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一日目夜 小さな話


深夜未明。


夜は更け、人の声も、夜に生きる住人の声も幾分落ち着ち付き始めた時分。


日は変わり、道と道の間を往く民衆の姿は、殆ど見当たらない。


昨日から町の至る所で噂されている、治安悪化、凶悪犯罪頻発の噂は、

酒場で、主婦の間で、客と店主の間で、冒険者と情報屋の間で、情報屋と軍、行政の間で。

つまりは至る所で囁かれていた。

噂。しかも信憑性のある噂。

かねてより人通りの少ない時分。もとより人通りの少ない場所。

人通りを少なくするかのような噂。


魔惨迷宮、都市下段、西区。

軍人住宅街。及び高級住宅街の人通りは、一定の警邏の人員を除き、

犬の一匹さえ、姿を見せず、冷え切った沈黙にその身を浸していた。


その暗く、静かな、一区画の、さらに暗く密かな裏道を。

一匹の猫、いや一匹の耳長族の少女が荷を引き歩いていた。


その顔には笑み。

愛らしい花柄の頭巾に似合わぬ、猛禽のごとし口角の歪み。

その顔には笑い。

汚れなき童女の顔には見合わない、山羊のごとき悪徳の栄え。


にしし、と。

実際に笑う。

コートがたなびき、下半身、足を覆う白いワンピースから覗く足は、しかしブーツに塞がれている。


今夜、既に廃屋に4回、件の『鎧』の部位を運んだ。

組み立ての手間を考えても、この手段が一番確かで、簡単だった。


作戦は手順通りに進んでいる。

いま。運んでいる5回目、胴部の一。

これを運べば、後は明日の夜に4回だ。


その後さらに迷宮に運び、明後日の夜に組み立て、一気に蟹の下に行く。

『鎧』さえ王墓に持ち込めれば、後は脱出するだけだ。

鎧自体を見て正体に気づく輩も万が一いるかもしれないが、

その時その所有者足るルーは、既に下水に居ない。


蟹と一緒に脱出して、姿を眩ませれば、なにか厄介ごとに巻き込まれる前に、さっさとおさらばできる。

冒険者や、この世界の生き物に、干渉するつもりはない。

穴を空けるだけなのだ。ちょっと地表と地面の一部を借りるだけのこと。

勿論、出来うるかぎり細心にだ。


問題は、運んでいる時、正体がばれること。

『鎧』は部位に分けているため、まずもってそれがなんであるかは分からないだろう。

しかし、それが魔具であり、高級そうななにかであることは確かで、それ故にこれを見とがめられるのは望ましいことではない。


もう一つ、運んでいる自分、コートと頭巾の下の耳長族にはありえない身体の特徴。

これは色々と面倒を引き起こすだろう。

自らの美貌(猫は己の美貌がそれなり高いことを客観的事実として理解している)

さらには、その正体までバレてしまうかもしれない。

気をつけなければいけない。卵を護る親鳥の細心と繊細をもって行動しなければならない。


こう考えた、耳長族ルーの作戦は、今のところ順調であった。

足音がすれば、隠れ。

通路と通路の間は、意識し、己の内の「力」を風として世界に現し、それを使って周囲を探った。


要所ではコートに備えた紋章を意識し、姿を透明化させた。


(それが出来るなら全部透明化すればいいのでは?という疑問があるかもしれない。

しかし、紋章術とは、己の魂の力を、紋章に流し込み、使う力である。

それは一度注ぎ込めば、持続的にしようできるというものではない。

持続的に使用すれば、使用している間中、魂の力を使い続けなければならない。

三日間続き、難所も幾つか想定される作戦だ。明日も、明後日も作戦は続く。

有限の力を、時間の経過、睡眠と食料の摂取である程度回復するとはいえ

無用に使っていては、真の危機において命取りになりかねない。

特に透明化の紋章は、大きく複雑だ、持続的な使用は、猫の器の大きさでは2時間が限度、それで所有している力は空になってしまうだろう。

余談になるが、持続的な使用がそのまま持続的な消費になる以上。余りに多くの持続効果型の紋章を身に付けて、多重起動を繰り返せばすぐに「力」は尽きてしまうだろう。

そのため熟練した冒険者ほど、使い分ける持続効果型紋章を厳選し、瞬間的に効果を発揮する紋章で補えるところは補う傾向にある)



順調に快調。

――あっし、怖いぐらいにゃ


ルーはそう考え、心なしか喜び弾むように、しかし、周囲に注意を払いつつ行動する。

荷物を運ぶ、手順は簡単。後は蟹の方が問題を起こさなければ。


――いやぁ、らくちんにゃぁ。


その姿に、その心の内に、慢心が油断がなかったとはいいきれないだろう。


事実その(表面上は)耳長族の少女は。

自らの姿を監視するように眺める。

黒尽くめの影が、西区の高い家屋の屋根の上にあることにも気付いていなかったのだから。









黒い影。


顔には黒面。

靴は黒。

頭部を、胴部、胸部を、背部を、脚部を覆う特殊なスーツも黒。その装備、全て黒。

全身を闇にに溶け込ませ、調和させることに腐心された。

黒一色装備の、男か、女か分からないその影は。


遙か下方、西部の大邸宅と一般の屋敷群の合間を縫うように、見事な隱形を使って歩き進んでいる耳長族の少女。いやに見目麗しいその少女を眺めている。


見た目だけならば、ただ耳長族の少女であったろう。

この町には、人外の種も多い。

どこぞの耳長族の家の者か、旅のそれが、軍区に迷い込んだそう考えられなくもない。


しかしあの少女はどう見たとしても堅気ではない。

荷を背負うのはありがちなことだ。まだわかる。

しかし、裏道や地味な道のみを経由して、さらには姿が言葉通りの意味で消える。

影は紋章術であろうと判断する。

隱形いんぎょうは巧みで、熟練の技を感じる。

耳長族の少女が夜に、道具を持って隱形を使って、奇しげな小道を使って古ぼけた屋敷を行き来する。

どう考えても堅気ではない。

黒い影はそう考えた。


但し、一般の軍人や人の良い警邏などは騙せるかも知れないし、

裏道を駆使したその隱形と紋章を合わせれば、大抵の冒険者、それこそ高位冒険者でさえもその気配を察知することは難しいだろう。


さらには、なぜだか人通りの少ない夜の道で。あの少女は、僅かでも人の居ない道筋を選択している。


遠くから響く犬の声。猫の鳴き声、花の揺れる風の音。

酔っ払いの怒鳴り声、笑い声。

かすかに聞こえるそれを、背景に黒い影は考える。


あの奇しい存在をどうするか。と、



黒い影としては、見過ごしておけない程度にはその少女は奇しい。

こう見えても彼(便宜上、彼としておく)は、公の権力機関の一員であり。

治安維持も時に任務として請け負う。それに彼自身も重大な犯罪を見過ごせない程度には正義心を持ち合わせていた。


近づき、検問を加え、その目的を問いただしたい。いや、警邏衛士の詰め所に連行すべきなのか。

影はそう考えているが、しかしその行動を取ることはできない。


『影』 彼は軍の犬である。

彼は軍の命令に従い、行政や冒険者どもの情報を集め、時に迷宮に降りて情報を収集する。

時に冒険者を装い、時に軍人を装い、あるいは黒一色の装束に身を纏い、都市のあちこち、あらゆる組織機関に潜入する。

人間の監視、脅迫、窃盗、時に暗殺を行うその姿は、まさに影、面に表れることの出来ない存在であり、

その行動には全て、都市の軍における直属の上司である。ある士官の許可と命令がなければならない。


(とはいえ少女を見つめるこの『影』は、姿を見せず、その正体を漏洩させないのならば、幾ばくかの個人の裁量が許されている。それを可能にする実力と、実績がこの影にはあった)


が、この少女は余りにも得体の知れない相手だった。

耳長族であること、少女であること、その二つの要素が、彼女がなんであるのか、それを読ませない。

一体いかなる勢力か、個人か、目的か。思想は、信条は、その意図は。

もやに包まれたかのような、怪しさ。


一度、上層部に報告してから接触すべき。と影は考えてる。


迷宮で、冒険者組合の斥候に付き従い、件の蟹と斥候と迷宮側の情報を個別に入手するのが、『影』の役目であった。

ロード・エーサーベインの敗退したという蟹。

それについての情報を、軍は冒険者組合から入手している。

しかし当然のことだが、冒険者組合からもたらされる情報は選別、取捨選択の上での情報であり、

その信憑性や、そこに含まれている真実の度合いの問題。

また、その速度、鮮度において多くの劣化が見られることになる。

それは冒険者組合にとって当然の行為ではある。

しかしそれに軍が、都市の防備と管理の責任を自認する軍が、甘んじる必要は何処にもなかった。

軍は、エーサーベインの敗北の一報がもたらされた時から、諜報や暗殺といった裏の仕事を担当する部署とその部署の長たるある士官に、

独自の情報入手を命じたのだった。


そして士官が、実際に情報を入手するように命令した相手が、

『影』構成員において最も腕が立ち、技が立ったこの『影』――『潜影』と呼ばれていたこの『影』――であった。

冒険者組合の斥候隊の追跡、監視、蟹に関する迷宮側の情報を自らの手と足で入手し、報告する。

この影が行っていたのはそういう仕事で、彼はその仕事の帰りであった。


そこで彼は耳長族の少女を発見した。

彼の『影』としての経験と直感、技術でなければ、見逃していただろう。


これはルーの中途半端に巧みな隱形のせいとも言える。


古い家々が立ち並ぶ住宅地。、古ぼけた見た目の家々の中。そもそも更地であるのなら、一瞬気を止めても、そういうこともあるのか、と立ち去る。

しかし立ち並ぶ家々の中に同じように並んでいながら、一軒だけ妙に新しく美しい新品の家があるような、そのような奇妙さ。

それを『潜影』と呼ばれるこの影は見逃さなかった。 


『影』は少女が一軒の家に入るのを見送ってから、屋根の上から、音もなく姿を消した。


空には月が昇っている。

蒼いそれは、いつになく静かな住宅街を、ただただ照らしていた。




『大蟷螂』アータレス

出身地不明


開幕特攻の魔将として知られている。


元々は異常進化した魔獣であり、意志など持ちようのない生命体であったが。

長きに渡る生の末、徐々に単純な意志と目的を獲得。

正しく言えば目的のために意志を発達させたとも言う。

その目的とは彼の両手の鎌の切れ味に関することである。

多くの獲物を刈り、多くの魔族や人間と戦った彼は、自らの鎌を使って戦闘をした。

生を掛けた連続戦闘、鎌を使った技はますます冴え、その鎌自体の切れ味も凄まじいものとなっていった。


その頃になると彼に変化が訪れたのだ。

『斬ること』それが目的として、いつしか彼の内に現れたのだ。

この世の全ての種と戦い、それを斬った彼は、いつしか死神と呼ばれるようになった。

それでも蟷螂は斬った、強きを斬り、さらに強きを斬り。

より上手い斬り方を求め、より斬りやすい部位を覚え(元々記憶力なんてないのに!)

鎌の切れ味を鋭くするため、多くの獲物を斬った。

あの『大亀』や『……』の甲羅でさえ彼には木片の類にしか見えなかった。


その彼は次に、飛ぶ鳥を斬り、飛ぶ風を斬り、逃げるあらゆるを斬ることにした。

一刀両断。それこそを終生の目的として、いつの間にか、意志を獲得していた彼は、

しかしこの世に退屈しか感じなかった。

なぜなら、この世の全ては柔らかすぎる、そしてこの世で斬っていない物質など、彼にはなかったのだ。


あるとき人と魔族の血が混ざった存在が彼の前に現れる。

(とはいえ彼にとってはなにか柔らかいものが来た、とでも言うべき認識でしかなかったが)

その存在は、天を指差し、自らを指差し、目の前に堕神の骸を投げ捨てる。

そして蟷螂は理解する。長き生、彼もうっすらとその存在を直観していた、あの存在。

それを斬らせると、目の前の存在は言っているのだ。

彼は承伏した。


そして、彼でさえも、命の危険を感じる恐ろしい者たちに囲まれた。

(とはいえ彼にとっては斬ったことのある種族しかいなかったが)

そして幾ばくかの時が過ぎる


天上戦争の一番最初の戦闘。天上に来た『有角姫』を待ち受けていた

主神の息子にして戦闘長官である『神盾』イージスとの戦争。

アータレスは、掛けられる限りの儀式大家、神秘大家の強化を後ろから受け。

戦闘が始まる瞬間に、単身敵陣に特攻した。

彼が狙うのは、最も固そうな獲物。

そこには銀に輝く鎧を身に纏い、アータレスでさえも尻込みする程の偉容の盾を持った者がいたのだ。

勿論、彼が狙うのはそれ。

彼にあるのは一刀両断、それだけが彼の目的、それだけが彼の意志。

二の太刀はありえない、一度で切れるか、一度で切れぬか。

神は虚を突かれた、神は慢心していた、神は自負があった、神は独りだった。

鮮やかな大蟷螂の特攻の果て、旧神の最高戦力は。

その盾ごと、一刀に断たれ、その命を散らした。

そして大蟷螂は帰ってこなかった。


後に地軍の誰もが語る、戦争の初期の初期の初期に、あの神が討ち取られていなければ、

我らの被害は、生半可なものでは済まなかっただろう、と。


新暦においては『神僕』死神のような存在として畏怖されている。

子供であれば誰もが一度は言われる『大蟷螂がきて、悪い子きっちまうぞぉ!』で有名。

そのため知名度だけは無駄にある。

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