「腹心裏切る」の巻
殿ご乱心
「腹心裏切る」の巻
おだアール
先手7六歩
「まずは、西部第七歩兵隊を進めよ」
いよいよ戦いは始まった。殿の命令に、参謀はほっと息をついて言った。
「さすがは殿、一番最初に西部第七歩兵隊に指示を出されるとは。これで、背後に控える角行隊のにらみが敵陣にまで利かせられましたぞ。角行隊は俊敏でござるし、なんと言っても百里もの射程距離の『斜直砲』を持つ部隊ですからな」
「そんなにほめずとも良い。ごく普通の作戦ではないか」
「いえ、今回の殿のご命令は、実に冷静でござる」
「そうか……。まあ参謀がそう思うのももっともなことかも知れぬ。わしの短気な性格で、苦労をかけたからの」
「あっ、いや、そういうことでは……」
「気にせずとも良い。わしは、なにも気にしておらんぞよ」
「ははーっ」
参謀は振り返って、居並ぶ部隊の方に言った。
「いくさは始まった。もう後には引けぬ。皆のもの、全力で戦うのだぞ。銀治郎中佐、いつ命令を下すやも知れぬぞ。忍びの者は準備についておるか」
「ははっ、準備は万端でござる。いつでもご命令くだされ」
はるか地平線に敵陣の歩兵隊が並んでいるのが見える。参謀はからだが震えるのを感じた。
敵の兵力はわが国と互角。このいくさは何が何でも負けるわけにはいかない。ただ、わが方にとって心配の種がひとつある。そう、殿の振る舞いだ。いくさは綿密な作戦を立ててこそ勝利に導ける。しかしわが国の殿は、思いつきで部隊を指揮してしまうという欠点がある。今回も参謀は心の中に一抹の不安を抱えていた。どこかで、殿がとんでもないことを言い出すのではないか……。
(いやいや、今からそんなことを考えてどうするのだ)
参謀は頭を振って、妙な考えを吹っ切ろうとした。
後手3四歩
「殿、敵は東方面の歩兵隊を進めてきましたぞ。いきなり、わが国と敵の角行隊同士がにらみ合う形のなっております。すぐに攻め込んでくるかどうかはわかりませぬが、十分に注意せねばなりませぬ。ここは、いくつか有力な戦術があるところですぞ。わたしとしては、東部第二歩兵隊を進め、飛翔隊に出動準備させるのも手かと存じます。殿のお考えを……」
「ふむ、敵の角行隊がこっちをにらんでおると……。わが国が連敗中だと思ってなめくさって。攻め入ろうとしてきているのはわが国の西部か。よし、もし攻め込んできたら、わしがこの手で返り討ちにしてやるわ」
「……、どっ、どうされるおつもりですか」
「今、言っただろ。聞いとらんのか。わしが行くと言っておるのじゃ」
先手6八玉
「殿、どうぞ落ち着いて作戦を立ててくだされ。西部はいきなり激しい戦闘が始まる可能性があります。そんな場所に殿が出向かれるのは、たいへん危険でござる。もう少し敵の出方を見てから、東部か西部かお決めになった方が……」
「だまれ! 敵から逃げることなどできぬわ! わしは六里塚方面に向かうぞ」
「ははーっ」
参謀は、頭を床につけて殿にひれ伏した。
(もう、殿はがんこなんだから……。まあ、しかたがないか。少々危険かも知れぬが、作戦のひとつと言えなくもない。わが国諜報部の調査によると、敵は「振り飛車」なる作戦が得意とも聞く。敵はいずれ、飛翔軍を東部に転戦させるであろうから、殿が六里塚に向かうのは、無駄にはならないだろう)
しかし、参謀は心の不安が、徐々に現実のものとなってきていることに気づいていた。
後手8八角成
「殿、敵の角行隊がいきなり、攻撃してまいりました。わが軍の角行隊は、またたく間に敵の捕虜にされたとの知らせです」
「なにーっ、で、敵の角行隊はどこに攻め入ったのじゃ」
「西部の八股谷に飛び込んでまいりました。もともとはわが軍の角行隊がひかえていた場所でござる」
「ここ、六里塚から少しのところではないか。向こうに煙が立ち上っているのが見えるが、あのあたりか」
「はい、まさに、あそこでござる」
「うーん、ますますもって、こしゃくなやつめ。よし、わしが行って捕らえてやる。七が丘に向かうぞ」
「殿、なりませぬ! 敵の角行隊は、わが陣に侵入してから、強大な力を持つように変貌したのです。『竜馬隊』と名乗っておるとの報告です。もともと装備していた斜直砲のほかに、縦横弾なる強力な装備も手に入れたとのことですぞ。七が丘も射程内に入っているとのことでござる。そんな場所に踏み入れれば、またたく間にとらわれてしまいますぞ」
「うーん、じゃ、どうすれば良いのじゃ」
「殿、ご安心なされ。こういうときのために、銀治郎中佐をひかえさせておりました。中佐によると、忍者隊はすでに敵竜馬隊に侵入済みで、いつでも内部分裂させることができるとのことでござる。なんと言っても、わが国随一の美人くノ一が工作しておりますからな。あのくノ一にかかれば、敵の隊長なんてめろめろでしょうな。さあ、ご命令を。殿の命令が下れば、一斉に竜馬隊を捕らえる手はずになっています」
「なにっ? 美人くノ一とな。ひょっとしてお松のことか」
「はい……、そうですが」
「お松が敵隊長に接近しているだと! ならぬ、ならぬ! お松がほかの男に色目を使うなど……。ああ、そんなこと想像するだけで耐えられぬ。絶対に許せぬ。直ちに引き上げさせよ」
「殿、今はいくさの真っ最中でござる。殿が敵に捕らえられるかも知れないのですぞ」
「ならぬ! ならぬ! ほかのおなごならまだしも、お松だけは絶対に行かしてはならぬ」
「しかし……、殿……」
「ならぬ、ならぬ、ならぬ、あのおまっちゃんはわしだけの者じゃ!」
参謀はつぶやいた。(このバカ殿が……)
がっくりと肩を落とす参謀に、殿が言った。
「参謀、まあ聞け。そなたがわしのことを心配してくれているのはわかっておる。わしとて、いくさに負けてもよいと言ってるのではない。そなたが心配するのであれば、わしにさらに警護をつけようではないか。すでに南側には金大将の部隊がわしを守ってくれているが、さらにもう一部隊にわしを守らせることにしようぞ」
先手5八金右
わが陣の城は、蜂の巣をつついたような騒ぎになっていた。
「殿、なんということを……」
「また、乱心遊ばされたぞ。これで百三十八回目じゃないか」
「なんで、わが国の殿は、こんなことなさるざんしょ」
「殿ーーっ、お気を確かに……」
城の騒ぎをよそに、殿は参謀に言った。
「参謀、これでどうじゃ。ふたつの精鋭金部隊が守ってくれてるのだぞ」
「あーあ、ますますどうしようもない手を……。どうせまた負けるんですから、どうぞ、殿のお好きなように」
「まあ、そうつんつんするな」
(つんつんだってするよ。みんな、あんたのためにがんばってるっちゅうのに……)
参謀は、ふてくされてごろんと横になった。
後手9五角
「おい、参謀。九里が浜の方を見てみろ。あれはなんだ」
「見てのとおり、角行隊の斜直砲ですやんか」
「参謀、いっぺんにタメ口になったの。まあ良い。で、なんで、敵が斜直砲を持っておるのじゃ」
「なんでって。わが陣の角行隊が捕虜になったやないですか。敵軍はその部隊を使いよったんですがな」
「なにっ、わが陣にいた角行軍とな……。ついこの間までわしの腹心だと思っていたのに――、敵に寝返ったと言うのか」
「そうみたいやね」
「あいつら、このわしに斜直砲を向けとるようだが……」
「せやね。まあ、向こうの捕虜になったんやから」
「うーむ、これは。なんとかせねば……。おい、参謀、どうすればいい?」
「もう無理やって。助かりまへん」
「そう、投げやりなことを言うな。逃げればいいんだろ、逃げれば。もといた五楼閣に戻るぞ」
「あかん、あかんて。斜直砲はそこまで射抜いとるんやから」
「な、なんと……。じゃ七が丘だ」
「せやから、そこは敵の縦横弾が……」
「そうだったか。やむをえん、じゃ、五十鈴川に退散する。おい、金大将、なんでお前、こんなところにいるのだ。じゃまではないか」
「えーっ、そんなあ。殿がここに来いとおっしゃったではないですか」
「わし、そんなこと言ったか……。そうだ、思い出したぞ。こういうときに合い駒なるものを使えば良いのだよ。おい、参謀、合い駒にできる捕虜はいないのか」
「おりませんって。殿、もうあきらめなあかんって」
「いや、あきらめんぞ。あそこに第八歩兵隊がおるではないか。斜直砲をさえぎらせるのだ」
先手8六歩
後手8六同角
「なに、歩兵隊も捕虜になったと……」
「ねっ、せやから、あかんって」
「ぐちゃぐちゃ言うな。よけいにわからなくなる。おーい、佳太、つぎはそなたじゃ、ここに飛んで来て斜直砲を防ぐのじゃ」
「ええっ、おれが行くんすか。いやだなあ……」
「お前までタメ口に。生意気なやつめ、ごちゃごちゃ言わずに来いったら来い」
先手7七桂
後手7七同角成
「なに、佳太も捕虜に取られたと」
「殿、もう無駄やってゆうてるやん」
「うーむ、しゃくじゃのう。ええい、こうなったら、裏切り者の角行隊はわしがしとめてやるわい」
先手7七同玉
後手7七同馬
こうして、わが軍はあっけなく百三十八敗目を喫したのだ。敵陣の王に「ええ加減にせえ」と怒鳴られたのは言うまでもない。




