3-(3) 騎士クラリッサ
船が着岸し、中にいてもその揺れが伝わった。
本国から遥々。クラリッサ・L・アンダーソンと彼女が部隊長を務める清十字騎士団の
面々は、揃いの紺の洋法衣を纏って潮ノ目港の一角に降り立っていた。
「んっ──」
朝の潮風をいっぱいに浴び、彼女は静かに深呼吸する。
揺れる髪は澄んだ空色のような淡い青、緩く結んだポニーテール。ゆっくりと開いた瞳は
綺麗なエメラルド色の翠。年は二十歳になるかならないかといった所だろうか。ただ欧米人
という人種は勿論、彼女自身のスラリとした体型が相まって、一見した限りではもっと大人
びて見える。
とはいえ、存外に若い隊長であるのは間違いないだろう。
実際、すぐ後ろでのんびりと気だるそうにしている、線目でもさもさ茶髪の男性──同隊
の副隊長エリオット・ベイカーは今年で二十七になる。他にも隊のメンバーの大半は彼か、
彼よりもう少し年上といった外見の者が多い。それだけで彼女の、魔術師としての能力の高
さが暗に示されているとも言える。
(……此処が、サムライの国なのですね)
観光ではないことは重々分かっているが、それでも彼女の心は幾許か嬉々としていた。
初来日。異国の少女はかねてより聞き及んでいたこの国・日本について、今回の来日に当
たり色々と想像を膨らませていたからだ。
先ずは嗅覚、潮の香り。木々の匂い。場所が違えばまた違うのかもしれないが、総じてそ
れらは祖国に比べてぎゅっと濃く押し込められている、そんな印象を持った。
目に映るのは、人気の少ない船着場の風景。今回の事情が事情だけに当局が“人払い”を
施しているからかもしれないが、少々物寂しい。
ついっと空を、遠く広がる街の方を眺めてみる。遠目とはいえ、あまり統一性は見出せな
さそうだ。現に今自分が立っている周囲の建物群ですら、高さも意匠も疎らに思える。なる
ほど。現代日本において都市がややもすれば猥雑であるという話は本当らしい。
(キョウト、ナラにでも行けば、違うのかもしれませんが……)
気持ちしょんぼり。その脳裏に流れていくのは、典型的な旧き良き日本のイメージ。
侍、富士山、寿司、天ぷら、芸者──何より彼女が文献を見聞きし強い興味を抱いていた
のはこの国の武士道であった。
剣を携え、主と祖国の為に身命を賭して戦う、潔さの文化──其処には彼女の祖国で云う
騎士道に通じるものがある。
「隊長?」
「……。ええ、行きましょうか」
そうしていると小首を傾げてエリオットが声を掛けてきた。いけない、また夢想の世界に
旅立ちかけていたようだ。ハッと我に返り、クラリッサは彼らを引き連れて歩き出す。
本部からの情報では、今回この国の魔術結社──巫事監査寮の魔術師達がサポートについ
てくれるのだという。予定ではこの中央区にて、その派遣された彼らと落ち合う手筈だ。
素直にありがたいと思った。何分こちらには土地勘がなく、たとえ奴もまた条件は同じ筈
だとしても、こちらで満足に動けるか一抹の不安があったのだ。
一刻も早く奴を捕まえなければと思った。
魔術犯罪、それも魔法にまで手を出した重大事件を野放しにしておく事はできないし、何
より自分がかねてより憧れていたこの国を、美しい姿を、奴に破壊させる訳にはいかない。
(……うん?)
そんな最中だった。船を着けた区画(内密故、立たぬ位置に着岸している)から港の中心
部まで足を運び、彼女が見たのは……桟橋の中ほどで佇んでいる、一人の少年だった。
『──』
さわさわ。寄せる波音と海鳥の声。
クラリッサは何気なくそんな彼に目を遣っていたのが、ふと気付いた時には何処からとも
なく、何か餌を与えた訳でもないのに、彼へ次々にカモメ達がやって来ては留まり、纏わり
付き始めていたのだ。
彼女と、そして部下の何人かも、ややあってその様子に目を見開いていた。
誰だろう? 不思議な感覚。少年はそっと片手を伸ばし、ただカモメ達にじゃれつかれる
がままにされている。
「……」
しかし何故だろう?
光景それ自体はとても穏やかで優しいのに、その横顔は何だか哀しそうで──。
「何だ、そこにいたのか」
すると道を挟んで桟橋と向かい合う建物の中から、また一人別の少年が出て来て彼の姿を
認めていた。
ナチュラルな金髪。自分達と同じ人種か。どうやら二人は顔見知り、それも相当に親しい
間柄であるらしい。こちらの少年の呼び掛けに彼はカモメ達を空に放たせると、それまでの
佇みに未練をみせるもことなく歩き出していた。
「えぇっと。貴女がアンダーソン隊長、ですかね?」
そうして程なく。クラリッサ達は合流する。
自分達の姿を認め、そう確かめるように近付いてくる一団があった。
人数は五人。彼らを率いる、肩に長い布包み──おそらく剣や長銃の類──を引っ掛けた
黒コートの青年と、がたいの良い大男。アジアンビューティーな妙齢の女性と、自分より更
に若いと思しき少年少女が一人ずつ。加えて見遣れば、先の少年二人がこちらへ駆け足でや
って来るのが彼ら越しに見えた。……どうやらあの少年も魔術師らしい。
「はい。では貴方がたが今回、我々をサポートしてくださる……」
「ええそうです。自分は巫事監査寮所属、御門正明。こっちは羽賀と卯月、んで物部。あと
妹の麻弥です」
クラリッサが肯定し、訊ね返すと、彼──魔術師ミカドはそうざっと場の面々を紹介して
くれた。こちらもエリオットと併せ丁寧に名乗る。だが、言っては悪いが、クラリッサは既
見透かしていた。この人は……あまり堅苦しいのは得意ではない。
「あの~、あっちの二人はお仲間じゃないんです? あ。追いついてきた」
「……まぁ、そう括ろうと思えば括──」
「え、ええ! そうです。扱いはちょっと違いますが、同じ魔術師ですよ?」
相変わらずぼやっとした様子で、エリオットがそうクラリッサよりも先にその質問を投げ
掛けていた。幾分間を置き、正明が答えようとする。だがそれを遮って、麻弥が強く修正す
るかのような苦笑いで被せていた。
「扱い?」
「在野の、という意味ですよ。我々は組織直属の構成員ですが、彼らはこの現地で雇った嘱
託の魔術師でして」
「さぁ、騎士団の皆さんがお待ちかねよ。挨拶して?」
「あ、はい……。初めまして、瀬名川晴です。見て分かると思いますが、ハーフです。母が
イギリス人で、父が日本人です。今日は母の代理でお邪魔しました」
「……。相馬聖といいます。よろしく」
「ご丁寧にどうも。改めて初めまして。当隊の指揮を執っているクラリッサ・L・アンダー
ソンです。皆さんのご協力、感謝します」
「同じく副隊長のエリオット・ベイカーだ。いやぁ、驚いたね。うちの隊長も若いが、更に
若いのが四人もとは……。ふぅむ? 日本も中々やるもんだ」
ははは。何とも能天気なエリオットの笑い声が辺りに染み入る。クラリッサや正明がそん
な彼にジト目を遣っていたが、当の本人はぼさぼさの茶髪をぽりぽりと掻いているだけで気
にもしてないらしい。
晴と聖が追いついてきて、これで双方の捜査関係者が揃った。行動開始だ。
「では、早速会議といきましょう。あちらに私達の船があります。立ち話も何ですから」
かつん。軽くそのまま半身を返し、クラリッサは言う。
クラリッサ達が乗ってきたのは、やや中型のクルーザーだった。
内装はシックさを基調とした、派手さこそ無いが機能的なものだ。清十字騎士団は中々ど
うして豊かなのか、或いは他国への派遣ということもあって体面を重視しているのか。
どうやらそこはかとなく結界を施してあるらしい船内。そのリビング的スペース、中央に
設えられたつやのある円卓を囲み、一同は席に着いていた。
「エリオットさん」
「あいあい。どうぞ」
促され、エリオットが小脇に抱えたファイルをその卓上に出してくる。
ぱらぱら。捲られる頁。するとそこには、短いアッシュブロンドの髪をした、微笑の中年
男性の写真が挟まっていた。取り出し、クラリッサが皆に見えるようにして言う。
「デズモンド・ボートン。今回の事件の犯人と目される人物です。彼は犯行後我々の同志ら
と交戦し、逃走しました」
「この人が? 優しそうな人ですけど……」
「ま、写真自体は何年か前だからね。人相は多少なりとも変わってるかもなあ。んでも、顔
も名前も知らないっていうのは話にならないでしょ」
「……それで? あん──貴女達の国で起きた事件ってのは」
「無理して畏まらなくてもいいですよ。……事件はおよそ二週間前、ウェールズ南岸に程近
い小さな町で起こりました。ボートンは以前からこの町に住んでいて、専門である魔力力学
の知識を活かし、魔術具の調律から生体回路を正すことによるマッサージ治療まで色々細々
と営んでいたようです」
「だけども事件は突然起きた。その日、この町が丸々魔術の力場に置かれてね。その時町に
いた住民──家畜も含めて全員が根こそぎ何者かに魔力を奪われたんだ。酷いもんだったよ
うだよ? 生命と名のつくものはことごとく昏倒、中にはそのまま憔悴して息絶えた者も少
なくなかった。即日、最寄の当局からうちの騎士団に連絡がいった。こんな真似ができるの
はボートン、町に住む唯一の魔術師しかいない。それで現地に騎士達が出動したんだが……
そこで彼らが見たのは変わり果てたように狂うボートンと、人の姿形こそせど人じゃない、
まるでゾンビのような使い魔の大群だったんだそうだ」
『……』
クラリッサと何度か言葉を引き継ぎ合い、エリオットは語った。
麻耶や正明ら巫監の面々、そして晴の表情が一斉に険しいものになる。
それでも……唯一聖は表情一つ変えず黙っていた。じっと、微笑を浮かべるデズモンドの
写真を見つめたまま、独り何かを考えているかのようだった。
「一体、何の為に?」
「分かりません。ただ確かなのは、彼が駆けつけた同志達と交戦し、少なからぬ傷を負いな
がらも逃走してしまったということだけです。すぐに警戒網が敷かれたのですが、何分彼が
放置した使い魔達の始末に手間取ってしまいまして……結果、後手に」
両手を組んで眉を顰めるクラリッサは、本当に悔しそうだった。
麻弥が思う。晴は考える。彼女は……かなり正義感の強い人物らしい。
「その後のことはそちらも既に聞いていることかと思います。うちらが小さな港までカバー
できなかった内に滑り込まれ、それで」
「流れ流れて、日本まで来た、と……」
ええ。エリオットの結びに、正明はそう呟いて静かに嘆息をついた。
なるほど。そう繋がってくる訳か。
宗主からの、本部から追加されてきた情報によれば、件の犯人・デスモンドはそんな警備
の隙を縫い、とある貨物船に紛れたのだという。
船自体にその存在は確認されなかった。ということは……貨物だ。おそらく彼は積まれた
コンテナの一つに入り込み、まんまと逃亡したのではないか? あれだけ重い鉄の箱を一つ
ずつ開けようとは、現地の魔術師達も思わなかったのだろう。
それでも──船自体の行き先は決まっている。調べれば分かることだ。
故にこうして今回のこの街、この巡り合せとなったという訳なのである。
「その彼が魔法使いだというのは、確かなんですか?」
「はい。それは交戦時、同志ら複数人が目撃済みです。彼にははっきりと、その左腕に呪刻
が宿っていました。後日彼の自宅を捜索した際も、古今東西の“奇蹟”に関する文献が多数
発見されています」
凛が念の為、確認するように問うた。そんな声にもクラリッサは更に情報を付け加えて答
えてくれる。
正明らが顔を見合わせていた。麻弥が俯き加減にぎゅっとスカートを握っていた。
晴がちらとそんな彼女を流し見ている。魔法使いが二人、その事実がどうしても彼女を動
揺させ、怯えさせているのだろう。……一方で、その当の片割れである所の聖は、そんなク
ラリッサが告げた一言に、スッと何か視線を遣っていたようにみえる。
「奇蹟の……。それで何か分かったんですか? その、彼が魔法に手を出したらしい理由と
いうか、動機というか」
「すみません、何分押収した数が多過ぎるもので……。今懸命に別隊らと当局が洗い出しを
行っている最中です」
「ふむ……。とにかく捕らえるのが先決、という訳か。そうだな。事情をあれこれ調べる暇
があるのなら、先ず第二第三の魔術犯罪を犯させないよう、とにかく押さえるべきか」
「……はい」
「そういう事です」
伴太と武蔵、それぞれの確認と納得を経て、一旦一同は黙り込んだ。添えるような武蔵の
的確な一言。それが否応もなく事態の緊急性を物語っている。
「彼の目的は……まだ分かりません。ですが、実際こちらからの攻撃を受けて彼は深手を負
っています。密航の間に傷を癒したとしても魔術反応が出ますし、四・五日で完治するとは
考え難いです」
それでも気丈に、クラリッサは一同に向かって口を開いていた。そんな彼女の様子を皆が
一斉に見遣っている。
「先ずはこの港──港湾地区を中心にボートンの足取りを手掛かりを探しましょう。そこか
ら併行して市街へと捜査範囲を広げます。その際は土地勘のある巫事監査寮の皆さんの助力
を頂きたく」
「まぁ、つっても俺達だって地元人じゃねぇけど……。伴太、地図」
「は、はい」
会議は大詰めになり、実際の作戦立案に移っていた。正明に促され、伴太が鞄から取り出
した潮ノ目市一帯の地図が何種類か広げられ、当面の捜査エリアが決められていく。
「──では始めましょう。皆、いいわね?」
「──俺達は分かれて回るぞ。俺、凛と麻弥、武蔵と伴太。あと瀬名川と相馬だ」
『Yes Ma'am!』『了解!』
「ん……」
クラリッサと正明と、双方のリーダーが音頭を取る。
騎士団達はさも軍人よろしく、晴を含めた麻弥達は各々に、そして聖は寡黙に。
魔法使い討伐が──始まった。




