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Dear SORCERY  作者: 長岡壱月
第二幕:禁呪の人 -Populus magica prohibentur-
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2-(3) 始まりの記憶

 何もなかった。何も聞こえなかった。何も感じなかった。

 何もかも真っ白で、起伏の一つすらない。それは限りなく「無」と同義だ。

 なのに僕らはそこにいた。気が付けばそこにいて、この何一つ変わらない世界の中にじっ

と溶けている。

 ──いや、そもそも何故俺達は“いる”んだ? ここが如何って以前に、何故俺達はこの

意識じぶんを持っているんだ?

 ──何の為に、私達はいるのだろう? 何一つ変わらない世界ならば、そもそも世界も私

達も、存在する意味なんてないのに。

 ──何よりも、誰なんだろう? 僕は、何者なんだ? 気が付けばここに“いる”。そう

認識している自分が怖い。

 そうだ……感じる。

 よくよく自分を研ぎ澄ませてみれば、そこにはいたのだ。無数の、それこそ恐ろしくなる

ほどにたくさんで、同じで、同じように自分がいること、そのこと自体に膨れ上がる不安を

抱えて狂いそうになる「仲間」達で溢れかえっていたんだ。

 ──只々、時間だけが過ぎていた。

 ──何も変わらない。変わってくれない。なのに俺達はここに“いなくちゃいけない”。

 ──その間にも、増えていた気がする。或いはいなくなっていた気がする。正確には分か

らないほどの「私」達が、相変わらず溢れかえっている。

 そんなある時だった。遠く向こう側で『扉』が開いたんだ。

 よく覚えている。あの時急に、真っ白だった空間に皺──のようなものが走った。自分と

いう感覚を凝らしてみる。どうやらそれは文様のようだった。

 何だろう? 僕達は不思議に思った。だけどそんな僕達の疑問なんて、思いなんてそれら

は考えてくれる訳でも答えてくれる訳でもなくて……。次の瞬間にはふいっと、横に重なっ

た二つの縦長型に切り込みが入る。

 本当に『扉』だったんだ……。皆がざわつく。

 するとどうだろう、そこから入ってきたのは……ニンゲンだった。

 ──よく分からない。ただ胸が高鳴った。それは周りの連中も同じらしくて、がんがんと

それぞれの存在を腫れぼたっくさせてきやがる。

 ──虚ろだった。私達が見たそのニンゲンは、とても弱っているように感じた。身体だっ

て小さい部類だったと思う。そんなか弱い身一つが、この「私」達の群れの中に迷い込んで

きたの。

 ……何か聞こえた気がした。

 ユルサナイ、コンナコト、リフジン、ヒテイスル、ツヨサ、ダレカ、タスケテ──。

 それが何を指しているのか僕達には解らなかったけれど、この世界はやはり質問に答える

なんてことはしてくれなくて。

 消え始めていた。この小さなニンゲンは、僕達にそんな絞り出すような“願い”を遺すと

少しずつ塵になっていったから。

 ──変化があったのは、そんな時だ。不意に俺達の中の一部が、目に見えない大きな力に

引っ張られ始めたんだ。

 ──引っ張られたその先は『扉』だったわ。さぁ出るんだ……。そう言われたような気が

した。眩しかったわ。だけど、嬉しいのに不安だった。

 そうして僕らは『扉』の向こうへと出ることができた。

 十三人。ようやく引っ張り出される力が止んで、感覚を澄ませ直すと、自分を含めたその

人数も分かるようになった。

 ……漠然とだけど、もっと輝いている場所なんじゃないかって思っていた。だけど向こう

側、人間達のいう“現実”っていうのは、かなり違っていて……。

 ──始め、身体があったわ。小さかった。すぐに私達は理解したわ。あのニンゲンと、私

達は入れ替わったんだって。そうすることが……私達があの真っ白な世界にいた理由でもあ

ったんだって。

 ──なのにどうだい、あっちが白けりゃこっちは黒だ。夜、っていうものらしい。なのに

赤かった。馴染み始めた五感って奴ががんがん五月蝿くて堪らなかった。俺達がやっとの思

いで出て来れた先、そこは……火の海だったんだ。

 僕達に声が聞こえた。いや、それは残り香だったんだと思う。この人間の、『扉』を潜る

寸前までの記憶。瓦礫と消し炭、点々と燃え続ける炎の中で願った思い。

 僕達は研ぎ澄ませた。

 遠くへ、遠くへ。この身体うつわが残り香が、疼き訴え掛ける方向へとありったけの感覚を注ぎ

込んでみた。

 ──そうしたらいたんだよ。別の人間が。お互いボロボロになって、向き合ってた。

 ──そして直感したの。命じられたの。解ったの。あいつらが……“悪い”んだって。

 “殺さなきゃ”そう僕らは思った。この身体うつわもそう言っていた。

 同時に感覚の像が僕らに見せる。それは燃え盛るこの場所──この人間の愛した街で、愛

した人間達で。その彼らが瓦礫の上でぐったりと倒れ伏している、或いは血塗れなって瓦礫

の下敷きになって、二度と動けなくなっている。

 “殺さなきゃ”そう思ったし、一方で“助けなきゃ”とも思った。

 きっと、それが願いだったんだろう。少なくとも僕らを突き動かしたのはそんな矛盾して

いるのに強い命令だったから。

 ──。

 これを……人は憎しみと呼ぶ。そう僕らが知ったのは、随分後のことになるんだけれど。

 ただ僕らは、次の瞬間、身体中に存在の隈なくを巡る力に任せて……飛び出したんだ。


「……」

 目が覚めて、最初に目に入ったのはオフホワイトの天井だった。

 目が覚めて、最初に耳に付いたのは騒々しい目覚まし時計の音だった。

 やはり身体が重い。聖は自室で、のそりとベッドからその身を起こしてぼうっとする。

 流し目で遣った、机に置かれた目覚まし時計が、尚もじりじりと五月蝿く鳴っていた。

 何となく面白くない。その人工的な雑音は外で囀る小鳥の声を殺してしまうし、しんと動

かない室内にあってただ一つだけ小刻みに震えるという「弁え」を外れた行動を取っている

ように感じるからだ。

 むぅと眉根を寄せる。だがそこにはもう、麻弥に襲い掛かった際の邪悪さはない。

 魔法の輝きを宿さない──発揮してない「普通」の瞳だった。ぽりぽり。彼は暫し頬を掻

いて座っていたが、やがてベッドから抜け出して目覚まし時計を止めて、身支度を始める。

「おはよう、聖」

「……うん」

「おはよう。少し寝過ぎた? 朝ご飯、片付けちゃってね」

「……。はい」

 階段を下りてキッチンに向かうと、既に食卓には晴とアリスの母子おやこが顔を揃えていた。既

に晴の方はエッグトーストと小皿のサラダを粗方食べ終わっており、アリスの方もこの時間

帯ばかりはいつもの白衣ではなくエプロン姿で流しに立っている。

 今日は休日だった。白黒のワイシャツにジーンズ、楽な服装の聖は早速向けられてきた二

人からの声に辛うじて生返事だけを返すと、のたっと自分の分の朝食──晴の斜め向かいの

席に座る。

 ぐしゃっ。半熟玉子とパンの味が口の中に広がった。

 だが……これもこの身体うつわにとって必要だから摂っているのだ。目覚めた時からあるもの、

後々覚えていったもの。記憶の蓄積はあるが相変わらず「実感」にはなってくれそうにない。

「……やっぱり、さ。晴もアリスさんも、今日は巫監の人達と合流するわけ? 学園も休み

で一日手が空いてる訳だし……」

「ああ。飯食って、お前を起こしてからそうしようと思ってた。向こうの方は結局聞けてな

いんだけど、こっちの住所はもう知ってるからまた顔を出しに来るって言っていたし」

「……そっか」

 もきゅもきゅと、さっさと事務的に朝食を平らげ、聖はそう静かに呟いていた。

 数日前の学園での一件。自分の──《沼》達の暴走。

 気が付いた時には保健室のベッドで、既に彼女達は撤収した後だったが、それまでずっと

付いてくれていたらしいアリスによって大体の話は──自分達が“魔法使い”だという事実

も伝えられたことを含めて聞き及んでいる。

「その……。ごめん」

 だから聖は謝った。改めてこの母子おやこに謝った。

 コーヒーを啜る晴がフッと笑っている。流しのアリスも一度はちらと肩越しにこちらを見

遣ったが、結局息子ほどは明確な反応を示さずまた洗い物に戻ってしまう。

「また二人に迷惑を掛けちゃったんだよな。本来なら僕が“皆”をコントロールする立場だ

っていうのに……」

「気にするなよ」

 コトンとカップを置いて、やはり晴は笑っていた。

 それは決して嘲笑ではない。だが苦笑に近いものだったろう。彼は努めて微笑みであろう

とし、神妙な表情をして俯きかける義弟ひじりの顔を覗き込むようにして言うのだ。

「ひとまずは片付いたことさ。それに……僕は嬉しいよ。そうやって負い目を持つようにな

ったってこと自体、それをこうして目の当たりにできること自体、ちゃんとお前が『人間』

に為れている証拠じゃないか」

「……」

 義兄ともは言って、そう前向きにあの一件を捉えて笑っていた。

 しかし尚も当の聖は押し黙っている。口には出さなかったが、自分には到底そうだとは思

えなかったからだ。

 彼も彼女も知っている。自分は、自分達は、相馬聖という人間の器を介して入れ替わった

他人に過ぎない。人の皮を着、掻き集めた知識きおくで相馬聖を演じ続けている、贋物でしかない。

 大体、犯してしまったではないか。

 あの時、いくら皆の中でも特に凶悪な性分の《沼》が表に出てきたからとはいえ、自分達

は彼女を──谷崎麻弥改め御門麻弥を殺しかけた。この器の原典オリジナルである相馬聖、その昔馴染

であると語った彼女のその思い出を、自分達は真正面からぶち壊してしまったではないか……。

「──ん?」

 そんな時だった。ふと室内にインターホン越しのチャイムが鳴った。

 来客。アリスが洗い物の手を止め、ぱたぱたと壁に掛かったそれへと歩いていく。

 聖と晴も席に着いたままながらその様子を見遣っていた。彼女が「はーい」と返事をし、

パネル上の通話開始ボタンを押す。

『あ、あの……おはようございます。御門麻弥です。ひーく──ひ、聖君……いますか?』

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