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二日目 蟹 油断大敵気の緩み 魔法合戦

推敲と加筆修正。終了





もしかしたら誰かが疑問に思っていたかもしれないこと、

それに答えよう。


即ち、なぜエーサーベインは、巨蟹デンザロスについての報告、

それにおいて、巨蟹が言葉をしゃべることを伝達しなかったのか?

ということである。


その答えは簡単。

デンザロスの言葉は、エーサーベインにとって言葉として映らなかった、それだけのことである。


思えば1000年以上の昔に、眠りに着いた巨蟹。

彼が口内に刻む、紋章構成の極北とでもいうべき精緻なその紋章の効果は。

端的に言うのなら、「意志を言葉として変換する」それだけのものである。

無数の文法、単語、意味、それを細密画の要領で、圧縮、要縮し、刻まれたその紋章。


しかしそこに潜んでいる。文法、単語、意味の羅列が何時の時代のものであるのか?

それを一考すれば、エーサーベインにデンザロスの言葉が伝わらなかった理由が分かるだろう。

古すぎる言葉は、例えそれが自らの語る言葉の直接の先祖であっても、理解するのは難しい。

それが、緊張と不安と恐慌に陥っていた戦士ならば、余計に伝わらないのも無理がない。


このような補足説明のような文言を、冒頭に表したのにも、勿論意味はある。


巨蟹デンザロスは、新たに現れた侵入者を相手に、意思の疎通が取れなかったのだ。



古き友、ルーが『鎧』を持ってくると言って、二日目の昼。

あの懐かしき語らいを行った夜は、既に一昨日のことだ。


巨蟹デンザロスは、変わらず王墓に居る。


しかし彼はいま、困惑と困窮の渦に巻き込まれていた。


座る彼の前には、見るからに荒くれという姿の、

大男や傷を顔に作った巨漢、刺青を身体に這わせた暴漢の類がひしめいていた。


その数はおよそ18。

3~6が基本とされる。冒険者の編成。一グループの人数。

それが4つ、18人。


そもそも共同での迷宮探索を行う冒険者は普通いない。


それは報酬の分配の問題であったり

急造のチームでは十分かつ効果的な連携と協働を取ることが難しいという問題が存在するからだ。

それらの事柄から、大規模なチームを組んで迷宮に潜る冒険者は滅多にいない。


しかし、その機会はゼロという訳ではない。

むしろそれなりに長い迷宮の歴史の中、冒険者が集い、チームを作った事例というのは意外なほどに多い。


そしてそれが結ばれるのは、どんな時か。

大抵のところ、それは要縮すると三つになる。

強大な魔物、厄介な怪物、迷宮軍との大戦争の三件だ。



この場合、強大な魔物はデンザロスを指すことに疑いはなかった。


この冒険者達の思惑は何か、

例えば、かのロード・エーサーベインが敗北したという巨蟹を、自らの手で討ち取り、賞賛と名誉、冒険者組合からの報酬を目的としたものかもしれない。

例えば、巨大な怪物に、巨大な古代遺跡、そこにあるかもしれない古い宝物が目的なのかもしれない。

あるいは、巨大かつ鉄壁の巨蟹、その身体の部位を未知の素材として渇望した武器マニア的根性の表れかもしれない。

ともすれば、決して他人の図り知ることのできない、深い理由かも知れない。


しかしそのどれであってもデンザロスにとって大差はなく、面倒なだけである。

冒険者同士でもそれは同じだ、彼らはそもそもデンザロスに知性を想定していないし、

他の冒険者の目的など気にしていない。

それぞれが、それぞれの欲望と目的のためだけに連帯する、この冒険者18人はそんなチームであった。




髭の男は、大人しい蟹を前に言う。


「はぁ、こりゃっでっけぇな」


答えるように傷の男も呟く。気弱げな男ではあるが、この中で唯一の最高位冒険者である。


「な…なあ、これほんとに勝てるのかよ」


「ああァ? おいおいどうしたよてめぇ、いまさら怖じ気づいたってか?」

「はっ! 臆病者チキンが」

「怖いなら宿にでも帰って寝てろや!」


他の荒くれ風の男たちが揶揄するように嗤う。

嗤われた傷男はむっとした後、おもむろに厳めしい顔を作りそれに反論する。

しかし最高位冒険者ではあるものの、その臆病さは有名であり、それが中位や高位の冒険者たちにも舐められている彼という図式を作り出している。怒った時のしゃべり方の滑稽さも、彼の扱いの低下を招いているのだが、しかし彼はそれに気付いていない。


「ば、馬鹿にすんじゃねえぞっ! こんなデカいだけの木偶の坊に俺がビビるワケねえだろうが」


笑い、応酬、野蛮と野生の香り、粗野の凝縮。

いきなり目の前に現れ、躊躇なくこの蟹へと近づいて来た冒険者たちのチームに、

蟹はとまどいを隠せない。

彼らの言葉はわからない、ところどころ自らの知っている言葉に似た響きのことばを感じるが、

やはりなにを言っているのかは殆ど全く分からない。


デンザロスは先ほどから、話しかけ、声を出し、交渉あるいは会話をとろうとしているのだが、それが理解されない。彼らの言葉も理解出来ない。


ただ分かるのは彼らがこちらを見くびっているということだ。


「舐められたものだなぁ」


蟹は言葉を音にする。

人の言葉を放つには、口内の紋章が必要であり、魂の力を使ってそれを起動し、

意志を言葉に変換する。

しかし、それは伝わらない。


「おいおいこいつ啼いたぜっ!」

「蟹の鳴き声か、始めて聞いたぜ」

「別な鳴き声なら、毎晩ベッドの上で聞いてるんだがなぁ」


ふざけた雰囲気。

そこには強者への認識も、警戒も存在しない。

数の優位。エーサーベインへの嫉妬。欲に眩んだ瞳。

彼らの持つそもそもの気性。

事実、彼らはこの蟹を警戒していなかった。

エーサーベインが破れたとしても、この人数が居るのなら、多少の被害が出ても討伐出来るだろう。

そんな驕りに心の中は一色に染められていたのだ。


デンザロスは、しかし彼らを醜いとは思わない。

この欲望、この愚かさも生命の象徴である。

そも生とは、醜く汚らしいもの、これぐらい薄汚れているほうが、まさに生命という感を覚えるのだ。

デンザロスは、だから彼らが、目前を幾ら通り過ぎようがしようが、

下品で下劣な様をもって、至近に群れていたとしても、それだけで排斥をしようなどとは思わない。


ルーより、聞いている通りの、冒険者という生き様の象徴が感じられて、むしろ心地よい位であった。


――舐められるのは頂けないがな


そう考えるデンザロスにはしかし余裕がない。

彼は、冒険者という「今、この世界を己の意志で生きている生命」の可能性を摘み取りたくはない。

出来うる限り、問題にならぬよう、ルーが来るまで間ここで待っているつもりであった。


しかし目算は崩れ、今、目の前には冒険者らしい命知らずが集まっている。


彼らに見えるのはデンザロスへの敵対の意志。


――逃げることが出来るのなら。

逃げただろう、デンザロスは、彼の高潔さは、目的の為の逃走を恥とは思わない融通の利くものだ。

されどここは密室。広大とは言え密室。

逃亡する先もない。


戦闘は不可避。


「ならばどうする?」


蟹が呟いた。


同時に、冒険者たちは刺青の男の一括で騒ぎを納め、各々武器、魔具を取り出し、紋章を起動させる。


剣、鎚、刀、槍、杖、魔導書。中には短刀や斧を取り出した者もいる。


刻印も用意し、魔法陣を刻み、見るからに高価そうな法器を幾つも持ち出し、地面に刻印を記している傷の男は儀式大家だろうか。


戦闘準備だ。


見積もりもなく、欲に目を眩ませ、情報さえも断片的でありながら未知の巨蟹へと戦闘を挑む彼ら。

愚かだ、一流の冒険者であったなら、より情報を入手してようやく蟹に対する対応を熟慮しただろう。

彼らは冒険者としても、一流というよりは三流、よくて二流半といったところの者ばかりだ。

中位冒険者が中心であり、高位冒険者が何人か、最高位冒険者が一人。

その性質は皆、考えなしで粗暴。楽観的。そのくせ暴力と闘争に関してのみ一定の能力を有する野蛮な山賊気質。欲望により、冷静な判断を下せない類の、考えなしのはみ出し者ばかりであった。

彼らが群れて、チームを組んだのは、せめてもの理性の表れなのか。


蟹を他の冒険者に討伐されることを恐れた彼らは時期尚早に行動を起こした。

蟹に千金の宝を、利益の匂いを求めた。



蟹は先ほどの呟きに自ら答える。

――遊んでやればいい。



殺すつもりもない、実力を示し、あるいはあちらの攻撃を避け、防ぎ続ければいい。

蟹はそう考える。

携えた武器を振りかざし、こちらへと、冒険者達が突撃を始めたのを尻目に見ながら。

そう思った。









冒険者たちは咆吼する。


考えなしとも誹られる。


暴挙とも考えられる。



軽挙そのものとも言える拙速。



欲望に素直な彼らは、思考するよりも実行するような彼ら、

しかしそれでも彼らは戦闘においては腐ってもプロであった。


あるいは彼らにはそれしかなかったのかもしれない。


戦略はない、準備も不十分。

しかし獣のような戦術だけはきちんと用意していた。


とはいえそれは基本とも言える戦術であったが。



前衛として十二人の冒険者が蟹へと攻め寄せる。

細かい連携はない。

彼らは隣の冒険者の動きにせめて合わせることしか考えられない程度の急造チーム。


大柄な荒くれどもが、徒党を組み、強化された腕力によって。

鋭化され槍。重みを増した鎚。炎を纏った剣を蟹の足にたたきつける。


後衛、数人の魔導士が、紋章から火を放ち、雷を、大気の圧縮を放つ。


時間稼ぎ、彼らの狙いは、儀式大家の儀式法。

鍵を魔法陣の中心に置き、刻印を使い、世界へと己を埋没させ、語らい、それを掴もうとしている傷の男。

人が直接、儀式大家により世界に干渉する時、刻印をもってして自動で魔法が発現することはない。

刻印は世界を理解しやすくするための道のようなもの。

そして世界を理解した後、所定の方式に力を定義し、形作るための馬車のようなもの。

なにもない状態で、世界に満ちる「力」に対峙するよりも。

恐ろしく早く、高い完成度で、儀式大家、即ち世界に満ちている大きすぎる力を扱えるようになるだけのこと。


早くなるとは言え、幾つもの刻印を同時に使用し、それが複雑に絡み合った刻印を使用する儀式法は、独特の難度が存在する。

刻印による力の構成の他に、詠唱法により世界の形を想定しなければならない。

掛かる時間と思考は、膨大だ。

それでも最高位冒険者でもある傷の男は、それらの絡み合った広大な魔法陣の上に座り、黙々と世界を探索している。

世界に直接触れているとも言える。

発現効果の大きい儀式大家による攻撃、それこそがこのチームの勝ち筋であるらしい。


指揮官らしき刺青の怒号により、攻撃が加わる。


ガンッ、と岩を殴るような音。


「かてぇッ!」


岩ではなく、まるで鉄のように。

響く音は鈍いものばかり。


「なんだこりゃっ!!」

「どうなってんだよっ!!」


力の込められた武器が容易く止められる。


何事もなかったかのように、攻撃は止められる。


幼児の振り上げた拳で傷つく大人は居ない。

つまりはそういうことである。


「それだけか?」


――つまらない。

蟹はそう言いたげに、不機嫌な調子で呟く。


ことばの分からぬ冒険者にも伝わった。


今の音は落胆の調子を帯びていると。


躍起になる冒険者。


振り上げられ、落とされ、音が鳴る。


ガキンッ、ガツンッ、ガギィッ!

響く音。さざれ石でも殴っているかのような鈍い響き。


後衛から飛んでくる術法の火も、雷も、大気のうねりも、

しかし蟹の身体を傷つけない。


やがて、冒険者の咆吼は、音を減らし、幾たびかの打撃と剣撃と魔導による複撃が加えられて。

その後、咆吼は完全に止んだ。

――湧くのは些細な恐怖、不安。

本当の愚か者とは、考えぬ者、想像せぬ者、疑わぬ者である。



「……おいおい」

「ばかなっ、こんな筈では」


彼らは結局のところ舐めていたのだ。

どうにかなる、というような楽観か。

あるいは、蟹という敵のさきにある、栄誉報酬名誉、そんな幻視が、

彼らに、蟹という目前にある脅威を認識させなかったのか。


勢いは、似たような者が集まる内に。

そして気持ちが、楽観が高まり、

怒濤のように、迷宮まで彼らを駆り立てた。


「刃ぁ欠けちまったよ……高かったのに」


不思議と、攻撃を仕掛けてこないのは蟹。

その偉容。堅固。そこに垣間見える余裕。

冒険者たちの意気はみるみる萎えていく。


萎えていないのは、世界という大きな「力」の渦へと己を一意している傷の男と、

指揮官らしき、刺青の巨漢。

(傷の最高位冒険者はそもそも意識を陶酔させ、没入させているので外が見えていないとも言う)


「ふ、ふざけるなっ!」


刺青は、意気を挫かれた冒険者どもを見やって、憤る。

次に蟹を見て憤る。


――こんなはずじゃあなかった。こいつは狩られるだけの獲物で、

――俺は、俺はコイツを討ち取って英雄として讃えられる。

――そして、そしてあの雌狐は、おれに傅く、その筈だ、その筈なんだ!


あるのは醜い狂熱。願望と欲望の入り交じった黒い原動力。

自らが最高位冒険者になれない原因である雌狐の顔を思い浮かべ(と本人が考えているに過ぎない)

屈折した欲望をトリガーに、意志の撃鉄を振るわせ、刺青の男は激情の気炎を立ち上らせる。


「ふざけるなよ…… 蟹風情がッ!!」


刺青の男は、足を、肉体を加速させる。

意識、紋章起動、足部、脚部、全身、速度加護、強化、二重。

全身に入れられた刺青――紋章を輝かせ、油断していたデンザロスの腹部下へと辿り着く。



蟹の弱点は腹部である。

しかし、その巨体の腹部の真下とは、そのまま腹に踏み潰される危険と表裏一体である。

冒険者たちは、それを考えたが、脚の堅さと蟹の巨体さに尻込みしていた。

しかし刺青の高位冒険者は、それに頓着せず、腹部の下へと、凄まじい速さを持って滑り込む。





デンザロスは油断していた。


それは先の黄金剣の冒険者の如き超技をこの冒険者に期待していたことに端を発する。


だが思いの外、彼らは単調で、単純な力任せの技ばかり、技巧らしきものもなくもないが、

しかしそれは先の冒険者ほどに洗練されていないという現実に。


――これだけなのか?


と思いを浮かべる。


確かに、それぞれどの冒険者も、かつて自らの生きていた時代の人間の戦士や闘士よりも、

装備も、導術も、見事かも知れない。技も平均して高い。


しかし、それだけだ。

あの黄金剣の冒険者ほどの驚きも、油断の出来ない警戒も感じない。

――あれは、この俺と戦闘をできるほどの人類だった。

とそういった一種の尊敬を改めて黄金騎士に思う一方。


――冒険者とてピンキリか

と過剰な期待をしていたことに気付く。

そもそも警戒心が最初から足りていなかったなコイツら、と思い納得する。


考える蟹は、冒険者たちの立てる声が小さくなっているの聞きながら、黒すぎる瞳で、彼らを改めて一瞥した。

冒険者達が持ち込んだ九つカンテラが、周囲を照らしている。

日頃、黒一色に染まる、城のごとき室は、灯器に照らされ、爛々と蟹の甲羅を、赤と青で染めている。

蟹の心にあるものは隠しきれない落胆。期待はずれの念。


広大な室の中央にいる自らは、この戦闘が始まって全く動いていない。

鋏も、脚も、甲羅も、始まった時のまま、ただある。


――あと、注意すべきなのは、段差の中ほどで、一人世界に入り込んでいる儀式大家の男ぐらいだろう。


冒険者への慈しみの念、尊崇は変わらない、しかし評価は変わった。




そんな時、一人の男が、腹部の真下へと入り込み、その構える斧の紋章を起動させる。

鋭く、重く、爆発する斧。

一人の男の身勝手な矜持の爆発と咆吼。


「うああああああああぁぁぁぁああああああああああぁぁぁぁっっ!!」



醜い咆吼は、しかし絞り出すような絶唱。

鈍く、音を立て、刃はぶつかり、砕け、その後、内蔵と周囲を巻き込むように、斧が熱を放ち、破壊しようとする。




「がっ?!」



蟹は鋏を思わず、振り上げる。

泡が、はき出される。

呻く音。



冒険者という可能性に対する柔らかな方針。

落胆から来る油断。こいつらはたいしたことがないな、という慢心。

それらが混ぜ合りあい、現れた。その一瞬の隙。


それを見抜いたかのような、刺青の男の絶妙な攻撃のタイミング。

あるいは見抜いていたのかも知れない、この男は、腐っても高位の冒険者であったのだから。


それは確かに、蟹の身体に、大きなダメージを与えた。


一瞬の油断は命取り、犬も棒に当たれば、猿も木から落ちる。



デンザロスの腹甲は、男の加速、体重の載せ具合、重さ、効果、なにもかもが上手く決まった一撃により。

腹部の中心を始めとして大きく砕かれていた。

後少しで、味噌にまで到達しえたほどの一撃、満足に言葉も喋ることのできぬ状況に蟹は落ち込んでいた。



予想外の攻撃を喰らって。

蟹は、とっさに判断を切り替える。

件の冒険者は、もう一撃を、それこそすぐさまに放とうとするだろう。

周囲の冒険者たちも腹の下へと行動するかも知れない。

勝てないと一度考えて恐怖した相手が、無様にも不覚を取り、それなりの被害を受けたその姿。

失われた熱狂は、より大きな狂騒としてよみがえる。

命を捨てるかのように、同じような真似をはじめるかもしれない。


そういった色々な判断を、刹那の間に済ませたその蟹の歴戦の経験。

こういった前衛の冒険者への油断や高慢は払拭された。


刹那の判断の後には、刹那の行動。




蟹は脚を動かす。

横に、縦に、無造作とも思える程の支離滅裂な軌道を描くその機動。

冒険者からの逃避。


しかしそれは余りにも早い。

巨体が動くその速度は、ともすれば異様でもある。


瞬く間に蟹は、外周部最上段。

ロード・エーサーベインの開けた穴(入り口でなく、その向い側の穴)がある辺りに居る。

睥睨するのは、己に傷を与えた、有象無象ども。

――いや。命は取りたくない、というのが傲慢だったのか?

――しかし、ここで彼らを殺めれば、俺の噂はさらに広がり、恐怖を呼び、人々の記憶に残ってしまうかも知れない。萎縮も招くかも知れない。

――――いや、だが、しかし、明日には外へと脱出して消えるこの身。ならばなにを恐れることが……

――――いやいや、干渉はしたくはないが……、しかし痛いなぁ。


約束が彼を縛る。自らの一度決めたスタンスを破ることへの忌避を感じる高潔さが彼を縛る。


痛みをこらえ、歯を食いしばる。


そんな蟹を見る冒険者の目には驚き、

未だに蟹がどこにいるかも理解していない、あるいは高速移動の事実を認識をしていない大多数の冒険者。

しかし、後衛の者たちは見ていた。あるいは攻撃を仕掛けようとしていた刺青も見ていたかもしれない。


その蟹の異様とも思える機動を。


恐怖、恐れ、エーサーベインが抱いたのと同じそれをワンパターンにも思う。


しかし、違うのは、彼らは、そこに脅威があると知って近づいてきたことにある。

それは、死の覚悟をしていとた言い換えられるはずだ。

(とはいえ、欲に目の眩んだ彼らの内、一体誰が、己の死を真剣に想定したのか、だって彼らは勝てると思っていたのだよ?)


この時、ようやく、蟹の脅威を真剣に受け止めた彼ら。

それは遅きに失したのかもしれない。

なぜならデンザロスは己の理性と感情を戦わせていたのだ。

痛みへの報復を訴える感情本能と、それを抑える彼の持つ理性との激突。

下手をしたら、蟹は彼らを殺めるかもしれない。

今の一撃はそういった一撃であった。


蟹は悩み、冒険者たちを尻目に、己の心の内で激情と理知を戦わせていた。








傷の男が行動を起こしたのその時だった。


深い深い儀式の見せる闇の奥、あるいは自らを取り囲む世界、空気、大気、力のもや、そこに至り、

遙かなる絶対神が滝のごとく垂迹しているこの「大きな力」に己を埋め込み没我し没入した傷の彼。


初心に返ったかのような恍惚を、母の胎内にいるような安らかささえ感じていた彼は、そこから立ち返った。

何もかも捨て去るかのように、放下しきった末に、また現世へと帰ってきた彼にはしっかりと「力」が握られていた。



――準備完了だぜぇ。



そして夢と現の境、朧な意識、灯器の照らし出す明かりさえも微かなものとして感じられる夢現な心像の中。

一人、賢者のごとき、仙人のごとき淡い全能感で、対象を。

蟹を探し、発見した。



今、世界の力は理解した。壮大な理解だ。

七種の刻印を持って、二種の想像を働かせ、夢のような力をこの身に、この魂で感じた。

それらは輝きであり、力だ、些かの動揺もあり得ない大地を味方に付けたかの如き力だ。

魔法陣には十の宝石とさざめいた波紋岩。

それを供物として。彼は、魔法陣と刻印と想像の組み合わせにより自由に操作できるようになった「力」を、――発動させる。


儀式大家――儀式法。傷の男を最高位冒険者たらしめた技術。世界という者を理解できるまで己を捨て去ることが可能であるという狂気の世界の住人。


魔惨迷宮三十万の人口の内、十人に届くかどうかという秘技。

この傷の男、人格はともかく、資質においては、間違いなく優秀な儀式大家であった。


冒険者たちの奇妙な強気を支えていたの彼であり、

彼を持って、蟹狩りは、成る。




魔法陣の内、傷の男は、胡座を組み静座している。

神秘の匂いは、信仰心の薄い者の多いこのチームの冒険者をもってしても『至高』や『混沌』神のために、思わず祈りのU字を書く程に濃厚にして香しい。


男は両手を挙げ、世界に満ちる力を理解したまま、蟹の周囲の力までも、その意識の下に置いていく。

意識――理解――定義――発現。


儀式により操れるようになった、一定量の力と属性と概念に従い。

蟹の近くの空間を支配下に置く。


蟹の迷い、蟹の睥睨、蟹の怒り。

それらをものともせず。

男は、上げた両手の平を、胸の前で、たたき合わせた――





デンザロスは、悩みつつも見ていた。

視界の隅で男が、いきなり手を上げ、それをおもむろに胸の前で合わせたのを。



瞬間。



――圧力

蟹を、蟹の、堅固にして屈強な肉体を無理矢理に、押しつぶすかのような、凄まじいまでの圧力。


「ごっ、が、がががが」


ブクブク。と泡が吹き出る。


圧力は続く、蟹の身体を、絶対硬度を無視して、ひねり押しつぶそうとするかのような絶対的な暴力。


「ぐっ、がぁ」


蟹は呻く。

甲羅ごと、堅い外皮ごと、押しつぶそうとする企み。

その圧力は続く、それどころか蟹の周囲のあらゆる空間からその圧力は迫る。

咄嗟の判断で、腹を地面へと接地し、脚を身体に密着させていなければ、圧力が発生した時点で破裂してしまったかもしれない。それほどの圧力。


「がぁっ、がっ、ぎぃ」


響く音は、みちみち、きちきち、という嫌な音。

モノとモノが無理矢理、一緒くたにされている音、甲殻と外殻、鋏、脚、外皮、内皮、それらのぶつかり合う音、押しつぶされようとする音。


ここに至り。


蟹は油断も、慢心も、慈悲も、容赦も、その一切を捨てた。

あるのは純然たる殺意。

その思考は赤々とした殺意の黒一色。

単色、約束も、干渉も、高潔さも、そこにはない、死に瀕しているもの特有の余裕のなさ。

外圧。外圧、蟹を囲み、むりやりに丸くさせる歪な強制力。


蟹周囲の空間を、支配下に置き、「力」を使って大気を圧力へと変換し。

それを自らの意識の延長線上においている傷の男。


今また手の平と平を合わせ、手首を回している彼に従うように。

巨蟹デンザロスの周囲の空間は捻れ、圧力を作り、その上、膨大にして無限の外なる力をも圧力に変換し。

己の周囲の外なる力と蟹の周囲の外なる力までの一定範囲を、支配下に収め、

傷の男は圧力を高めている。操作している。


蟹は己の前提を見誤った。

エーサーベインにより高められた戦士系冒険者への認識。

このチームにより、より正確に判断されたそれとは違い。

導師、法師といった『力』を操作するものに対する認識が薄かった、低かったのだ。

これほどの儀式大家、蟹の時代にもいたことはいたが、それこそ仲間を除いたならば(友人のある大猿などはこれぐらい児戯同然で行う)

一国に一人、あるいは一大地方に一人いるかどうかといったところであろう。

油断かも知れないが、しかし油断ではない。情報不足とでもいうべきもの。


猫の失態もある。

かつての時代よりも、大きく洗練され、多くの刻印の組み合わせが、

そして補助の魔具が、この現代では生み出されたことを説明していなかった彼女の失態も、

蟹のともすれば無様な現状の一因だ。




想定外の大技。

持続的行使。

掛けられ続ける圧力。

眠りから覚めたばかりであるのに、訪れた命の危機。

猫という古い友人と会えたことに覚えた心からの安堵。

古い、友人たち。


沸き上がる意志はなにか?

生への執着、怒り、憎しみ、自己嫌悪、喝采。



「が、がががががががが」


蟹は、なけなしの意識を集中させる。

圧力に耐えるために。


己の甲殻に刻まれた。五種の刻印の内、一つを意識する。


圧力、脚が折れそうである、内臓が、欠損部分が、抉れる。

下方向からの圧力がないのがせめてもの救いだ。



「力」を意識する。

外にある力を。刻印により、巨蟹デンザロスの周囲の「力」、

即ち傷の男の支配下に入っている力へと干渉し始める。


そして外を意識しながら、内をも意識する。

甲殻に這わされた紋章が光を灯す。

刻印を意識しつつ、それとは別に、甲殻と脚、全身にある小さな溝、模様つまりは紋章に力を流す。



「意識」――外甲殻・内甲殻・脚部――儀式小家・紋章法――導力

――防御強化・硬化・自動再生・自動再生・自動再生――五重同時・発動



甲殻を防ぎ、補う、外圧に耐える為に。

破損や欠損を魂の内にある「力」を使って補修する。

蓄えられた魂の器の内にある力が、持続的紋章の多重起動により大きくその量を減らす。

長き生により拡大に拡大された魂の、器の容量をもってしてもこのままでは、30分ほどでそこに「収める」力を枯渇させるるだろう。


甲殻は硬化し、また外から圧力に抗する重さを得た。


傷は癒え始め、全身の筋肉、肉体を十全に行使できるようになる。


幾分、緩和されて感じる、傷男の作る外圧。

それは、全体的な防御力の上昇と、あるいは傷の回復とによって生じた余裕。

余裕とは言え、外圧は、傷男の作る圧力は続いている

幾分緩和されたように感じるのは、デンザロスが備えを作ったからである。




傷の男の儀式大家の起動と、

それにより蟹の動きが止まったのを見て、安堵した様子で蟹の耐え苦しむ様を見ていた冒険者たちの間に動揺が走る。


傷の男は、世界とつながっている。魔法陣により(つまりは儀式大家・儀式法により)、多くの外にある力を自らのもののように操作し、圧力とし、壁として、自由に扱うことが出来る。

彼と、彼の周囲、あるいはこの王墓に漂う「力」 世界そのものとも言える、絶対神から垂れている滴の如きその「力」

それに浸り、それを借り受け、圧力へと変換し続け、蟹にぶつけ続けている現状、圧力への変換と力の自由操作をもって蟹を圧殺せんとしている現状。

この王墓の「力」は男の支配下にあった。男は「力」であり、「力」は男であった。この王墓という世界は、彼そのものであった。



男は、力を回復した蟹を感じ、それに対しより多くの「力」を蟹の周囲の圧力として変換し、そこにねじりを、歪みを、波を加える。

その操作に対応するように、魔法陣に趺坐するおとこの両手に込められた力は高まり、その手と手は動き続ける。


蟹を、潰す。そのための圧力、高まり続ける。

勿論、傷の男は、常にその「力」を理解し、想い、自らの意識、魂から離れぬように常に注意し続けている。

傷の男にとっても、精神と心に対する絶大な負担が掛かり続けている。

外の「力」を持続的に操作すること、その負担、その繊細さは常人には計り知れないものである。





蟹は圧力は感じる。

さらに強い圧力、自らの身体に対する。強い強い圧力、そして「力」


しかし、蟹はそれに耐え続ける。

この蟹が耐えている力の重み、鉄塊でさえ刹那にひしゃげ、薄くなる、超圧縮されるような圧力。

巨蟹の身体を中心に、「力」は高まり続ける。


だが、蟹はもう、先ほどのような無様を晒していない。

その姿、その形は、毅然とし、そのバックラーのような大きさの瞳に、焦りも、恐れもなにもない。

その館の如き身体は、屈強な忍耐をもって、整然としたさまをもって、死をひしひしを想わせる物凄まじい圧力に抗していた。


――耐えきれないかもしれないではない。耐えるのだ。


鋼を越えた意志、自らの甲殻の堅さの如きそれ。

そしてようやく


――刻印を、パイプとして、外の「力」を、敵の支配下にあるのこの「力」 干渉させてもらうぞ!



刻印を意識する。

外の力を意識する。

デンザロスは、残りの全意識を、自らを取り囲む圧力へと変換されている「力」への干渉、浸食へと注力する。


意識――世界――力――干渉――儀式大家・刻印法――定義:『蒼』

――失敗

意識――世界――力――干渉・浸食――世界――敵性体操作中


力を込めている傷の男は、気付く。

己の操作する「力」 俺の操っているこの「力」、俺の定義しているこの「力」へと

――何者かが、干渉している! と



暗い王墓、九つの灯器カンテラの光。

照らされ出されている蟹の眼が、こちらを見据えている気がした。

――蟹がっ、魔獣ごときがっ?! この俺の、俺の儀式大家に干渉するだとっ!


ましてやあの圧力の内にあって、それに耐えながら、世界を、そして身の回りにある「力」へと意識を没入させるその精神力。

――そんなモノを持ち合わせている魔獣が、いやそもそも儀式大家を行使する魔獣が、存在するわけがねぇっ!

――まさかあの魔物には心が、高い精神が、あるとでも?! そんな魔獣が、魔獣がっ?! 

いるはずがないっ、もし居たとしたのなら、それは、それはまるで……


驚愕、予想もしない抵抗。

傷の男の恐ろしい予測。

今、対峙しているこの怪物が、正体についての予測。



その瞬間、蟹を囲んだ圧力――「力」の緩み。

本当に些細な緩み。

それを蟹は見逃さなかった。


力の合間、傷の男の同調の薄い「力」の隙

そこに己の意識を合わせる。

外の「力」を理解する。

大きな、莫大なもの、あの遙か上、混沌の源を感じる。

世界に満ちている力に触れた。

触れ、支配下に置き、定義づけ、理解する。


意識――世界=力――儀式大家・刻印法――定義:『蒼』

;行使者『大蟹』デンザロス・デンザロス・ペンタレシア

――理解・定義・支配――刻印法『大海嘯』――『支配範囲及び量が足りません』『純度可』



外なるもや、外なる力、王墓に満ちる「力」の一部を占有する。

力とは使えば勿論、消費される。

しかしそれは、全世界の全空間にある「力」は、消費した瞬間に、天上からまた零れ落ちて補充される。

「滝の水を一番下で小さなコップ一個で受け止めている世界」というのは古い研究者の比喩であるが。

滝の始まりこそが「無にして混沌、有にして絶対の神」である。

空間にある力。

それを支配下に置く、あるいは借り受ける儀式大家。

儀式大家同士、法師同士の戦いとは、リソースの奪い合い、空間の力の奪い合い。世界への理解がより深く純粋なものが勝利を収める戦い。

それは熾烈だ。それは見えない。

そも肉体戦闘において、肉体のスペックにおいて劣るものの多い儀式大家が、このように法と法を競わせることなど滅多に存在しない。



その希少な戦闘が、薄暗く、薄明るい王墓において行われていた。



傷の男は、自らの失態を悟る。動揺を突かれた。

儀式法。

その上、王墓に満ちる「力」のほぼ全てを支配下に置いている。

一定範囲の「力」の量と形、属性、方向をコントロールすることができる儀式法に対し。

刻印法では、一定の形でしか、「力」を理解し、操作することができない。

大抵の場合。世界に満ちる「力」が一定範囲必要だ。


発動要件を満たす、世界理解をさせなければ、あの蟹はなにもできねぇ。とそう考えるのは男。


このまま一気に「力」を掌握する。と考えているのはデンザロス。


始まるのはせめぎ合い。


デンザロスが行うのは、敵の囲いを食い破ること。

自らの周囲を固め己の甲殻を圧迫する『力』は健在

油断、手痛い傷、死の淵、見るつもりのなかったそれを見せられたことへの憤り。

己への、なによりも目の前の敵に対しての憤り。

油断せず、世界に満ちる「力」 敵の支配下にあるそれを意識する。


傷の男は、周りでざわめいている冒険者たちを意識の外に置いたまま。

目を瞑り。

世界に身を浸す。

己の周囲の、あるいは蟹の周囲の「力」を抑え、閉じ込めるように、意識する。


綱引きをしながら、あんパンを食べつつ、空の色に思いを馳せて、脳裏で九九の暗算をするかのような極限の集中の分散思考。



……

…………

……………


あるのは緊迫。


意志と意志、理解と理解、「力」を巡るゼロサムゲーム。


続くせめぎ合い。


傷の男の汗。


男の操作する圧力に耐える蟹。


精神と、魂の上げる悲鳴。


「燃えさかる心と天使の境地、静かな鏡面に泳ぐ、無限の数の白鳥を全て捕まえることを望むこと」

それを「力」 世界に満ちる「力」を、理解すること、と述べたのは一体何時の研究者だったか。


1分、2分。3分。5分。時は7分に近づく。


この戦いが、既に一昼夜行われているかのように錯覚する傷の男。


しかし今は昼だ。


男が号令を掛けてからそう時間も経っていない。


じりっ、と、多分どこかの冒険者の靴のずれる音。


汗が、ぽたりと流れ落ちる。


蟹の口からは泡。それがランタンの光によって、歪な朱に満ちて見えるシャボン玉のような泡。



……

…………


人と蟹。

無限の可能性を秘めてはいるが、限りも多き人の身と。

歴戦の、限りない儀式大家行使を経て、長き生において弛まず戦い生と死を見つめた長命の異形蟹。


傷の男は限界を迎えた。

精神が、心が、脳が、灼けている。

刻一刻と、脳が、魂が、煌然と燃え尽きはじめる。

脳味噌が蝋燭になったかのような錯覚。



――人の子よ。俺の勝ちだっ!


蟹はそのとき、ほんの数瞬前まで、傷男の支配下にあり、傷男の意志が介入していた「力」に、

自らの意志を合わせた。


範囲が、質が、量が獲得される。

刻印に従い、概念を切り取り、定義した「力」

それが刻印に従って、一定の形となり、暴力となる。





その時、冒険者は見た、刺青も、髭も、小柄も、大柄も、のっぽも、ちびも。


空中、蟹の真上、そこに、透明な塊が現れたのを。


ランタンの光が入射し、揺らめく炎に合わせ、まるで火を閉じ込めたガラス玉のようになっている塊を。


見た。



刻印法『大海嘯』



刮目せよ!


透明な塊は水である。


丸い水の塊。


それは冷たい、それは歪。


それは輝き、赤く、暗い。中空を漂う水は、やはり歪。


水とは蒼であるというが、その実、透明である。


その塊は、しかしやがて、ぽつりぽつり、と蒼を内包し始める。


やがて蒼は広がる。まるで絵の具を水に流した、色水のような不自然な蒼が塊を覆い尽くす。


それは回る。


それは流転する。


それは回転する。


それは流れる。


速さ、量、色の濃さ、それらを漸増させ、その勢いは高まり続ける。



傷の男は、精神の死力を尽くす。

既に発動されたことを察知しながらも、必死にその蒼の塊に干渉する。

己の操作及ばぬ「力」が増え、儀式法の効果が薄れ始め、世界への理解が薄まりつつある。

そのことを察知しつつ、しかしそれでも諦めず、男は、蒼の塊へと理解を進めようとする。



すでに冒険者たちは退避を始める。


あるものは加速し、あるものは跳躍する。


ほんの一時前、勝者の錯覚に溺れてたときの感覚は、もうない。


必死に――駆ける。


走る。跳ぶ。転ぶ、また走る。



冒険者の先頭が穴に入ったその時、



丸い蒼は、その冒険者を追いかけるように穴に入り込んだ。


やがて先頭の冒険者、そして穴に既に逃げ込めていた冒険者は、

毒々しいまでの青さ、創作物の如き蒼さを持った水に飲み込まれる。


唯一の出口を塞ぐよう、不自然な蒼の水球は、穴の中に鎮座する。


玉の回転は、玉の流れは、まだまだ速く猛る。


穴の中にいた冒険者を自らの内に閉じ込め、窒息させる。

その上、その勢いと水圧により、水球の中の冒険者は引き千切れていく。



玉の入っていった穴、たった一つの出口を見つめるのは、幸運にも穴に入るのに間に合わなかった冒険者たち。

しかしそれは一瞬の幸運に過ぎない。

やがて蒼い水は、王墓の中に流れ来む。

蒼が、不自然な蒼が怒濤の如き勢いで、古代遺跡の中を満たしていく。

水は迷宮には流れない、流れ、回るのは、王墓のみ。

怒濤の水流は、数秒で、城さえ入るような巨大な王墓を満たしていく。


水は流れ、回転する。廻り、廻る。

縦に、横に、渦を描くように、無慈悲な暴力を振るい続ける。

蟹は、その中を塵のように廻る数秒前まで冒険者だったものたちを無表情に眺める。


刺青も、髭も、傷も、巨漢も、のっぽも、ちびも、小柄も、大柄も。

水圧と水流の激動に巻き込まれ、一緒くたに引きちぎられ、潰され、窒息させられ、分け断たれる。


ミキサー。あるいはフードプロセッサー。

ふと、そんな言葉が脳裏に浮かぶ。


数十秒後、水は引き、

水はまた球をなし、そして消えた。



引いた水の後、動く者はなにもない。


死後の世界のような沈黙があり。


無数のがれきがあり


ところどころに落ちているなにか肉片、そして金属片が。零れた米粒のように点々とあり


王墓の隅に、一匹の蟹が微動だにせず隅にある。


最後に、鋏の合わさる音が鳴った。

蟹の瞳には何があるのか、

達成感か、後悔か、徒労感か、自己嫌悪か、あるいはその全てか。


それを見る者は、しかし誰もいない。










『人形師』ゲウーネェフ


出身不明


金属と生命の融合、異能研究の大家、儀式大家を体系付けた男。

魔王領において第二の魔王と呼ばれる実力を誇っていた。


膨大な儀式刻印を身に纏い、外にある「力」を儀式大家を行使して操り、

無数の人形を即座に制作できたとされる。

儀式小家の詠唱術でその人形を操作し、一人で軍勢を作り出すさまは正に『人形師』


その後、地軍に参加。

マッフ機巧と……の神器理論、ガルニゼスの『力:金属』を駆使し、

完全自立人形を開発した。


人形を従えた彼は一人一軍として天上戦争においても活躍。

主に防衛においてその能を発揮した。


新暦においては『高位悪魔』として各地の説話に登場する。

一説においては、大陸東方の島嶼部に人形の国を立てたという。


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