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Dear SORCERY  作者: 長岡壱月
第三幕:来訪者たち -Visitatores quis-
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3-(2) 巫女達の患い

「……」

 どうしても、塞いだ気持ちが晴れてくれない。

 宗主から新たな任務を命じられた後、麻弥達は件のビジネスホテルに再チェックインして

いた。正直言うと少々ばつが悪かったが、こればかりは仕方ない。

 当初そうだったように入ったのは二部屋、男性陣・女性陣で一部屋ずつ。

 麻弥はベッドにぼふんとうつ伏せになって布団に埋もれ、先刻からずっと悶々とした想い

を抱え続けていた。

(ひー君……)

 その対象は、言わずもがな聖のことだ。

 十年前、魔術師達が起こした事件。以来ずっと──御門家に貰われたというこちらの事情

もあったとはいえ──音信不通だった幼馴染の男の子が生きていた。

 だけど、再会した彼はもう以前の彼ではなくて……。

 魔法使い。異端の術を行使した者。

 一体何の為に手を伸ばしたのかは分からないけど、本来の彼はいなくなっていた。代わり

存在するいるのは、相馬聖という肉体うつわに宿る十三人の魔法使い……。

「大丈夫、麻弥ちゃん?」

 そうしていると、ふと凛が傍まで近付いてきた。

 艶のある、でも優しい声。見ればその手には二人分の紅茶が淹れてある。

 どうぞ? そう促されるように微笑みかけられ、麻弥はのそっとベッドから身体を起こし

て対座した。カップを受け取り、口をつける。……いい香りだ。悶々とした心がそっと解き

ほぐされるような感じがする。

「相馬君のこと、やっぱりショックだったみたいね」

「……。はい」

 自身もカップに口をつけて一口二口と飲んでから、凛はそう努めて静かに言った。両手で

カップを持ち、麻弥はぼうっと、彼女と顔を合わせることもできずに肯定する。

「嬉しかったんです。もうあの事件で、お父さんもお母さんも、私を知っている人は皆いな

くなっちゃったって思ってましたから……。でも、あの時ひー君を見つけて、生きてるって

知って。それで……」

 凛は黙っていた。訥々と語り始める彼女をそっと見守っている。

 麻弥は言葉こそ希望の片鱗だったが、それはすぐに泡沫だったのだと悔やむ。

「馬鹿みたいです。聖君──《羊》さん達もきっと、動揺したと思うんです。私が舞い上が

って名乗ろうとしたから、学園まで乗り込んで来たから。この前瀬名川君のお家にお邪魔し

たのも、それを謝りたかったってのもあって……。でも彼は、謝るのはこっちの方だって言

ってて……」

 言葉が途切れ途切れになっていく。両の眼からぽろぽろと涙が零れていく。

 凛は黙っていた。そして心の中で、やはりこの娘は優しいなと思った。

 実際、一度はその彼によって死にかけたのだ。幸い正明君あにによって間一髪助けられたから

よかったものの、潮ノ目学園での一件は明らかに、魔法使い・相馬聖は彼女を亡き者にしよう

としていた。たとえそれが十三人の内の一人が暴走した結果であると過小評価しても──

尚も彼女が彼に温情を抱くには、本来マイナス材料過ぎる。

(やっぱり、そういう事なんでしょうね……)

 だから、同じ女だから、凛はフッと哀しい苦笑を隠し切れない。彼女はサイドボードに自

身のカップを置くと、そっと項垂れる麻弥の背中を頭を優しく擦ってやった。

 堪えていたその涙が、カーペットの上に落ちた。

 尚も彼女は声を殺しているものの、凛は辛かろうその心情を容易に察することができた。

 恋慕──幼き日の思い出と共に、きっと彼女の孤独を支えてきたもの。それが変わってし

まった、目の前でその当人自身に変えられてしまったショックはきっと大きかろう。

 何とも酷な話ではないかと思った。いや、どちらにせよ……か。

 あのまま任務終了と京都むこうに帰ったとしても未練はあったろうし、かといってこうして追加

の任務──滞在が延びても彼とこの子の間のそれらが直接好転する訳でもない。

「……もう、元の聖君は戻ってこないんでしょうか……?」

 そうして擦ってやること慰めてやること暫し。やがて麻弥は、ぼうっとカップの水面を眺

めたまま呟いていた。

「難しいわね。それってつまり、魔法の代償として消えた相馬君本人を取り戻すってことで

しょう? 理論上、なくはないけれど……」

 驚き、しかし嗚呼やっぱりと思いつつ、凛はそっと口元に軽く握った拳を遣っていた。

 麻弥がゆっくりとこちらに顔を上げている。凛はそんな彼女と目を合わせ直し、そう優し

く諭すように言う。

「養成所で習わなかった? 魔法使いの呪刻について」

「呪刻……。あの、腕にあった刺青みたいなものですよね? 聖、君にも……ありました」

「そう。じゃあやっぱり魔法使いだってことは間違いないわね。これは、アリスさんの話し

ていた通りであるという前提での話だけど──」

 彼女は一度小さく目を瞑り、そして深呼吸をしてから目を開いた。

 躊躇い。だけど多分、彼女自身が向き合わないといけない事なのだろうと思い、続ける。

「代償を取り戻す方法自体はあるわ。その呪刻を第三者に譲渡するの。具体的には“第三者

に魔法を使わせる”こと。それができれば理論上、彼が払ったとされる代償──本来の相馬

君が戻ってくる。手に入れた魔法は、失うけれど」

「そ、そんなの……!」

「ええ。だから魔法は“呪い”なのよ。一度手を出してしまえば、その喪失を取り戻す為に

はまた新しい魔法使いを生み出すしかない。魔術界わたしたちにおいて、魔法使いが忌まれる存在とさ

れる理由の一つよね」

「……」

 尤も、相馬君は魔術それ自体には素人みたいなのよねぇ──。

 凛は最後にそうにわかにフッと思案顔になって呟いていたが、麻弥はもうその事実を聞か

され、思い出し、絶望に近い動揺に震えていた。

 ぎゅっとカップの取っ手と底を握る。

 そんなこと、できる訳ないじゃないか……。

 間違いなく躊躇いがあった。ひー君を助ける為とはいえ、新たな魔法使いを──身代わり

を用意するなんて。

 いや……そもそも自分にそんな資格はあるのか? 彼に、彼らにその意思はあるのか? 

何よりひー君かれが自身の存在そのものを擲ってまで手にしようとしたものの正体を、自分は何

一つ知らないのだから。

「──」

 残っていた紅茶に口をつける。先程よりも幾分、温くなってしまった。

 香りはまだ、ちゃんと鼻腔をくすぐっている。

 だけど……その良い匂いはもう、再び湧き上がるこの不安を解してはくれなくて。


「……」

 一方の男性陣の部屋。そこではずっと張り詰めた空気が支配していた。

 原因は明らかだ。正明である。彼がずっと、先程から敷いた茣蓙ござの上でその太刀の手入れ

を続けていたからである。

 ぽんぽんと打粉を塗し、ぴたりと止まる手。刀身に彼自身の顔と、同室の武蔵・伴太両名

の姿が映り込んでいた。ギラリ……。そんな言葉もない鬼気に、伴太はビクビクと腰掛けた

ベッドの上で震え、時折彼を恐る恐る見遣っており、一方で武蔵はやれやれといった様子で

自若。窓際の肘掛け椅子に座って静かに茶を飲んでいる。

「……不服か? 正明」

「当たり前だ」

 そうして、どれだけ重苦しい沈黙が流れていただろう。やがて怯える伴太を見かねてか、

武蔵がそう肩越しに正明に一瞥をくれると言葉を掛けていた。

 振り向きもせず。しかしそれは、さも彼の吐露を促すような一言になった。

「俺達は政府の道具なんかじゃねえっつーのに……。何でまた相馬聖あのガキどもを巻き込まねぇといけ

ないんだよ」

「それは宗主様も仰っておられたろう? 大を守る為のご判断だ」

「分かってるよ。分かってるけどさぁ……」

 ぽんぽん。言葉遣いとは裏腹に、打粉を塗す手つきは慣れたもので、丁寧だった。

 もしかしなくても、敢えて得物の手入れをすることで自身の感情いらだちを解きほぐそうとしている

のかもしれない。伴太は気持ち縮こまっている。武蔵は湯飲みの中の茶を飲み干し、今度

は身体ごと彼の方へと向いていた。

「どのみち素人とは分かり合えないさ。棲み分けるしかない。そうだろう? 無知が偏見を

生む。だがそれらと“闘う”ことで得られるものはそう多くはない。故に互いの世界は領分

を越えるべきではないと戒め続けてきた」

「魔術師的思考、ね……」

 武蔵は敢えて後者の台詞ことばには反応しないつもりらしかった。

 代わりに繰り返す。宗主──自分達が所属する魔術結社の長が下した判断、それに従う。

彼女達が一見政府におもねるような手を打とうとも、それらは長い目で魔術という世界全体

を守る為である……。

 正明は呟き、ため息をついていた。刀身にゆっくりと紙を滑らせ、打粉を拭う。

 不服。確かにそうだ。だがそれは別に、任務自体に対してじゃない。

 相馬聖。あいつがまた絡むということ、その一点に関してのみなのだ。麻弥いもうとの心に少な

からぬ影を落とす、あの魔法使いに対してなのだ。

 ……気に食わない。やっと立ち直ったあの子の前にふらりと現れやがって。幼馴染だか何

だか知らないが、あいつは麻弥を傷付けた──実際に危害を加えた相手なのだ。

 とはいえ、こちらも抜かりがあったと言えばそうなのかもしれない。奴がいたという話自

体は麻弥本人から何度か聞いていたし、その後どうなったかくらい調べておくべきだった。

まぁ確かに魔法使いになっているなんて予想はしていなかったが……少なくとも宗主や上層

部は知っていたとみえる。ほぼ町一つを瓦礫に変えた魔術犯罪だ。むしろ把握していない方

が不自然ではある。

「そこは分かっているつもりさ。どのみち俺達がこの街にいて、例の逃亡者がこっちに流れ

着いたらしいなら、俺達が当たるのが筋だろうよ。だけどな……俺は信用ならねぇんだよ。

あの魔法使いと共闘だなんて。宗主様もあいつが麻弥にやろうとしてた事を知らねぇ訳じゃ

なかろうに。お前だってそう思うだろ? 伴太」

「えっ!? あ、はい。そうですよね……。麻弥さんと、彼は……」

 だから一度ぐっと言葉を感情を呑み込んで、正明は言った。太刀と手入れ道具を手にした

まま、座する向きを変えてこの二人を見る。

 急に同意を求められ、伴太はビクッと肩を震わせたが、程なくして彼は首肯していた。

 ただその頬は何故かほんのり赤く、ばつが悪そうに視線を逸らしながらの返事ではあった

のだが。

「気持ちは分からんではないがな……。だが彼には瀬名川母子おやこがいる。実際あの時も鎮静剤

とやらで大人しくなったではないか。全くの“放し飼い”でもなかろう?」

「そういう問題じゃねぇんだよ。その、兄貴としての責任っつーか何つーか……」

 それでも武蔵の方は変わらず冷静だった。

 落ち着いて説くように、そして何処かこちらの心中をとうに察しているかのように。

 今度は正明がばつが悪く視線を逸らす番になっていた。漏れる声色は先程よりもずっと弱

腰になり、つい可愛がってきたつくろおうと義妹への心配するほんねがにじむ。

 ──ふっと張り詰めていた場の空気が、和らいだ気がした。

 しかしそれも束の間。次の瞬間にはついっと刀身に油紙を通し、正明はガチャリとその太

刀を握り直していた。

 磨き上がった刃。そこには再び深く眉間に皺を寄せた彼本人の表情かおが映る。

「……俺にも分かる。苦しむんだよ。相馬聖あいつと一緒にいると、麻弥が」


 別れの日であった筈の今日が繋ぎ止められ、また明日に続こうとしている。

 すっかり日が落ちてしまった空は闇に染まった黒色で、どんな悩みも彼の彼女の、己が中

へと押し戻される。

「……」

 瀬名川家じたくの屋上。

 そんな薄曇りの空の下でただ一人、聖はじっと、波打つ夜風に吹かれていて……。

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