『出会い』
そこは見渡す限りの荒野だった。
植物は生えておらず、生き物の気配すらない。ただあるのは凸凹の地面と土の匂いだけ。
そんな殺風景の中――
勇者となった少年は仰向けに倒れていた。
旅装束を身に纏い、左手には最低限の荷物が入った袋、右手には『インディゴ王国』の国王から下賜された剣が握られている。
だが、その手はろくに動かせず、普段は鋭い眼光もどこかトロンとしたものとなっていた。
人々が今の少年を見たら驚愕し、怯えるだろう。
一体何がここまで勇者を追い詰めたのか、と。
だが、その答えは――
――グギュルルルウゥゥ
という、盛大な腹の虫と、
「腹……減った」
という、少年の呟きが雄弁に物語っていた。
事の発端は1週間前に遡る。
半年前、魔王を倒した少年は世界中から勇者と称えられ、凱旋パレードや貴族からの縁談等、少年を欲しがる国々が競うように誘いをかけたが、少年はその全てを断った。
魔王との戦いで犠牲になった人々の弔いを始め、魔王を倒しても閉じることがなかった『ゲート』の問題、未だ世界各地に蔓延る魔物の退治、その他にもやることが山積みだったからだ。
そうして、依頼があれば世界各地に赴いては問題を解決する日々が続き、本人の意思とは関係なく勇者としての名声はより高まっていった。
そして、1週間前、少年の下に1通の手紙が届いた。
手紙の届主は最初に魔王の被害にあった『ロート共和国』の最高議会。
また議会への特別加入の件かな、とうんざりしながら手紙の封を開けた少年だったが、手紙に目を通した瞬間その表情は一変した。
その手紙の冒頭にはこう書かれていた。
『アルカナ市街復興部隊、並びに市民が一夜にして死亡した事への調査依頼』
また、手紙には復興部隊には手練れの魔法使いが数名いた事、アルカナ市街跡地には夥しい量の瘴気が観測された事から強力な魔物が出現したことが容易に推察され、出来れば原因を排除して欲しい旨も明記されていた。
事態を重く見た少年はこの件を最優先事項にし、今ある他の依頼を母国に帰った英雄達に任せて、二次災害を恐れた少年は単身『ロート共和国』へ向かう事にした。
そして、少年がいた場所から『ゲルプ王国』の港に着いたのが6日前。
同封されてた船のチケットを使って海から北上し、『ロート共和国』に入国したのが3日前。
アルカナ市街跡地に一番近いという村に着き、出発したのが昨日の早朝。
ここまでは順調だった。
だが、村を出発してしばらく経った頃、少年はある重大な問題に直面した。
そう、少年は大の方向音痴だったのです。
直径15キロ程度の荒野を突っ切ればすぐという話だったが、3時間歩いても何も見えて来なかった。
まぁ、大丈夫だろうと思い、その後5時間程歩いたが、辿りつく所か元来た村にも帰る事が出来ずに荒野で野宿。
一度様子を見てすぐ戻ればいい、という考えが仇になり、食料は昼でとっくに尽きており、何も食べる事が出来なかった。
そして、本日の昼過ぎ。
未だに絶賛迷子中の少年は空腹と極度の徒労感でついに地面に倒れ、冒頭に至る。
「……付き添い、断らなければ良かったなぁ」
空を眺めながら呟く。
最寄りの村を出発する時、「誰か案内をさせましょうか?」と村長から提案されたが、少年は丁重に断った。
「万が一魔物がいたら危険ですから」と。
それは半分本音、半分建前だった。
本当は、常日頃方向音痴と馬鹿にされ、見返してやるという気持ちとこの5日間で迷子にならなかった事で調子に乗っていたからである。
(あぁ、リオが恋しい……)
今度は言葉にせず、内心で呟く。
英雄の1人、リオ=ティーア。
猛獣使いで有名な『グリューン帝国』で、歴史上10人といない神獣使い。
リオは神獣として人々から崇められている動物の一種であるドラゴンと心を通わせる事が出来、リオのドラゴンの背に乗って移動する旅は非常に快適だった。
今回、英雄達には他の依頼があった訳だが、もし依頼がなかったとして1人選べと言われたら、迷わずリオを選んだだろう。
(まぁ、今更もしもの話を考えても後の祭りか……)
はぁ~ と軽いため息がでて、再び腹の虫が鳴る。
「……これは、本当にヤバイかな」
いい加減、空腹は耐えがたいレベルになってきたが、後どれくらい歩けばいいのか分からず、その上誰一人としてこの辺りを通らない。
このどうしようもない感は少年を投げやりにさせ、空腹が少年の思考能力を奪っていく。
「勇者、荒野に眠る、か。これまた新聞が飛ぶように売れそう……」
自虐的な笑みを浮かべ、それはそれでありかなと目を瞑って馬鹿な事を考えていた時、
ふと、花の香りがした。
(いい香り……)
初め、少年が思ったのは率直な感想。
だが、すぐに、
(荒野で……花?)
と、まともな疑問が脳裏に浮かび、少年は上半身を起こし周囲をバッと見渡す。
「あっ……」
気付けば、1人の少女が少年のすぐ近くに立っていた。
歳は少年と同じで16か17頃で、肩甲骨辺りまで伸びた金髪はそれはもう鮮やかだった。
真白いロングコートは少女をより際立たせ、食料が入った紙袋を抱えていなければ、とうとう幻覚まで起きたか疑う程少女は美しく、思わず見惚れていた。
そんな少年の様子に首を傾げた少女は、
「あの、大丈夫ですか?」
心配そうな声とともに顔を近づけてくる。
青みがかかった目の色も綺麗だな、と少年は思い、
「う、うん、大丈夫」
慌てて手を振って答える。
そして、何か言おうとして、
グギュルルルゥゥウウウウ!!
今日一番の腹の虫が鳴った。
少女は一瞬ポカンとした後軽く吹き、少年は羞恥で顔が真っ赤になる。
(最悪だ……)
少年は顔を俯かせて自己嫌悪すると、
「お昼まだなんですか?」
少女から質問してきた。
「うん……」
少年は顔を俯かせたまま答える。
実際、お昼所か丸一日何も口にしていないのだが、瑣末な問題である。
少女は目線を何度か手に持っていた紙袋と少年を往復させ、最後に上を見て一考。
そして、
「私の家はここから30分程なんですが、家で遅めの昼食を一緒にしませんか?」
と、何とも甘美な誘いを口にした。
少年はその誘いに顔を見上げ、パッと輝かせる。
「いいの!?」
「いえ、駄目です」
「えっ……」
まさかの即答でのお断りに顔の輝きが消えていく。
少女はそんな様子に微笑みを浮かべ、
「冗談です。この状況で放置なんて出来ませんよ」
再び言葉を紡ぐ。
少年は少女にからかわれている事に気付くと、流石にカッとなり、
「あのねぇ、君!」
怒るよ! と言葉を続けようとして、
「ミオです」
「えっ?」
少女の言葉に遮られる。
「君、じゃなくてミオ。ミオ=ソゥティスが私の名前です」
「ミオ……ソゥティス」
少年は少女の名前を繰り返し、初めて聞く名と珍しい響きに感慨に浸り、
「えっと、名乗られたら名乗り返すのが礼儀だと思いますけど?」
少女の言葉に我に返る。
「あっ、ごめん。僕の名前はーー」
「シン=アマデウス」
「シン=アマっ……って、えっ?」
名乗ろうとした矢先、再び先に言われ、少年は首を傾げる。
「だから、シン=アマデウスでしょ? それとも勇者様とお呼びした方が宜しいでしょうか?」
満面の笑みを浮かべて聞く少女――ミオに、少年――シンは色々言いたい事があったが、
「……シンでいいよ」
とだけ、げっそりして答えた。
後には「了解」と微笑むミオと、シンの腹の虫の音だけが響いていた。
これがシンとミオの出会いだった――