにこんな所も直さないんだね。
この世界の人の性格が出ていると思う。
日本の道路なら少し劣化しただけで大規模な工事をしていた。
ここの人が日本を見たら綺麗過ぎて神様の国だと思っちゃうのかな?
馬車が汚水を蹴散らし走る。
歩行者がいるとか考えていない速さ。
馬は地球産の3倍は大きくトラックの様だ。額には螺旋状の溝のついた一本角。目は赤く毛並みは黒い。馬にしては荒々しく禍々しい感じがする。
馬車は木で作ったシンプルなもの。だけど厚みといい大きさといいこの馬でなければ1頭で曳くのは無理かも。なんと云っても小さな物置くらいの大きさはあるのだから。
家馬車。地球ではそう云ってたなって思い出す。
しばらく色々曲がって行くと、馬車が4台分走れる程の大きな通りに出た。
様々な大きな建物が並ぶ中、スイング扉を持つ古びた建物が見えた。
建物には剣と盾と杖を組み合わせた紋章が看板に記されていた。
冒険者ギルドだ!
「お嬢ちゃん達場所間違えてねえか。」
スイングドアを開けた途端左手の酒場からやじが飛ぶ。
「おいちび。もうちょっとおっぱいとケツがおっきくなってから来な。そんときはおじさんが揉んでやってからよ」
「年上の嬢ちゃんなら揉んでやってもいいぜ。天国に行かせてやろうか。」
下品な笑い声にテンプレだなってため息つく。
ネリーは慣れているのかどんな卑猥なヤジでも無表情で無視している。
股間もっこりタイツに腰上までの上着。ベルトには短剣が刺さってて丸首で襟なし。
タイツ男は浅目の革靴、タイツなし男は下着なしで裸足だった。
チュニックって呼ぶんだっけ?中世のヨーロッパで着られてた服にそっくりだった。
そういえば襟は富貴の象徴って地球ではなってたっけ?
そして下着なし。布が高価なのか普通の人は下着を着けていない。
色々なものが見えてて慌てて目を背ける。
猥褻陳列罪で日本なら即警察官が来るね。
雨のせいか酒場は賑わっていた。
仕事はどうしたのよ。しないの?仕事。
胸を露にした酌婦とおぼしき女性たちが酒の樽を運び、木のコップに接いでいく。
雨だから仕事せずに朝から酒呑むなんて優雅な職業だと思いつつ、酒の漂う空気の中ゲラゲラ酔っぱらいの笑い声や卑猥な言葉をBGMにして私はカウンターのところに行った。
受付嬢は1人しかいないようだ。
誰も並んでいないのですぐにカウンターにたどり着けた。
身長が低いので背伸びしなくてはならない。
今日外出して、私は重要なことに気がついた。
この世界の住民ってみんな背が高い?
大人たちは男女共に優に2mは越えていた。
見上げる程の高さはまさに巨人の国に迷い込んだガリバーのよう。
ネリーが8才だと安堵したのは私は更に年下に見えていたからかも知れない。
「何の用だい。」
タバコを噛みながら気だるげに太った受付嬢が面倒くさそうに見下ろして来た。
風俗嬢かとみまごう程に胸やら肩やらを大胆に惜しげもなくさらしている。ボディスは赤茶色、ドレスの色は茶色。
受付嬢?
冒険者ギルドの受付嬢って若い綺麗どころを揃えているんじゃないの?
40超えた人相の悪いおばさんは想定外だった。
「冒険者になりたいんです。仮証明書を作りに来ました。」
途端に背後から盛大な笑いが巻き起こる。
「ちびがいっちょ前に冒険者だとよ。」
「おいおい。ここはガキの遊び場じゃねえぜ。」
「ママのおっぱいしゃぶってもう少し大きくなってから来な。可愛がってやっからよ。」
品のない掛け声をあえて無視する。
「植物の採取が出来ます。やれる仕事があればなんでもします。だから登録お願いします。」
必死だった。
ここで仮登録出来なければ犯罪の片棒を担ぐしかなくなる。
それは絶対に嫌だった。
「名前は?」
不承不承受付嬢はタバコを灰皿に置いた。
不機嫌な顔でタバコの煙を吐き掛けられて咳き込んだ。
「エマです。8才です。」
「文字は書けるかい?」
‥‥文字!
この世界の文字が読み書き出来るのか忘れていた。っていうか異世界の文字が地球の文字と違う可能性に思い至らなかった私がうかつだ。
「‥書けません。」
右手に貼ってある依頼書は見たこともない文字が並んでいた。
孤児院では誰も学校に行く様子もなかったし、勉強してるのを見かけなかったから、文字を読み書き出来ないのが普通だと思い込んでいた。
焦る私にネリーの声が聞こえた。
「あたしが代わりに書いてやるよ。」
ネリーって読み書き出来るの?
意外な事実に思わず尊敬の眼差しで見てしまった。
さくさく木の板に何かを書いて行くネリー。
書き終わると受付嬢は文字を見ると小さな木切れになにか書いて放って来た。
「これがギルドカードだよ。無くすんじゃないよ。無くすと仮冒険者証は2度と発行しないし、冒険者には2度となれないからね。」
これを無くすと冒険者登録の道が閉ざされるってわけだ。
慌てて木片をキャッチする。
大事なものを投げつけるなんて受付嬢失格じゃないの?
大事そうにポケットに入れるふりをしてアイテムボックスにしまっておく。
これで必要な時だけ取り出せば紛失する心配はない。
えっ?それだけ?
他にもいろいろ注意事項とかあるでしょう。
依頼についてとか、不達成の罰だとか。
だけど口を固く閉ざした受付嬢はもう説明をするつもりがなさそうだった。
まだまだ色々聞かなきゃならない事があるのに。
知らないといつか首を締める気がしてならないから。
「教えて欲しい事があるんですがいいですか?」
舌打ちしたね、この人。
わざと教えなかったのは失敗したらいちゃもんつけるつもりだったでしょ。
それから受付嬢が怒り出すまで様々なことを聞いた。
冒険者ランクはFから始まって最高はS。
ランクが上がれば同じ依頼でも貰える金額は高くなる。
仮冒険者はどんなに依頼を達成してもランクはも報酬も上がらない。
その代わり成人したら今までの実績の積み重ねが考慮されてEランクから始めることが出来る。
FからEに上がるには簡単な試験がある。
Fは冒険者見習い。冒険者の適性のない人は試験で落とされ冒険者の資格を剥奪される。
試験は2回だけ。いかなる理由があろうと2回のチャンスしか与えられないし、試験をキャンセルしたらその回数分試験を受けたと見なされる。
キャンセル2回で冒険者資格剥奪。失敗したと判断されるからだ。
そして試験に自信ないなら永久にFにいても構わない。
但しFランク冒険者は見習い扱いだから信用度は低いし稼げる仕事は斡旋しないし、その冒険者証では王都のような大きな都や町での身分証にならない。
だからその場合は他の身分証を用意するか高い補償金を通行する度に支払う義務がある。
他の身分証とは商業ギルド、錬金術ギルド、鍛冶ギルドが発行するギルド証である。
商業ギルドはだれでも入会出来るメリットがあるけど、最初に高い入会金と翌年の税金を前払いするデメリットかある。
翌年の税金を払わなかったら即座にギルド証は停止され税金の支払いを拒否したら返却を求められる。ギルド証の停止期間はどんなランクでもギルド員の優待を受ける権利を消失する。
3回税金の支払いが遅れたら理由なく剥奪される。
但し1度だけランクを落とされての再加入が認められるけど、ばか高い違約金と追加の税金を払わなくてはいけないらしい。
錬金術ギルドと鍛冶ギルドはギルド員になる為には加入試験があり、親方の推薦がなければそもそも試験が受けられない。
そのため何年間も親方の元で修行して試験が受かる腕になるまで、住み込みの下積み生活を強いられる。
試験に合格出来れば高い入会金はご祝儀代わりに親方が払ってくれるそうだ。
共に合格率3%以下。
合格者のいない年も珍しくないみたい。
両ギルドに共通すること、退会後の再加入は認められないということ。
奴隷堕ちになればその時点でギルド員の資格は抹消される。
奴隷のとこでやけにノリノリの受付嬢。
本当に悪趣味ですね。
金が払えないで奴隷堕ちになる場合の他に、騙されたりさらわれたりして奴隷になるのもいるって嬉しそうに教えてくれた。
本当に簡単に奴隷堕ちするんだね。
しかし饒舌だったのはここまで。
よそのギルドについて詳しく知っている有能な人なのに口が重たいのは依頼の達成について隠しておきたかったようだった。
基本的には仮冒険者とFランク冒険者に依頼失敗や不達成の罰則はない。
但しEランクに上がる場合や本冒険者になる時にその失敗率や不達成率が査定の基準となる。
Eランク以上から不達成したり失敗したりすると違約金が発生する。それは報酬の2倍。状況によっては3倍以上のお金を依頼主に要求されることもあるそうだ。
3回続けて失敗すると1ランクダウン。ランクダウンでも失敗を続けると冒険者の資格を抹消されるそうだ。
依頼のランクと募集したランクが違う場合の事を聞いたけど、嫌そうな顔でそっぽ向かれた。
藪にらみのおばちゃんが頬を膨らせても可愛くないんだけど。
つまり自己責任ってことね。
実際のランクと募集ランクが違ってもギルドは責任を負わない。冒険者が情報を調べてそぐわないと思えば回避出来たと云い張れるからだ。
強制依頼は魔物のスタンビートで町が危ない時などの緊急依頼のこと。
基本Dランク冒険者以上が対象となり拒否すれば冒険者の資格を剥奪される事になるそうだ。
Dランク以下の者は強制でないから参加は自由だが、参加すればいいお金が支払われるらしい。
Fランクの者は参加だけでEランクに上がれるそうだから、希望者は絶えない。
赤色文字で書かれているものは失敗者の多い事故案件。失敗者の数で報酬は高くなってるそうだ。
この依頼を達成出来ればかなり高評価を得るみたい。
場合によってはだけど無試験で1ランク上げて貰えることもあるようだ。
まあ事故案件とされるだけあって、例えば本来Aランク冒険者に相当する依頼なのに、金を出したくない、なるべく早く処理してもらいたいとかで、はるかに下のDランク冒険者に依頼するのは珍しくないそうだ。
ギルドからはランク相当かの調査はしないのか聞いたけど、なんでギルドがそこまでしなくちゃならないんだとすごい形相で噛みつかれた。
赤色依頼の話が気に触ったのかそれだけ話すと別の書類を出してチェックし始めた。
私と喋る意志がないようだった。
依頼を受けたいので説明して欲しいと云っても無視。
仕方なく今日は諦める事にした。
ネリーは仕方ないねと肩をすくめて出口を顎でしゃくる。
出口まで下品なヤジにさらされ、今日の仕事は終わった。
せっかく外に出たので買い物にお付き合いする事にした。
ついでにと貨幣の説明をしてもらう。
鉄で出来た少し歪んだメダルをみせてくれる。
「これが10ドーン、これが1,000ドーン。」
100ドーンはと尋ねたら10ドーンが10個ありゃ100ドーンだろうがと不機嫌な返事が返ってきた。
そりゃそうだけど10があれば100もあると思うよね、普通は。
ネリーの中で私は数字に弱い子と決定した瞬間だった。
1ドーンはスラム以外では使わないのだそう。
結局普及しているのは2種類だけで更に高価な10万ドーンはお貴族さま以外は使わないんだそうだ。
貴族がいるんだ。そして金貨や銀貨はないのか。異世界に来たんだからせめて銀貨くらいは見たかった。
買い物の度に10枚づつ数えるの大変だろうに。
100ドーンと1万ドーン作ればいいと思うよ。いらないお世話だから口にしなかったけど。
小雨のためか市場は閑散としていた。
疎らな客、やる気なさそうな店員。
市場は公営で領主の土地。だから希望する場所を希望する日数分、商業ギルドでお金を払って借りる。
いい場所ほど高いし人が滅多に来ないような路地裏はただ同然で貸している。
人件費だってかかるから儲からない日は店を閉めるとこも多いのだ。
テントが無秩序に広がる中を歩いていく。
雨だから今日はテントが多いけど普通は地面に商品の乗った籠を並べて置くんだそう。
地面に食べ物置くとか信じられなかった。
見たことのない野菜を見ながら名前を教えてもらう。
名前を聞きながら文字を教えて貰うのを最優先だと痛感した。
これから生きて行く上で絶対必要。
冒険者になれたのに依頼書が読めないなんて、例えばあの受付嬢がピンハネしても気がつかないよね。
それからここの常識を知ること。
見下した云い方だけど人を蹴落とし陥れてるこの世界は、平和な日本人が理解して適合するのは辛い。
だからといって下手にこの常識から外れると痛い目に合いそう。何の力もないのに、それはおかしいと主張する気はない。冷たいようだけど私はここの住人になる気が全くないもの。
ラノベの主人公は不平等な世の中に憤慨して変えて行く話も多い。
この世界にきたらさぞや批判していろんな事をやらかしてくれそうだ。
だけどそれは誰もが認めて畏怖する力を持っているから。
盗賊すら追い払われない他称幼女に何が出来るだろうか?
何の責任も負えないのに自己満足だけでこの町中を敵に回して何の得があるの?
弱者は生きることが許されない。
森のまんまのこの町で私が出来る事は何もない。
問題はネリーが見返りなく教えてくれるかだ。文字を教われるくらいの物を持っていたかな?
兎はダメだ。喜ばれるだろうけど、なにもないとこから出すなんて怪しんでくださいってなるよね。
あと持ってたものは‥。
アイテムボックスにぶっこんでいた持ち物を
思い出そうと足を止めた。
「泥棒!」
遠くで金切り声が聞こえた。
えっ?
状況が把握していない私に何かがぶつかった。避けることも、跳ね返すことも撃退することも出来ず、冷たい水溜まりにしりもちをついた。
「それで冒険者になるつもりか。」
小さく呟いた声を反射的に見上げた。
10才くらいの男の子だった。ぼろぼろの汗と垢にまみれた服に不釣り合いの澄んだ青い目。ガッチリした体格のいいイケメンだった。金髪は泥で汚れてたけど、ちゃんと綺麗にしてれば富裕層に見えなくもない。
男の子はすぐに逃走したけど、もしかしてあの子が泥棒?
「エマ大丈夫かい?仮冒険者証は大丈夫だろうね?」
ネリーが駆け寄って引っ張りあげてくれた。
「大丈夫。下手な子だったみたいだからスレなかったようよ。」
「スラムのガキ共め!」
お店のおじさんが地団駄踏んで怒鳴っていた。
「今度来たらただじゃおかねえぞ。」
見ると籠のなかに並べていた萎びれたリンゴ擬きがなくなっていた。
「アプルがやられたよ!今朝出したばかりの新鮮なやつさ!」
ええっ。新鮮とは思えなかったけどなあ。
いやいやひょっとしたらそんな品種なんだろう。うん。
障らぬ神に祟りなし。雉も鳴かずば撃たれまい。余計な言葉は口チャック。
それにしてもあの子気になるよね。
あっ、イケメンだからってことじゃないのよ?
あっちは10才、私は16才。
ちびっこでもショタじゃありませんから。
しばらく考えて‥‥。
よっしゃあ!勝った!
思わず心の中でガッツポーズ。
ネリーに怪しまれてはいけないからね。
運は再び回って来たかも!
気になったのはそのちぐはぐさ。
どれだけの人が気付いているのか知らないけど、あれ訳有りの子よ?
髪と顔は確かに汚れてはいたけど、とりあえず汚してみましたって感じだし。
伊達に1ヶ月も汚ギャルしてません。
こちとら汚れの専門家よ。自慢にならないけどね。
服は汚かったけど肌は綺麗だった。
スラムに住むには澄みきった瞳。この町でネリー含めて濁った魚目を見続けていた私が初めて遭遇したまっすぐした目の色だった。
あのトミーでさえすでにこ狡い臭いがしてるのよ?
最近までまともに生きていたって証拠じゃない。
その上所作に品がある!
大商家の子供がスラムに落ちたのかも知れない。
うまく行けば文字を教えて貰えるかもと期待に胸を膨らませる。むろんただなんてケチな事は申しませんよ?
アイテムボックスには都合のいいことに兎がいる!
兎と交換で何とか出来るかも。
それよりどうやってあの子に会うのか方法が思い浮かばない。
スラムの前で待ち構えるのはあぶないよね。
ネリーも近寄るなって言ってた。
スラムの子の行動を調べる?
誰か捕まえて連れて来て貰う?
何か簡単な方法はないかな?
スラムでの奴隷狩りはいつあるのか分からない。あの子が狩られるとチャンスが永遠に失われる。早い目に会いたい。
どうしたらいいのかな。
「大丈夫かい?」
ネリーの言葉にはっとした。
「大丈夫よ。お尻が濡れて気持ち悪いだけだから。」
反射的にするする言葉が出てきた。
「あんたはあんまり丈夫そうじゃないからね。裸じゃなんだから予備の服を1枚やるよ。それでなんとかするんだね。」
面倒くさそうにネリーが吐き捨てた。
高校にいたお嬢様たちになりきろう。
決して内面を悟らせないように。外側と内側が違うと思わせないように。
「もう1枚貰えるなんて悪いわ。嬉しいけどいいの?」
ネリー叱られない?と眉毛を下げ小声で付け加えたら上機嫌になった。
「ちびは心配しなくていいことさ。」
ああ、こういうのが効くのか。
成る程成る程。
よし、次いってみよう。
「ネリーって頭がいいのね。」
「そうでもないさ。」
得意げに笑うネリー。
今までネリーは良い評価をして貰ったことないんじゃない?
更にだめ押し行きます。
「だって文字も書けるし計算も早いもの。」
尊敬の目できらきら見上げてみたらてきめんに鼻が膨らんだ。
「それほどでもないさ。」
よし、釣れた!。
一気にたたみかけるぞ。
尊敬のまなざしキープ。ちょっと頬赤らめてみようか。
「ネリーにお願いがあるの。文字とこの町のこと教えて欲しいの。
冒険者するのに依頼書が読めないのは困るでしょ?
もちろんただじゃ悪いから。
リボンをあげるわ。綺麗なの。ちょうど2本あるのよ。ネリーの髪にきっと似合うと思うわ。」