4-(1) 彼女の萌芽
「──んぅ……」
それから一体どれだけの時間が経っただろう? クラリッサは随分と長く沈み込んでいた
意識をようやく取り戻すことができた。
「あ。隊長!」
「大丈夫ですか? 自分達のこと、分かりますか?」
唇から漏れた声。聞きつけてわらわらと取り囲んでくるエリオット以下部下達の姿。
彼女はぼうっと視界にそれらが映るままにしていた。
先ず身体を覆っているのは、重ねられたブランケットとシーツだ。気付けばベッドの上。
どうやら自分は寝かされていたらしい。視界の中の天井も見覚えがある。自分達の船か。
「ええ。それで──」
「ご心配なく。母船の中ですよ。流石に停泊場所は変えましたけどね」
まだ頭が完全に回り切っていない。先んじてエリオットが応え、微笑っていた。
とはいえ、彼も内心では焦っていただろう。気を揉んでいただろう。そういう人なんだと
クラリッサは知っているし、信じていたかった。
彼の言わんとすることが程なくして理解できた。ボートンだ。また彼の刺客が差し向けら
れるか分からない。適切な判断だと思う。
「……エリオットさん。あれから、どうなったんですか?」
そして彼女は彼らに訊く。
巫事監査寮との共同捜査とボートンの使い魔達による襲撃、迎撃と彼ら魔術師達の突然の
妨害。そしてあの豹変した少年と、人皮を被った偽者から溢れ出した毒ガス──。
「覚えてませんか? まぁ無理もないんでしょうけど。……自分達は助けられたんですよ。
ソウマ少年に」
デズモンドの使い魔達は、最初の一発を皮切りに全て自爆したようだった。
聖によって築かれた防壁の中で毒が霧散するのをじっと待つ。そうして外の様子を覗き、
ようやく警戒を解いた頃には、彼らの痕跡は殆ど残っていなかった。デズモンドの偽者がそ
うであったように、隠し持っていた毒を吐き出したことで力尽き、消滅したのだろう。
『呪薬の一種ですね。取り込んだ相手の魔力を乱すタイプの物です。こと魔術師相手にとっ
ては一番厄介な代物かもしれない』
クラリッサを始めとした、毒煙を吸い過ぎてしまった騎士達を手分けして運び込み、一行
は船の中にいた。急ごしらえで寝台を用意し、彼女達をそっと寝かせる。
その間にも晴──曰く彼もまた本国の血を引いているのだそうだ──があの煙の正体を調
べてくれていた。
相手の魔力を乱す魔術薬。あの毒ガスの中にはそれが大量に含まれていたのだという。
『魔力を……』
『デズモンドの野郎、随分と殺る気できたな』
『それで、治るんだろうな? 元はと言えばあんた達が隊長をキレさせたから……!』
『止めとけ。今喧嘩した所で隊長達が目を覚ます訳じゃないだろうに』
無事だった騎士達は口々に呟き、そしてその悔しさと憤りの矛先を正明ら巫監、この国の
魔術師達に向けていた。
だがそんな部下達の噛み付きを、他ならぬエリオットが制止する。
彼らは押し黙った。麻弥や伴太があわやと身を硬くしたものの、一応決定的な溝となる事
は避けられたようである。……他ならぬエリオット自身がぐっと抑えていたからだ。普段は
飄々と笑っているその横顔が、それでも冷静に今を打開しようという強さに満ちている。
『だから手出しをするなって言ったんですよ。奴は、始めからこうなることを目論んで仕掛
けて来たんですからね』
なのに、また冷や水を浴びせるような。それまで皆とは違って、寝かされている被害者ら
をぐるりと見回っていた聖がそう背を向けたままに言った。声色も纏う雰囲気も、既に平常
時のそれである《羊》に戻っている。
『お、おい。聖』
『臭ってたんですよ。あのゾンビ達は勿論、デズモンドの姿をしたあいつからも生命の気配
がしなかった。偽者だって分かった。この腐臭は……何かを仕込んでる。そう僕らは直感し
たんです。だから気取られる前に、あの親玉を始末しようと思ったんですが……』
晴が、顰めっ面をした正明以下面々が視線を向けてくるにも構わず、聖は続ける。
麻弥を始め少なからぬ者が小さく驚き、目を丸くしていた。初耳だった。宗主からの密命
以外に、あの時彼がそんな思考を携えていたとは……。
『始めから、奴は僕らを“妨害”する目的だった筈です。実際、貴方達の戦力はその所為で
一時的に削がれざるを得なくなった。だろう、晴?』
『ああ。この呪薬は魔力を乱すだけなんだ。本来これ単体で殺すようなものじゃない。解呪
を施せばすぐに治るよ。大体もし殺害する意図であったなら、あの煙の中にもっと致死性の
高い毒を込める方が合理的だよ』
『……殺すまでは考えなかった、か。どういうことだい? そこまでしてくるって事は、俺
達が追ってくる可能性は奴の認識にはあった筈だが』
『さてね。自信や技量が無かったか、或いはもっと別の目的でもあるのか』
『……』
晴に補足を入れさせ、聖はクラリッサの枕元に近付いていた。エリオットと正明、騎士団
と巫監の面々、それぞれの代表格がそう推測と疑問を述べ合っている。
だがそうした言葉に、聖は結局応えなかった。
ぎゅっと眉を潜め、苦しそうに眠っているクラリッサ。その傍らに立ち、彼は次の瞬間、
またしても“替わって”いたのだから。
『──それよりも、先ずは彼女達の治療が先よ。私も手を貸すけど、みんな晴の指示に従っ
てくれる? こう見えても彼、万薬の魔術師の愛弟子なんだから』
晴を除き、一同はぽかんとしていた。ややあっておたおたと、治療系の魔術に心得がある
騎士達や麻弥、凛といった面子が動き出す。
何というか……妙に色っぽいのだ。見た目は聖少年のままなのだが、声色や纏う雰囲気が
急に女性っぽくなったというか。
そう彼──いや彼女(?)は言って微笑むと、そっと片掌をクラリッサの胸元にかざす。
『……うぅ』
刹那、温かな光が溢れた。
かざした掌、そこから染み出すようにクラリッサを包む金色の光と、同色に輝く聖の瞳。
見れば当の彼女が先程よりも穏やかな表情になったようにみえる。正明らやエリオット、
騎士達がめいめいにそのさまを見遣っていた。こと麻弥に関しては口元に手を当て、何やら
ぱちくりと目を瞬いている。
『……あれが《姫》の能力さ。解呪──魔術的ダメージからの回復。正直全員に掛けてくれ
れば、もう僕の出番はないと思うけどね』
『姫? じゃあ、やっぱり女の人……なの?』
『十三人もいるからね。女性の人格がいてもおかしくはないさ。大体、性別すらもはっきり
しない奴も混じってるし……』
ちらっと麻弥が横目を遣って、晴に問う。岡持ちのような、その金属製の手提げ鞄の中か
ら色々と薬剤らしきものが取り出されたりしまわれたり、彼は確かに医者のような手際の良
さで被害者達を捌いている。
『大丈夫だよ。彼女は穏健な人格だから。それより御門さんも治癒の魔術を。僕は彼らから
毒を抜く作業をする』
『あ。は、はいっ』
「──そう、そんな事が。貸し、作っちゃったわね……」
「そうッスね……」
エリオット達から眠っている間の顛末を聞き、そっと上半身を起こされたベッド上のクラ
リッサは静かな苦笑いを零すしかなかった。
明らかにしょんぼりとしている。反省しているのだろう。部下の一人が言っていた『元は
と言えばあんた達が隊長をキレさせたから』という台詞。それが彼女にとっては手痛い指弾
になってしまったのだろう。
(真面目、なんだよなあ。正義感が強いっていうか……)
エリオットはそう内心で思いながら苦笑し、ばつが悪くて、部下達と顔を見合わせる。
実はソウマ少年達にも同じようなことを話して──伝えていたからだ。
その能力を買われて若くして部隊長を任された彼女。その性格は、基本深く狭くで自身の
興味に没頭しがちな魔術師の中にあって、真面目なのである。
正義感が強く、この場の誰よりも騎士としての自分に誇りを持っている。
それはむしろ魔術師というより、本物の騎士であるかのような。
でも……だから、自分達は隊長についていきたいと思う。
世俗だの魔術界だのという区切りなんて関係なく、誠実であろうとする生き方。それは凄
く眩しくって、だから危なっかしくて……信頼できるし、放っておけない。
尤もこんな事、小っ恥ずかしくて本人の前で言えたものじゃないけれど──。
「やっぱり只の魔術師じゃなかったのね。万薬の魔術師──二つ名持ちの弟子というのも驚
きではあるけど、あれほど多彩な能力を扱ってみせるなんて大したものだわ。多分、私よりも
年下だと思うんだけど……」
「あ、それなんですがね。そっち──ソウマ少年は魔術師ではないようです。どうやら彼は
“魔法使い”なのだとかで」
「えっ!?」
ぶつぶつ。そうしている間にも口元に手を当て早速真面目に考え込んでいた彼女に、エリ
オットが皆を代表してそう話していた。
当然ながら驚くクラリッサ。彼は部下達を見、委任よろしく首肯を受け取ると、その彼ら
──巫事監査寮の面々と件の少年二人が彼女達を治療してこの船を去っていく、それまでに
打ち明けられた彼らの事情を伝える。
「……そういう事だったのですか。予め言ってくださればよかったのに」
「まぁ、元々が先方内部での案件ですからねぇ。できることなら自分達で済ませたかったん
じゃないですか? 日本人らしいと言えば、らしいですが」
一番怒り心頭だった筈のクラリッサは、存外落ち着いて話を聞いてくれたようだった。
そこは元が真面目というか、筋を通す女性というか。エリオットがそう多少なりとも彼ら
に皮肉を込めてごちているにも拘わらず、その表情はとても穏やかだった。
尤もそこには自分たち清十字騎士団としては、デズモンドの身柄さえ確保できればいい訳
で、そこに至るまでの交戦の有無──誰が戦って破ったかまではさして大きなファクターで
はない、という理由もあるのだろうが……。
「魔法使いにも──色んな人がいるのでしょうね」
やや俯き加減に両手を組み、そうクラリッサは呟く。気のせいか妙にはにかみ、歳以上の
艶が垣間見えた気がする。
「さて」
だがそれも束の間、彼女は自身の気持ちを切り替えるようにベッドから滑り出ていた。
寝かされていたために解かれていた髪。それを彼女はサイドテーブルに置いてあったゴム
紐を手に取り、馴れた様子でいつもの緩いポニーテールに結ぶと、早速騎士団の洋法衣に袖
を通そうとする。
「えっ。あの、もう大丈夫なのですか?」
「無理はなさらない方が……」
「ありがとう。もう平気よ。それに結局ボートンは捕まえられていないわ。同じような被害
を出さない為にも、早く見つけなくっちゃ」
こうしてはいられない。まさに全身でそう語っているようだった。
部下の騎士達が流石に病み上がりだと心配するが、当の本人はすっかり回復したようだ。
聖──《姫》の能力がよほど功を奏したのか。
「あ。そういえば隊長」
笑みを返すそんな上司に、エリオットはそこでふと思い出した。
「実はその彼から、言伝がありまして……」
袖を通して身も心も切り替えた彼女に、彼はややあって取り戻した、いつもののんびりと
した声色で言う。




