友達っていいね
さて、一つの話はここからようやく本題に入る。
大蟹と神話、迷宮と冒険者を巡る物語の本題に。
1
大蟹の名はデンザロス。
正式名称はデンザロス・デンザロス・ペンタレシア。
大蟹デンザロスは鋏を使って、侵入者の空けた穴を掘り進めていた。
ざっ、ざっ、ざく。と思いのほか柔らかな音。
奴隷が穴を掘るように、ゆっくりと、
それでいて貴族が、狩猟を楽しむように身体を動かすことの楽しさ、
穴の先を見る、という目標に向けて土に触ること。久方ぶりのことだ。
そしてそのことに素朴な幸福を思うデンザロスは、やはり大地に生きる者であった。
穴の外には、斥候がいる。
報告を受けた迷宮組合が厳選した、斥候隊。
彼らがそこで見たものは報告通りの姿の大蟹が、
土を掘り、迷宮の壁を砕き、迷宮を進み続けているという事実で、
彼らはその姿に、恐怖を感じ、ただ見て、ただ記し、ただ報告する。
「対象の怪物は、48階層の迷宮を進撃中」と
「楽しいものだ」
そう呟く蟹は、しかし気づいてはいない。
侵入者エーサーベインの造った穴を、もうすでに掘り終わり。
デンザロスが、楽しみにしていた穴の先、つまりは迷宮にその鋏を振り下ろしているということに。
2
魔惨迷宮の主である、
『堕神』ナー・ナーンは48層の迷宮が掘り進められているという報を受け激怒した。
かつて天上世界に座を構えた旧神の一柱でありながら、旧暦時代に政局争いに敗北し、
この下界、人草という矮小なる生命が傲慢にも覇を唱えている世界に追放された彼は、
天上から降り注いだ、神の残骸、神の僕の無数の死骸を集め、またその体内に残っていた莫大な量の「力」を操作して、
ここにコツコツと地下都市を築いた。
そこで地上の魔族やら人族を拉致し、配合し、交配し、新たな生命作り上げる実験を行った。
「力」を使って、天使を造り、この世界に絶対の憎悪を抱いている優秀な生物を僕として生産した。
これらの彼の造った迷宮の住人こそが、冒険者が魔物と呼ぶものである。
交配生命や魔物の研究を進め、より優秀な魔物の製造を常に行いつつ、
地下で食料を作り、インフラを整備し、「力」を循環させ、また生命を増やす。
旧神の僕であった天使や、自らと同じような境遇の墜ちた神(『堕神』)たちと連携し、
この世界の生命を全て駆逐するか、奴隷に落とし、新神などと嘯いているあの背信者どもを抹殺するのが最終目標である。
月並みな言い方をすれば『世界征服』
とはいえ迷宮側の目標達成計画の進捗は決して満足できるような状況ではないが。
そのナーンは怒りに身を震わせていた。
自らの領土を、破壊し、我がもの顔で迷宮を破壊し続ける、愚かな侵入者の存在が原因だ。
(侵入者とは言うものの、ナーンがここに迷宮を築く前からその遺跡で眠りに着いていたのだが)
ともあれ自らの領土への侵入には、思い知らせてやらなければならない。
「例えそれが、なんであってもだ」
強く言い切るのは、青い肌をした身長3m程の大男。
頭には四本の大角。
背には八本の触手を備え、黒い長髪はよく手入れをされているのか、
輝かんばかりの暖炉の火に照らされ、黒曜石のような深い艶を帯びている。
迷宮最下層、玉座の間。
座るナーンの体躯の前には、4人の迷宮騎士。
ナーン直属の部下である。
彼は、迷宮を破壊する蟹の討伐を命じたところである。
それぞれ姿形の違う、四色の騎士に。
「では、いってくれるな、ロード・エクサリオス」
「は」
命に代えましても。と続ける彼女を見るナーンの目は冷たい。
ナーンにとってのかつての右腕。
側近中の側近であった、ロード・エクサリオスは、しかし既にその寵愛を失って久しい。
10年前の失態。
ロード・エーサーベインに致命傷を与えられた一戦以来、
エクサリオスに対してのナーンの視線は常に厳しかった。
主の気持ちが例えどのような状況であっても、
寵愛がなくとも、エクサリオスの主に対する忠誠にただの一つの陰りもなかった。
不断の意志。純粋な信仰にも似た忠義の思いを、自らを疎んじている主に捧げるその姿は、
例えようもなく気高く美しい。言うなれば報われないからこその美だろうか。
魔惨迷宮 第三精鋭侵略軍 軍長 ロード・エクサリオスの出陣である。
「負けられないな、この戦い」
と、口にするものの、その美貌には陰りが見えていた。
不安。
命令に従うことには一切の逡巡はない。
「主」に従うのは当然のことである。そういう理だ。
問題は、そう問題は、敵にある。
街の〈草〉、迷宮の監視が伝えるところの情報が、その不安の親であった。
ロード・エーサーベイン敗北。
自らが指揮をし、後に主の失意を招くことになった一大反抗作戦、その失敗の要因。
主要因であるあの憎き人の子を、エクサリオスが忘れたことなど、
この10年間、ただの一度もありえなかった。
憎い、そして殺したい。
そう願い続けた自らの汚点そのもの、あの10年前より、幾度も刃を交え、魔導を応酬し、
技をぶつけ合い、肉体の闘法を刻み合った。
そんな、憎きエーサーベイン。しかしだからこそエクサリオスは、その実力が本物であると知っていた。
そこに疑いはない。
実力が本物でない相手に、10年前のような失態を犯す筈がなく、
それから幾度も刃をぶつけ合って、相手が健在であるわけがない。
エーサーベインの実力を最も高く評価している存在は、その脅威と強さを何よりも知っているという意味で間違いなくこのエクサリオスであっただろう。
そのことが不安の源泉になる。
――あの、エーサーベインが、手も足も出ずに敗北した相手が敵、なのか? と。
金の長髪、人間と魔族の合いの子特有の、神秘的な美。
流麗という詞の似合うスレンダーながらどこか華美を感じる佇まい。
頭上にある二本の角(微塵の捻れもないエクサリオスの些細な自慢)を撫でながら
2m近いその巨躯を、屈め、思案に沈む。
不安そうに金の髪が揺れていた。
現在位置は52層、後4層で目標の階層に到着する。
とはいえ、すぐに仕掛けるつもりはない。
近くに陣を構え、情報を集め、作戦を練った上での任務遂行こそ、望ましい。
通常の迷宮での戦闘は、人数で行うものではない。
幅は広いところでも5m。
連携をもって上手く戦うことを前提に4人から多くても8人前後での戦闘が最良である。
48層は通常の迷宮域である。
中央にかつて警備詰め所として使っていた20m四方の部屋、それが一番大きい部屋だが、そこに誘き出すべきか。
高さは6m、しかし蟹の移動も可能にしてしまう。
蟹がいた遺跡らしき部屋で戦うべきか、しかしそれでは少人数の意味がない。
いっそ、掘り進めている最中の蟹に直接仕掛けるべきか。
エクサリオスは迷う。所思は尽きず、作案は無数に湧くが、しかし最善がわからない。
応援を頼むべきなのかも知れないが、これは自らの請け負った任務。
そういった意識はあるし、他の3騎士も忙しいようだ。
一人は迷宮の行政、一人は最前線の指揮。
最後の一人、あの太りきったヒキガエルのような騎士は、最近研究室と自ら命名したあのおぞましい部屋に籠もりきりだ。
多分、なにか面白い玩具でも、入手したのだろう。
さてはて、どうするか、行軍しながら、エクサリオスは、無数の仕方を必死に考える。
――負けられる戦いなどありはしない
しかしそれでも、難しいものだな、とエクサリオスは苦笑した。
3
デンザロスは掘るのをやめる。
気づいたのだ、無駄なことをしていることに。
掘れども掘れども終わりが来ないことに気づいたのは、迷宮の半ば近くにまで進んでからであった。
そこで、理解した。
穴の先にあったのは、建築物で、そしてそれはこの身が入らない程に狭い、と。
そこで疲れをどっと感じ。結局王墓に戻ってきてしまった。
外に出るにはどうすればいいのか、そう新たな疑問を土産として。
――しかし、今が朝か夜か、わからないな
そう考え、王墓の中央を整地しなおし、そこに脚と鋏を畳み、ぼうとしている。
カンテラの灯りは、ちょっと前に消えた。
光なき、広大な王墓。
ちろちろ、と穴から薄い薄い、灯りからだろう光がちらつく。
その光源とも言えぬ些細な、零れ光を見ているデンザロス。
「暇だ」
「そうにゃ」
返ってくる声がある。
穴を見る。
影がある。
蟹は立ち上がる。
機敏な即応は歴戦を感じさせる。デンザロスの対応。
青銅の巨体にそぐわぬ脅威の初速で穴に立っていた影に突撃し、鋏を突きつける。
影がすこしでも前に出ていたら、その顔面が朱く弾け飛んでいただろう。
「やめるにゃ」
一抹の恐怖、寸毫の動揺もみせず、目もとを覆うマスクの下、口元に、にやりと笑みを浮かべ
「あっし、肉弾戦はあんまり得意じゃないにゃ」
「何だお前は」
蟹の眼には警戒と、極小の興趣の念
「むう」
どこか面白がるように、猫はふざけて喋る
「ひっどいにゃ~、ひっどい言い様にゃ~」
影は、灯りを点す。
そこにいたのはフードとコートとスーツとマスクに身を包んだ
怪しさのみで構成されている存在だ。
猫の耳がコートのうえでピクピクと動いている。
尻尾は下のパンツに納められているのか、外には出ていない。
蟹の偉容。
一つの小さな館に匹敵する、巨怪を前に、しかし下水に居を構える猫の店主は微塵の恐れも、畏れも抱いていないようであった。
口元に張り付いているのはチェシャ猫の如きニヤニヤ笑い、神経を逆なですることに特化したようなその笑みに、しかし蟹も特に感情を動かさない。
「小さき者よ、何の用だ」
厳めしい声。
敵意はないが、しかし下らない用件ならば、このまま鋏で押しつぶそう、という意志が見え隠れする。
――訂正しよう、その不適な態度と笑みは、一定の効果を上げていたようだ。
「あっしにゃ、デンザロス、ルーにゃ」
「ルー…………?」
幾ばくかの熟考、なにかを思い出し考える間。
そして改めて、
「ルー? …………ルー ……ああ! リュー! 」
蟹はなにかを思い出した素振りを見せ。そして探るように、
小さな目を、不審なコート姿に向ける。
(目が小さいとは言っても、蟹にとって小さいのであって、人間にとってはバックラーくらいの大きさはあるが)
「…………うそをつくな」
「なんでちょっと間があったにゃ? というか嘘なんかじゃないにゃ」
「私の知っているルーは、あの猫もどきは、「にゃ」などという奇怪な語尾で喋りはしない」
沈黙。冷ややかな風。カンテラの灯りはしかし揺れない。
蟹は、苛立ちを感じ始め、猫は、苦笑を覚える。
それもそうか、とコートを脱ぎ、マスクを外し、フードを降ろす。
「どうにゃ!」
「……おおルー! ……俺には分かっていたぞ、一目見たときからお前だと」
「存在そのものを思い出すのにも、随分な時間がかかってた気がするんだがにゃ……」
――気のせいだ、気のせい。
――そうかにゃ。
ともあれ蟹は猫もどきと出会う。
蟹は猫の姿を改めて眺める。
髪は金。身長は120cmほど、頭頂部には茶色と斑の猫の耳。
そして当然のように人の耳のあるべき場所にある、長耳。
それは見事な長耳であった。長耳族でも此処までの形のよい耳はないだろう。
眼は大きく瞳は円ら、どこか小動物を思わせる愛らしさ。
童女のような可愛らしさを持った小ぶりな鼻と口。
しかし身体に眼を向けるとそこにあるのは、成熟したとは言えないが、
童女にはあり得ない程度に成長した胸部に腰、健康的な太股。
その身体は茶色の体毛に毛深く覆われており、尻部の上には猫そのものの尾が飛び出てる。
猫人の体躯と耳と尻尾に、精霊種である耳長人の瑰麗かつ浄妙を極めた彫刻のような美と長い耳。
それらが破綻なく組み合わさっている、奇跡のような組み合わせのハーフ。
それがデンザロスが久しぶりあったこの「にゃ」語尾の人物だった。
(デンザロスの記憶が確かなら、昔日は普通に喋っていたはずであったが)
名前はリューレアー。
古い友人である。
通称はルー。リューと約していたのだが、言いにくいので自然とルーで定着した。
「上着を脱ぐのも久しぶりにゃあ」
そういいながら、デンザロスの鋭い鋏、脚を伝い、デンザロスの甲羅の上に座る。
ぺしぺしと肉球の付いた手のひらで、蟹の甲羅をたたきながら
「ほれほれ、はやくうごけにゃ!」
蟹が少しイラッとしたことを誰が責められるだろうか。
4
ルーのわがままに付き合い、王墓を高速で周回するデンザロス、
二匹は久方ぶりに会う、友人同士の会話を親しむ。
「にゃあ、きもちいいにゃあ」
都市において姿を晒せば、奇異の目で見られ、その上、良からぬ者たちが現れることは、
ルーの姿において必至の未来予想である。
彼女は彫刻の如き流麗さと子供のような愛らしさという、本来なら相反する二つの要素を奇跡的に合わせ持っている。
その美貌から、彼女をペットにしたいと考えるような下衆の出現に事欠くことはないだろう。
ルーはそのために、あの下水の一区画から滅多に出ることはない。だからこそコートもマスクも手放せない。(その姿を晒してはならないのには、もうひとつ大きな理由もあるのだが)
「ふむ、なあ、ところで」
「あい、わかってるにゃ、説明にゃ?」
大蟹の、1000年もの長きに渡る睡眠の、空けた穴を埋めるように。
ルーは、猫笑いで、風を感じながら、現状について説明を始める。
迷宮のこと、迷宮都市、冒険者のこと。
蟹にとって初めての、どこか心躍る、歴史物語。
旧神の後を継ごうとするものたち。蠢く闇。
迷宮の与えた被害の大きさ。
冒険者という命知らず。輝く光。生命の努力、その可能性。
挫けず、ひたむきに、時に欲望のままに、
時に協同し、しぶとく、いやらしく、それでも前に進み続ける泥臭い生命の輝き。
それが冒険者。それこそが冒険者。
どこか誇らしげに猫娘は微笑み、言葉を終えた。
「……おもしろいな」
「そうにゃぁ、おもしろいにゃぁ」
いつしか報告は終わり、蟹のジェットコースターも止まる。
あるのはランタンの光。
青い光、赤い光、ルーが甲羅の上に置いた、灯火の光。
「生命とは、かくも逞しいか」
そう言って蟹は、先頃、戦ったばかりの黄金の剣を振るった騎士を思う。
人間の極限とも言うべき技の冴えと練熟。
一瞬の判断、逃走のための行動選択の妙。
「そうか、……いや、そうだったな、人は、人とはかくも素晴らしい、分かっていたつもりだが、忘れていた」
蟹の黒い瞳にあるのは、どこか優しげな、しかし驚嘆と尊崇の念が入り交じった想い。
――そう、人の、生命の可能性とは、かくも素晴らしい。
「でにゃ、ものははなしにゃんだが」
尻尾を揺らし、耳を動かし、その温かそうな茶色の体毛を振るわせながら、
その童女のような顔をひきしめ、ルーは語ろうとする。
「わかっている」
そのことばが音になる前に、しかし本来の、音ともいえぬ音を無理矢理、言葉へと変換している蟹のことばが音として被される。
蟹は、ルーが言葉を放つ前に、再び音を言葉とする。
「……人の、人の努力のみでの解決を、……いや、この世界に生きるものが自分でどうにかしようとするその姿。
それを見守りたいのではないか? 姫は」
そうであろう?と、その肉体が人であったのなら、間違いなく微笑んでいたであろう調子の声で囁く
(意志を読み取り、変換する、発声紋章術の構成の巧みさのお蔭か、その泡が微かに噴き出る口から出されたことばに破綻はない)
「姫の言いそうなことだ、そしてまた共感できる」
ルーは、そう言ってくれると嬉しい、とでも言いたげに、微笑んで、そして幾ばくかの間の後に、
胸の奥から言葉を、ぽつり、ぽつり、紡ぎ出す。
真摯というべき表情で。
「…………私も、この世界の現状が嫌いじゃない、自分の力で人が乗り越えるべき壁だと思っている。
ここで、私たちが、迷宮を、攻略して。民草に平和が訪れたとしても、それは彼らの勝ち取った平和じゃない。
与えられた平和に安堵する民、平和を与え、全能感に浸る支配者、その構図は、旧神のそれと何が違う? ……私たちは、旧神の踵を踏むつもりは微塵もないし、これから踏むことも絶対にありえない、
少なくとも私はそう誓っている…………にゃ」
「は! 違いない」
青く輝く大蟹は、頷くように甲羅を振るわせ、鋏を閉じる。
磯の匂いではなく、金属と土、埃と命の香りを放つ甲羅の上、4つ耳の猫は、嫌みなく、綺麗に笑った。
5
「話を理解してくれてうれしいにゃ」
「なに冒険者、おもしろい生き様じゃないか、努力と選択の極致。うむ、結構」
「それでにゃ」
「ああ」
「これからどうするにゃ?」
冒険者たちも、お前をこのままにしてはおかないだろう、とルーは言葉を続ける。
先ほどの話は一つの前置きであり、立場の確認に過ぎない。
しかし、現実的な処策はなにも決まってはいないのだ。方針さえもだ。
ここでルーが、情報を持ってこなかったならば、蟹は迷宮を掘り進み続け、上を目指し、そこにある都市を恐慌に陥れ、多くの冒険者をその手に掛けただろう。
無知とは残虐性の母とも言えるもので、そしてまたデンザロスは決して残虐でもないが、デンザロスは身に降りかかる火の粉を、躊躇なく払う性格でもあった。
しかし冒険者の目的、存在を知ったからには、デンザロスも無闇矢鱈に彼らの世界に混乱を及ばせるつもりなどない。それどころか、その営み応援する父の如き気持ちさえ抱く。
大蟹は高潔だ。他者の矜持を尊重する。
闘争も嫌いではないが、目的もなくそれに邁進する程に好戦的ではない。
となれば、ここに、この王墓に、この1000年のゆりかごにこのまま居座れば、
無用の混乱と被害を、冒険者達とこの都市に及ぼすことになってしまうだろう。
それは望むところではない。
その上――
「退屈であることが問題だ」
「あっしがここに来たのは、その辺りをどうにかするためにゃ」
待ってました言わんばかりに、値千金の笑顔(胡散臭い笑顔でもある)を見せて、答える。
ルーにとっては、デンザロスの現状の理解が先決であった。
次に、姫の想いと、自分たちが現状どう世界で生きているか、どういったスタンスでこの世界と向き合っているか、
それをデンザロスにもとってもらえるかということ(つまりは相互理解)が重要であった。
その辺りのことが解決した以上、次に行うのは、彼をここから外に出し、
無用の混乱被害を生み出さないようにする第三の目的の実行である。
何度も言うが蟹がここにいれば、冒険者は来る、迷宮側の勢力も来るだろう。
否応がなしに彼らとの争いになるか、あるいは彼らの争いに巻き込まれる事態になるだろう。
それは好ましい事態ではない、不要な事件であり、予め取り除かれるべき問題だ。
ルーはそう考えるし、蟹も同意している。
ならば蟹がここにいる必要は、一ミクロンもありはしない。
速やかな脱出、問題解決が望まれる。
不要な遺恨は、不要な憎悪は、買わないし売らない、それこそが肝要。
「とりあえず脱出にゃ」
「ふむ」
蟹は、黙考す。
解――それを否定する要素は何処にもない。
「うむ結構」
「えらそうにゃ」
「それで?どうするのだ?」
ルーは分かっている、とデンザロスに向かって頷く。
ネコミミが揺れる。茶の体毛と黄金の長髪のコントラストが美しく映える。
(見る者は蟹しかいないが)
「あっしがどうにかするにゃ」
「ほう、やってくれるか」
「もちろんにゃ」
というか、あっしがいなけりゃ、天井を掘ることなんてできないにゃ、と続ける。
蟹は反論する(「斜めに掘っていけばいつか上に!」)ものの
それだともしかしたら崩落するかもしれないし、時間かかりすぎにゃ、そのうえ何処掘ればいいのかわからないあんたにゃ無理にゃ。
との言葉であえなく論破される。
「三日にゃ」
「大分かかるなぁ」
「色々準備が必要にゃ、警戒しながらの準備にゃ、裏道も駆使して出来る限り急ぐから文句いうにゃぁ、
それにあっしが肉弾戦じゃあ殆どなにもできないのもホントにゃ」
――それこそ、前衛の冒険者なら高位辺りから勝てるかどうかあやしいにゃ、
あっし儀式小家しか使えないにゃ、詠唱中に斬られてバタンにゃ
と呟くルーに、デンザロスは掛ける声もない。
それを尻目に、一本の脚を、滑り台に見立て、しゃーっと地面に滑り降りる猫。
「ま、座してまつにゃ、座してことが成るんにゃ」
楽だろう?と流し目。
猫は再び、デンザロスの鋏を足場として甲羅へと飛ぶ
――大きな背中にゃ
そんなことを思いながら、広大な王墓跡に幾つか音を鳴り響かせるルー。
「方法は?」
「『鎧』にゃ」
「ああ…… あれか…… 持ってきてるのか?」
「もちにゃ、というかあれを傍から離すわけにゃいにゃ」
苦い思い出の象徴でもあるだろうに、だがあえてその咎の象徴を、
身に付け、傍に置き続けることで、なにもかも忘れることを良しとしないつもりなのだろう。
自らを縛るような、その行為、しかしそれさえも飲み込み、耐え、慣らして生きるその生き様は、
まさに今、一つの命として今を生きていることの証なのかもしれない。
蟹は、そう考えていることを臆面にも出さず。
(なんせ蟹である。表情など眼や仕草以外ではそう知れることもない)
問いかける。
「ぶち抜くつもりか?」
「一気にゃ、人のいないところをゴールに、上に道を造るにゃ」
「そうか、ありがとう」
「礼はいらんにゃ、自分のためでもあるにゃ」
この王墓からの地表への脱出は、三日後の夜に決行となった。
「三日間というのは長いにゃ、人も、迷宮も、色々な準備や行動をおこすにゃ。
でも、わかってるにゃ?」
当然と言った素振りで、鋏を両方、天に掲げ、ジャキンッと鳴らす。
「わかっている、極力関わらず、被害は軽微が理想。このまま居ては毒にしかならん身ということは十分に承知しているよ」
ならば結構と言いたげに、胸と毛を揺らし、にやりと笑うルー。
さて、しなければならない仕事は終わった。という空気が二人の間に漂う。
僅かにあった緊張と緊迫が霧散する。
「さて、ルー」
「なんにゃ、デンザロス」
「今は夜か?」
「夜にゃ、真っ暗にゃ、絶好の密談日和にゃ」
「では聞かせてくれないか? あれから1000年、迷宮以外では何が変わった?」
「そうにゃぜひ聞くにゃ、耳の穴かっぽじるといいにゃ」
思い出話に、華が咲く、そこにあるのは昔懐かしい友との純粋な語らいの時間。
時が経つのは早いもの。
それでも1000年は長いもの。
話は積もり、種は尽きぬ。
旧友同士の醸す暖かな空気を土壌に、笑いの花は咲き誇る。
「馬鹿だなあ『騎士』の奴……で、その話、承けることにしたのか?」
「んにゃ、そこまで馬鹿じゃなかったにゃ、でもその時の決め台詞が「貴方の触手になんか、決して負けはしないっ!」でこれがまた傑作なことに……」
「ほう……、『霧』はそんなところに」
「「俺は晴れない霧になる、それでこの湖の名物になるんだ」だそうにゃ」
「『木人』が地元の村で神木扱いされて動けにゃいにゃ、ずっと同じ姿勢で腰もいたそうにゃ」
「切られるよりはなんぼもましだろうが、しかしそれは…………うん」
「姫さまは相変わらずにゃ、今も世界をぶらりと回ってるにゃ、大陸中の名物を食い尽くすつもりにゃ」
「会うのか?」
「たまに、ホントにたまにゃ、10年20年にいちどってとこかにゃ」
「ふむ、一度、会いたいものだな」
「あうといいにゃ、あれで結構、友達おもいにゃ、よろこぶにゃ」
一晩、迷宮に笑いの花が咲いた。
『魔軍三六将』
『有角姫』に惚れ込んだ、あるいは神に並々ならぬ憾みを抱いていた魔王領の住人たち。(魔王領外の人外も含む)
三六将全てが、卓越した技量を持った戦士か、凄まじいまでの儀式仕手か、並々ならぬ技を持った超獣であり、
後の『天上戦争』においては『有角姫』『九烈士』とともに天上で神とその配下たちと戦った。
戦後は、神の僕もしくは英雄、悪魔、神官、準神として神話にその位置を入れた。
列伝
『小鬼』ヴァウマッフ
タレンコイア ティンダロス連邦出身。
小鬼族随一の機巧師であり、多くの戦闘機械、補助機械を発明した。
彼の作成した機械が、後の世界の生活史上に極大な影響を与えたことは、あまりにも有名。
天上戦争において、天山攻略において神々の猛撃に遭い戦死。味方を庇っての死とも伝わる。
そのマッフ機巧は仲間に受け継がれ、多くの戦略的貢献を果たした。
新暦においては、『機巧準神』として科学者や技術者に信仰されている。
人間世界の庶民にも幅広く信仰を許容されている数少ない魔将である。
『獅子王』レオハルケン
魔王領 インザァーグ出身
全長3mを誇る巨大な獅子型魔獣。
気高く誇り高い、勇壮な魔獣であり、その高慢さは地軍一とされる。
元々は魔王領のインザァーグ平野部において、王として魔獣ヒエラルキーの頂点に立っていた。
訪れた『有角姫』との一騎打ちにあえなく破れ、その美、その気高さに心酔。
対天上軍である地軍(地上軍)に参加。
天上戦争においては、
言葉は使えず、簡単な儀式小家しか持たず体躯のみで戦う存在ではあったが、その技巧と速度を持って敵を攪乱し続けた。
また『有角姫』の乗騎としても働き、天山攻略において
『軍神』ク・エルド・エルークの喉を咬みちぎった。
新暦においては主神『至高神』の乗騎であったことから『神の僕』として尊崇されている。
レオハルケン自体は、今もどこかの草原で眠りに着いていると言われる。