気球にのる
太陽は今日もはやめに寝床についた。
辺りが藍色にちかづくと、スズムシ詠唱第五曲の時間になる。
ぼくは庭にでて、まんまるお月さまを見あげていた。
ぼくの背中にせおったリュックから、たくさんのススキがはみ出している。
おかあさんが夜明けまえにつんで、「月のうさぎさんにお渡ししてね」とぼくにもたせてくれたのだ。
しばらくまっていると、庭から見える森の方角で、空からまんまるの先に四角い箱がついたような、月色の気球がおりてきた。
ぼくはふたりに「いってきます」と言って、森に向かってかけ出した。
森をすすんだ湖のほとりに、月色の気球に赤い文字ででかでかと、『月のもちつき大会御一行様』と書かれていた。
センスの悪い気球だなとにが笑いしながら、ぼくは気球のしたのバスケットの近くまで歩いていった。
バスケットの中から、タキシードに蝶ネクタイをつけたコオロギさんがおりてきて、ぼくにむかってうやうやしくお辞儀をした。
「こんばんは。うさぎ様でございますね?わたくしは今晩みなさまを月までご案内いたします、コオロギともうします。招待状を拝見させていただいてもよろしいでしょうか」
ぼくはかついだリュックの中から招待状をとりだして、白い手袋をはめたコオロギさんの右手にのせた。
コオロギさんは封をひらいて中の手紙をとりだすと、青いオナモミの実をぼくにかえした。
「これはご本人様確認のバッチとなりますので、見えるところにおつけください」
ぼくはオナモミの実を左の胸にくっつけると、リュックからススキを一本とりだして、コオロギさんにさし出した。
「おや、わたくしにくださるのですか?ありがとうございます。美しいススキですね」
コオロギさんは「大切にします」と言って受けとってくれた。
まねき入れられたバスケットの中は、少しせまくて床がごつごつしていた。
「こんばんは、ぼうや」
バスケットの中には、すでに先客がのっていた。
「こんばんは」
ぼくはそのひとを見たとき、すごくおどろいた。
「もう会えないかと思っていました」
きれいな声に、真っ白なドレスをまとったヒマワリさんは、にっこりとほほえんだ。
「わたくしはどうやら長生きのようですわ。でもそのおかげでこんなに素敵な体験ができるんですもの。今日のために、お知りあいのアリさん洋服店にドレスをこしらえていただいたのよ。わたくしに似合うかしら」
ヒマワリさんはドレスのすそをつまんでみせた。
「とてもよくお似合いです。月も恥じらってしまうでしょう」
ぼくのとなりで、気球にくくりつけた機械をいじっていたコオロギさんが、さりげなく褒めた。
ぼくがいちばんに言おうと思ったのに。大人に先をこされてしまった。
ぼくはすこしがっかりして、バスケットに背中をついた。
そこで、リュックにススキをつめていたことを思い出して、あわててヒマワリさんにさし出した。
一ばん大きくて、ぴんっととがって、みずみずしいススキをえらんだ。
「まあ、ありがとう。大切にするわ。もうすこしこちらにいらっしゃいな。わたくしのお話あいてになってくださらない?」
ヒマワリさんが手招きをしてくれたので、ぼくはどきどきしながらとなりに立った。
ヒマワリさんは本当にきれいだった。
ススキをもつ長い指に、ホウセンカのマニュキアをつめに塗って、右の胸に同じ赤い色のバッチをつけている。
秋の夜空には少しあわないと思ったけど、ぼくは夏がもどってきたようでうれしかった。
「みなさまよろしゅうございますか?そろそろ出発のお時間でございます。もうお一方、いらっしゃるご予定なのですが…姿がお見えになりませんのでこのまま出発いたします。少しゆれますので、バスケットにおつかまりください」
コオロギさんは気球にとりつけていた機械を、なれた手つきで操作した。
すると、ごおっ!と火がもえる大きな音がして、ぼくは思わず耳をふさいだ。
ごおーっ!ごおーっ!
少しがまんすると、音が小さくなって、バスケットが地面から浮きはじめた。
バスケットから身をのりだすと、だんだんと地面が遠ざかる。
「あまり下をのぞかれますと、気分がわるくなりますよ」
ぼくはさすがにこわくなったので、下を見るのをやめた。
ふわふわと気球は空に向かってのぼっていく。
なんだかふしぎな気分だった。
下に地面はなくても、ぼくはバスケットの中に立っている。
鳥のように空を飛べるわけじゃないのに、ぼくたちは今、鳥とおなじ景色を見ているんだ。
「ぼうや、こわくなくて?」
「平気です」
ほんとうは少しこわかった。
「まあ、つよいのね。わたくしなんて、空にのぼるのは初めてですから、足がすくんでしまいますわ」
「ご心配にはおよびません。こちらは月の特別製の気球でございます。世界でいちばんあんしん、あんぜんな旅を自信をもって保証いたします」
コオロギさんは用意してきたメモを読むみたいに、すらすらとせつめいしてくれた。
ぼくがヒマワリさんをなぐさめようと思ったのに。ぼくの強がりはむだに終わってしまった。
コオロギさんは蝶ネクタイをととのえて、えへんと咳ばらいをして、ぼくたちのほうを向いた。
「えー。本日は月の気球をご利用いただきまして、まことにありがとうございます。本日は晴天にもめぐまれまして、ぜっこうのお月見びよりでございます。招待状を受けとりました幸運な方々にお会いできたことを心より感謝して…」
コオロギさんはタキシードのポケットからていねいにたたんだ一枚の紙をとりだした。
ぼくたちはコオロギさんが読みおわるまで、大人がよくするように、相づちをうちながら聞くはめになってしまった。
「そもそも、月のもちつき大会の歴史につきましては…」
いつ終わるんだろうと思っていると、コオロギさんの声にまじって、だれかの声が聞こえてきた。
コオロギさんはいったん読むのをやめて、声のした方角をみつめた。
「…おーい…おーい…」
「だれかがこっちに飛んできてる。暗くてよく見えないや」
ブーン、ブーンと小さな羽根の音がする。
藍色の空のなかから、とってもひとみが大きくて、とうめいな羽根を振りまわしたトンボさんがこちらに飛んできていた。
手足にたくさんのにもつを抱えていて、とても重たそうだ。
「遅れてもうしわけありませんー!」
「トンボさんだ!」
トンボさんはなんとか気球に追いつくと、息を切らしてバスケットに羽根をやすめた。
ふところからハンカチをとりだして、ごしごしと拭う。とても疲れているみたいだ。
ずっと飛びつづけていたせいで、羽根はすっかりしおれてしまっている。




