『ミオの花』
シンとミオの2人が針葉樹の中に出来た獣道を歩くこと10分少々。
変わり映えのしない針葉樹を抜けるとーー
「うわっ、凄……」
そこには一面の花畑が広がっていた。
なだらかな丘になっている地面を彩る数々の草花。
軽く1haを越える広大な花畑にシンは目を奪われていた。
「ね、いい所でしょ?」
「うん」
宝物を自慢する子供のような笑顔で訊くミオに、シンは素直に頷く。
と、不意に春一番が吹き草花が揺れた。
(あっ、この香り)
風と一緒に感じた花の香り。
その香りが昨日ミオと出会った時に感じた花の香りと同じだったことに気づき、シンは1人納得する。
「……フリューリンクの花が咲き始めてますね」
「フリューリンクの花?」
ボソリと呟いたミオの聞き慣れない単語に、シンはオウム返しで尋ねる。
「はい、あそこに咲いている花です」
頷きながらミオが丘の一角を指差す。
「どこ?」と、シンは指差す方に視線を向けると、黄色い花を咲かせているのが分かった。
シンがどれか分かったのを見てから、ミオが解説を付け加える。
「フリューリンクの花と言うのは春の訪れを告げる花の総称です。
春一番も吹いてますし、今日からコートは必要なさそうですね」
「へー、そうなんだ」
シンは春の訪れよりもミオの知識に感心し、
「でも、どうしてここだけ?」
次いで、感じていた疑問が口から出た。
ミオは風で靡く髪を手で押さえながら、
「ロート共和国は日光が弱いから針葉樹が多いんですけど、乾季と雨季、それに冬の寒さのバランスが良くて実は世界で一番土壌が肥沃なんです。
だから、針葉樹を切り開いて、適切な草花の種を播くだけである程度は自生するんですが……詳しい話をしますか?
1時間もあれば大方説明出来ますけど?」
「……いえ、結構です」
と、シンは若干引き気味に答え、ミオは「そうですか? 残念です」と、全然残念じゃなそうにクスクス笑った。
ちなみに、もしここが地球だったとしたら、この土壌の事をチェルノーゼムと呼ぶだろう。
(あれ?)
ふと、とある事に気付いたシンは首を傾げ、
「ねえ、でも、それっておかしくない?」
ミオに話しかけた。
「何がですか?」と、ミオも可愛らしく首を傾げ、シンは言葉を紡ぐ。
「世界一肥沃な土があるのに、何で近くに荒野があるのさ?」
当然と言えば当然の疑問。
植物は一切なく、生き物の気配すら全くなかった
あの荒野。
迷子になりミオと出会ったあの荒野とこの花畑では差がありすぎた。
シンの疑問に、「ああ」とミオは頷き、
「……死んだ土地ですから」
と、顔を曇らせながら答えた。
「死んだ……土地?」
ミオの初めて見る表情と言葉の内容にシンは思わず眉をひそめた。
「はい。
約千年前、当時の『ロート王国』が『ロート共和国』に変わったきっかけ。
千年前に現れたと云われる魔王の傷跡だと言われています」
「千年前にも魔王が現れてたの!?」
出来れば聞きたくなかった単語と聞いた事もない情報に思わず声が上がってしまう。
「はい。
文献が殆ど残っていないので真偽は定かではありませんし、作物の育たない死んだ土地として人々は口を閉ざすので、あまり一般には認知されていないですね」
「そっか」
シンは頷くと桶を持っていない方の手を顎に当て、思考を巡らせる。
千年前に現れたと云われる魔王とその痕跡。
ロート共和国に突如出現して世界を壊滅させ、シンによって倒された此度の魔王。
そして、今回シンがロート共和国を訪れたきっかけ。
一つの市街を一夜にして壊滅させた強力な魔物、もしくは魔物達の出現。
(これって……偶然?)
冷や汗が背筋を伝う。
考え過ぎかもしれない。
単なる偶然かもしれない。
けれど、魔王に対し楽観は許されない。
そもそも、この世界には神獣として知られる竜や伝説上の生き物がいる。
猛獣として知られる、地球には存在しない獰猛な生き物もいる。
肉体がない、核と魔力だけで構成される魔物さえいる。
魔物の中でも神獣に近い幻像種と呼ぶ化け物だっている。
けれど、魔王。
その名を形容するに値する生物だけは存在せず、本来は物語りとしてしかいなかったのだから。
(僕だけで対応出来るかな?)
今日行う予定の調査次第では最悪呼ぶ必要があるのかもしれない。
先の戦で亡くなった『天才』を除く英雄達を。
即ち、『神獣使い』リオ=ティーア、『千傷』ブルック、そして、『樹人』、『飛剣』、『超感』の計5人の英雄達を……
「……シン、シン?」
ミオの呼ぶ声で、シンは我に返った。
「えっ、あっ、ゴメン。何?」
シンは慌てて心配そうな顔をしているミオに問い返す。
対して、ミオは軽くホッと息を吐き、
「桶を頂いてもいいですか?」
その手をシンに向けた。
そこでシンはずっと桶を持っていた事を思い出す。
「ああ、はい」
シンは照れ隠しに片手で頭をかきながら桶を差し出し、「ありがとうございました」と言いながらミオが両手で桶を受け取る。
「ううん、でもさぁ、ミオ?」
「はい、何ですか?」
「水……足りなくない?」
シンは広大な花畑をもう一度見渡す。
どう考えても桶一杯の水では足りる訳がない。
そんなシンの危惧に、
「ふふふ。嫌ですねぇ。ここら一帯に捲くわけないじゃないですか」
ミオは笑いながら答えた。
桶で両手が塞がっているため、ミオの口からは白い歯を覗かせ、えくぼがクッキリと出来ている。
シンは羞恥と、ミオの表情にドキッとさせながら「じゃあ、どこに捲くのさ?」と尋ねた。
「ごめんなさい、説明不足でしたね。
こっちです」
そう言ってミオは体を左に向け歩き出す。
すると、針葉樹林と花畑の境目。
そこに小さな倉庫と2a程度に木の枠で区切られた小さな花畑があった。
どうやら、広大な花畑に目がいっていて、視界に入ってなかった様だった。
「ここは何?」
小さな倉庫から如雨露を取り出し、桶の水を如雨露に移し替えているミオに訊く。
「ここは薬草などの希少な花を植えているんですよ」
シンの度重なる質問に嫌な顔を1つも見せずにミオは答え、花の1つ1つに水をあげ始める。
シンは「へー」と頷き、確かによく見ればどれも見覚えのある花ばかりだった。
時に傷を癒やし、
時に病から回復させ、
時に猛獣・魔物除けとしてお世話になった花々。
(ん?)
けれど、その中で見覚えのない花が1つあった。
いや、花も蕾もつけておらず、葉や茎に元気がないので、正確には枯れかけの草。
だけど、どうしてもその草が気になった。
「ねえ、何だかこれだけ違う感じがするんだけど、気のせい?」
ミオが水をあげ終えた後にシンは尋ねる。
「どれですか?」と、ミオはシンに振り返り、
「うん、この花……というか、草なんだけど」
シンが気になった草が分かると、酷く驚いた顔をした。
けれど、それはほんの一瞬で、
「ああ、その花は思い入れがあって植えているんですけど、気候が上手く合わないんですよね」
「そうなんだ。
ちなみに、何て名前なの?」
シンの何気ない問い。
それにミオが答えようとした時、ちょうどミオの髪が風で靡いた。
「・・・」
風のせいか。
それともミオの声が小さ過ぎたせいか。
ミオの声が聞こえることはなかった。
「ごめん、聞こえなかったんだけど?」
シンが再び聞き直す。
ミオは瞼を数瞬閉じ、
「……スコーピオイディス」
「えっ?」
聞き慣れない響きの名前を告げる。
「スコーピオイディス」
分かり易く、もう一度繰り返したミオはどこか儚げで、
「……私の花です」
シンはそれ以上何も聞くことが出来なかった。