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三日目 昼夕 派遣隊出発 精鋭迷宮軍 あるいは決戦の日

推敲したのであげます。量はかなり多くなってしまいました。すいません。

1対1の戦闘描写よりも、多対多の描写の方が難しいということの勉強になりました。


夜は明けた。


冒険に行く者も、行かぬ者も、多くの者が目を覚まし覚醒する時間帯。


人々は仕事に精を出し、あるいは朝陽が登り切らぬうちから酒を飲む。

勤勉に仕事に励む者も居れば、怠惰に耽る者も居る。


ともあれ、一日は始まり、どこか違った余所余所しさを醸し出し、都市は日常を演出する。


昼になれば、


空の色も、朝には射していた僅かな太陽光も雲に隠れている。

雪を産みそうな、灰色を孕んだ淀んだ雲。


それを背景に、日常の演出は破綻していた、

少なくとも都市上段の冒険者区にある迷宮管理組合ではそうだった。



迷宮管理組合、組合長と、斥候隊派遣を差配している幹部職員は、

斥候隊の朝の定時連絡と、昼の定時連絡が途絶えたことを認めざるを得なかった。


斥候隊の人員は、戦闘能力こそ取り立てて高くないが、

直感と経験に優れ、情報の入手に長けた技能を持ち、迷宮の地理と生態を熟知している。


正確な判断を行い、情報を収集し、そして逃げることに掛けては最高位冒険者にも劣らない、

決して強くこそないが、迷宮の探索を進める上での欠かせないシーカーであり、マッパーである。




今回の蟹には、常時三名付かせていた、

交代を兼ねて、朝昼夕夜の四刻に斥候隊は地上に戻り、ハンナ=ウルフに情報を伝えた。



その彼らが、朝の定時を過ぎても帰ってこない。

その時点で嫌な予感を感じていたハンナ=ウルフは、

念のために派遣隊に集合の号令をかけ準備を始めさせた。

そして今、昼の二時を回り、斥候隊は一名も帰還しない。

未帰還。バル・ファルケン=ノースと同じようなそれ。



ことここに至り、斥候隊の未帰還を重く見たハンナ=ウルフは、この斥候隊未帰還の原因調査のため、

派遣隊の早期出発を指示することとしたのだった。


任務は、斥候隊の生存確認。48層の現状調査。未帰還原因の解明。

蟹の仕業か、それ以外であるのか、蟹の生態調査である。



斥候隊の全滅とはそのまま情報入手経路の寸断を意味するため、それを厭ってのことだった。


また、48層を蟹に占拠される、もしくはこの混乱を利用して迷宮軍に占拠をされてしまったら、

それは最前線50層に駐屯している軍と冒険者たちへの兵站連絡の途絶を意味することも、

この性急とも言える部隊派遣の理由であった




時は二時三〇分。


諸処の任務を請け負って、派遣隊全八名は出発したのだった。


その顔に浮かぶのは勇壮ではなく、不安と緊張であった。










ロード・エクサリオスとその部下六名は、未だに49層に駐留したままだった。

蟹のためか、幸いなことに49層を通過しようとする冒険者は全く居ない状態であり、

ロード・エクサリオス率いる部下は56層を出発してから、ただの一度も戦闘を行っていない状態であった。



焦れるのは、二本角と黄金が映える長躯の麗人、エクサリオスである。



昨日の戦闘は、戦闘開始前から、その情報を既に草から入手していた。

18人の中位、上位、高位、最高位冒険者の入り交じったチームが、件の怪物、巨蟹と矛を交えるつもりらしいとの情報だ。

ロード・エクサリオスはこれを隙と見て、チームが蟹と戦い始めてその両方が消耗してからその戦場に乱入するつもりであった。


昨日の昼はそのために一時、48層に降りた。

エクサリオスはこのときに、やけに逃げ足の早い冒険者(たぶん斥候だろう)と接敵したが、

しかし放っておき、王墓につながるという件の大穴の前で隙をうかがうことに専念した。


響いてくる鬨の声、聞こえてくる絶叫。

唸り、音、薄暗いものの整備された松明や灯器があちらこちらにある迷宮とは、違う闇に包まれた大穴の奥からは、

冒険者たちの持ち込んだらしいカンテラの光が漏れ零れてきた。


しばらくして、ロード・エクサリオスは、しばしの沈黙を聞いた。


そしてその後、焦り、慌て、声を涸らせ、魂の底に響くような恐れの呻きを聞いた。


駆けてくる冒険者の足音も聞いた。


そしてエクサリオスは見た、冒険者を飲み込むように大きな水の玉が、王墓へと繋がる大穴を移動して、

大穴の出口で止まったのを。それはエクサリオスの目前であった。

水に飲み込まれたらしい冒険者と目が会い、エクサリオスと部下は水に対して身構えた。

そしてそのまま、回転を始めた水の中、冒険者の悲鳴は水に消され、そして回転を続け、速さを増し続ける水が王墓へと流れ込んでいくのを、エクサリオスは見たのだった。



王墓の冒険者の全滅、

そして自らが主より与えられた任務の達成目標たる例の巨蟹は想像以上の怪物であったことを悟り、

エクサリオスは、早々と49層へと撤退した。



以降情報収集に努め、蝙蝠の僕や「力」で製造した人工生命を通して、迷宮と都市の情報収集をするに留めたのだった。




「しかし……、どうすればいいのか」


部下の黒長耳族や黒鬼も動揺と焦燥を隠せず、先ほどからひそひそと話しているのが、

エクサリオスの視界の隅に見えた。

蛇頭の天使だけが、人造生命らしく物言わずに立ち尽くす。


「どうしよ……」


と、気の弱そうな黒長耳族の少女が、囁き、同僚である3m程の体躯の黒い大鬼が返す。


「コワイカ」


うん、と気弱な黒長耳族の少女は、己の腰と背に差した計四本の剣と、声を振るわせながら答える。


「あたしたち、あれと戦うんだよね」

「ウム」


もう一人の黒鬼が、自分の右腕を押さえて言う。


「オソロシイ、オレ、タブン、マルカジリ」

「勝てる気しないよね……」


はあ、と溜息を吐く黒長耳族の少女や、黒鬼に対して、

先ほどから、それらの呟きを横で聞いていたもう一人の黒長耳族の少女が窘めるように喋る。


「あ、あんたたちっ! な、なに弱気なこと言ってんのよ! 

こ、こっちには! エクサリオス様が付いてるのよっ!

ま、負けるはず無いじゃないっ!」


気丈に、美貌を歪ませる委員長気質の黒長耳族はしかし。

「オマエ、アシ、フルエテル」

「カクセテナイ、ビビリスギ。タタカイ、ソウイウヤツカラアノヨイク」


う、うるさい、と叫ぶ黒長耳族の一人、笑う黒鬼たち。

部下たちの不安な声は、当然エクサリオスの耳に入っている。


彼女は悩んでいるのだ。このままでは任務の失敗という未来図しか考えつかない現状を。

部下たちの不安も最もだ。

3m近い強靱な肉体を誇る黒鬼でさえあの蟹の巨体を前には、館の庭に紛れ込んだ一本の麦といった様相を呈する。


とはいえ、ここで撤退し、おめおめと逃げ帰っては主の激怒を買うことは間違いないだろう。


勝てない相手から撤退したとしても、なぜ勝てぬと平然と問い返すのが主の気性だ。

エクサリオスが主に抱く忠誠心に一片の疑いも陰りもないが、それは別として主の人格が相当に厄介なものであることも了解していた。

エクサリオスの主に抱く忠誠の心の源泉は、主が自らを造った主であるということにあって、決して人格、その気質をもって主に忠誠を誓っている訳ではなかった。

深い尊敬の念をその存在そのものに抱いてはいたが、人格やその気性に難があると判断できる程度にはまた主を客観視しているとも言えた。






コツ、コツ。



おもむろに足音が響く。


その場にいた全員が警戒をするように、部屋の入り口を見据えた。


剣を構え、拳を構え、槍を構える。


その何かは、入り口に姿を表すと同時に音を発した。




「キヒヒッ! 難渋してるようですねぇ」



響く声は、いやらしい音程、

肥溜めから匂い立つ廃棄物を無理矢理に声へと変換したらこういう響きを持つのだろうか。


匂いはそのまま肥溜めであった。嘔吐を催させる絶対的腐臭。

嫌悪感を生ある者ならば必ず抱くであろう醜悪極まりない匂い、音、見た目。



目を向けたロード・エクサリオスは、その正体を見るまでもなく承知していた。



このようなおぞましい形、嫌悪と不快を存在するだけで振りまくような生命の存在を、

エクサリオスは一人しか知らなかったし、これからも知ることはないだろうと考えていた。



振り向いた先には、ヒキガエルのような体型、人の形らしき体裁の醜い身体。肉が集まりすぎ微笑み以外の表情を表せない顔。




ロード・シレンカ


ロード・エクサリオスの同僚であり、魔惨迷宮が主、ナー・ナーンの直属の部下である四騎士の一人。

エクサリオスがこの任務を受けた時、エクサリオスとともに主の前に列席していた者の一。

最近、なにか良い玩具を手に入れたのか、部屋に四六時中閉じこもっていたヒキガエルのような体型の騎士と、エクサリオスが述べたその人に他ならない。



その顔を改め確認し、ロード・エクサリオスは、その壮麗な顔を露骨に歪めた。


部下の黒鬼の一人は露骨に顔を顰め、委員長気質の黒長耳族は聞こえるように舌打ちをする。


その他の部下も鼻をつまんだり、顔をそらしたりしている。


意志など持たず、半ば自動的に動いているはずの蛇頭天使二体でさえ、心なしかそのヒキガエル然とした騎士から距離を置いていた。



「なんですかぁ? 一体、ねぇその反応は」


気にしていないのに、気にしている振りをして、わざと顔の表情を哀しそうな微笑みへと変える。

対応したくないが渋々といった様子でエクサリオスが対応した。


「いや、他意はない……。それで卿の用事はなんだ。貴様はここ暫く部屋に籠もりきりで、此処に来るような用事もないと思うのだが」


わざわざ、なんのようだ? と続けるエクサリオスの表情はしかし、隠しきれず苦み走ったものである。


ロード・エクサリオスはこの同僚、この迷宮において、己と同じ最高幹部の一人であるこの同僚を余り好きではなかった。

いや迂遠を避け、端直に言うならば、自らの半径100mに近づいて欲しくない程度の嫌悪を抱いていたと言える。


生命を冒涜するかのように、人造生命や迷宮の住人たる魔獣や魔族や亜人を掛け合わせ、交配し、実験と称して改造するその様。

そして、捕獲された冒険者に対して行われる苛烈かつ残虐の極限に位置するようなその行為の数々を、微笑みながら行うその様は、

味方であっても、エクサリオスが冒険者というものを忌むべき敵としか見ていなくても、後ろから切りつけたくなる程度には醜かった。



さらに、時折エクサリオスに対して、獲物を見るような、欲しい玩具をみるようなぎらぎらとした欲望に血走った目を向けていることが、エクサリオスの神経を逆撫でしていた。



つまり、エクサリオスにとって、シレンカとは決して会いたくなるような人物ではない。


だが、シレンカはここ最近、特に主の寵愛を受けており、多くの援助を受けている。

そして、嬲りがいのある玩具が手に入ったと述べて、最近は富みにご機嫌であった。

その彼が、実験室を出てまでロード・エクサリオスの下へと来たということは何かの意図あってのことだろう。


エクサリオスもむざむざ追い返すわけにはいかなかった。

そしてそれを判断し素直に実行できるだけの冷静さがエクサリオスには普通に備えられていた。


蔑むように、哀れむように、冷たく白い視線をシレンカに送るエクサリオス。

エクサリオスの質問に答えず、吟味するように、にへらっ、と彼女と彼女の部下を見ていたシレンカは、

その視線に気付いたのか、取り繕うように言葉を発した。


「いやねぇ、玩具は色々なやり方で遊んだり弄くったりしたんだけどね!

元の姿が完成されすぎててね、キヒヒッ! 結局その姿に戻しちゃったよ。うんっ!

だから脳味噌と心以外には少し限界を外してあげただけなんだ! キヒッ!

いや、ああこのことじゃあないんだねぇ。うんわかったから冷たい視線を向けるのはやめてくれないかねぇ」


そして唇を舌で舐めた。


エクサリオスの背筋に鳥肌が立つ。


醜さの限りを尽くした挙動だった。


「うんっ! お察しのとおり伝えることがあってやってきたんだね、キヒヒッ」


「そうか、ならばさっさと伝えればいい」


「つれないなぁ。まあいいや、朗報だよっ!」


「なんだ」


「良いことさっ! 48層に動きアリだっ! 主の命令でもある。とっとと上に行けだとさっ!」


なんだと? と鋭く引き絞られるエクサリオスの瞳。


急な話であった。件の蟹に思いを煩わせていた端からの謎の忠告。


理由も、動きの詳しい説明もなく、まるでなにも煩わしいことはないとでも言いたげな、醜い笑顔のヒキガエル。

くだらない、と常ならば一笑に付すところだが、

しかしシレンカの手にこれみよがしに握られている物は、全権委任状。


ならばこの命令は真実。


不穏かつ不審であろうとも、従わなければならない、これは忠告ではない、報告でもない、命令なのだ。

エクサリオスはそれを理解した。


……


「承知した……」


わざわざ出張ってきたカエル。浮かぶ顔には隠そうともされていない醜い狡知の気配。


主を丸め込んだか、あるいは主が己に痺れを切らしたところに付け込んだか。

わからぬ、わからぬが、と。その思誰を心に秘め、同じように疑念の視線をシレンカにぶつけている部下たちへと視線をやる。


部下はそれに気付き、大丈夫なのか?という心配の眼差しをエクサリオスに送る。

エクサリオスはそれに答えるように頷き、改めて声を発した。



「出発するぞっ!」



見事に隊列を整え、露骨にシレンカを避けつつ、隊列を組んだ七名は速やかに陣を張った大部屋から、48層へと向かった。

後に残ったのは、変わらず嫌らしい微笑みを浮かべるヒキガエルの騎士。


「ああぁ、相変わらず美しいなぁ!」


――あれを自由にできたらなぁ、あんなことをして、あそこをああやって改造して……


蠢く思索、思案に潜むは汚らしい狡獪な欲望。舌なめずりする邪心。


この作戦にもしもロード・エクサリオスが失敗したのなら、それはロード・シレンカの下へと払い下げられる。

その願いは既に主に聞き届けられている。

ましてや、ロード・シレンカの技術をもってすれば、ロード・エクサリオスの意志をそのままに言うことを聞かせることも。意志をなくして、その上で従来と全く同じ働きをさせることも可能だ。

それが出来る改造や調教の技術がシレンカにはあった。


シレンカの邪悪な意志を、薄々と感じつつも、それを拒否できず、命令に従っているエクサリオスの姿を想うと、


「ああぁ!ああぁああ! 興奮が止まらないよぉ」


呻くような笑いを、蛙のような音で奏でる。


「それと例のおもちゃの実験にも丁度いいからね」


ああ、ああ、楽しみは尽きないなぁ。


そう呟いて、腐臭を放つ騎士は、身の毛のよだつ半月円の笑みを作る。









派遣隊は道を進んでいた。


道とは言ってもそこは迷宮の通路のことである。


先頭を歩くのは黄金剣を背に背負い、右腰に以前になくしたのと同一の型の銀の魔剣を身に付けている男。

カンテラや閃光玉、ポーションに包帯をその他にも腰に帯びて、

歩く姿は威風堂々。伸ばされた背、風を抱き、後ろへと広がる黄金の長髪。


ロード・エーサーベインである。


その眼差しにはあるのは、強い意志。

バル・ファルケン=ノースのこと、巨蟹のこと、ハンナ=ウルフのこと。

考えること、抱える想いは多いが、傲慢とも言える高い矜持を貫いて、集団の先頭を我が物顔で歩いている。



次に人間の冒険者が幾人か続く。


大陸の北方でよく見られる二刀の小斧を使った闘法を使う男、金短髪のニケロット。


南方の槍術闘法を駆使する、パーマのボブ。


エストックとレイピアを構えた、特殊な闘法を使う、緑髪のイレーネ


大きな杖、見るからに補助の道具と言った風情の飾りを幾つも首や腕、耳や鼻に付けている、

魔法士メーダ。


その後から亜人と呼ばれる種族の冒険者が続いている。


鞄を背負い、多くの道具を持っているらしい、体長は4m近くに到達するだろう巨体の大鬼オーガ


翼をはためかせ、顔にある嘴が妙に可愛らしい、弓を帯びたツインテールの翼人女性。


最後に一行の殿を勤めるのが、歴戦というに相応しい威圧と眼力を備えた、大柄な豚人オーク

銀の大剣が清浄な気配を放ちながら、ともすれば寒さ冷たささえ感じる威容を誇り、その豚人の背にある。

『銀鬼』ロレントォだ。



一行にあるのは僅かな会話と沈黙、現在45層を歩いている彼らは、これから向かう地への不安こそあれど、歩いている通路に対しては僅かな不安さえもなかった。

薄暗い通路を照らすのは、通路に備えられている灯火の他、先頭を歩くエーサーベインの持つマッフ機巧の灯器。

それとロレントォとメーダの持つ高級灯器である。

それなりの容量の器を持つ高級灯器は、あらかじめ迷宮管理組合が用意し、器を「力」で満杯に埋めておいた品だ。


そして何よりエーサーベインの持つマッフ機巧の灯器。

最高級品であるそれは四等級の希少品であり、組合長ハンナ=ウルフからの「絶対に帰還するように」というメッセージでもあった。


マッフ機巧についてここで簡潔な説明をしておくと、それは外なる「力」をエネルギーとすることの出来る機巧をさす。

極限られた人間が幾つかの素材の組み合わせに、独自の儀式大家を掛け、それをマッフ機巧とする。

その制作には多くの下準備と、長い時間がかかる上、量産できないため、現代でもそれを造れる数少ない機巧師は数十年先まで予約注文で一杯である。

外なる「力」が無限である以上、マッフ機巧とは半永久的に自律する機巧ということになる。

それが一体どれほどの意味を持つのか、考えなくとも答えは容易いだろう。

現にこのマッフ機巧のカンテラ一つで小さな城が建つ程の価値はあった。



46層へ降りる階段を8人は連なり警戒して降りていく。


8人に油断はない、慎重だが確実な足取りをもって、警戒と会話を同時にこなしつつ通路を進んでいた。


会話は主に槍を携えたボブと緑髪のイレーネを中心に行われていた。


魔法士はぶつぶつとなにかつぶやきながら、世界など目に見えていないという風情だ。



「で、その時に、現れたのがエーサーベインさまだっだの!」


と二本の刺突剣を携えた緑髪の女性は呟けば、


「はあ、そりゃすごいねぇ」


と答えるボブがこの話を聞くのは既に10回を越えていた。


緑髪イレーネはエーサーベイン贔屓であり、第一のファンを自称しているミーハーな冒険者であった。

今回の派遣隊に参加したのもエーサーベインが居たからと言う軽い理由であった。

しかしその実力は本物であり、双の刺突は、牛の突進の如き威力と、蜂の如き疾速とまで謳われている。

決して軽くはないレイピア(普通は8kgはある)を平然と振り回せるその身体能力と、

幾度もの大クエストに参加している経験豊富な高位冒険者である。


イレーネは先ほどから先頭を歩くエーサーベインに懸命に話しかけていたが、

エーサーベインはそれを鼻で笑い、振り返ることもせず、意味のある会話以外の一切を無視していた。

気位の高さ、傲慢な誇り高さが染みついているエーサーベインらしい行動でもあった。


生来おしゃべりなイレーネもこれには音を上げて、無口なニケロットや、会話好きなボブにその会話の矛先を向けたのだった。

背まで伸びた濃い緑髪、長耳族に多い髪色を持つまだ若い人間の美女との会話に一種の幸運な機会を感じたボブであったが、

その話題の殆どが、いけすかない『黄金剣』の話であり、それを壊れた蓄音機のように繰り返す段階で

――あ、これだめだな

と、早々に見切りを付けたのだった。


「角に。……敵だ」


二刀斧のニケロットが無駄のない意思伝達を行う。


中央の四名は何度かグループを組んだことのある面子だ。

意志の伝達は取りやすかった。


半ば凶戦士じみたエーサーベインはともかく。

問題は後ろの三人であった。


『銀鬼』ロレントォを中心とする三人組。

亜人である彼らと、中央部四名、特にその内のボブ、イレーネとはいまいち折り合いが悪い。


亜人。新暦元年にあった『至高神』ネーベンハウスの帝国では、一般階級に引き上げられ、人間と同じ権利を獲得した存在。

しかし旧暦に存在した帝国や各王国では一部を除いて常に奴隷階級、二等市民とされていた者たち。

新帝国の解放令によって、一定の地位を得て、既に1200年以上経っているが、未だに根強い差別が残っている。

旧暦時代に、特に労働力として亜人を酷使した北部と南部の地域や国家の出身者は、亜人に対して偏見による差別を行う者も多い。

(亜人のならず者や犯罪者の多さ、魔王領という人間にとって色々と複雑な地域の主要な国民であることもこれを加速させていた)

既に1100年代に新帝国が迷宮により崩壊し、各地域に国家が乱立している現代。

一部の国家では、亜人に限っての絶対奴隷階級を狙っている政治家や市民運動も起こっている程である。

(奴隷の子でなくとも、あるいは債務者や犯罪者でなくとも、亜人という存在そのものを奴隷と見なすこと)


多くの冒険者の場合、生死が関わる仕事であり、命あっての物種である以上、種族や人種などは糞喰らえというものも多いのだが、

ここが北部域の迷宮都市であり、イレーネが貴族階級であり、ボブも裕福な家の出身であったことが、

『銀鬼』たちと人間の間に僅かな溝を作ることになっていた。



お互い腐ってもプロである。

お互い相手を守り、連携もちゃんと取り、意志も伝達するであろう。

しかし、表面上は取り繕っているが、他人を見下す眼差し、雰囲気というものはえてして隠しきれないものである。

そのための気まずい雰囲気が、このグループの中には漂っていた。


エーサーベインの刃に切り刻まれ、ニケロットの斧に引き裂かれ、イレーネとボブに貫かれた牛型亜人魔物の残骸。

そこに向けてボブが唾を平然と吐きかけ、にやり、と笑って屍体の顔を踏みつける。


大鬼がそれを見て拳を握りしめ、『銀鬼』ロレントォがそれを見て宥める。


「気にするな」

「ダゲドョォ」

「死んだのは敵だ気にしてもしょうがねえ……、気持ちは分かるがな」


派遣隊の集合場であった、ある高位の酒場。

そこでイレーネが、同じグループにロレントォたちが加わると知ったときに見せたあの表情は、

豪気にして剛毅を地で往くうえ、温厚で嫌なことを水に流すような性格のロレントォを持っても暫くは忘れないだろう。

それほどの見下しきった瞳。ロレントォは一瞬その場でイレーネの顔面を捻りきりたくなったほどだ。



エーサーベインも、こちらを露骨に見下す、アレも苛立つが、しかしエーサーベインの場合は例え同族であってもその視線を変わらず投げかけるので、怒りまでは湧いてこない。


エーサーベインがその視線を投げかけない相手など、組合長ハンナ=ウルフか、先頃未帰還だったバル・ファルケン=ノース位であろう。



ニケロットは武骨だが実直だ。その評判は聞き及んでるし、一緒に仕事をしたことはないが二度三度、卓を囲んだこともあった。


メーダはよくわからない。魔法士には多いタイプの連中だ。特に気になる程ではなかった。




「……階段」

ニケロットの声。

「了解っ!」

「了解」

「リョーガイ」

「了解です」

「了解だ」


エーサーベインは声を放たず、そのまま開け放たれた地獄への入り口のような階段へと直進していく。


――豪気なこって。


ついで続く冒険者たち、亜人、そのの最後にロレントォが47層行きの階段へと足を掛けた。







47層を往く。

40階代の特徴は、単純な建築物型迷宮であるということだ。

沼や森に擬された20層や30層とは異なり、

かつては迷宮側の軍事施設や準備施設として使われていたらしい、進みやすく進まれやすい通路。


主な生息魔物は牛型亜人――いわゆる牛頭人ミノタウロスや魔法で作られ蛇頭生物や剣の聞きにくい粘状生物スライムが主である。



エーサーベインの銀閃が煌めく。


シャンッ と音が鳴り、蛇頭が断たれる。


「ふんっ」と力んだ声で、斜めと横と縦を縦横無尽に駆け巡る、ニケロットの斧の軌跡が、それを防ぎきれなかった牛頭人の首と腕を断つ。


通路を曲がったところに潜んでいた12匹の敵混合部隊との乱戦である。



メーダが、魔術書を開き、そこに書かれている大火弾紋章に魂の「力」を流し込み、放たれた火が粘状生物を焼く。

槍を携えたボブが、ちりちりのパーマを揺らしながら発動に多少のラグがあり、機敏な動きの出来ないメーダを守るように立つ。


鬼は、朱猿と聖蛇の体液を混ぜた毒を己の拳に塗り込み、それを蛇頭天使の顔面に叩き込んでいる。

全てを見通せる高さ4mの地点から比較的無口な翼人が嘴から呼氣を漏らし、弓で敵の後衛の蛇頭を射貫く。


ロレントォは後ろを警戒しつつ、イレーネと共に、敵の中央に切り込み、牛頭人三体を相手取っていた。

敵の蛇頭天使の紋章術の風の刃を巧みにいなしつつ、イレーネの盾となり、

「力」を腕力強化と攻撃加護の紋章に流し込み発動したイレーネが、ロレントォの後ろより飛び出し、神速の三連撃を牛頭人の喉に叩き込む。


エーサーベインがその隙を突いて押し進み、後ろで風の刃を放っていた三体の蛇頭天使の肉を断ち戦闘は終了した。



「楽勝ね」

「油断するな……」


イレーネを窘めるニケロット。


「……終わった」

「ラクジョウダァ」

と翼人が大鬼と笑い合い。


ボブが胡散臭げな一瞥をロレントォにくれた後、己の槍の穂先の血を拭く。

「もう少し敵に果敢に突っ込んだらどうだよ『銀鬼』さま」

「なにか不満だったのか」

ロレントォは、清浄な銀色の大剣を再び背に背負いながら言う

「いや、勇猛で知られる『銀鬼』さまならもっとずばっと突っ込んで、ばしゅばしゅっと牛頭くらい始末してくれると思っていたんだがね」

「俺はやるべきことをやった、それだけだ」


そう言い捨て、ロレントォは隊列の一番後ろに戻った。

ついで、沸点の低い大鬼の友人を止めなければならなかった。


「けっ、同じ畜生同士、情けでもかけたんじゃ……っ」


しかしその言葉は、最後まで放たれなかった。

『銀鬼』の、豚そのものを多少人間よりにデフォルメしたようなその貌は、

醜く歪み、ボブを、射殺さんばかりの殺意に満ちた眼光で見据えていたからだ。


「下らないことはやめろ、下賤ども」


エーサーベインがタイミングを計っていたかのように、言い捨てる。

会話は終わり、隊列には沈黙が満ちる。


そして48層へと向けて、47層を歩き始める。



「もうっ!エーサーベインさまを怒らせちゃだめだよっ」

「……あ、ああ」

ボブとイレーネの言葉だけが交じる隊列。

気を取り直したようにボブが、言葉をひりだす。


「……しかし、面倒な任務が多いな」

「うんっ! ニケロットもそう思うでしょ?」

「……俺は言われたことをやるだけだ」

「けっ、クール気取りやがって。

お前だって先に全滅した馬鹿斥候どもや、クソッたれどものの荷物回収や全滅確認なんてやりたくないんだろ? ホントはよぉ」


「関係ない、言われたことをやり、件の強者をこの目で確認する。それだけだ」


冷静に切り返し、口を閉じたニケロット。

ボブは溜息を吐いて、まじめだねぇ、と呟く。

イレーネはエーサーベインを眺めて、ぼうとしていた。

メーダは虚空を眺めながら歩いている。


翼人は翼を使わず、歩いている。無表情。


鬼は憤懣遣る方無いといった表情で、ドスドスという音が聞こえそうに大胆に地を踏みしめている。


ロレントォは、調子を戻し、気の良さそうな笑みを浮かべながら、後方に注意を払っている。






後方、歴戦の派遣隊に、優秀な冒険者たちである彼らから付かず離れず一定の距離を保っている追跡者がいた。


それは影であり、無音である。


あらゆる気配を感知させず、時に牛頭人の傍を通り過ぎ、時に蛇頭天使の喉を切り裂き進む、黒一色の影。


名は『潜影』


軍の命令に従い、予定よりも早く出発することとなった派遣隊を監視しつつ、自らの目で48層の確認をする任務を実行中であった。


昨晩の激闘。肉体の疲れは睡眠と食事で大分取れたものの、思わぬ不覚を取ることになった精神の疲れは未だに癒し切れていなかった。


あるのは悔しさ、そして久方ぶりの敗北を受けたが命まで取られなかったことへの疑問と感謝が彼の心には充満していた。



――ともあれ命あっての物種。


朝起きて館に侵入しても、そこにはなにもなく、隈無く探索したところ迷宮に繋がる隠し道が発見されて、あの奇しい長耳族の少女を逃したことを知っても、余り後悔はしていなかった。


そのため、その屋敷と隠し道を報告した後は、家に帰らず、そのままこの任務に就いたのだった。


見据える先には『銀鬼』

剛胆かつ剛毅でありながら、慎重であり、物腰も柔らか、それでいて通すべきところは通す強い心を併せ持った、この迷宮都市の亜人種たちの有力者。


『潜影』がボブとロレントォであったらどちらの冒険者が気持ちよく仕事が出来るかと考えたならば、その軍配はロレントォに上がるだろう。

それほど有力な冒険者が『銀鬼』であった。


現在対象は、48層への階段へと到達。

任務地域、例の大穴は48層を降りて歩いてすぐの場所にある。

彼らの仕事ももうすぐだろう、『潜影』も、彼らに悟られぬように尾行する。


不覚をとったとはいえ彼は影、潜む影。

相手がどれほどの実力者とはいえ見つかるような失態からはほど遠かった。


冒険者を見つめる黒面越しの眼差しは、どこか憧憬を感じさせる暖かさに満ちて。


あるいは己自身の過去のために、顔を捨て、冒険者たるを捨てざるえなかった彼は、

懐かしむような溜息を吐いたのだった。










派遣隊が出発してから大分経つ、


時は昼をとうに過ぎている。


冬の早い日の終わり、既に陽は落ちかかっているようだ。


推測なのは、空には一面の雪雲が広がり、雪を降らせ始めていたからだ。


時折、僅かな朱が、地上へとどうにか辿り着こうと木漏れ日のような半端を地上に差し込ませていた。


冷たい空気に純白の雪、やれやれ、こりゃまた積もりそうだと心思するのは街の民。


朱はどうにか己の位置を得たのか、遙か地平。

下段の城壁、あるいは都市上部から見える地平の先を、白と赤の混じり合った奇妙なものにしていた。


白と赤を合わせた雪の世界の始まり、陽の終わり。


ハンナ=ウルフが窓からそれを眺めていたその時、

派遣隊は48層の斥候隊が詰めていた筈の地点へと辿り着こうとしていた。





「なにもないな」


呟くボブを尻目に、エーサーベインは奇妙な匂いを感じていた。

それは僅かな、僅かな、ともすれば見逃してもおかしくないような薄く小さな匂い。

鼻の奥にこびり付くような人糞と動物の腐ったような匂い。

エーサーベインは『銀鬼』にちらり、と目をやる。


「ん、ああ」


あこがれのエーサーベインが呼んでいる、とイレーネがロレントォに嫉妬の交じった視線を向けて、その肩を叩く。

豚人特有の厚い体毛と筋肉、脂肪のように蓄えられた腹部の筋肉瘤を揺らして、エーサーベインを見やるロレントォ。


「感じてるよ、匂いだろう?」


こともなげにそう言うと、それにエーサーベインは頷く。


「なにか来たことは間違いないな、恐らくもう……」


「……道具から装備までなにも残っていないが、迷宮か?」


ニケロットは斧を触りながらエーサーベインに尋ねる。

恐らく組織だった集団が、計画的に襲撃し、追い詰め、そして全てを奪っていった。


そしてそれは迷宮側の仕業ではないかと誰何する。



「多分な」


ロレントォが答えた、その瞬間それまで、目を瞑っていたメーダが、身を震わせ、口を開いた。




「空気がおかしい。おかしい……っ。おかしい!」


空気という熱い湯に身を浸からせたかのような身震い。

決して低くないが、背を著しく丸めている為に相対的に低身長に見える彼の身体が怯えるように揺れる。


「「力」が乱れてる、何も……「力」がなにも……っ。なくなるようなっ隙間がっ!!」



その言葉をメーダが放ち終わる頃には、既にその他の彼らも全員身構えていた。

何かが来る。隊列を組んでこちらの方角へと向かっている気配を。


そこの角を曲がれば、あるのは王墓へと繋がる、エーサーベインの空けた穴。


現在は、蟹が掘り進めたことにより、空けた当初の範囲を大きく広げているその地点。


そこは広大な大通路になっている。


そこを通り、こちらへと向かってくる集団の気配。


エーサーベインは、黄金剣の充填を起動させる。

這うように大ぶりの長剣に刻まれた紋章に内の「力」を這わせ、神器に外の「力」を集めさせる。


8人はエーサーベインに習い、それぞれの技を、紋章を起動させる。


ニケロットが、腕力と攻撃の加護を加え、体重と防備に加護を加え。


メーダは刻印を意識し、それを下に世界へと己の意識を埋没させる準備をする。


イレーネは速度と脚力、腕力と攻撃の加護を身に付け。


ボブは、眼と耳の機能を強化し、腕力と、防護の加護を願う。


翼人は羽ばたき、目を強化するのと同時に、弓に刻んであった紋章へと「力」を這わせ。


大鬼は、幾つかの薬を飲み干し、牛頭人の角を砕き粉にしたものを飲み、己の肉体を震わせる。


『銀鬼』も己の浄銀に輝く幅広の大剣を、神器を起動させる。あの猫店主に調整を頼んでから初めての起動であった、次いで、腕力と脚力を、威力の加護を全身の紋章に這わせた。



息を飲む。


敵も件の大穴の辺りでその歩みを止めている。


おそらくエーサーベインたち8人の存在に気付いたのだ。

出向けと言われた先にいる敵勢力の存在。

エクサリオスは軽いを混乱を覚えただろう。

しかしそれをすぐに抑え、己の6人の部下に隊列を取らせたのだった。



水も溜まらぬ一瞬の空気。



角の向こうエクサリオスと、角のこちらエーサーベイン。

二人のロードは、息を吸い、そしてまた吐く。




「行くぞッ!!」




お互いの準備完了を確認した即席のチームは、角に飛び出した。


それを迎え撃つのは銀色鎧に身を包んだ、二本角の騎士。


左手に構えるは『神の金属』により造られたブロードソード。


右手に構えるは同じく『神の金属』により造られた大盾『イージス』




エーサーベインは、角を曲がり、脚力が強化された己の足を躊躇なく進ませる。


敵を確認。


「やはりっ!貴様かっ!」


とエーサーベインは叫びつつ大気を切るように駆ける


その速度は神速。


意識――全体;鎧――紋章法――導力――発動;速度加護。


「エーサーベインッ!!」


と叫ぶ麗人へと走り込み、振るうのは神速の銀長剣。


シャッ! と唸るように、見えぬ軌道を描いて、刃はエクサリオスの喉元に迫った。


「くっ! 今は、貴様などに用はないっ!」


エクサリオスはその神速の一撃を、ブロードソードで受けた。


圧倒的なエーサーベインの速度にようやく追いつくように、イレーネとニケロットが迫る。


遙か背後にメーダが世界へと干渉し、それを定義し始める。

一定の「力」を理解する為の真摯かつ純粋な没我の境地。

それを守るように立つのはボブである。



翼人は弓を携え、それを引く。


「援護っ!」


意識――弓――紋章法――導力――発動:追尾・貫通;二重瞬間起動



速やかに放たれる矢と併走するように、鬼と豚が駆け、前線へと走る。


エーサーベインの神速連撃を、しかし盾で受け、時に剣で受けるエクサリオス。

イレーネがその盾と剣の隙を突くように、強化された刺突を瞬間的にさらに強化し、六連撃の魔技を魅せた。


それを受け止める手が迫る。


大きな腕。イレーネの胴程の腕を持った黒鬼だ。

「ヤラセンッ」


ふんっ、と息んで、硬化した己の腕を使い、六連撃を視認して、それを防ぐ。

黒鬼は高位冒険者の全力の連撃を、見切り、そこに己の腕をかぶせたのだ。


もう片方のニケロットにも、腕を硬化した黒鬼が迫り、その爆発するような速度で振り回される二本の斧撃を見事反らし、時に受け止めている。


三体の壁と、三体の攻め手。

後ろから迫った矢は、既に蛇頭の天使の風の紋章法により造られた風の壁に阻まれ防がれている。


六連撃を受け止められ、体勢を崩した緑髪のイレーネに迫る、黒鬼の容赦ない豪腕。

それを受け止め、イレーネを庇うような体勢を取るのは大鬼。


鬼対鬼。腕と腕がぶつかり、力と力がぶつかり合う。


血と汗の飛び交う戦線の隣では、剣閃が放たれ続けている。


鋭化の紋章を発動させている貯蓄型:銀剣の、蟹の関節に切れ目を入れることが出来る程の切れ味の刃は、神盾に確かに傷を付けることができているが、それを突破することまではできていない。


放ち続ける剣の速撃は、しかし全て最高の一撃ではないことが原因だ。

エクサリオスが絶妙のタイミングで入れてくるブロードソードの薙ぎ払い、突き、斬撃が、エーサーベインを徐々に追い詰める。


「伏せろっ!」


豚人ロレントォの体重と腕力が込められた銀大剣の大振りだ。

後先を考えていないような大ぶりには、全身の筋肉、腹部の筋肉瘤から練り上げられ送られてきた爆発力。

さらに紋章を使い威力上昇の加護と、瞬間的な二重の腕力強化が上乗せされている。



地を砕き、岩を砕き、鉄さえも砕く、ロレントォの一撃は、


――しかし受け止められる。



受け止めたのは大地。


壁のように隆起した大地の壁が、丁度エクサリオスの目前を覆うように二枚現れたのだった。


ロレントォ渾身の一撃は、一枚を破壊し、二枚目を破壊していた、しかしその先にあった神盾には減衰した力しか伝わらず、僅かに擦過傷を作るだけであった。


「むっ」


ふ~、と息を吐くのは、二人の黒長耳族の少女。二本の杖を構えた委員長気質の黒長耳族の少女と、

二本の長剣を構えた。先ほどまで気弱になっていた黒長耳族の少女だ。


二剣を構える少女は、その目を弓のように引き絞り、殺意のみが込められた鋭い視線をもってエーサーベインたちを凝視していた。


黒長耳族の少女は、

ロレントォが、己の銀大剣を、二本杖の少女が発動した儀式小家(魔導)・想像法の、高密度の土壁に取られているのを隙と見て、

目前の背、ロード・エクサリオスの背を踏み台に、迷宮の上辺へと跳び、ロレントォの背を狙い、二本の長剣を鷲の爪のように突き出す。



必殺の意志が込められた見事な双撃は、しかし防がれる。



体勢を立て直したイレーネの刺突がそれを止めたのだ。


歯ぎしりするような音を立て、黒長耳族の少女は防がれた剣を捨て、己の背に負っていた二本のバスタードソードを抜き、

イレーネの刺突後の首を狙う。


そこにロレントォが重い蹴りを入れ、それを阻止する。


二本杖は僅かに後退しつつ詠唱を、己の「力」を、地面へと這わせ、そこに想像を顕現させることに集中する。

紋章法ではなく、想像法。しかしそれは設計図から家を建てるような技術、時間が掛かるものだ。


そして黒鬼と大鬼は殴り合っている。

薬の効果か、全身の筋肉を励起させ、圧壊的な奮撃を、黒鬼の腕に加える。

硬化と防御の加護のみの黒鬼は体躯では勝っているものの辛い。



翼人の放つ矢は、蛇頭の二天使の風の壁に留められ。


斧を振り回し、回転させるように、連続で、縦に、横に、その逆に、斜めに、必殺の一撃を加速させ続けるニケロットに対し、

黒鬼はそれを紋章で硬化させ、その上、防護の加護と、刃止めの紋章の三重の紋章術の掛かった腕を振るい防ぎ、時に丸太のような足を牽制(にしては主すぎる威力ではあるが)として加える。



にゅっ、シュッ、という鋭い音と奇妙な音を感じさせて、ニケロットの隙を突くような横からの攻撃。


斧と鬼の均衡を壊そうと乱入する、エクサリオスの援護である。


それを受け止めたのは、エーサーベイン。


銀剣と、籠手による防御。



中央域、イレーネに刺突を止められた後、重量半減化の紋章と、腕力強化のみを己に発動し、二本のバスタードソードを振るう黒長耳族の少女は、

ロレントォと、体勢を整えられないイレーネ二人を見事に一人で相手取っていた。


「はっ!」


「ふっ」


振るわれるバスタードソードの軌道は癖のない素直なもの。

しかしその狙う先は、当たれば必ず命を落とすであろう箇所。


一本はロレントォに素早く振るわれ、ロレントォが威力の入った一撃を振るうことを巧みに阻止している。


もう一本は、刺突の威力と速度こそあるが、体勢と姿勢が崩れた場合、回復に時間の掛かるイレーネを封じるように、足と腕と首を狙って、続けざまに振るわれ続ける。


元来、長耳族とは肉体の弱き者、それを補うようにある大きな魂の器と、世界を理解のしやすいという特徴がある。

それは黒長耳族も変わりないはずであった。


しかし、今エクサリオスの部下として刃を振るい続ける黒長耳族の少女は一味違った。


――なんつう、技の冴えだよっ!


と内心『銀鬼』が唸る程の巧みさと速さを、しかも同時に二本に与えているのだ。

脅威であり、驚異であった。


ここで時間を稼がれては、もう一人の黒長耳族の紋章法の発動を許してしまうだろう。

こちらの前衛は五人。ボブが後衛二名を守っている。

相手の前衛は四名、しかし蛇頭天使は前衛も可能だ。

なによりも恐ろしいのは、このエクサリオスの部下の恐るべき練度の高さである。

相当な修錬を積んだのか、高い実力と高いチームワークが結びついている。


『銀鬼』は分析し、状況を考える。


こちらの後衛は、一人は弓使い、もう一人は儀式大家。

おそらく刻印法の理解に手間取っているのか、その発動の気配はまだない。



――こちらの急造のチームワークでどこまでいけるかが鍵か。


「エーサー!」


「言われなくとも!」


斧男を少し休ませ、一人で二人を相手取っていたエーサーベインが、ロレントォに答える。


斧男がロレントォたち二人の援護に回る、それを見た二剣の黒長耳族が状況の不利を予想し、飛び退く。

脚力を強化しているのか、いやに高く二本のバスタードソードを持った黒耳は跳ぶ、

3体1を避ける為の跳躍だ。


跳ぶ先には黒鬼と殴り合っていた大鬼が居た。



これを機会と見るのは黒長耳族。

僅かな滞空時間、己の剣に想いを潜ませ、跳んだ黒長耳族の少女は意識を集中する。


意識――バスタードソード――紋章法――導力――紋章法:『雷迅剣』――起動

    :――派生――二本同時――二本目起動。

    

斧は間に合わない、突剣の刺突は届かない、大鬼は気付いたが、しかし遅かった。


豚人のロレントォは己の銀大剣が銀の輝き放ち、神器の発動が可能となったことを知った、だが無意味だ。


弓は届かず、刻印法は未だ発動しない。ただ一人その行動を見越していたかのように行動する者が居た。


エーサーベインである。



意識――全身:脚部――紋章法――発動:飛翔:脚力強化:速度加護――三重起動。


かつて蟹と戦い破れ逃れ、辛くも逃亡するときに発動したのと同一の紋章構成。皮肉な話だ。


あらかじめ黒長耳族の少女の跳躍を読んでいたかのように、二本を持つ黒長耳族の少女が跳んだ刹那、エーサーベインも宙に己を浮かしていた。


少女を越える速度、掛けた紋章の数、そもそもの筋力量の違い、エーサーベインは追い着き、それと同時に己の刃を黒長耳族の少女の身体に打ち込んだ。


同時に地上では

ロレントォが、エクサリオスと黒鬼を抑えるために、己の神器を構えそちらへと進み、

イレーネが、ガラ空きになっている二本杖の委員長気質の黒長耳族の少女の下へと駆ける。




エーサーベインの攻撃は、しかし外れた。

蛇頭天使が矢を防いでいるのに使用していた紋章を、黒長耳族の少女のエーサーベインの間に挟んだのだ。


風の壁、剣は阻まれ、少女は風に煽られ体勢を崩す。


彼女の放とうとした剣は、大鬼の首を狙った双撃は、しかし逸れ、その腕と胴を傷つけるに留まった。




「ウガァ……っ!」


雷の力を帯びたバスタードソードは腕の半ばにまで食い込んだがそこで止まり、胴を貫いたバスタードソードは、腹部を貫通するには届かなかった。


鬼は呻き、激痛と、一切の感覚が麻痺していくような雷の痺れに、思わず肩を落とす。


着地をしていたエーサーベインが、それを庇うように、黒鬼の追撃の前に出る。


黒長耳族の少女は黒鬼の後ろへと着地する。



ロレントォは奮迅の働きを魅せていた。

うねる筋肉、凝縮された筋繊維の、豚人オーク特有の持続し活性し続ける筋肉の生み出す圧倒的な膂力を持って、エクサリオスを相手取っていた。


イレーネの刺突は、己の「力」に集中している黒長耳族へと確かに迫っていた。

このままでは黒長耳族の少女は己の命をあえなく散らしたであろう。


だがそうはならなかった。

それを防ぐように現れたのは黒鬼。


イレーネの攻撃を察知し、その身を委員長気質の少女の前に割り込ませ、己の身体で、イレーネが繰り出した、今日、最も威力が乗った流麗な軌跡の六連撃を防いだ。

腹部を硬化させ、しかし幾つかは貫通し、黒鬼は口から血を流した。


次の瞬間、風の壁が無くなったことを好機と見た翼人が、遠く後方から強化した矢を放ち。

黒鬼は飛んできた矢に喉を突かれ、絶命する。


「アト……タノンダ」


その言葉が聞こえているのかいないのか、しかし精神の動揺を隠し、面に見せず。

己が、大地に潜ませた「力」を、練り上げ顕現する。


意識――大地:迷宮48層通路区画:正面一部範囲――儀式小家:想像法――導力――


想像法『大地の槍』起動




ニケロットとエーサーベイン、ロレントォとイレーネ、大鬼を含んだ大地一帯が、鋭角に隆起する。


ロレントォは発動寸前、咄嗟に己の銀大剣を大地に突き刺す。

その無防備を突くエクサリオスの斬撃は、しかし二本の斧によって防がれる。


ロレントォの神器こそが、ロレントォを『銀鬼』たらしめているといっても過言ではない。

その刃に、その器に蓄えられているのは、膨大な『冷気』 外なる「力」を冷気として吸収するその神器。

冷気の使用方法は簡単、触れた者を凍てつかせる、それだけである。

そして、それが地面に突き立てられれば、その『冷気』は瞬く間に大地を氷結させ、強固に固める。


それは既に、黒長耳族の少女が想像した大地ではない、条件が違う。


なによりも、隆起するはずだったその土の棘は、隆起を始めたその瞬間に全て氷結させられた。



黒長耳族の少女を守るように、二匹の蛇頭天使は前進し、盾を構える。

一匹になった黒鬼を盾としながら、剣を大鬼に置いたまま黒長耳族の少女も退き、

エクサリスもそれに合わせ、退いて、一列に壁を形成する。


黒長耳族の少女は蛇頭天使が腰に帯びているスペアのロングソードを一本取り、構える。




「メーダが動くぞっ!」


ボブの声が飛んでくる。

冒険者全員が、脇へと飛び退く、エーサーベインは黄金剣を右手に握り、ロレントォは再び己の神器に「力」を集め始める。


意識――世界=「力」――儀式大家:刻印法

――行使者:メーダ

――理解・定義・支配・干渉錫――補助:赤の石――刻印法:『火の鳥』発動――量・範囲・質――可




刻印法:『火の鳥』



メーダという猫背の男の前の空間が、陽炎を発する。


太陽光なきところに陽炎の起こる矛盾。


ゆらめく大気、大熱を帯びるは空気。


全てを焼き、灼いて、燃やし盡くす、絶対の意志の顕現。



やがて大気の揺らぎは、焔を形作る。

それは火であり、炎であり、焔である。


火は成人男性程の大きさの棒を形作る。


そこに秘められたるは、万物を焦がし、燃やす、破壊の「力」


消し炭も残らない程の絶対火力は、しかし奇跡的な凝集によって外に漏れない。


熱力学を無視するかのような偉業の火棒は、やがて翼を手に入れ、飛び立つ。



羽ばたく音は、煉獄の音。



鳥というには稚拙な形をしたそれは、確かに鳥のように飛び立ち、目前に並ぶ敵たちへと向かっていく。


人間達は、脇に退き、伏せ、一部は大穴に隠れている。




ロード・エクサリオスは覚悟を決める。

己の傍に倒れる、一匹の黒鬼を見、それに祈るかのように眼を瞑る。


神の盾を発動する。




神の武器とは何か、いや正しくは、神の金属を使った武器とはなにか。


神器は、人間が作ることの出来る者だ、儀式大家の刻印法と儀式法を駆使すれば、肝心の刻印と器さえ作り出せればいいのだ。

恐ろしく時間は掛かるものの、それは人間が作ることが可能である。


マッフ機巧は神器よりもさらに難しいし、さらに時間も膨大に掛かる。

だがそれは人が造ることのできるものである。


神の武器とは違う。

それは文字通り『神の』武器である、

『鍛冶』と呼ばれた九烈士。後に『大地』と道具を司る神となった鉄小人ドワーフ


彼にしか造ることの不可能な武器にして、魔具。それこそが神の金属であり、神の武器である。

エクサリオスがそれを持っているのはかつて冒険者から戦利品として収奪したからである。

以来200年近くの長きに渡り、本来は敵であるはずの『大地』の神がこしらえたこの盾と剣を己の武具としてきた。


神の金属とは、「力」そのものを金属として加工したものである。

「力」を使い、物質を創造する。あるいは物質へと変換することは容易い。

しかしそれは加工するとき既に「力」ではなく、その変化した物質である。

『大地』ガルニゼスは、「力」を「力」のまま、その性質、その深淵、その神秘をそのままに、

武器として、物質として加工したのである。


なにかに変化する前の、「力」を盾に、「力」を剣に。

エクサリオスが握っている武具とはそういうものであった。



エクサリオスは、心を静め、己の盾へと意識を集中し、それを理解する。

その様は儀式大家が世界を理解するかのようであるが、

彼女が理解しているのは世界ではなく盾だ。


200年変わらぬ、盾というものを構成する「力」。

それは既に庭であり、住み慣れた我が家のようなものである。


迫る火をものとものせず、水面に座る仙人のような心持ちで、盾を発動する。




『神盾』イージス


かつて旧神たちの戦闘長官であった神と同じ名をもった、皮肉な名前の神の武器が。


広がり、厚みを帯び、「力」そのものとしての特徴を現す。


迷宮の通路一杯に広がる幅を得て、淡い銀色のカーテンのように広がったそれは、きたる暴力の化身。



『火の鳥』とぶつかる。


それを防ぎ、それを阻み、その溢れ出る灼熱の業火を吸収し、反射し、無効化するように、それを覆い包む。


「力」と「力」のぶつかり合いは、しかし呆気ないとでも言うような速度で、終結に向かいつつあった。


火の鳥は、飛び立てなかった。

盾の勝ちだ。

「力」が急速に、炎が急速に落ち着いていく。


この稼いだ時間をチャンスとして、二本杖の黒長耳族は「力」を大地へと流し込み、


蛇頭天使は己の紋章に「力」を流し込み、風を発現させる準備をする。



だが、だがそこで終わりではなかった。

メーダの放った炎は防がれた。

そしてそれが終わればまたもや接戦となるだろう、ジリ貧かもしれない。


決定力が炎に足りていなかったのなら、それを補えばいい。



エーサーベインが己の黄金剣に手を掛ける。


構え、目を閉じ、無上の愛を神に捧げる神秘主義者のような面持ちで、

神器:黄金剣の紋章に己の「力」を流し込む。



現れたのは、炎により弱められた神の盾を無理矢理に貫き、侵すような、極大の光。


薄暗い迷宮を、太陽の至近にいると錯覚させる程の眩さ。


敵を、迷宮ごと、大地ごと削り、消し飛ばす程の砲火。



エーサーベインの構えた黄金剣から放たれる神器の暁光。


それは消え去る寸前であった『火の鳥』を覆い、新たに『神盾』へと迫る光の渦であった。


あるいは曙光か、黎明のごとき光の質量により、神の盾は再び激突の悲鳴を挙げた。



音はない。視覚に覚えるのは閃光のみ、当事者の二人。


ロード・エクサリオスとロード・エーサーベインのみの争い。

この二人の盾と、剣の争い、「力」と「力」の衝突。

押し合い、せめぎ合う光の優位は、しかし徐々にエーサーベインへと傾いていく。


「くっ!」


と呻くような声をエクサリオスは挙げる。

脳裏に浮かぶのは10年前の敗北。



――ここでっ! こんなところでっ! 再び敗れるだとっ!


嫌な思い出だ、主の寵愛を失い、同僚からの信頼を失い、憎み続けなければならない終生の敵が出来てしまった。

だが主の寵愛を失ったことは気にならない、主の信頼がどうであれ、己の主に対する忠誠に僅かばかりの曇りもないのだから。

だが同僚の信頼を失ったことも気にならない、己は己に課された仕事を、任務を、淡々とこなせば良い、それだけなのだから。


――だがっ! 己に敗北の土を付けた、この敵に再び敗れるようなことは、ありえてはならない!



盾の出力が徐々に減衰する。あらゆる「力」と力の侵入を拒む盾が、光の圧力に負けつつある。

エクサリオスは左に構える剣を手に取る。

それは新たな力、それは武器。

神の盾と同じモノ、神の武器、神の剣。



「おおおおおおおぉぉぉぉぉぉっ!」



発動は一瞬、己の盾が限界を訴えたその瞬間に、光に向い放たれるのは銀の刃。

光を断ち、分解する「力」の刃。


「断たれろッ!!」



閃光は消失した。


後に残るのは息も絶え絶えなエクサリオスと何処か余裕を見せるエーサーベイン。

二人は、お互いを睨み、目を合わせ、ある種の意志を通じ合わせ、そして通路の中央に疾駆した。


ぶつかり合うのは銀の刃と銀の剣、盾と黄金剣。


踊るような剣戟。


入れ替わり立ち替わり、お互いの技と技のぶつけ合い。


相互に、あるいは同時に放たれる剣技は、神の領域か。


エーサーベインが銀の鋭剣を、視認が不可能な程の速度で三度放てば、

エクサリオスは神懸かった見切りで、それを全て左手に持つ神の金属で造られたブロードソードによって全て弾かれる。

エクサリオスがそれに合わせて神盾を構え突進すれば、エーサーベインはそれを黄金剣で斬り止める。


続けざまの大立ち回り。


その一と一が見せる。

遙かな剣影の魅技に見とれていたそれぞれの仲間や部下が、

気を取り直し、己に出来る最善手を取り始めた。



仕切り直された戦闘が始まる。






戦闘は佳境に突入していた。


大鬼が死を悟り、蛇頭天使一匹を道連れに自爆紋章により爆散し。


もう一匹の蛇頭天使は喉と頭に矢を数本貼り付けて息絶えた。


緑髪を揺らしていたイレーネは腹部をバスタードソードに貫かれて壁に磔にされている。


辛うじて息があるが、戦線復帰は不可能だろう。


それを為した黒長耳族の剣士は、翼人と魔法士と槍使いを相手取り、その術と弓と槍を防ぎつつ、巧みに相手の援護攻撃を妨害している。

振るうのは蛇頭天使たちから受け取った、二本のロングソード。


エーサーベインとニケロットがエクサリオスと打ち合い。


それを援護する二本杖の黒長耳族を守るように、全身に矢を一〇本以上受けている黒鬼が前に立ち、


冷気を放ち、巧みに黒鬼の足を止め、その強化された堅い身体を、それ以上に強化した己の腕力と攻撃力で殴り削っていくロレントォが居る。


数の優位は完全に冒険者側にあった。


6対4、エクサリオスと黒長耳族の剣と魔をもっても覆すことの難しい戦力差。


二本杖の黒長耳族が現在唱えている想像法が阻まれた場合、この戦力差は決定的になり、崩すことは不可能に近付くだろう。


その上、二本杖を守る壁は、冷気を放つロレントォの大切断によって、その命を防御加護と全身硬化ごと散らそうとしていた。




『潜影』は迷っていた。

己の目前で、敵と戦い冒険者がその命を潰えさせている。

あるいはその激戦で今にも死にかねない。


彼が参加すれば、イレーネは守れたかもしれない、大鬼は爆発して肉片へと変化しなかったかもしれない。


己は影である。冒険者であることはとうにやめていたつもりだった。

あるいはあの少女と過ごした半年間が、己に再び冒険者の魂を宿らせたのか。


思い悩むのは、手を差し出すことが出来るのか、その資格があるのかということだ。


いま『潜影』には、

己が参加しなかったから、二人の冒険者が無惨を味わってしまった、という傲慢にも似た心持ちと

己に彼らを助けることなど出来ない、己は軍の犬に過ぎないという怯懦な気持ちとが混在していた。


彼はだが、『銀鬼』が、味方を守るように壁になっている黒鬼を打ち倒す大上段を放ったのを見て、己を抑えたのだった。






戦況は決まった。


ここに至り勝機は失せた。


そう悟ったエクサリオスは、脚力強化を発動し、大きく飛び退き、二本杖の黒長耳族を庇うように前に立ちながら、徐々に後退する。


敵は三者、後衛を攻める二剣の部下に向かって叫ぶ。



「撤退だっ!!」


二剣を振るう黒長耳族は、それを聞いて、己の速さを強化し、47層へと撤退へと走り抜ける体勢をとる。

ボブや翼人がそれを阻もうと攻め手に回る。


後退するエクサリオスと二本杖の前には、豪快だが決して隙の作らない洗練された剣裁きを見せるロレントォと、無数の斧刃の軌道を作り出しているニケロットがいた。


その後ろに見えるエーサーベインは黄金剣の劍先をこちらに向けて構えている。



――……詰んだか


ふと心にそんな想いがよぎった。

命を散らした己の部下に、忠誠を捧げている己の上司へと収まりがつかない、そんな想いを抱く。


エーサーベインの構える刃に「力」が集まるのを感じる。


二本杖が辛うじて放った土槍は、しかし豚人に止められている。


ニケロットが二本の斧を振るい続ける。





「苦戦しているようですねぇ」


響く声、奇妙な音程。


誰もがその動きを、その考えを一瞬、止めた。



通路のエクサリオスの後方から現れたのは黄金の鎧に全身を包んだ。


肥大化した蛙のような身形の騎士。


似合わぬ甲冑姿。腹を揺らして迫るのは迷宮の最高幹部。




ロード・シレンカ。



幾つかの影を、奇妙な形の合成生物を、あるいは人間であったモノを隣に置いて、彼はそこに居た。


「玩具のテストに来てみれば、随分とぉ、くぅせんしぃてるようですねぇ」


ニヤニヤ、と笑い、その言葉を放つ彼の顔に浮かぶのはしかし舌なめずりするような欲望。


呟く言葉、放たれる言葉、隠されない下卑た欲望に染まった顔色。




だが、だが、そんなことはどうでもいいことであった。

いま、そこに居た冒険者にとっても、そしてロード・エクサリオスにとってさえも。



エクサリオスの、ロレントォの、あるいは冒険者たちの、

もしくは『潜影』の、なによりロード・エーサーベインの、




その驚愕に満ちた眼差しが、視線が投げかけられているのは、ロード・シレンカのその隣にある彼に対してであった。



彼、そう彼。



驚愕と動揺の視線を自らの隣に置かれていることに気付いたロード・シレンカはにへら、と笑い、答える。


「これですかぁ? これは最高傑作ですよ! とは言ってもちょちょっと弄くっただけで他には特になにもしてないんですけどねぇ」


あれです。素材を生かす調理って奴ですよぉ。そう言い募るヒキガエル。



ここ暫く、およそ二週間以上にも渡ってロード・シレンカを楽しませてきた玩具。






それは髭の男であった。




それは初老で、それは均整の取れた肉体と、

多くの苦難と試練を乗り越えてきた歴戦の風格をその風貌に備えていた。



その目に光無く、その顔に生気無く、構える拳には鉄の籠手。




エクサリオスが動揺から抜け出し、叫ぶ。




「っ! シレンカッ! 貴様っ、きさまっ! なぜ……っ なぜそこにそいつがいるッッ! その男がッ!









――バル・ファルケン=ノースがそこにいるッッッ?!」








最高位冒険者バル・ファルケン=ノースは未帰還者である。


いや、「であった」。




エクサリオスの疑問の慟哭。



ロレントォやエーサーベインにとって、

あるいは冒険者たちを包んだ沈黙の重さは如何ほどであったのか。


それは計り知れない。




そして戦いはこれより、終幕へと向かう。










九烈士



『騎士』エーミッタ・ファーレイ



エミダリア旧帝国、首都エミダリの出身。

高潔にして清廉。実直かつ義に厚い旧帝国の女騎士である。

銀牙騎士団を従えた、旧帝国で最も若く、最も美しいとされた騎士団長。


山嶺の新興国のタンタリアの帝国侵入を防ぐ為に赴いた戦場で、タンタリア国王であった『有角姫』と出会う。

以降破竹の勢いで進撃してくるタンタリアをただ一人よく防ぎ、よく守った。

しかしその後エミダリアは敗戦、タンタリアに併合されることとなる。

責任を取るつもりで自害しようとしていたところを『有角姫』に止められ、

説得の末、配下に加わる。

以降、タンタリアが帝国を名乗り大陸征覇に乗り出したときも、帝国を統一した『有角姫』が神に闘争を挑んだときも、

変わらず傍に侍り、その命に付き従ったという。


魔王領での戦争準備や、魔将集めにも協力。

武人であり、良くも悪くも不器用であったものの、高潔さは本物であった『騎士』は、

差別や偏見とは無縁であり、魔族や魔獣と特に親しい九烈士の一人であった。

(からかいがいがある為、人を食ったような人格の多い魔将に反応を気に入られたのではないか?という説もある)


天上戦争においては、『有角姫』に付き従い、多くの戦闘に参加した。

竜公が地に墜ちる直前、その最期の言葉を看取ったとも伝わる。

後に本人も天山攻略において左腕を失うことになる。

戦績としては、神二柱を屠ったとも伝わる。


新暦においては『法』の神として信仰されるが、それはその公平さ、実直さにちなんだものである。

現在は、『有角姫』とともに行方不明。



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