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ルナーレ日記

 

 日記より



○知恵の月、十二日、第二週、五木いつつきの曜日



・忙しい数日、てんてこ舞いな日々、日記に少し間が空いた、今日から再開する。



・ことの顛末、あたしたちはあの後どうにか目的の村、……というか宿場街に到着した。


  病で伏せっているらしくて、件の商家の取引相手とやらには会えなかった。


 まあでもそんなものは気にならない。怖かったけど、あの時は死を覚悟したけど、ペンタは助けに来てくれたし。

 初めて獣人の命を奪ったことは、複雑な、なんだろう……この感情は。熱いような、苦しいような感覚だ。

 そしてあたしはいまいち実感が薄いのだけれども、あのお嬢様が言うには魔導――魔導!――儀式小家!!――しかもその想像法!!! を使えていたとのことらしい。

 確かに、あたしはあの時、ペンタの鋏を想像できた、と思う。

 

 思う……というのは、いまやってみたら出来なかったから。

 なんだろう集中力が足りないのだろうか。

 ――神よ、魂に流れ来む天上の神よ、私の祈りが足りないのだろうか?

 ペンタに聞いてみる。

 いわく――「土壇場の集中力、明確な危機意識が生んだ精緻なヴィジョン、日々の瞑想、つまりは魂との触れあい、そのある種奇跡的な組み合わせがルナ、お前を助けたのだ、ハハッ喜べ! お前は晴れて儀式小家だ!」――鋏を鼻先に突きつけて、くるりとその滑らかな甲羅を回転させて、心なしか澄ました様子でペンタはそういった。

 ……なんかイラッとしたのは内緒だ。

 

 脱線……旅に出てから日記を書き始めたけれど、いまだに何を書けばいいのかわからない。

 読んできた本、物語集、伝説や童話、そして聖典……これが一番多かった……あと父さんの買い物に便乗したときに密かに買った中古の、ぼろぼろの、煤けてすり切れた小説……冒険にばかり憧れていた若い頃のあたし――まあ、いまも若いけど、14歳だし――だってたまには恋とやらの中身を覗いて見たくなることもある……なんかエッチな本だったけど。

 

 ここまで書いて思う、誰に見せるでもなし、どうしてあたしはこんなことを書いているのだろうか。

 

 結論――日記とは高度な独り言に過ぎないということ、ただ後で読み返せるだけ。

 

 

 

 ・そんなこんなで二泊三日の旅行は終わった。

 

 今日は家でゆっくりとする。

 

 基本の鍛錬と魂の瞑想はほどほどに。

 ペンタ曰く「身体を休めることも、また戦士の義務なり。とな……ん? ふむ俺か? 俺は休まないで良いのだ、蟹だからな、戦士になったつもりなどひとかけらもない! ……いまのことば? 知り合いの言葉だよ!!」――説得力皆無。

 

 あと想像法は使えなかったけど、ペンタに言われて気付いたこと、導力が出来るようになっていた。

 「身体が覚えたのだ、一度やり方を覚えれば、ふむ、あとはちょちょいのちょい、俺だって縦に歩けるようになるのには時間がかかった」とのペンタのうさんくさいお言葉。

 から今度、魔導書を買うことにした。

 ペンタがさも嬉しそうに「よおしそれなら買い物だなぁ!!」と言ったので仕方なくだ。

 

 とにかく今日は休みだ。

 ケントゥムに冒険の話をせがまれた、無言で、この人は目で語る。

 

 あたしが浚われたというあたりで、何やら不穏な気配を醸し出してペンタを睨んでいた、小声で「餌抜きですね、あの蟹」と呟かれたような気がした。

 ……常々思っていたけど、このひとなんかこわい……そのあとで、あたしのことをやけに心配してくれた、コーヒーも出してくれたし、うん相変わらずケントゥムのコーヒーはおいしい、なんかコクがあるのよね、良い匂いもするし、凄い綺麗だし、でもときどき朝起きたら眼の前に顔があるけど、あれはやめてほしい。

 ……やっぱりなんかこわい。

 まあ多分、いい人なんだけどね。

 

 午後からは白シャツ亭へ、スピネルさんだったか、ナーガの人が掲示板を前におっさんと話をしていた。

 「シュー……モウ少シ、フヤセナイカ?」「……だからよぉ」と何やら揉めてるようだった。

 

 ペンタはいつのまにか記者のエイナさんと何やら話し合っていた。

 ……ベストセラー、コラム、蟹、ヤドカリ、迷宮、事件、野菜、うまい、鍋、死ぬ、サキュバス、トマト、迷宮軍、夜、被害、そういえば髮を切ったか? 切ってませんよ?

 ……確か、こんな感じのことを言ってたと思う。

 

 思うってのは昼のことだから細かい事まで覚えていなくてもしょうがないということ。

 べつにペンタのことが気になって聞き耳を立てていたという訳ではないことに注意してほしい。

 

 あたしたちは夕暮れまでそこでぼーっとしていた、執事もお嬢様も来なかった。

 おっさんはあたしと蟹(合いの手を入れるのはいいけど、いちいち会話を混ぜ返したり奇声を挟み込んだり、あたしをおちょくるのはやめてほしい、蹴り飛ばしたくなる……蹴り飛ばした、でもペンタの甲羅堅すぎて痛い、蟹めっ!)の話を聞いて、あたしの頭を撫でた。

 

 なんか慈愛?みたいのに満ちているような、ちょっと豪華な肉料理をおごってくれた。

 ここからが本当に大変だぞ? と言いながら笑っていたおっさんはあたしの目から見ても大きく見えた。

 

 家に帰る途中で組合で受付をしてくれたネースさんにあった、義足が重そう、赤い髮とすらりとした印象、なんだか大人の女って感じ、会釈、蟹がおもむろに立ち上がって……というよりも甲羅を持ち上げて? なんだか嬉しそうな声を出していた、デレデレするのが趣味なのか、この蟹は。

 

 どうやら白シャツ亭に行くようだった、冒険のことを簡単に話すと褒めてくれた。

 あとさっきのおっさんの時も、ネースさんのときも一々ドヤっとした雰囲気で頷いている蟹なんなの?

 

 と、そろそろ眠い、まああんまり長くなっても変だしね。

 おやすみなさい。

 

 

 

 

 

 

 

 ○知恵の月、十四日、第二週、七遊しちゆうの曜日

  

 ・屋上で鍛錬、しばらく姿を見せてなかった海月さんと鴉さんがいた。

 ふよふよ、カーカー、ふよふよ、カーカー、一切言葉が交わされない。

 かたや鳴き声、かたや肉体言語、あれでコミュニケーションとれてるのか、と思うが、ふしぎなことにとれているらしい。

 

 海月さんのすばやい触手をよける、こっちの攻撃は殆ど避けられる……たまにあたるけど、この訓練、この速さが実戦で、あの猿やコボルトや、山賊との戦いで役立ったことを思えばむげにはできない。

 そして速さに慣れる、身体に染みこませる、反射的に動くほどに、目が慣れるまでに。

 

 ちなみにペンタは鴉とチェスの真っ最中、よく負けてる。

 鳥類には勝てよ、と思わなくもない。

 

 ケントゥムがサンドイッチを持ってくるまで、かなりの回数の触手を身体にぶつけられた。

 とはいえ最近暑いから、ふよふよひんやりとしてちょっと気持ちよかった。

 

 ついでに思わぬ客が来た……レセ、あのお嬢様だった。

 どうやらあたしの訓練が気になっているらしくて、午後からは参加させてほしいとのこと。

 ペンタはあたしに許可を求めてきた、うんまあ、なんというか、別に一人じゃなくてもいいし、その、効率的なものが、いいんじゃないかと思ったのでそのことを伝えたら、蟹やらケントゥムやら鴉やらに、いかにもわかってるわかってる、素直じゃないんだから、みたいなことを言われた。

 ……うざい。 

 

 

 

 ・レセに闘法を教わる、身体の運び方、腕の畳み方、息の整え方、突きのコツ、分からないところも多かったけど、こればっかりはペンタも知らないので、凄く役にたつ。……お礼、言っておけばよかった。

 

 

 ・驚いたことに、レセは儀式小家が使えないらしい、あたしが想像法を使うのを見て凄い驚いたと言っていた。

 まあこのひねくれた金髪ロールがそこまで正直にいったわけではなく、「まあ、その、なんというかわたくし、実は」と歯切れ悪い。

 でもあたしだって日記だからこんな風にすらすら書けるわけで、よく思えば人のことは言えないのだ。

 

 今日は蟹が用意してくれた何か紋章の書かれた紙に導力をしてみた……紋章法、起動した!

 やはり最低限の紋章法でもいいからどうにか覚えたいというレセの話、気持ちはわかるなぁ、あたしだっていま凄い嬉しいもん!

 

 

 ・結論、定期的にこうして一緒に訓練することになった。

 まあ闘法やら、冒険者としての心得やら、色々と利用できそうだから、あたしとしてもやぶさかではい。

 うん、そういうことだ。他意はない。

 

 

 

 

 ・知恵の月、十七日、第三週、光三こうみつの曜日

 

 ・久しぶりに迷宮に行った。

 昔からのゆめだったから迷宮についてはそれなり知ってるつもりだったけど、やっぱり自分の眼で見ると違うなぁ。

 

 暗いし、闇に何かがいるように思う。

 ここに住み、ここで繁殖する多くの魔物たち、そして迷宮の底から送り込まれる強大な怪物。

 

 エミダリは5つの出入り口がある、未だに中で合流していない(確認はされたらしいけど)

 そして一番最初の迷宮都市なのに、驚くべきほどに攻略は進んでいない……らしい。

 

 レセから聞いた話だと、迷宮の本道と言うべき巨大で複雑な各階層のほかに、途中で分岐するように、支流とでもいうべき小迷宮があり、そこに大きな魔物の巣やら、迷宮住人のコロニーがあったらしい。

 

 迷宮は深いし、長い。

 ところどころに置いてある巡回所や基地にも定期的に荷物を運ばねばならないし、維持に結構な手間がかかるのだ。

 

 迷宮を進むことは旅をすることでもある、食料とテント、その他の道具を持ち込まねば最前線に行き着かない、最前線までは何日もかかるらしい。

 大きなグループなんかは基地や巡回所の一部に道具を置いて置いて、いざというときの備えにもしているとの話。

 

 とはいえあたしたちも今日は第3階層に降りた程度。

 どこから湧いてきたのか知能の退化した小鬼ゴブリンや蝙蝠、蟻とかと闘う。

 その合間のこうした話。

 

 流石に貴族だっただけあって、レセは都市の制度や歴史、裏事情に凄い詳しい。

 

 迷宮の進捗が芳しくないのはエミダリという都市が、常に権力闘争を繰り広げてきたから、らしい。

 旧帝国の流れを汲む有力者、新興の貴族、金持ち、そして軍人たち。

 世界の中心として人口も、経済の流れも、そして各国の思惑も、複雑に膨大に絡み合っていて、迷宮都市となってからのエミダリは迷宮との戦いに集中することが出来なかったとのこと。

 

 都市の主流派が主として長期的なスパンで迷宮の攻略と防衛にあたるのだが、その主流派が絶えず入れ替わり、そして相互に睨みを交わす状況にあっては、軍が安定して冒険者の攻略を補助できない。

 軍内部での派閥争いがまた、都市有力者の派閥に組み込まれており、軍の統制が取れないことも多々あったとのこと。

 ……難しい。

 

 ペンタは「いつの世も人の、いや集団のすることは同じか」とつまらなさそうにぼやいていた。

 ニヒルを気取ってるのか、どこか遠いめをしながら鋏を左右に振っていたのが、なにこいつ。

 

 とまあそんな感じで、あたりを警戒する。

 蟹が口から水を吐き出して、蝙蝠を突き刺し、小鬼を牽制し、そしてときに意味なく空中に水分を散布している姿にはすごい安心感。

 執事の人は前回から姿を見せていないが、レセが言うには一人で仕事を受けているらしい、どうやらペンタの実力に感服した、と言っていた。

 ……ふふん、どうよ!

 

 蟹の中断のあとで、レセは最後に付け加えた。

 

 「でもまあ、いま、というかここ10年くらいは凄い安定していますし、迷宮の攻略も順調に進んでいるのですけれどもね」と。

 

 「どうして?」と聞いたら、強力な軍の統制が行われて、そのまま都市の権力機構も軍が握ったとのこと。

 現在の都市政府と行政は、軍派閥によって行われているらしい。

 黄金世代と言えるほどに人材が凄いと聞いたが、詳しくは覚えていない。

 

 蟹がいきなりジャンプしたからだ。

 思わず「え?」と声を出してしまった。蟹はジャンプできない……これは常識。

 

 「あ、あんた、ど、どうやったの?」とペンタに聞けば、鋏を指のようにちっちっ、と言いたげなジェスチャーでニヒルを気取って笑っていた(またか!)。

 「魔導の力だよ!」

 あたしを驚かせたかっただけらしい、凄く突拍子がないです……「驚いたろう? 意外と【力】の調節というかだかが、まあ微妙でな……うむ、うむ? ……む、むうどうして黙って進んで行く……ルナ、ルナ嬢!」

 無視してやったからね、ざまーみろだ!

 

 

 ・足が痛い、今日は歩いたと思う。公衆浴場で一息吐く、レセも一緒だった。

 

 ……凄い綺麗な身体だった。

 …………ぐぬぬ、なんか彫像みたいな、大理石みたいな、なんというか白いのだ、なんて言えばよいのだろうか。

 とにかくすごかった! レセのスレンダーさとでもいうべきものは。すらりとしててなめらかな? 感じ?


 あとまたペンタの騒がしい声が、というか雄叫びみたいなものが聞こえてきたけど、気にしない、気にしない。

 

 






 ○知恵の月、二十一日、第三週、七遊の曜日

 

 

 ・今日の午前中はレセと訓練した。

 

 屋上から見える下の路の賑わいや、遠くの広場の賑やかさは何回見てもそわそわする。

 エミダリ内の区画を分割する城壁と殆ど同じか、それよりも少し高いこの建物からの眺めは、ここで生まれ育ったレセから見ても中々新鮮らしかった。

 そして肝心のレセとの訓練……悔しい。

 というか強い、突きを目で追うのが精一杯。

 

 型から繰り出される変幻自在の技、足と腕、それぞれが連動して、蛇のようにうねって、さらに鋭く、緩急をつけてこちらに襲いかかってくる。

 木刀とはいえ、痛い……でも、それ以上に悔しい。

 

 確かにレセはあたしよりも5つは歳上だ。

 そしてその技は、下級冒険者の域を超えているらしい。

 それでもせめて少しくらいは勝ちたかった。

 

 

 その後は海月と訓練、それとジョギング、走ること、身体を作ることは、全ての基本……との蟹の話。

 「まあ、又聞きだがな! ジョギングなんてしたことないかんな! だって俺は蟹だし!」と鋏をいからせてペンタの言。

 

 この蟹はまったく……。

 

 ・今日のにはレセも付き合った。

 たまに走らないと、身体が鈍るそうだ。

 

 エミダリの中はいつも人通りが凄い、もちろん裏路地とかは大したことないけれど、やっぱり距離を走るうえじゃあ人にぶつかりそうになることがしょっちゅうだ。

 そこで最近は城壁の上を走っている。

 都市の外に面している新城壁は軍の管轄下にあるけれど、内部の区画を分断している旧城壁はただの飾りみたいなものらしい。

 

 そこでところどころに立っている軍の見張りの人に挨拶をしながらも、城壁の上を走ることができるのだ。

 下から見えてしまうので、ちょっと恥ずかしいけどね。

 

 途中でカルロスさんに会った。

 ときどきこうして城壁の上を走っていると会う。

 最初にエミダリに入ったときに教会の人たちに絡まれた時に助けてくれた人だ。

 鷹のように鋭い目で下を見張っている。

 

 今日も走り込みか、精が出るな、とかなんとかいつものような調子。

 色々と経験したから分かってきたけど、この人、多分かなり強いんじゃないかな。

 隣のレセも、何か緊張したようだった。

 

 あとで話を聞くと「別に、緊張とかではなくてよ……ただ」

 ただ、なんなのか、と考えたけれど、わからない。

 気付けば昼だった。

 

 

 ・今日も今日とて白シャツ亭、食事の持ち込みはありなので、あたしとレセの分のサンドイッチをケントゥムさんに作ってもらった。

 やけにじろりと、いつもよりも長い間、例の無表情でレセを睨んでいたケントゥムさんは、言いたくないけれど少し怖かった。

 レセも、な、なんですの? と慌ててた。

 そんなことはあたしに聞かれてもわからない。むしろあたしが教えて欲しい。

 

 白シャツ亭ではシチスケさんがいた。

 ひらひらした、青、というか紺なのかな、そんな感じの色合いのワフクなるものを来ていた。

 名前だけは聞いたことがあったけど、これが噂の大八島のワフクかと思うと、結構新鮮。

 

 エルガーさんと、名前は忘れたけどあの酔いどれドワーフの人もいた。

 隣にはレセ、実は今日は蟹がいない。

 何やらエイナさんと用があるとのことで連れ立って出て行ってしまったのだ。

 

 

 シチスケさんを見るとレセは露骨に顔を顰めていた。

 そのまま二階へと上がっていったのは、いまレセが白シャツ亭の客室を間借りしている以上に、シチスケさんと一緒にいたくなかったのだろう。

 どうやらシチスケさんも、エルガーさんも分かっているようだった。

 あたしが、何が何やらという状態でカウンターの席に着くと、まったくしょうがねぇなぁ、とエルガーのおっさん。

 「何がよ」とあたしが聞いたら。

 

 「いやさ、ここのシチスケはよ、元々軍人でな」

 「……へっ?」

 「いや、もうやめて今は冒険者なんだがな」

 「それで……」

 「いやお嬢はよ、元々貴族だろう? 没落しちまったがよ、都市内だといわゆる前主流派の派閥に入れ込んでた訳だ。

 ここまではまあお嬢のことを知ってる奴はみんな知ってることだけどよ。まあそれで色々と複雑な気持ちをよ、軍に持ってるって訳だ」

 

 喋りすぎだ、このおっさん、とあたしは思わなくもなかったが、それでカルロスさんに対してもあんな態度だったのか、と納得もした。

 まだまだわからないことだらけだなぁ、とあたしはこういう時に思う。

 

 白シャツ亭の煤けた雰囲気が何かしんみりしたような空気になった。

 まあ、ドワーフのおっさんの鼻ちょうちんが割れる音ですぐに台無しになったんだけどさ。

 しばらくするとシチスケさん……基本的にこの人は無口だ……が、あたしの方を見ていた。

 

 「……嬢ちゃんに奢りたいらしいぜ、シチスケはよ」

 「え、なんでよ」

 「いや、初陣、というか結構なピンチを切り抜けたんだろ? なあシチスケよ」

 ソノトウリー、と絶妙な相槌が、ドワーフのおっさんの口から寝言として迸り出た。こいつ本当に寝ているのか。

 シチスケさんは、静かに頷いた。

 「あ、あたしだって、別に仕事だったんだから、そんなみんなからわざわざ祝われるようなことは」

 とかあたしが抵抗しても、シチスケさんは首を静かに振って、既に酒……和酒とかいうお米のお酒……をあたしの眼の前に置いていた。

 黙って、先輩の祝いは受けとけよ、とはエルガーの言。

 

 「未来有望な新人を祝って、その新人がいつかまた新人を祝う、それが冒険者の昔から変わらない道理ってやつだ。

 酒場ってのはよ、冒険者を守り、育て、仕事を与えて、仲間を作らせ、そして助け合うような場なのさ。

 ギルドがある、チームがある、そしてまた酒場っつう繋がりがある。

 酒場を選ぶっつうことはだ、先輩や仲間を選ぶことでもあるのさ」

 

 確かこんなだったと思う、大切なことだから書いておこう、多分細部は間違っていても、本当にエルガーのおっさんが言いたかったことは書き漏らしてないと思うから。

 

 しかし和酒、いやそりゃ、村の祭りの時にはあたしだって酒を飲んだことはある。

 ……馴染めなくて、いっつも隅のほうに居たし、踊りにも誘われなかったけど。

 それにめでたいことが会った時にはお父さんとお母さんと葡萄酒を飲んだこともあった。

 でも取り立ててお酒が好きというわけじゃない、実はまだ苦手だ。

 でもわざわざ「どう、ぞ」と言って注いでくれたシチスケさんに悪気はないし、今日くらいはと思って飲んだ。

 

 うん、それにしてもこの和酒、独特な、今まで飲んだお酒よりも少し甘い、いや甘すぎる、喉に絡みついてくる甘さ。


 

 そんなあたしを見て、エルガーもシチスケさんも、ニヤニヤと笑ってた。

 あたしはそんなに顔に出やすいか!

 

 一杯飲んで、少し顔が火照る。

 そのまま蟹の帰りを待っていたが、中々来ない、結局夕方を越しても蟹は帰ってこない。

 

 夕暮れの直前にはレセも下に降りてきて、蝋燭と貯蓄型魔道燈の灯りの下で、あたしやシチスケさん、エルガーと話をしていた。

 レセも少し子供っぽい感情だったかと、思い直したらしく、いまはいつものようなツンと澄まして、高慢な感じに戻った。

 平常運転のまま和酒を靴に運んでた……今度この3人で迷宮に潜る約束をした。

 

 しばらく待っても帰ってこない蟹……ペンタの野郎、何処で道草を食っているのか、いやまあ心配っちゃあ心配だけど、それ以上に苛立たしい。

 もう外も真っ暗なので、一人で帰ろうとしたらシチスケさんが送っていってくれるとのこと。

 

 幾ら冒険者とはいえ、あたしはまだ初心者で、都市にはあたしよりも実力のある連中なんて幾らでもいる。

 軍や、雇われた冒険者の巡回の隙を突くような奸智に長けた輩に事欠くことはないうんぬん。

 

 全くペンタめ、シチスケさんにも迷惑をかけてしまったではないか。

 

 そういうわけでこのひらひらした薄い布を纏った中級冒険者の人に送ってもらうことになった。

 

 夜になると途端にひんやりとした風が肌を打つ。

 くしゃみをすると、黙ったまま、しかし心配げにシチスケさんはこちらを見た。

 白シャツ亭の人はみんなどこかお節介だと思う。

 

 帰り道、カルロスさんには会った。

 また会ったな、とはカルロスさんの言。

 そしてあたしの隣にいるシチスケさんを見ると、慌てて敬礼をした。

 シチスケさんは苦笑して、やめろというようなジェスチャー。

 カルロスさんは、でも敬礼を崩さず、そのまま闇に消えていった。

 

 あたしの何か聞きたいような顔に気付いたのか、シチスケさんは「昔、軍で、少し」と言ってくれた。

 まあ、そんなものか……でもちょっと気になる。

 

 

 

 結局、ペンタは今日、帰ってこなかった。

 いまもまだ、帰ってきてない。

 ケントゥムさんも何やらあたしのほうを見ている。

 まったく、蟹め。

 

 

 

 

 

 

 

 ○知恵の月、二十二日、第四週、一の曜日

 

 ・花屋さんの下に居た海月さんを呼びにいく、ケントゥムさんが蟹が帰ってこないことに業を煮やしたらしい。

 

 まさかペンタがそこらの誰かにやられてるところなんて全く想像できないけれども。

 

 そして花屋さんに向かうと、前と同じ……いや、それ以上にびっしりと全身に花飾りを身に付けて、ふよふよと身体を揺らしているクチャータトの姿が見えた。

 花屋さん……プチャルさんは、やっぱり気弱で、おどおどとしてて、でも美人であることは確かで、色とりどりの花を生けて、育てて、朗らかに笑う姿は、まさに看板娘って感じだ。

 

 ……まあ実際は海月が、看板娘みたいなもので、おどおどばかりしてる花屋さんはいっつも屋台の裏に引っ込んでるんだけど。

 

 プチャルさんそろそろあたしには慣れてきたのか、前に会ったときよりはなめらかな感じで「あ、いらっしゃいませ」と笑った。

 気弱な態度で気づかなかったけれど、その淡い笑い方と、茶色い髪は、素朴な美しさを感じさせる。美人じゃん、可愛いじゃん。

 海月は、あたしの話を聞いて、その話を横で一緒に聞いていた花屋さん――ふわふわした茶色い髪を揺らして、目を丸くしている――を見た。

 

 ふよふよと上下に揺れる海月が、意味ありげに花まみれの傘を揺らして、何かを合図しているように思えた。

 プチャルさんは頷いて、

 「え、ペンタさんですか? さっき見ましたよ、というか話しかけてきました、ええと確か……「うむ、ごきげんよう、相変わらずフラワーが綺麗なフラワー! うん、旨そうな向日葵の種だ」とかなんとか、やけに高いテンションで話しかけてきました」

 とおっしゃった。


 …………


 ……………………

 

 ペンタ、あの蟹野郎。

 一晩帰ってこないで、あたしに心配は……まあ別にしてないけど……うんみんなを心配させておきながら花屋で道草を食っているとは良い度胸だ。

 

 風にそよいで吹っ飛んでしまいそうな儚さを感じさせるプチャルさんに礼を言って、そしてあたしは白シャツ亭に向かう。


 と、蟹はいた。何喰わぬ顔で。

 

 くりくりした黒い眼と、鋏を大仰に動かして、紋章で作られた声を響かせて、エイナさんと何喰わぬ顔で話し合っていた。

 

 「うむ、中々面白い空間であったぞ!」

 「そうですか-、いやぁ、私はペンタさんがマンホールに飛び込んだ瞬間、気でも狂ったか、この蟹、と思いましたけど」

 「ふむ、危うくモズクガ二になるところであったよ、しかし凄いな、小さな迷宮のような様相であった」

 「……何かスクープでも?」

 「下水道にはビボルダーが住んでいたぞ!」

 

 「あんた、マジで、なにやってんの?」

 

 とあたしが声を掛けたら、蟹は慌てて、慌てて、慌てすぎて……思いあまって一回転して、そのまま魔道で天井近くまてジャンプして、天上に張り付いた。

 そのままゴキブリのようにスライドして、窓の外から脱出しようとした。……なんだこれ。

 

 「ねぇ、あんた、せめて一言、言ってから外泊しなさいよね」

 とあたしが続けたら、う、うん? 怒ってないのか? と何やらおそるおそるといった様子でこちらに近づいてきたので言ってやった、

 

 「怒ってないわよ」

 「そ、そうか、うむ、何やら探検熱がこう、ふぅっと胸から湧いて俺の蟹味噌を直撃!」

 

 「そんなに」

 

 「怒ってるじゃないか!?」

 

 そのあと、いろいろ言ったけど、気付いたら夕陽が落ちていたのには驚いた。

 昼前だった筈なのに。

 

 まあ、蟹が心配させるのが悪い……まあそんなに心配してなかったけどね。

 

 あたしたちは呆れた様子のエルガーやエイナ、途中から降りてきていたレセを尻目に、家へと帰ることにした。

 

 

 

 

 

 

 ○知恵の月、二十五日、第四週、 四水しすいの曜日

 

 ・今日は花屋さん、つまりプチャルとおしゃべりをした。

 色々と大変な仕事をしてお金を貯めて、ようやく始めたこの仕事。

 やっぱり大変だけど、でもとても楽しい、と笑顔で言っていたのが印象に残った。

 

 でも、最近色々物騒だから怖いとのこと。

 物騒……例の連続吸精事件の犯人が未だに挙がっていないこと、そしてそちらに軍や冒険者、市井の関心が集まってるせいで、どうやら悪党の類がのさばっているらしい。

 

 人攫いや、暴行事件、盗難事件が相次いでいるらしい、特に夕暮れ後の治安の悪さは、1ヶ月前より明らかにひどいとのことで、あたしも気を付けなくちゃ、と思った。

 

 初めて知ったが、どうやら花屋さんは一人暮らしらしい。

 我が家の海月もそのことを心配してるのだろうか、訓練が終わったら、夜までこの人に付き添うのがすっかり日課になっている。

 

 よく海月ヘルメットや、海月ショルダー状態で、花屋さんに纏わり付いているらしい。

 まあ本当に感情があるのかどうか、未だにあたしは疑問に思っているクチャータト先生だけど、まあそう悪い海月でもないし、どうやら本当に気に入っているらしい……海月と人なのに、妙に馬が合うらしいので、これはこれでよいのだろうか。

 

 プチャルさんは、傍目から見ても信頼していることが一発でわかるような笑みを浮かべて、海月を撫でている。

 ぶよぶよとしていながら、ひんやりとした感触が気持ちよさそうだ。

 

 あたしから見ても可愛い(年上なのにね)らしい、その小さな花のような笑顔が、とても印象に残った。

 

 

 

 ・さて今日は蟹とあたしと……すっかり居着いたレセ(それを指摘すると、しれっと「別に、他に手頃な鍛錬の機会がないだけですわ」と言うお嬢様)で、足腰を中心に攻撃を避ける訓練。

 

 その後は瞑想、あたしもそろそろ導力は慣れてきた。

 いよいよ今度、魔道書を見に行く予定だ。 

 レセは中々難儀している。 まずは瞑想、つまり【力】と【魂】を感じ取って、触ることができないといけないが、どうにもそこまで思い至らないよう。

 蟹はあたしに行ったのと同じような荒治療を今度、海月に頼んでみるそうだ。

 

 あの海月が、あたしの師匠だと言ったときのレセのあたしの正気を疑うような顔が今も思い出せる。

 ……気持ちはわかってしまう、残念ながら。

 

 




 ・知恵の月、二十七日、第四週、六石の曜日

 

 ・蟹はまたエイナさんと取材らしい。

 あの二人は二人で妙に仲が良い、爆薬と爆薬を掛け合わせたかのように、テンションの高い組み合わせで、目も当てられない。

 

 そんなことをぶつくさと言っていたら、ケントゥムがあたしをいつものようにじーっと見て、

 「寂しいのですか?」と言ってきた、別に寂しいわけじゃないわい!

 とか言っても、ケントゥムは見透かした態度で、あたしを見て、そして今日はチキンレッグを弁当に持たせて、あたしを送り出した。

 

 いや、本当に、寂しいわけじゃないって。

 ホントだからね!

 

 そのやりとりを偶然向かいの神父さんに聞かれてたらしく、ふん、と失笑された、苛つく。

 

 

 

 ・今日は執事とレセと一緒に市内で終わるような簡単な仕事。

 ベストセラー小説家スゥアト・ドロニとかいう人の原稿を、市内の北部から、南部――橋の向こう、つまりあたしたちが入って来たところまで運んで、そのまま出版社に持っていくという仕事。

 

 こんなことまで冒険者頼りか、と聞けば、ライバルの出版社や、小説家が悪党を雇って相手の原稿を破り捨てる、あるいは奪いさる事件がたまにあるそうだ。

 

 スゥアトさんは最近一山当てた小説家なのだが、昔から白シャツ亭に頼んでいたらしく、その縁であたしと、レセ、そして監督役に執事が向かうこととなった。

 ぜんぜん偉ぶったところのない、気さくな人だったが、少し気弱そうに見えた。

 

 なにやら締め切り日を二十日ばかり過ぎているらしく、至急、大至急、と念を押された。いや守ろうよ、締め切り。

 と、あたしたちを送り出すと同時に、力尽きたのか、気絶するように眠りに落ちたのが印象に残っている。

 

 (あとで聞いたところあたしのアパートの管理人の老婆や、花屋さんも読んでいるそうで、熱心なファンらしかった。

 恋愛小説だって!)

 

 仕事自体は何事もなく……と言いたかったが、突然あたしにぶつかってきて、

 「おいおい、嬢ちゃんよぉ、どこみてんだよ、アァッ!?」とかいうチンピラに絡まれた。

 

 明らかに故意だったが、すかさずレセがみぞおちに肘を打ち込んで、どこからか湧いて出た仲間は同じく何処からか湧いてきたウォルトンさんがしゅぱぱぱと転がしてた。

 

 あたし? あたしはそいつら全員の股間に追撃を決めておいたよ。

 ペンタ曰く「男は、股間、そう股間をねらうのだぞ、ルナーレよ」とのことで、その教えを守っただけ。

 だけ……なんだけど、皆やけに苦しそうにのたうち回るので、すごく罪悪感が湧いて来た。

 

 そのあと出版社に原稿を運ぶ、出版社の人……編集者というらしい人が、鬼気迫る顔のまま。手の動きが見えないほどの速さで原稿を印刷所へと運ぶように手配したあと、天にも昇るような喜色を浮かべて、あたしたちにお茶菓子を分けてくれた。

 ……なにもそんなに喜ばなくても。

 

 

 

 

 

 

 ○知恵の月、二十九日、第五週、一の曜日

 

 ・カルロスさんと挨拶。

 

 どうやら最近の吸精事件の犯人捜しに疲れているようだった。

 百合の花が目印の如く後に残されていると、ペンタ経由でエイナさんが言っていたが、カルロスさんにはそれも苛立たしいとのこと。

 カリカリしないほうがいいのに、おっさんと思いながらも、あたしは適当に相槌をうっておく。

 

 ・先日もらったお茶菓子を花屋さんに分ける、まるで小動物のように喜んでいた。

 (「わーい!」とか手を振り上げる姿に、大人を感じるのは無理としかいいようがないよね)

 あたしより絶対におねーさんなのに、この人はおどおどしているせいか、時々、あたしよりも小さい子を相手にしている気分になる。

 可愛らしいと言えばよいのか、でも女のあたしでもドキッとするような艶めかしさを時々見せるのは、あたしよりも明らかに大人だと思う。

 

 見ればたんぽぽを無数の触手の先端、その全てに射し込んで(言いたくないけど、ぶっちゃけキモイ)ひらひらと回転している海月は、何か訳の分からない黄金物体。

 ……これは営業妨害。

 

 なのに受け入れられている不思議、エミダリの許容力の高さを思い知った気分。



 ・そして今日は魔道書を物色した。

 専門の店をエルガーさんに教わっていたので、東区の魔具店街に行った。

 

 凄かった。

 

 いろいろな紋章が書かれた札、武器、埃を被ったなにやら高そうな魔具。

 そして並ぶ魔道書。

 

 あるいは普通の道具にも見えるが、どこかに紋章が刻まれた魔具の数々。

 灯、冷蔵庫、送風機、火炉。

 剣、槍、杖、弓、鎧、籠手、手袋から具足まで。

 

 煌びやかな金属の輝きと、豊富なバリエーションがあたしの心をくすぐって離さない。

 蟹も「うぉー!」だとか「見ろ、ルナ嬢! この団扇、導力すると先から水がちろちろ噴き出すぞ!」とか、「むむ、小金貨50枚……うん」とか、騒がしかった。

 回転して、小刻みに横に揺れて、鋏を両方とも、掲げては降ろして、そわそわと子供のようにおちつかない甲殻類を見ていると、あたしまでそわそわしてくる。

 貯蓄型……物質に意識をもたせず、器だけを構成した。つまり擬似的な魂の構築技術は様々な魔具の利用方法を生んだ、らしい。

 (蟹の受け売り、とりあえずメモ)

 

 その応用された武器が幾つも並んで壮観で。

 あたしの儀式小家の覚醒に使われた道の杖が何本も壁に並ぶ。

 

 あるいは紋章の刻まれた様々なもの。

 そしてあたしには遠く、とてもではないが想像の埒外にある儀式大家用の法具もある。

 ――使う儀式大家をより深く理解するため、あるいはその属性と感応しやすくなる補助用具。

 より世界の広く漠然とした【力】への没入の手がかりとなるような刻印具。

 そして儀式大家の儀式法を使用するのに必要な刻印や属性補助、そしてイメージを助けるような形をした、儀式法具。

 

 見ているだけで、あたしは、あたしがかつて読んだ英雄譚や冒険譚を思い出して、身震いした。

 

 蟹はそんなあたしをニヤニヤと、もちろん表情はわからないのだけれども、そんな感じて、あたしを見つめていた。

 どうしたルナ嬢? ……なんて言って。

 黒い目を光らせて、はさみをちょきちょきとしていた。

 うざい! 

 

 

 

・魔道書とは何か。

 分類としてはそれは紋章魔具である。

 

 つまりは紋章が刻まれ、導力によって刻まれた紋章に沿った効果を発現させるような魔具。

 強化された素材……素材学によって精製された厚みのある紙が束になっており、その1ページ、あるいは2ページに紋章が刻まれている。

 基本的には数種類、多い物では数十種類の紋章を使うことが出来る、儀式小家必携の道具である。

 

 【力】を一定量流し込めば発現する瞬間型の紋章から、【力】を持続的に流し込み続けなければならない持続型の紋章まで、そして効果は火から、水、土から、風と多岐に渡って記載されている。

 

 初心者用魔道書は、その中でも基本的には導力の簡単な、画数の少ない、単純な紋章から、後のページに進むにつれて難しく複雑な導力が必要となっていくという構成をとっている。

 (属性ごと、用途ごとにまとめられている魔道書もあり、戦略によって幾つか使い分けている冒険者も多い、という話)

 

 この前の冒険……郊外に荷物を運んだあれの、あたしの賃金を主に、足りない少しばかりを蟹が出してくれた。

 中々どうして、そこそこの大きさの、しかしさして重くもない、それでいて種類のバリエーションに富んだ掘り出し物が、手頃な値段で手に入った。

 晴れてあたしも儀式小家か、そう思うと……そして今、この日記を書いている隣にあるこの魔道書を触るとそれだけで……何やら腰やら鼻やらがそわそわむずむずしてくる。


 ペンタは案の定、「そんなに腰を振って、どうした発情期か」などと最低の戯言を口に乗せて、いよいよケントゥムを怒らせていた。

 蟹のセクハラまがいの発言も、そろそろレッドカードの域にある。


 「い、いや、悪気があってセクハラをしたのではないのだ、……そのな、昔の友人たちはこのようなセクハラに動じないものばかりどころか、煽ってくる者ばかりでな、だから、うむ、飯抜きはやめてもらえないかな、たはは」


 ペンタは一度死んで反省すればいいと思う。

 

 



 迷宮日報 1623年 知恵の月 10号第八面文化欄より


 [「透明賢者」エボルフ=ガイの書評]

 

 さてさて、みなみなさまがた、お待たせいたしましたよ。

 

 うん? 待っていないって? 細かいところはいいんだよ。

 最高位冒険者エボルフの月に一回しかない書評のコーナーだよ。

 楽しみにしてたかな? してたよね、うん、ボクねそういうのわかっちゃう。

 

 さて、みんな本を読んでるかい?

 小説、文学、歴史書、技術書、概説書、学術書。

  生活のため、日々のため、仕事のため、娯楽のため、勉学のため、まあいろいろな種類、いろいろな本、そしていろいろな目的があるけれど、本は読めよ!


 本を読めない? 読めない奴はこの新聞よんでねーだろ。

 というわけで、今回もいっちゃいます、ボクに読まれるのを待っていた本の数々、余すところなく書評っちゃいます。

 

 安心してね、ネタバレ満載だけど、一番おもしろいところには言及しないようにするからさ!


 

 さてまずは今週の一冊目、ゲレイン・ハルト「目覚めの時、終わりの刻」

 意味ありげなタイトルに違わず、なかなか興味深い本だよこれは。

 

 一見すると小説のように見えて、中身は詩集、その後に日記、最後に著者渾身の政治的主張が織り込まれた箴言集というだいぶわけのわからない本だ。

 

 冒頭の三ページだけは散文なのだけれども、その後は全て韻文、そのまま三〇〇pオナ……間違えた自慰的行為の如く滔々と、死が、星が、運命が、愛が、神が乱れ飛んで、その頻出度合い半端がない。

 

 同じような頻度で混沌と、未来、前世、極黒とかなんとか青臭い詞も盛りだくさんときてるとくりゃ、どうしてボクが、この本をわざわざここで取り上げるのかわからない方もおられるだろうね。

 

 けれどね、その最初の300ページを読んで、脳に、益体もない詞の奔流をたたき込んで、脳随を沸騰させていると、その韻文の意味全てを崩し、それを塗り替える日記部分が君を待ちかまえている。

 

 詳しくは語れない、でも……その日記を読んだ瞬間、そこまでの間に目にして、吐きそうになるほどに多く感じてきた陳腐な文句の、存在の位相とでもいうべきものが、何もかも変動して、真の意味を獲得するんだ。

 

 ボクは震えたね、そこには衝撃の真実もあった。快感とそして呆気にとられるほどのユーモアがあった。

 意味が次々に提示されて、それまでの前提が覆されるままに、何度も何度も、さっきまで馬鹿にしていた青臭い詩を、いつのまにか真剣に読んでいるんだ。

 この体験、是非一度、味わってほしい。

 

 出版社は、葛竜書店:インヌマール系列の書店に卸されている。

 

 あと、最後の政治的主張は…………うん、まあね、そこらへんの便所の落書きのほうがマシだったかもしれないね……うん。

 というかこれ最後の部分いらなかったんじゃないでしょうかね? 読後感がね……うん。



 

 さて気を取り直して二冊目はモロー・D「本当に怖い儀式小家」

 胡散臭い本、そう君は思うだろう。

 ……実際には胡散臭いどころの話しではないね、もし君がこれを手に取って、そしてそこに印刷された文字に目を通したのなら、開始5行で気づく筈だ。気付く筈だと思いたいね。

 

 ……マジキチの書いた本だこれ! ってね。

 乱舞する陰謀論。

 どこから見つけてきたのか、果たして本当にあるのかわからないアンケート資料、グラフ、数字。

 それらが巧妙に使われて、驚くべき説得力とともに、儀式小家を使い続ける者の健康被害、疾病、腰痛、四十肩から、空咳などなど、この調子でいったら、この世の中で人が生まれて人が死ぬのも、その全てが儀式小家のせい。と言わんばかりの網羅っぷり。

 

 識者が見たら失笑ものかもしれないが、ところどころに挟まれる体験談……やれ儀式小家を使い続けるうちに口内に出来た炎症が小金貨ほどの膿の固まりとなって、やがてそこから緑色の汁を吐き出し続けて死んだ男の話などが、妙にリアリティを誘って、こちらの恐怖を煽る煽る。

 

 知識のない人間ならうっかり信じてしまいそうなほどの描写の凄惨かつ説得力に富んださまは、著者の儀式小家に対する身の毛もよだつほどの怨念を感じざるをえないね。

 

 で、ここまで言って何故この本を紹介してるかって?

 単純なことさ……売れてるからだよ! 

 世の中って、不思議ね。

 

 出版はストリインドガルドからだね。

 

 まあキオスクで買えばいいんじゃないかな。 



 

 さて三冊目、最後の一冊だ。

 ストゥロ「リンガベル戦記――悦びと憎しみと」

 10代女性から80代女性までという圧倒的な支持層の広さを持ったリンガベルシリーズ……いやすでにサーガとでもいうべき一連の作品の、待望の最新刊――44巻。

 

 ネクロスが、ウーミッヒに衝撃の事実を告げた瞬間から2年の時を経てついに恋物語の火蓋が切って落とされる!

 

 (以下43巻までのネタバレがあるので未読者は注意)

 前巻の後半で、美貌の女騎士にして青の瞳の竜王の生まれ変わりであり、七人の騎士団の筆頭となったウーミッヒ、主人公タレイアは女を装いながらも実は男である魔導士、その胸はウーミッヒを見て恋の炎を燃やした。

 しかしそこで運命の悪戯によってウーミッヒも実は男であったことが判明、身分の違い、変装したことによるタレイアの恋の障壁は、ますます盛り上がり、その域は、禁断としかいいようのない領域へと至ってしまった。

 

 男と男、麗人の如きウーミッヒは冷酷でありながらも素直な心をもって、女であったタレイアを求め始めた。

 しかしタレイアは男、ウーミッヒも男、この恋の行方に、第一巻からのレギュラーキャラでもあったネクロスが衝撃の告白を行う。

 なんとネクロスが屍人ゾンビであったというのだ!

 

 まさに衝撃の事実、物語を急転直下の勢いで盛り上げる場面。

 

 そして始まる今巻のプロローグ。

 そのままネクロスが吸血鬼帝国の遺産を隠し、月から来週した使者ポッフェルトの使徒の一人であることが判明し、それとともに黄金剣ガウスマニアが奪われる、さんざん待たされた挙げ句のこの事態に読者はただただ唖然とするしかないだろう。

 

 そこから先のことはあまり多くは語れない、ただここで私が言いたいのはもう一つの刃、緑銀の刃シュレーミルナが、真実の愛を誓い合った二人の人間の【力】を必要とするという、第7巻で提示された設定。

 

 複眼の蠅の王、パトルーロスクトと、その使徒ギンガニエバは星の【狭間】に取り残されたままであるという衝撃の5巻のこと。

 7人の人間騎士団が、亜人を排斥していた過去を知る、最強の牛頭人アステリオンそして彼の駆る自動人形パトロクロスの存在。

 複雑に絡み合った糸と糸、著者の膨大な伏線、その全てが絡みとられながら、さらなる展開を見せて、この巻は終わる。

 

 正直、本当にこの風呂敷は畳みきれるのか、そもそも畳むきがあるのか、そうした疑問は尽きないが、ますます目の離せない恋愛小説…………いや、このシリーズ書評する度に思うけど、全く恋愛小説じゃないよね? これ。

 恋愛もあるよね、ぐらいだよね。

 というよりも本当に世間の女性方はみんなこの話を恋愛モノとして読んでるの? マジで? 意味わかんない…………ともかくもまあ、待たされた甲斐があるクオリティであると断言しよう。

 思えば第1巻の最後で、主人公の性別が明かされたときから思ってたけどね、このお話なんかおかしくねって、

 

 まあ……本気で解せないけれども、男の人にも手に取ってほしい作品だね。

 耽美さを感じさせ修辞レトリックに、軽やかにして絢爛華麗な語彙が、その優雅な文体と合わさってみるみる内にこちらを心躍る冒険と心理劇へと誘ってくれる、傑作だよこれは。

 

 まあ長いのがたまに傷だけどね。

 というか僕はたまにね、この町には変人しか住んでいないのではないかと思うときがあるよ。

 

 と、出版は、ナナミ書肆からだね。

 総合大学府と縁の深いあそこだ。

 

 さて、長々と紙面を割いた書評もこれで終了。

 また次回だね、次もそれなりにがんばって紹介しようと思うよ、それではね、いい本を読めよ!       


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