アイアム・ユア・ヒーロー
今回はいつもとは趣向を変えて、ベッタベタのヒーローものに挑戦しました。
アイアム・ユア・ヒーロー
その人は一面の火の海を前に、仁王立ちをしていた。
「ご両親の敵はとってやったぞ」
背を向けたまま、彼は私にそう言う。
「『アレ』を止められなくて……、すまなかった」
巨大なサイのような化物の死体が、彼の目線の先に横たわっていた。
「責任取って、将来お前を嫁にしてやるよ。それまで達者にな」
駆けつけたお巡りさんに、そんじゃ後は頼んだぜ、と言って彼は炎の方へと跳び去る。
彼の表情は、後悔と自分への苛立ちで曇っているように見えた。
*
どこからともなく化物が現われ、世界各地で人命を脅かすようになってから、もう十数年の時間が経った。
脅かす、とは言っても、それが無限に増え続けて侵略してくる訳でもなく、噴火や豪雨と同じ様な頻度でしかそれらは現われない。つまり、一種の自然災害として、専ら局地的に被害を出す程度のものだ。
正直なところ、有感地震よりも頻度が低い事もあってか、大して世界に変化はなかった。
唯一の変化といえば、最初に化物が現われたその時に、人智を越えた能力を持つ、俗に『ヒーロー』と呼ばれる人々が現われた事だけだ。
「――とまあ、今日はここまでだ」
先生がそう言って、ツカツカと教室を出て行ったと同時に、空気が緩んでクラスメイト達のお喋りが開始される。
教室の隅の席に座る私はいつも通り、それと同時に顔を伏せって空気と一体化する。
なるべく目立たないように生きて来たおかげで、からかわれたりする事は、今まで全くと言って良いほどない。けれど、友達は勿論、話しかけてくれる人すらも私にはいない。
いつもと同じように、終礼が始まるまでそのままやり過ごす、――はずだった。
「!」
突然、けたたましいサイレンが教室に響き渡る。
「え、なに?」
「今日って避難訓練の日だっけ?」
「抜き打ちじゃない?」
ざわつくクラスメイト達の中には、スマートフォンを操作している子もいた。
「落ち着いて避難をして下さい。これは訓練ではありません。繰り返します、これは訓練ではありません――」
訓練でやったとおりに動く人も居たけれど、大概は困惑してその場で固まっている。
「はい、皆さん。速やかに廊下に二列で並んでください」
先生がやってきてそう指示を出した途端、
「キャアアアア!」
「うわっ! キモッ!」
「早く逃げろ!」
教室の窓が割れて、外から蜘蛛の化物が一匹入ってきた。
パニック状態になった人達が、出入り口に殺到する。
「邪魔!」
「きゃっ」
私も逃げようとしたけれど、後から来た人に突き飛ばされて尻餅をついた。
その直後、私の頭があった場所を、蜘蛛が吐いた糸が通り過ぎていき、その人を捕まえた。蜘蛛は動けない女の子の上にまたがって、糸で雁字搦めにしていく。
床に転がされて藻掻くその子を見て、さらに周囲のパニック具合が加速した。
「うわああああ!」
「助けてええええ!」
出入り口に詰まった人達に、化け蜘蛛は容赦無く襲いかかる。その全員を捕らえると、戸をぶち破って廊下に飛び出し、遠巻きに見ていた人達に向かって行く。
逃げ惑う人を次々と雁字搦めにしていく。
逃げなきゃ……。
どうにか立ち上がって、その場から逃げようとするけれど、腰が抜けているせいで這って動くのがやっとだった。
「あ……」
うめき声を上げて蠢く繭を挟んで、その蜘蛛の化物と目が合ってしまう。
私も……、ああなるの……?
身体が硬直して、全く動くことが出来なくなった。
「……?」
だけど、化物は私には目もくれず、動いている人を優先的に追いかけている。
もしかして……、動くものに反応するの……?
身体とは逆に、何故か頭はやけに冷静だった。そんなこと考えていると、急に蜘蛛が戻ってきて、私の方に向かって駆けてくる。
「な、何で!?」
もうダメだ――、そう思って私は目を閉じる。
「おっ? テメエ、俺の嫁に手を出すつもりか?」
その瞬間、怒気を含んだ声がして、恐る恐る目を開けると、
「くたばれ虫ケラが!」
目の前に派手なジャージを着ている、背の高い男の人が立っていた。
高笑いと共に、突っ込んできた化物の頭を蹴り飛ばす。吹っ飛んだ化物は、廊下の突き当たりの壁に衝突し、体液をまき散らして潰れた。
「おっす、久しぶり。元気してたか、比奈」
その人は振り返って、私に笑いかけてそう言った。
「えっと……、どなたでしょうか?」
『ヒーロー』に会った記憶はどこにもない。……何で私の名前知ってるんだろう?
「ズコー!」
長寿ギャグ漫画みたいに、彼はその場にひっくり返った。
「大丈夫ですか?」
直後、ドカドカと機動隊の人達がやってきた。
「……化物はどこへ?」
その体勢のままの彼に、隊長さんらしき人が困惑しながら訊ねた。
「仕留めといたぞ」
シュールな格好の彼は潰れた蜘蛛を指さして、隊長さんの質問にそう答えた。
*
私はすりむいただけだったけれど、一応、病院で検査を受けることになった。糸に巻かれた人達は、多少弱っているぐらいで、幸い命に別状はなかったらしい。
「しっかり約束護ったのにアレはないよー」
警察の人にいろいろ訊かれて、やっと解放されたところに、派手なジャージの人がやってきて私の隣に腰掛けた。
「す、すみません……」
どう思い出そうとしても、この人に全く見覚えがない。
「うーむ……」
手元をじっと見つめていると、急に彼は私の顎に指を添えて、クイッ、と顔を上に向ける。
「な、なんですか?」
彼は疑問に答えずに、反対側の手で私の長い前髪をそっと除けた。
「前髪どけたほうが可愛いのになあ」
顔をまじまじと見つめて、流石俺の嫁だ、と彼は笑う。
「かっ、からかわないで下さい!」
顔から火が出る思いで、私は高速で彼から少し間をとった。
「んー? 俺は本気でそう思ってるぜい?」
彼はその間を詰めて、屈託のない笑みを見せる。
間をとったり詰められたりを繰り返していると、
「坂元さん、親御さんと連絡が取れないのだけど……」
困惑したようすで、女性の看護師さんが話しかけてくる。
「あ、大丈夫です。自分で帰れますから……」
幼いころ両親が事故で他界して、親戚の家に預けられたけれど、その人は家に全く帰ってこない上、携帯番号は教えて貰っていないから、連絡がとれないのは当然だ。
「なんだったら、俺が送るぜマイハニー?」
玄関に向かって歩き出した私に、彼は横に並んでついてくる。
「け、結構です」
「遠慮しなくても良いんだぜ?」
歩調を速めて病院から出ても、蟹歩きで彼はまだついて来た。
「夜道は危険だよ」
「あなたが、今の私には一番危険に見えるんですが……」
「おっ、これは毒舌だな! こりゃ尻に敷かれそうだ!」
彼は私の発言を特に気にとめず、豪快に高笑いをしてそう言う。
この人……、他人の言う事聞かないタイプだ……。
「あの……、一つ聞きたい事があるんですが……」
「ん? なんだいマイハニー?」
私が歩みを緩めると、彼もそれに合わせてきた。
「……私はOKしたんですか?」
「?」
「あ、その……。お嫁さんがどうのっていう時に……」
「いんや?」
彼は真顔でスパっとそう言ってのける。えぇ……。
「まあ細かい事は良いじゃん?」
「ええ……」
ニッ、と爽やかな笑顔のまま彼はそう続ける。いくら何でもいい加減すぎる……。
「今からイケメンな俺、正義さんに惚れてもいいんだぜ?」
正義と名乗った彼は、茶化すような感じでそう言った。たしかに、美形ではあるけども……。
「それ、自分で言っちゃうんですね、正義さん……」
まあ、それもそうだな! と言って、また高笑いをする。
「……ところで、君ん家はこの先なのかい?」
短い橋に差し掛かった所で、正義さんは顎でその先を指してそう言った。
「あっ、はい」
彼の声色には、さっきまでの軽薄な感じがなくなっていた。
「ここから先は、しばらく化物が出やすい区域なんだよな」
「そうなんですか」
出やすい場所とかあるんだ……。
「まあ安心しろ。俺が君の傍にいる限りはな」
「いえ、本当に大丈夫ですから……」
出やすいって言っても、そんなにホイホイ出ては来ないはず。
早く通り抜けてしまおう、と早足で橋を渡りきった所で、突然、斜め前に建っている家が崩れて、
「何――、きゃああああ!」
それと同時に足元から、ツタのような物が飛び出してきた。
「くっそ……!」
それは私の身体に巻き付いて、崩れた家の方に引きずり込んでいく。
「その子を放しやがれ!」
正義さんにもツタが襲いかかってきたけれど、パンチ一発でそれを消し飛ばす。
そこで私の視界から、彼の姿が見えなくなった。
「な……に?」
チクリ、としたと思ったら、身体がどんどんしびれてくる。
私……、死んじゃうのかな……。
化物はほぼ共通して、人間を積極的に捕食しようとする性質がある。
嫌だ……、助けて……。
こんな事になるのなら、あの人の忠告を聞いておけば良かった、と思ってももう遅い。
「ぁ……」
口がしびれて、言葉にならないうめき声しか出せない。もう半ば諦めかけたその時、
「おいコラ雑草風情が! 俺の比奈に手だしてんじゃねええええ!」
あの人の叫び声と、何かが壊れるような轟音が聞こえた。
「……?」
間髪を入れず、グシャリ、という音がしてツタの動きが止まった。どうやらあの人が、化物の本体を倒したらしい。
それは良いけれど、相変わらず身体の自由が全く利かない。
「どこだ比奈! どこに居る!」
どこからかブチブチと引きちぎる音と、彼が私を呼ぶ声がした。
とにかく、位置を正義さんに伝えようと、私は必死で叫ぶ。
「こっちか!」
それからしばらくして、ツタの隙間から紫がかった夕空が見え、
「比奈! 生きてるか!?」
冷や汗をかいている正義さんの顔が覗く。
返事をすると彼は、安心したようにため息を吐いた。
「もうすぐ出してやるからな」
隙間が人間一人通れるぐらいまで広がると、正義さんは私の身体を引っ張り出して、優しく抱きかかえた。
「よしこれで大丈夫……、でもない、か」
彼はそう言ってから軽々と跳んで、地面に降り立った。
「これじゃあ、逆戻りだな」
とても愛おしそうに、私に笑いかける正義さん。
あれ……、なんだろう……、何か懐かしい……?
私は腕の中で揺られながら、ぼんやりとそんな事を思う。
「あの時もこうやって運んだんだけど……、覚えてないよな」
にこやかな表情の裏に、なんとなく寂しそうな物が見えた気がした。
『ごめんな……。助けられなくて』
眠気が襲ってきて、ぼんやりしている意識の中、
『俺の力不足だ……』
中学生ぐらいの男の子に抱かれる、幼い私の記憶が白昼夢みたいに蘇ってくる。
私を抱いている彼の背後は、一面の火の海だった。
何で……、忘れていたんだろう……、この人は……。
眠気が限界に達して、私の意識が遠のいていく。
「おい!?」
急に身体の力が抜けたらしく、正義さんが驚いて声を上げた。
*
その日私は、両親と久々に出かける事になっていた。
「早く早くー!」
舞い上がっていた私は玄関先に飛び出して、出発の準備をする両親を急かす。
「あら? 地震かしら?」
地面が揺れて、地鳴りみたいな音が響く。すると、ドカン、と重い物がぶつかる音がした。
なんだろう? と思った瞬間、巨大なコンクリートの瓦礫が私の家を潰した。
「え……?」
それが飛んできた方向を見ると、少し遠くに見えていた、高層マンションがなくなっていた。
その代わりにそこには、巨大化したサイのような化物が倒れていた。
「な……、に……?」
周囲を見回すと、他の家も多少の差があるけれど、ほとんどが潰れていた。
あまりにも、いろいろな事が起こりすぎて、へたり込んで呆けていた私は、焦げ臭い匂いが鼻について正気に戻る。
「火……?」
潰れた家の瓦礫の所々から出火していて、それはもう、かなりの大きさになっていた。
「お父さん……! お母さん……!」
私は泣きながら、両親を何度も何度も呼んだ。けれど、潰れた家の中からの返事はない。
そうこうしている内に、もうすっかり火の手が私を囲い込んでいた。
「……?」
手に何か液体が付いて、その手を確認すると、
「あっああ……」
潰れた玄関から流れ出した血だった。
「いやああああああああっ!」
私は、それが両親のものである、とすぐに確信した。
ついに炎が私のすぐ傍までやってきて、ああ、私、死ぬんだ……、と幼心ながらもそれを悟った。
「おい! そこの君! 大丈夫か?」
その声と共に空から、ボロボロの学生服の中学生が降ってきた。
「ここは危ないから逃げるぞ!」
お父さんとお母さんは? と彼に訊ねられて、潰れた家と流れ出す血を指す。
「そう、か……」
そうつぶやいた彼は天を仰いだ。
「すまない……」
それから顔を伏せてそう言い、私を抱き上げて空高く跳び上がった。
*
「比奈……、起きてくれよ……」
目を開けると病院の白い天井と、必死に祈る正義さんが視界に入った。
「あの時も……、あなたが……、助けてくれたんですね……」
あまりに大きなストレスが掛かったせいで、彼の事も一緒に記憶の奥底に封印してしまったんじゃないか、と後でカウンセラーの人に言われた。
「思い……、出したのか?」
とても辛そうにそう私に訊ねる正義さん。
「はい」
彼に握られていた手を、ギュッと握り返してそう返事をする。
「悪かった……、俺の――」
「三度も助けてもらって……、ありがとう……、ございました」
彼の言葉を遮って、私は微笑みながらお礼を言う。
「……っ。そう……、か……。そうか……」
予想外な答えに驚いたのか、少し間を空けて、噛みしめるようにそう繰り返した。
一筋の涙が彼の頬を伝って、私の手の甲に落ちた。
バイタルをとった医者の先生が帰った後、
「それでその……、お嫁さんにする。というのは……?」
私はベッドを起こして、脇に座る正義さんに訊ねた。
「もちろん本気さ!」
しんみりした表情から一転、立ち上がった彼は、いつもの笑みを向けてそう言い放った。
その様子が可笑しくて、私は小さく笑う。
「そうやっている方が、あなたらしいですね」
「ああ、もう可愛いなぁー!」
流石俺の嫁だー! と叫んで、彼はいきなり抱きついてきた。
「ま、まだなるって言ってませんよ!?」
慌てふためく私の顔は、湯気が出んばかりに熱くなる。
「え、なってくれないのか?」
「そうは言ってませんよ。……でも、まだ考えさせて下さい」
「小悪魔的なのも可愛いなああああ!」
そう言って悶えている正義さんは、
「申し訳ありませんが、お静かに願います」
病室に入ってきた、さっきの先生に注意された。
「あ、すんません」
彼はおとなしく元の場所に戻った。
「まずは付き合う段階から……、ですね」
あまりにもしゅん、としている彼の耳元で、私はそうささやいた。
「よっしゃあ!」
懲りずに狂喜乱舞する彼は、また先生に窘められてしまった。
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