4-(2) 定まらぬ糸
『……貴方達は“魔法使い”に対する認識が甘いんですよ』
それはクラリッサ達の治療が一段落し、面々がその回復を待っている中で、聖──《羊》
が口にした言葉だった。
始めは漏らすように、だがそれは明らかに助言もとい警鐘とも取れるような。
ようやく場、船内の空気も解れた所でそんな批判をされたものだから、騎士達の少なから
ずが不快に表情を染めていた。
一度上官に制されたこともあって今度はあわや喧嘩にとまではいかなかったが、それでも
麻弥や伴太が「またか」と不安げに、正明に至ってはさも聖が彼ら騎士達といざこざを起こす
のを待っているかのように静観の構えを取っている。
『魔法は、代償を払ってでもその人間が手繰り寄せた奇蹟です。そこには必ず願いがある。
たとえ“世界を敵に回してでも”叶えたいと願ったものがある筈なんです』
しかし当の聖はそんな面々を直接見ている訳ではなかった。
ただ背を向け、並べられた即席の寝台で眠るクラリッサ達を眺め、そう何か──沸き立つ
衝動を抑えているような、そんな雰囲気を音もなく色もなく放ちながら呟いていたのだ。
エリオットが正明が、眉間に皺を寄せる。但し両者には気付きからの思案、不信を前提と
した侮蔑という異なる感情が混じっていた訳だが。
騎士達が、凛や武蔵、伴太が黙している。彼らは共にその言葉の意図する処──妙に物騒
な比喩を用いるその意味を各々に想像していた。
『……これは、まだ仮説の域を出ないのですけれど』
そして麻弥は、そんな彼の、すっかり変わってしまった幼馴染の背中を哀しげに見つめて
いた。少しでもその胸中に痛みに寄り添おうと、必死に理解しようとしていた。
そっと聖が踵を返す。その表情は神妙そのもので、そこだけを切り取れば私情すら許して
いないようにも思える。ただこの一件を、同じ“魔法使い”による不穏を、より根底から質
そうとしているらしいさまが窺えた。
『騎士団の皆さんにお願いがあります。デズモンドのこと、もっとよく調べてみてはくれま
せんか? きっとある筈です。彼が英国で事件を起こした動機も、こんな所にまで逃げ
てきた必然性も、何より魔法使いになった理由も』
「──」
港湾地区での一件から数日が経っていた。
あれだけの被害者が出たのに、街は今日も変わらずに回っている。
それは今まで通り、魔術側と科学側が境界を越えないさまであるのだが、流石に今回ばかり
はそんな魔術師の“常識”が余計に胸を痛めるように思う。
「あん? 何だよ、あんたら」
「無駄口叩くな。訊かれた事だけ答えりゃいい。俺に嘘は通じない」
この日、麻弥は正明と武蔵、そして騎士団の魔術師数人を加えたメンバーと共に昼間の繁
華街を往き、地道な聞き込みを続けていた。一人また一人、路地裏に溜まっていた者達が正
明の言霊を受けて、とろんと色彩を失った瞳になっていくのを見る。
──クラリッサ達の窮地は、他ならぬ聖によって救われた。
また新たな、治癒の力を持つ魔法が呪薬のダメージを癒し、程なくして彼女達の容態は落ち
着いたのだ。
打ち明けざるを得なかった。当の聖自身はあれを偽者だと看破していたらしいとはいえ、
これ以上彼女達に腹に得物を持って近寄るのは不可能だった。
それでも幸か不幸か、一番割を食ったであろうクラリッサが後日許してくれた時には正直
酷く安堵し、どっと内心疲れたものだ。兄達はそうでもなかったが、宗主より密命があって
からというもの、後ろめたさはずっと纏わりついていたから。
クラリッサ曰く『事情は分かった。ボートンをその場で殺さないのであれば、協力関係は
引き続き維持したい。本部への報告もこちらで後手に回しておく』……と。
今はその聖──思いがけず現れた“味方の魔法使い”からの要請を受けて、彼女達はデズ
モンドの身辺を改めて調査している。現状、本部へ照会したその返信を待ちながらこうして
騎士達と共々複数班に分かれ、未だ姿を見せないデズモンドの足取り・居場所を追っている
ところだ。
もしかしたらもう、別の街に移っているかもしれない。
それでも、自分達にできることがあれば全部やっておこう──それが目下の方針であり、
事実彼について“何も知らない”自分達にできる限界でもあった。
「……」
街の、その中でも目立たない所目立たない所、魔術側の人間が潜みそうな「裏」の場所を
中心に当たっていく。
だが麻弥が先刻からずっと気を重く、悶々としているのは何もそんな現在地の放つ空気で
はない。……他でもない、聖のことだった。
彼は言っていた。自分達が魔法使いという存在を甘くみていると。
魔法は本来人の身には余るほどの奇蹟であり、本来その高みに研鑽で近付こうとする魔術
の精神を蔑ろにするものだ。しかし彼は言う。彼ら魔法使いは──デズモンドは、そうした
本来ならば届かないような奇蹟を半ば力ずくで手繰り寄せた者達であると。決して小さくは
ない代償を払ってまで手にしようとした、強烈な“願い”の持ち主であると。
それは彼が真摯である所以か。いや……多分違う。おそらく相手の願ったものが何か分か
れば、その魔法の正体が分かる──そういった戦略的な意図なのか。
あの時、彼は抑えていた。抑え込んでいた。
あれは怒りだったのだろうか? 哀しみだったのだろうか? それとも戦いに狂喜する己
を、別の己が戒めている姿だったのだろうか?
分からない。自分にはそれすらも、彼が何を思っているのかも、分からない。
(ひー君……)
そう、分からないのだ。彼が分からない。十年前は、あの事件に隔たれる前までの幼馴染
の男の子は、あんなにも穏やかで優しかったのに。
彼は言っていた。魔法使いには必ずその力を願った“理由”がある筈だと。
……では、当の彼自身は何なのだろう? 魔法に手を染めてまで、自分自身というとんで
もない代償を払ってまで得たかったものとは、一体何だったのだろう? そして何故、その
結果が十三もの魔法──を操る別人格達なのだろう?
胸がざわつく。どうしようもなくわざつく。だが……今はそれだけじゃない。
彼女だ。騎士団の船の中で現れた、あの《姫》と名付けられた魔法、十三人の内の一人。
見覚えが、あるのだ。
いつ何処でだったのかもはっきりとはしない。だけどあの佇まいを能力を見た瞬間、自分
の脳裏に過ぎるものがあった。
何だっけ? 何故だっけ?
遠くに点々と赤が広がっている。その怖いほどの鮮やかさと拮抗するように深い黒が周囲
を包んでいる。
掌だ。そんな中にあって、自分に近付いてくるものがあった。
それが、あのような掌。金色に輝く手。蘇りそうで蘇ってくれない。
それはとても温かくて包み込んでくれるようで、その時「もういいや」と諦めかけていた
自分をそっと救い出してくれた──。
「外人の、おっさん……」
ちょうどそんな時だった。麻弥の意識ははたっと、そう虚ろな眼をして呟く市民の声によ
って現実に引き戻されていた。
こちらが物思いをしている間も、兄達は聞き込みを積み重ねていたようだ。気付けばとう
に違う別の男女らを路地裏にそれとなく追い詰め、その言霊で以って支配している。
「そうだ、この男を捜してる。よーく思い出せ。見たことはないか?」
正明がそう示しているのは一枚のフルカラー写真だった。
デズモンド・ボートン。だがそれは最初クラリッサ達に見せてもらったものとは別の、在
りし日々とは激変してしまった彼の近影だった。
何でも英国で事件を起こす少し前の姿なのだそうだ。例の詳しい再調査が始まった頃に送
られてきたものらしいが、先の「穏やかな紳士」というイメージとは程遠い。
アッシュブロンドはすっかり白髪に変わってしまっており、髪全体もばさついたそれに。
顔はげっそりと痩せこけ、両目に隈が出来て不気味ですらある。
まさか聖がこの事を知っていた、という訳ではなかろうが……これは確かに、彼に一体何
があったのか? 知りたくならずにはいられないだろう。
「……白髪の、外人。この街で……」
ぼうっと、この男女数名のグループは呪文のように呟いていた。
それでも言霊が効いているからなのか、互いに記憶を確かめ合うといった行為はしない。
ただ色彩を失った眼で中空を見つめ、正明に命じられるがままにその記憶を辿っているだけ
である。
「……ある。いた」
「……うん、見た」
「ッ!? 本当か、何処だ?」
「ここみたいな、裏路地。何か一人で、辺りをぺたぺた触ってたっけ……」
成果があった瞬間だった。ややあって彼らが、本人すらも意識していなかった記憶の像を
辿りおぼろげながらその証言を始めると、武蔵と周りの騎士達(流石にスーツ姿である)が
一斉にメモを取り出した。正明も「ふむ」と口元に手を当て、ふいっと考え込み始める。
「麻弥、地図を出してくれ。こりゃあ他の証言とも──」
肩越しにちらっと眼を向けられて言われ、麻弥はコクコクと頷くと肩に引っ掛けていた鞄
に手を伸ばしていた。
がさがさ。この街の地図を広げる。
そこには既に、幾つかの色のペンで印が書き込まれた、デズモンド出没ポイントの記録が
作られ始めていて……。




