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おっさんは何故昔語りをするのか、ショッピング。 逸材。





ところ変わって場所は酒場。



小さく、ともすれば見窄らしい酒場には

今は探索を終えた少女と蟹の姿があった。




俯くように少女は、そのカウンターに腰を掛け、床に脚を畳む。



酒場の主は昼寝を終えたようで、妙に爽やか、かつ晴れやかな微笑みを顔に浮かべながら

グラスを磨いていた。



先ほどまで酒を飲んでいた東方風の服――東方大和島特有の和服と呼ばれる――を着た冒険者や、

カウンターに突っ伏していた細工師の姿は既に見えない。

どうやら仕事へ行ったらしく、まるで幻だったのかと思うほどにその痕跡もない。


気怠いが、どこか柔らかな空気の酒場。


その酒場の主の眼の前に少女。その隣の床には蟹。


グラスを磨く店主はカウンター入り口越しに、蟹を見据えていた。


その表情は、初対面の印象に加えていたく軟らかい。




「中々たいした戦果じゃねえか!」


と気持ちよく笑う店主。

それに、もちろん、もちろん、と頷く蟹。



しかし彼らの隣。少女の顔は、俯いたまま伺えない。



蟹はそれを心配しつつも、

己の荷袋の内にある収穫品――素材についての報告と、

どこでこれを換金すればいいのか店主に聞いているところであった。



初心者の得体の知れない魔獣と村娘の素人コンビが、たった二人で、

下位に属するとは言え、天使もどきを打ち倒したのだ。

それは率直にいって、驚くべき事であった。

それも迷宮の初探索でのことならば、なおさらに。



少々偏屈な店主も、これには素直に感嘆した。


――この蟹できる、と。


酒場に響く、蟹と店主の笑い声。


相手を認めたのであろう店主と蟹は微妙に意気投合したようだった。



酒場に、充満するすえた酒の残り香。


春の午後特有の、午睡を運ぶ春光が、店内の埃を輝かせるように窓から入り込んでいる。


カリカリと、朝に、蟹と少女が訪れた時より、一切の変化無く、

なにか書き物をしているらしい、テーブルに座る二人。研究者と記者。



蟹は照れたように、鋏をぶんぶん振り回して、またチラリと少女を一瞥した。


「ふふ、そう褒めるな、店主よ」


「はっは、甲殻類の癖にいっちょまえに照れやがって……でこっちの嬢ちゃんはどうした?」



どうしてこんなに沈んでいる? と問うように顎を動かす店主。


蟹だけではなく、店主も気になっていたようだ。


酒場に染みついた酒の匂い、古い木の匂いに、当てられたかのように。


まるで腐る直前の向日葵のように頭を垂れて、テーブルに突っ伏してる、

先ほどから沈黙を守り続ける少女が。


「まあ、うむ……嬢は意外と面倒なやつでな、なんとも新兵にありがちな……」


「……ああ そういうことかよ、……分かるぜ、俺もこう見えて、昔、冒険者でな」



――どう見ても、の間違いではないのか?


――はは、よく言われるがよ、蟹に言われたのは初めてだなぁおい



磨くコップを降ろし、手を布で拭って、店主は、言葉を繋げた。


「若い奴、……自分に自信のあった奴、あるいは思うように動けなかった連中。

そんなのがこの病気にかかることが多かったな、それこそ腐る程見てきたぜ?」


そういいながら店主は、ミルクを蟹の前に出し、ご丁寧にストローまで差し込む。


差し込まれる先は、巨大な蟹の口。



「ご丁寧に、ありがとう。だ」


「はっ、いいってことよ、おめえ意外と出来るみてぇだからな」


――気に入ったよ。 ――光栄だ。



言いながら何処か懐かしげに店主が頬を掻く。


蟹が倒した獲物、冒険の報酬としての素材回収。


なにもかも懐かしいと言いたげに壮年の店主は笑う。



蟹はふと浮かんだ、疑問を口にした。



「……店主エルガーよ、お前は、もう冒険者には戻らないのか?」


蟹の何気ない問いに、笑って返すエルガー。


「んっ、……ああ、まあな、…………もう十分に楽しんだよ俺は、

まあ、終わりはちょっと尻すぼみだったけどな!」



だからよ、別に良いんだ、と店主は淡く笑った。


しかしそれは暗いものではなく、どこか清々しく明るい笑いであった。

誇らしげなものを思い出すようなその表情。


蟹にも覚えのある表情だ。



「大切な思い出なのか?」

「おうよ、おめぇさんたちの、

素材を集めて、迷宮に潜って、と、聞いてると色々と思い出すねぇ。

この酒場には、まともな冒険者が全然いねぇからよ、

案外に懐かしく思う機会もないんだわ、これが」


「……誰しもが持つ、誇るような過去というものか」


言われ、そんな大層なもんじゃないけれどよ。と応える大柄な男の笑み。


それでも話したかった話題であるのか、奇妙に饒舌にエルガーは話し始めた。


「蟹に話してもしょうがないかもしんねぇけどな……まあちょっと聞きな。

俺は昔、長い冒険者生活で培った経験を元によ、小さな冒険者ギルド、言わばグループだな、

寄り合い所帯みたいなもんだったけどよ、それを作ったのさ」

「ほお」

「昔なじみや同期と一緒にな、冒険をして、世界を巡って、迷宮に潜って、

俺らは所詮Bクラス止まりだったけどよ、ワクワクした毎日が楽しかったぜ?」


「……余り深く聞くのも悪いと思うが、……では、なぜ冒険者をやめて酒場を?」


聞かれ、店主は己の右腕を見せる。

そこには白い裂傷の痕。それも大きく広い。

一瞥しただけでその傷の深さが伺えた。


そして、やはり一番の問題であるのだろう。彼は蟹に見えるよう、カウンターの入り口から、

己の木と鉄、幾つかの魔物の素材で作られたであろう義足を、見せる。


「……俺たちが最後に大規模チームを組んで潜った時に、迷宮の連中の策略が原因でな。

俺は怪我するわ、昔からの仲間が死ぬわでな。

まあ、それはいいんだ。

冒険者連中なら誰もが覚悟してることだ、当時既に歳も30の真ん中を越えてたしな。

そんだけ生きりゃ元よりなんの後悔もねえよ、それが俺たち冒険者ってもんだ、……ただ」


「ただ?」


「お嬢、ああこの場合はネース、お前らを紹介した受付嬢だな。と


もう一人同い年くらいのまだ20に届かない若い男が一人いてな、

ネースの嬢ちゃんは、あれな、両脚がその時の戦いで吹き飛んじまったのよ。


それと、もう一人の若い男な、飄々として憎めない感じの調子のいい男だったけどよ、

繊細でな、その時の自分の失敗が、自分の能力不足が原因でその事態を招いたって気に病んでな

いつの間にか、街から消えてたのさ、今頃どこで何をしてるのかわかんねぇがな……」


その声は、心の底から、それらを惜しむような色を持っていた。


何処か遠くを見るような瞳で、未だに逞しい肉体を誇る店主は、虚空を眺めている。


蟹も何かを感じ入るように、聞き入る。


「悩んでるのか?」


「まっさか、冒険者はひきずらねぇのが身上さ。

ただなぁ、……二人ともあのまま経験を積んでいたら間違いなく、

末は最高位冒険者か、というような逸材でなぁ、俺たちのグループには過ぎた宝だったよ、本当に、


俺たちは皆よ、子供がいない連中も多かったからよ、だから子供を可愛がるように、

そいつらを小突いたり、からかったり、冒険者として教えられることを全て教えたのさ。


だからな、あるとしたら惜しい……んだろうなぁ、俺たちみたいなおっさんと同じように、

若い才能がよ、引退を余儀なくされて、死なんてとっくに折り込み詰みだった俺たちの死を

気に病んで、消えていっちまったのがさ!」



そこまで語って、店主エルガー・ランチェットは目を瞑った。


カリカリと鉛筆の音。目を伏していた少女はいつしか顔を上げていた。


蟹はミルクをチューチューと吸い込みながら、それを分解して栄養へと変換する。



店主は目を開いて、どこか恥ずかしげに、その厳めしさ漂う漢の顔を歪め、

頭を掻いた。らしくないといった調子。


「ってなんで俺はこんなことおめぇに語ってんだろうな?」


「ふむ、趣深い話だったぞ?」


「らしくねえんだよ……ったく」



なぜ初対面にも近い、今日会ったばかりの蟹にこんなことを語っているのだろうか?


と本気で顔を苦め、微かに笑みを浮かべた店主。



それを見た蟹は、いかにも平常といった調子で言葉を作る。


「……蟹とは人の気持ちを、言葉を操るものなのだぞ、知らなかったのか?

店主が話をするのも無理がない」


「おいおい初耳だぜ?」


あんたまた適当なことを、と少女が蟹をじろりと睨む。


いやいや嘘ではないと、黒瞳を輝かせ、鋏を掲げる蟹。



「死んだ蟹を前にすれば人は沈黙を余儀なくされる。


蟹の骸を食するならば、人は言葉を作ることが出来なくなる。


なら、生きた蟹を前にすれば、人が饒舌になるのも無理はない。


生きた蟹の活力には、人を動転させる何かがあるものだ」



――ふふどうだ、一理あるだろう? と蟹


――すんごい糞理屈。 と少女。


――はははっ、と笑う店主。


ともあれ、店主の話に感じ入るものがあったのか、


僅かに、本当に僅かにだが少女は顔を明るくしている。

それ以上に、その顔には深刻さ、死と、才能への不安というものもこびり付いていたが。



店主は、カウンターに背を向け、何か軽食を作り始めた。


遅い昼食。5人分だ。



「……えっ」


と少女が軽食らしい肉の炒めと、そこそこの小麦を使ったらしい固いパンを前に言う。


店主は、まだ笑顔を保っている。


「サービスだ……受け取りな」


渋るルナ嬢に、蟹が声を掛ける。


店主は、根を詰めているらしいテーブルの二人にも食事を運び始める。


「ルナ嬢、こういう時はな、礼を言って素直に受け取るべきなのだぞ」


僅かな沈黙、それもそうか、と思いの外に、礼儀正しかった少女は、

頷き、未だ暗いが、幾分か回復したその顔色を、店主に向けて、

心許こころばかりの微笑みを作る


「……あ、りがとう、エルガー……さん」


店主は、ニヤリ笑う。


「は! さん付けなんてよせ、店主とでも、エルガーとでも好きに呼びな」



カッカと画然と笑い、豪快だが朗らかに、何処か抱擁力を感じさせる笑みだ。


どこか気むずかしげだが、内側に入りさえすれば優しく面倒見がよい気質なのだろう。



蟹は己の前にもられた肉の山にむしゃりと食いつきながら店主を一瞥した。


空気は何処までも和やかで、

とりあえず、これからの行動を考えるのに、支障は寸分もなさそうだった。














店主と蟹が、話を弾ませつつ。


少女が席を立ち、

酒場の壁、掲示板に張られた幾日か前の何処ぞの瓦版をなんともなしに眺めていた。



『怪奇、北方ジェンダリ魔惨迷宮付近で、列状に大きな地盤沈下!?』


その記事に目を通そうとした時。


しゅるしゅると、奇妙な音が少女の耳に入る。


しゅる、と、まるで垂らした紐を擦るような引きずるような。


しゅる、と、まるでなめらかな布が地を海として泳ぐような。


蛇の、地を制するような音が、少女の傍、二階へと通じる階段から響いてくる。


「起きたかよ」


と店主が、その階段から降りてきた者に声を掛ける。



返事は、シューと蛇の鳴き声。



蟹と少女が見れば、そこに居たのは蛇男。


所謂、蛇人ナーガ


下蛇人ラミアとは違い、全身に鱗を持ち、顔かたちも蛇に大きく近い存在。

下半身ももちろん蛇の尾、人間の臍より上の部位が胴として尾の上にあるのが、

数少ない人間らしさ、人型のそれに蛇人を辛うじて属させている。



「ほう、ナーガか」


蟹に言われ、蛇型の下半身、太くとぐろを巻いた緑色のそれがうごめき。

胴と胸と首の上、口から、チロチロと、朱い舌を波立たせた蛇頭が頷く。


少女は初めて見る蛇人ナーガに驚いているのか、小さく形のよい口をパクパクと動かしてる。



蛇人は希少種である。

講談や物の本で言われる程に世界では見られない存在であり、

得てしてその姿を初めて見た者は少女のように度肝を抜かすような反応を見せることが多い。


それはその質感、その異様、それらが想像よりも圧倒的な存在感を醸し出すためだ。



店主は先ほどまでの笑い顔を、仏兆面に変えて、蟹と少女を見る。

(キャラクターを作っているのかも知れない)


「見ての通り、蛇人ナーガの、スピネルだ」


その言葉に同意するように頷くナーガの男。


「こう見えても、この酒場じゃ一番の実力者だ……」


そうなの!?と振り向いた少女に比べ、蟹はむべなるかなよ動揺を見せず、鋏を動かす。


言葉を作ることが口内の構造上、そのままでは出来ない蛇人の男は、

頷き、手に持った杖に【力】を込め、意識を馴染ませる。


「スピネル、ヨロシク……ラン、クB」


「ああ、よろしく頼む、俺はペンタ、……しがない蟹だ」


しがない蟹ってなんだよ、と思いながらも少女も蟹に続いた。


「え、あっ、あたしはルナーレ」


そうして蛇男は、感情の伺えない瞳のまま、舌を波立たせて、手に持っていた杖を背に戻す。

背には長い盾、そして槍も見える。


杖に刻まれた粗末な言語変換紋章では、【力】の変換効率も余り良くはないのだろう。


そして、誰もがデンザロスのように長い時を生きる訳ではない。

デンザロスが持つような巨大な【力】の器も有り得ない。

紋章で言葉を作るとは、そのまま【力】を使うことでもある。

そのためこの蛇人は出来うる限り杖は使わない方針であるのだろう。



常日頃、武器を持ち歩くのは蛇人の文化であり、

また、この都市は治安がよい部類だが、歩く場所と時間を考えれば、

いついかなる時に、犯罪に巻き込まれるのか分からないような都市でもある。

その為、武器を携帯する者は意外な程に多く、この蛇人が背に武具を背負う理由もそれであろう。


なにをするでもなく、蟹と少女を見詰める、その蛇人の顔はまさに蛇そのもの。


チロチロと火のように朱い舌の蠢きに、蟹が魅入っていると、店主が話を進める。


「……自己紹介は済ませたな、どうだスピネル、頼みたいことがあるんだけどよ」



少女は未だ。蛇の鱗を惚けて眺めていた。話を聞いているのかいないのか。

そして、蟹は店主の言を丹念に聞いている。


蛇人は案外に気前が良い性質たちなのか、舌を揺らしながら頷き。

尾をくねらせて、首を縦に振っていた。



「では、頼む」


蟹が言葉を作り、蛇人は頷く。


蛇人が手を差し出し、蟹はその手に鋏をタッチする。


少女がようやくそこで、夢から覚めたように、はっと眼に意志を戻す。



「ど、どういうこと?」


「……ルナーレ嬢よ、意識を飛ばすには未だ早くないか? まだ昼だぞ?」


「べ、べつに話を聞いてなかった訳じゃないわよ!? ただちょっと話を確認したくて……」



なんでそんなすぐにバレるような嘘を吐くのだ?と甲羅を傾げ、


少女は顔を朱くしながら、別になんだっていいでしょっ?!とカウンター席から降りる。



「……なに、別に大した話ではない、ただ市とこの酒場の店主おすすめの素材下取りの店まで、

この蛇人の彼が、自分の仕事のついでに案内してくれるという話でな」



いいながら蟹と蛇人が店の入り口に向かって歩みを進める。



蛇の下半身は、地を這い、滑るように無駄なく平行的に進み。


蟹はそれを追うように、四脚を巧に使い、地を掻き分ける。


少女が、それを慌てて追いかけて、二本の足が地を蹴る。



それを見送った店主は、彼らの姿が消えると、表情を消して、

日課となっているグラス磨きに戻り、


少女や蟹が現れたことにさえ気付いていなさそうな、

研究者の優男と、眼鏡を掛けて書類を睨んでいる記者の女性は、

死者のように顔色を青くしながら、

亡者のように与えられた供物ひるめしを機械的に口に運び、

いまだにだ変わらず作業に集中していた。



なんとも妙な連中だぜ、と蟹と少女が出て行った方角をチラッと見た後、


店主は溜息を吐く。


しかしその後に浮かんだ表情は悪感情などではなく、


どこか楽しそうな表情であった。






















未だに天に陽は高く、人の喧噪は、交響曲を越えた音の厚みで蟹と少女を包み込む。


雑踏の人混みは海のよう、それでも昨日、この街で初めて入った、南区画の密集よりは

幾分大人しい、と蟹は思う。


思いながら蟹と少女は、笑って話を続けている。

とはいえ笑っているのは蟹ばかりではあるが。


雑踏から来る訝しげな視線。

喋る巨大な蟹への、なんだあれは? という視線を、

蟹は臆することなく受け止め、堂々とした態度で少女に話しかけていた。



だが、少女の顔は、未だ少し暗い、……引きずっているのだろう。


それに頓着せずに話しかける蟹は、気遣いに溢れる紳士か。

……もしかしたら、ただ話したいだけの可能性の空気の読めない蟹か。



ともあれ、二人は、スピネルに案内された店で用件を済ました後、近くの大市で、

日用雑貨、家具をなんともなしに眺めている最中だった。



「いやぁ、全て会わせて小金貨2枚か、中々大した稼ぎになったな!」


「ええ、そうね……でも、相場が分からないから、先にエルガーに聞いておくなんて、

やるじゃない……蟹の癖に金勘定も出来るのねあんた」


「はは、そう褒めるなルナ、まあん、なんというか歴戦の勘、蟹の甲より、年の功ってやつだな!」

「亀じゃなかったかしらね……」


少女の声はどことなく暗い、返事や思考も遅れ気味のようだ。


蟹はその少女に配慮するよう努めて明るい声を出す(素なのかもしれないが)



気遣いの出来る蟹と、未だ心に重石を残した少女は、雑踏に覆われた石畳を歩いていた。


住居や酒場があるのと同じ、中央区画。



その中央区画のやや西よりにある迷宮入り口から、徒歩数分にある市の連なり。


それこそ、食料から雑貨まで、なにもかもが揃うような大市に二人は居た。


鍛冶屋、武器防具、道具の専門店、学府の出張研究所。

薬屋に、これが一番多いが、素材の買い取りや加工合成の店。


そういった冒険者区画特有の専門店の連なりの近くに、

蟹と少女がぶらぶらと歩いている大市はあった。


そして広場と路地一面を使ったその大市には、

細かな道具食料や、書物から薬、さらに加工の済んでいない素材までも、所狭しと、

雑残と並び、その無節操さで多くの冷やかし客を楽しませているのだろう。



先ほど、大市の隅にある古ぼけた洋館のような怪しげな店を紹介された蟹と少女は、


そこで今日の収穫物を査定してもらい、それを買い取ってもらったばかりである。



店主は齢70を越えるだろう黒人の老婆。背は丸く、髪は白い。


召使いであるのか全身を黒い毛で包んだ猫顔人と、


そしてもう一人、身体が素材としても利用される不遇の精霊種――結晶人の従者が、

おどろおどろしい店の中を、健気に走り回り、言い渡されたらしき仕事を推し進めていた。


非道く胡散臭いその老婆に、少女が怯えたり、


蟹に興味を示したその老婆に、蟹が捕獲されかけ危うく、その味見をされそうになったりと、


色々と騒がしい問題はあったが、しかし換金は速やかに進んだ。




二段頭の天使の皮、頭部 =小金貨1枚と銀貨5枚に銅貨10枚


蜘蛛の各素材 =銀貨3枚と銅貨5枚


蟻、蝙蝠 =銀貨1枚と銅貨5枚


合わせて小金貨2枚。



またおいでね、と顔をくしゃくしゃに歪めて、嫌らしく笑った老婆に見送られて、


陽気な蟹と消沈の少女は店の外、そこにある大市をついでに見て回ることにしたのだった。



(補足:銅貨3枚≒串焼き1本 銅貨20枚=銀貨1枚 銀貨10枚=小金貨1枚 


小金貨3枚=大金貨1枚 大金貨1枚+小金貨2枚 旧金貨1枚


正しくは純粋な銅貨1枚分の重み=銅貨1枚とも。

粗悪な硬貨の場合重みや材質に差が出るのが常で、その対策に両替商や個人商店では、

重さを量るための天秤や、水桶が用意されていることが多い)




「しかしまあ、人の生活とは、いつ見ても姦しく騒がしいものだ」


「……そうね」


蟹は鋏を振り上げ、己の頭を掻く、別段、本当に痒い訳ではないが。


蟹が友人たちと生活する上で、いつの間にか身についていたジェスチャーの一種である。


意味するところは、困惑か、動揺か、呆然か。


――むう、時間が経てば、と思ったが、……引きずってるなあ


考え、蟹は少女の尻を鋏で叩く、こういった事態に慣れていない彼なりのジェスチャーだ。



「きゃっ……なに?」



冷たい視線を蟹に送ってくる少女。



「蠅が止まっていてな」


胡散臭げに蟹を見て、鼻で笑った後に、少女はすぐさま市に並ぶ商品を眺める作業に戻った。


そして蟹はもう一度、少女の未成熟であるが柔らかな尻をポンと鋏で叩く。


舌打ち。


「…………なに? セクハラ?」


「おおう、お怒りにならないでください少女ルナーレ。

哀れな一匹の蟹の戯れではないですか!」

「あんた、ほんとうになにがしたいの?」


――おかしいな、俺の知り合いはこれでいきなり怒り出して元気が出た筈なんだが。


――怒りは湧いたわよ、この上なく、ね!!


おかしいと首を傾げる蟹を睨んで、今日は蟹でも買って鍋にしようかしら、と半ば本気で考える少女。


が、怒りの空気は長続きしない。少女は、視線を逸らし、顔を俯かせた。


……


…………


変な間に蟹さえも何故か緊張を覚えた時。少女は呟く、



「……その、……しんぱい、かけたわよね」


蟹の意図は伝わっている。少女は鈍感でもなんでもないのだから。


だから急とも言えるタイミングで、恥ずかしげに少女の口から出る言葉は、感謝である。


そう呟き、蟹を見て、そして少女は気むずかしそうに笑った。


「……うむ、別に構わんよ、なに……いつまでも悔やまれても、辛気くさくて叶わんからな」


言うわねぇ、と少女は笑い、少し気を取り直したのか、立ち並ぶ出店を眺め始める。


蟹は、黒い、愛嬌を感じさせる円らな瞳に、安心と、納得の色を溜めて、ブクブクと泡を吐いた。


「あ、これいいんじゃないかしら?」

「うん? ……食器か?」

「一通り揃って、銀貨5枚か、意外と安いんじゃないかしらこれ」

「俺は、むしろそちらの水玉模様の大皿が」

「……いやにどぎつい蒼色の大皿ね」

「蒼はいい……海の色だ」

「でも別にあんたが使うわけじゃないのよね、この皿」

「うむ、ルナ嬢専用であるな……」


あたしの趣味じゃないわよ、と少女がいいながら、先ほど述べた食器セットを買うことにしたようだ。

先ほどまでの暗さを何処にやったのか、

いたくヒートアップして、少女は出店の店主と値切り交渉を始めた、

蟹は呆れを含んだ視線で座視しつつ。本人なりの気分転換でもあるのだろうと思った。


そして、それがしばらくかかりそうなのを見て取って、蟹は周囲に目をやることにした。


道を行く、肌も身体の容貌も、そもそも身体を構成する内臓さえも違う、無数の者たちを見る。


少女が、あんた馬鹿じゃないの?! こんな低品質な食器で今時ご飯を食べる人なんていやしないわよ

これどうみても犬用でしょう? ねえそこのあなたもそう思わないかしら!?


と声を荒げるのが、蟹の背後から聞こえてくる。




遠く、教会の鐘、終業を告げる、鐘の音。




大きな教会を多く持つ、エミダリならではの、幾つもの教会の鐘の音の重なり、


ハーモニーを生み出す鐘の音響と反響は、


幾十の金の重なりであり、その響きは葬送曲を思わせる荘厳さと、

行進曲を思わせる軽快さをもって、

道を歩く者。家に帰る者。仕事をする者に、時刻を告げている。



背後の争いはさらに激化している。


蟹は、昔の知り合いにも、些末な金額に、いやにこだわる守銭奴が一人いたことを思い出す。


思えばそもそも社会やら経済と隔絶していた者ばかりで、

意志の存在さえ定かではない者や、

言葉のコミュニケーションが不可能な奴らばかりだった身内の中では、

言葉をどうしても喋ることができない、犬人コボルトもどきのガルが、

人間社会に通じている度合いでは最上位の部類だったといのも、いま思えば非道い話だ。


蟹は鋏を見る。

ふと『吸血鬼』や、『図書館』のことを思う。


連絡の取れなくなった旧友たち、昨晩に夢を見たばかりだが、

やはりそれは内心の心配の表れなのかも知れない。あるいは予感とも言えるかもしれないが、


そして蟹は、むう、と唸り、何か、己たちを浸食しつつある闇を思った。


敵は何か、あるいは敵はいるのか、それはどんな命知らずなのか。


間違いなくこちらの戦力を過小評価しているとしか思えないような暴挙。

が、その謎の敵も勝算があるからこそ、このような暴挙に出ているのだろう。


それは蟹にとって許されざることだ。


この世からはとうに引退した己と、己の仲間どもを、無理矢理再び盤上に載せ上げる行いだ。

それは横車を押すようなものだ。無知にして理非。おそろしい心得違い以外の何物でもない。



堕神の仕業であるのか、それも。迷宮の外にいる堕神。


己は既に地上の生物であろうに。未だ天を夢見る、愚かな存在の仕業か。


人間は、地上の生物は刃を研ぎ澄ませた。

それこそ最上級の天使にさえ、あるいは堕神にさえ匹敵し始めている、人間たちの研鑽。


もし堕神がいるとして、彼ら戦うべき、あるいは見るべき相手は、


己のような引退した者たちではなく、その人間ではないのか?



なんともなし。

ともすれば感傷的に、蟹は思った。


少女が己の近くへと寄ってくる。勝ったのだろうか、顔が明るい。



そしてルナーレと入れ違うように、


「ああ~、食器セット……」


近く、ルナーレが勝利した出店の近くから、

どこか抜けてそうな、未だ幼さの残る少女の、

狙っていたらしき食器セットの神隠しを呪う声が届いてくる。


丸い帽子、手には魔導書。小綺麗なローブ。



その少女は表情豊かに、ぶんすかと頬を丸めて、己が走ってきた道に振り向き、

おそらく友であるのか、兄であるのか、はたまた恋人であるのか、



20代の後半と思われるどこか眠たげな青年に声を掛けた。


ルナーレは、店主に打ち勝った幸福から、満面の笑みであり、

先ほどまでの燻りを大分解消できたのか、

周囲の音など一切耳に入っておらないだろう、ほくほく顔で蟹の背に座っていた。



魔術師――儀式小家であるらしい少女は、言葉を続けている。


蟹の外界音声変換紋章は、その言葉も拾うくらいには優秀である。


「もうっ! ロッドさんのせいですよ? 

ロッドさんが別にいつまでも、あんな隅にある食器なんてなくならないッス~、

とかなんとか寝ぼけたことを言うから、それを信じた私が馬鹿みたいじゃないですかっ!」


「はぁ~、いや、ほんとになくなってるっスね、いやぁ珍しいこともあるもんだ」


「なんでそんな全く反省してなさそうな声なんですか!! もっと反省してください!!」


ポリポリと頭を掻く青年に、

まるで小動物のような怒り方をする少女の手がパシパシと当たっている。


いや~、すまんすまんっスと笑っている青年の眼が動き、蟹を見る。



一瞬動きが止まり、その顔の笑みが止まる、少女も動きを止め首を傾げる。



「どうしたんですか?」


「……いやぁ。なんでもないっすよ、ただちょっとトラウマが」


「トラウマ?」


「いや気のせいだったッスよ、最近、蟹を見ると反射的にビクッとなるっす」


蟹?と件の少女が首を傾げる。そしてロッドと呼ばれた青年の見ていた方向を見る。


そして、一拍の後、


うわぁ! ビッグなカニさんだぁー!!と、一片の曇りもない、純粋な感嘆の響きが聞こえて来る。


蟹は、少女の歓声に応えるように、両方の鋏を大きく振り上げ、


ちょきんちょきんと、蟹らしいジェスチャーをしてみせる。


サーヴィス精神旺盛な蟹を自負するペンタらしい行いである。


大きくなる歓声に満足したのか、その少女に手を振って、そして蟹はのしのしと歩き始める。

背に少女を背負ったまま。

土の地面を踏みしめ、滑るように少女とその保護者の青年の前から姿を消した。


少女の、


「うわぁカニさんいいなぁ、

やっぱ都会ってすごいんですねロッドさん! あんな蟹も珍しくないなんて!」


という声と、


ロッドなる青年の、

「……都会ってそういうところ、だったスかねぇ? 俺も初めて見るんすけどあんなデカイ蟹、

というよりもメイニーさん蟹好きなんスか?」


という声が聞こえてくる。


――満面の笑みの少女ルナーレが、

――あの可憐で純朴な少女の、目標物を奪ったことに気付かせることなく、

――巧みな差配で、この場をどうにか凌ぎきれた!


と蟹は、ニヒルな笑みを浮かべて、鋏を掻き鳴らす。


妙な達成感が蟹の身を包んだ。


――……ふむ流石『大蟹』デンザロスということか


自分で自分を褒め称えながら、


シャキィン、と鋏の音が鳴り響かせる蟹は、


そのまま、そそくさと市から離れることに成功したのだった。













『対迷宮軍:エミダリ駐屯軍団、第七師団;都市公共安全機構


          緊急連絡


  第七師団都市分析局局長、ヘンリー・ヴェルフレマク准将


  第七師団都市治安維持総合統括者、エルフレド・A・モーリアン准将 


  より通達します。



  昨晩発生した『軍兵及び治安担当冒険者無差別傷害事件』


  において、エミダリ五大区画における勤務シフトの緊急変更。

  

  緊急的巡回経路の追加指導を予定しています。

  


  そのため、上記の遂行に関した関係者会議を執り行います。


  

  参加者は、

  

  各区画の、大隊長以上の位にあるもの、またその他に尉官以上の者。

   

  以上の者は、所定の勤務者を除いて、

  

  

  本日午後;三刻 【中央軍庁第三棟大会議室】集合のこと。


  これは緊急の連絡です。各士官は、直接の上司の説明を受けてください。

                        

   N1623 4-24-AM800 S-I 1stIM vira ectimof :w 』

  

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