2-(4) 抜け殻だという
麻弥当人からのご指名もあり、聖は彼女と二人して外に出た。
とはいっても屋上である。瀬名川邸の裏手に回ると柵付きの外階段があり、そこからぐる
りと登っていけるのだ。
屋上はさほど広くない。だがその全体ががらんとしている所為で実際よりもだだっ広く感
じられた。物自体があまり置かれていないのだ。在るのは家の中から上がって来た場合の、
煉瓦作りの小さな掘っ立て小屋のようなもの──昇降口と傍に据えられている室外機、あと
は天気のいい日にくらいしか利用しない物干し竿とその支柱がぽつぽつ。足元の床材は半ば
むき出しのコンクリであり、それらを申し訳程度に覆っていたとみえる合板は歳月の経過で
あちこちが剥がれてしまっている。
「……えっと。その。ひ、聖……君?」
「《羊》だよ」
登ってきてから暫く、二人の間には何とも言えぬ沈黙が横たわっていた。
気まずさ。ある意味最悪な形での再会だった経緯。
それでも麻弥の方は意を決して先に口を開いたのだが、対する聖はにべもないような、何処
か突き放すような静かな声だった。
また、二人は数拍黙っていた。
春先にも拘わらず、まだ冷たさを残している風が吹く。聖はさも当たり前であるかのよう
に軽く空を仰ぎ、なびかされるままになっている。麻弥はそんな彼を、心持ち後ろ──斜め
な詰め切れない距離感のままで観た。風で乱れるミドルショートの髪を軽く押さえながら、
彼女はごくっと息を呑む。
「ご、ごめんね。この前はあんな事になっちゃったから、もう一度ちゃんとお話したくて」
「……謝るのは僕の方じゃないか。……いいの? また僕らが、君を消そうとするかもしれ
ないのに」
「それは……困るけど。でも一応、卯月さんも見てくれてるし」
「……。そっか」
ぎこちない会話だった。それでもあくまで聖は淡々、最低限だ。
麻弥が苦笑いと闘いながら言う。なるほど。ではやはりさっきから頭上を飛んでいる、見
覚えのある鳩は、その仲間の式神だったか。
「大体の事情なら、アリスさんが話したって聞いてるけど」
「う、うん。魔法使いとか、ひー君がひー君の中からいなくなってる、とか」
「……そうだ。僕らが彼と契約を結んだ時、相馬聖は“向こう側”に消えた。この身体は確
かに相馬聖と言われた人間のものだけど、その中にいるのは僕ら──全くの別人だよ。一人
一人が別々の自我と異能を持っている。周りはそれを、左腕に刺青があるから“魔法”だっ
て言うけれど」
呟くようにして答えながら、聖はそっと自身の左腕を抱いた。
後ろで、麻弥が言葉を詰まらせているのが分かる。あくまで別物──君の知る彼ではない
んだと言い張る自分に困惑しているのだろう。
……それでいいんだと思った。
彼女には早々に“諦めて”貰った方がいい。相馬聖はもういない。その方が当人にとって
もためになる筈だ。
「うん。分かってる、分かってるよ。でも……やっぱり、いきなり別人ですって言われても
すぐには心が頷けないっていうか……」
なのに、彼女はそわそわと組んだ指先を弄び、そう尚も食い下がろうとしている。
振り返ることはしなかったが、聖はきゅっと密かに唇を結んでいた。頼む、それ以上踏み
込んで来ないでくれ……。
「……もう一度言う。君の知っている相馬聖は死んだんだ。僕がこうして君達の前に出てい
るのも、彼とその周辺の人間達から収集した情報から、僕らの中で最も原典に近いパーソナ
リティを持っていると判断されたからなんだよ。僕は平常時の主人格であって、彼の代わり
じゃない。本当の、相馬聖じゃない」
「──ッ」
だから敢えて聖は二度言った。
相馬聖の名を彼女の前で口にし、否定してみせた。
それでも彼女は黙っている。きゅっと口を噤んでしまっている。だがおそらく納得……で
はないのだろう。気が塞ぐ。
本人の言う通り「すぐ」には難しい話なのか? だがそう悠長に構えていていいとも思え
ない。実際《沼》が彼女を喰おう──新たな原典の情報として取り込もうとしたのだ。
力の強い“自分”達は他にもいる。
彼らが彼女らが、二度目三度目と飛び出してこないという保証は……ない。
「……すぐにとは言わないよ。でも忘れるんだ。さっきも言ったように普段は僕が表に出て
いる。だけどそれはイコール皆の中での力関係じゃない。電撃を纏う肉体を持っている訳で
もなければ、破壊と再生の炎を操れるでもない、全てを飲む込む闇でもない──僕に出来る
ことと言えば、こうやって……動物の声を聞いて操るくらいなものだから」
地味なんだよ。“魔法”の割には。
諭すような、或いは自嘲するような声色で聖は言った。
そっと空に手をかざすと、何処からともなく周囲の鳥達が寄ってきた。ばさばさ、彼らは
聖の周りに集まって漂い、羽を休め、にわかに自然の群れを作り始める。
「……」
だが、だからこそ、そのさまを見ていた麻弥は思ったのだ。
影の差す、しかし穏やかな横顔。懐いて飛び回る鳥達。記憶の片隅からじわっじわっと溢
れてくる、相馬聖の面影。
(彼はもうひー君じゃない。だけど──)
「聖。御門さん」
ちょうどそんな時だった。ふと煉瓦小屋の扉が開き、晴が顔を出してきたのだ。
その後ろには巫監の面々もいた。
武蔵、伴太、式神の鳩を折り紙に戻して回収する凛、そしてこの二人っきりで不器用な語
らいをさも面白くないといった不機嫌面で見つめる兄・正明。
どうやらここまでのようだった。聖も麻弥も、まだぎこちない空気を引き摺ったままでは
あったが、集合した面々に向き直ってその言葉を待つ。
「お喋りは終わりだ。犯人が分かったぞ」




