南の亜大陸(ディープサウス)に伝わる民話
とりあえずこれで今日はおしまい、明日か明後日にもう一話。
エンゲルス・バッキオス著『神話・迷宮録』
第一三巻『各地域の民話、伝承(上)』より
『南のお姫様のお話』
南の南、この世の果てかと思われるほどの南にある国に、
とってもお転婆なお姫様が住んでいました。
お勉強よりも、絵を描くことや、ダンスの練習をするよりも、
外で遊ぶことがすきなおひまさまでした。
がみがみ煩いばあや、
にらんでくる爺や、
おとうさんである王様やおかあさんであるお后様の目を盗んで、
お城の周りにある街で、こどもたちと遊んだり、
ときどき街を抜けて色々なところを探検するのが好きなおひめさまでした。
おひめさまは縫い物よりも、剣をふるうことが好きで、
窮屈な恋のお話よりも、怪物を退治する勇者に憧れました。
そしてお姫様は、街で、剣を振り、ごっこ遊びをして遊びました。
特に姫様が好きだったのは怪物退治の勇者ごっこ。
毎日、毎日、城を抜けて遊び呆けるお嬢様に王様とお后様は手を焼いて、どうしたらいいのか考え込みました。
姫の為に、遠くから有名な絵の先生を呼びました、この世で最も美しい服を縫うことが出来る縫い物の先生も呼びました。
それでも姫は見向きもしません。
街にいた旅人の話のほうが楽しいからです、魔物と戦ったという剣士に剣を習うほうがたのしかったからです。
いつしか王様も、お后様もあきらめてしまいました。
それでも、姫様は幸せでした、彼女は愛されていたから。
街の人から、旅の人から、おとしよりから、ろうば、けんしに、よっぱらい、こじきに、おばさん。
みんな、姫の笑顔が好きでした。
そして姫に困っていた王様もお后様も、その笑顔はすきだったのです。
城の門番も、くちうるさいじいやもばあやも、勉強ばっかりしてる兄も、
まだ幼い弟も、姫のことが大好きだったのです。
そして、姫は、なにごともないように、今日もまた、街に出て遊んで、街に出て勇者に憧れました。
ある時に、姫は蝙蝠を拾いました。
鷹程の大きさのこれまでに見たこともないほど綺麗なかたちのこうもりです。
その蝙蝠は傷ついていました。血がだくだくと流れて、見るからに苦しそうです。
姫様はそれを拾って、城に持ち帰りました。
やめなさいという爺や、ばあや、めいどに、兄、王とお后の言葉もなんのその。
手当をしました。城にあった秘蔵の薬も勝手に持ち出して使いました。
蝙蝠は、どうにか助かりました。
お姫様には友達が増えたのです。
お姫様なまだ動けない蝙蝠を撫でて、笑いかけ、名前を付けて可愛がりました。
自分がきいた勇者の話、英雄の話、怪物退治の話や、伝説を一杯聞かせました。
そして、おいしいえさを、くだものを、おにくを盗み出して、蝙蝠に与えました。
楽しそうにその日の自分の冒険、その日あった面白いこと、その日に見た珍しい物を話しました。
一週間たって、一月たって、蝙蝠の傷は治りました。
おひめさまはすっかり蝙蝠が気に入ってました。
それでも、狭い檻や部屋に閉じ込めると可哀想だと思って、外へ放しました。
蝙蝠は、暗い空を飛び立って、遠くへ行きました。
そして、姫様が部屋にもどろうとしたとき、蝙蝠は帰ってきて、その腕にぶらさがりました。
蝙蝠もお姫様と離れたくなかったです。
こうして友達が増えたお姫様。
蝙蝠の友達はいつも、
お姫様の腕や、特別に用意された留まり木にぶら下がって、お姫様の冒険のお供をしました。
お城の人も驚きました、まさか蝙蝠がこんなに懐くなんて、と。
姫様の冒険をいつも傍で見て、姫様の笑顔をいつも傍で見て、
姫様の話をいつも傍で聞いて、姫様が将来自分は勇者になるんだと語るのをいつも傍で聞いて、
蝙蝠は幸せでした。
姫様は毎日、毎週、毎月、毎年遊びました。
蝙蝠はそれを見て、それを楽しみました。
いつしか、姫様も成長しました、その背は大きくなり、その髪はお后様譲りの見事な金の色に。
そしてその剣の腕は、王様に譲りの見事な腕に。
でも結局、お姫様はお姫様でした。
お姫様は、魔物退治の軍を率いて、時には自分の仲間とともに魔物や魔族と戦いました。
蝙蝠もその傍にいて、姫を助けました。
撫でてくれる姫の手は大きくなりましたが、それでも温かいのに変わりはなく、
笑いかけてくれる顔も、より美しく、
話をするその声も透き通るような音色になりましたが、未だに温かく、
蝙蝠がお姫様を好きだという気持ちは変わりませんでした。
ある日、姫様が悪さをする小鬼を退治して、国の城に帰ってくると城の様子がいつもと違いました。
隣の国の王子様がやってきていたのです。
すぐさま、おめかしをさせられて、お姫様は行きたくもない夜の晩餐会に出席させられました。
そして姫様はそこで王子様と出会いました。
長い晩餐会も終わり、部屋に戻ってきたお姫様。
今日はお話もないかな、と蝙蝠が思っていると。
姫様が蝙蝠に近寄ってきてお話を始めます。
それも蝙蝠が初めて聞くような話でした。
王子様のこと、王子様の瞳のこと、手のこと、ふるまいのこと、笑顔のこと。
王子様がどんなにかっこうよかったか、王子様がどんなに素晴らしかったか、
そう、お姫様は王子様に一目惚れをしてしまったのです。
そしてお姫様は変わりました、化粧をするようになり、
髪や服にこだわるようになり、剣を握るのをやめるようになり、
手にできたたこを恥ずかしがるようになりました。
れいぎや、れきしをいまさら勉強し始めました。
笑いは豪快なものから、優しく大人しいものになりました。
蝙蝠はそれを見てました。
やさしくなった手で撫でられました、
太陽のような笑いではなく、月のような微笑みを向けられました。
その話は、以前のような冒険の話ではなく、騎士と姫の恋。
王子とお姫様の恋、恋愛詩、あるいは歴史詩ばかりになりました。
姫様は時折、窓の外を見て、溜息を吐いてます。
王子様を思って、王子様が落ち着いた賢い女性が好みだと聞いたのです。
だから、姫は憧れました、今度は勇者や姫将軍ではなく、
歴史に伝わる、綺麗で、賢いお姫様や、落ち着いたお后様の話に憧れたのです。
蝙蝠はそれを見てました、日々募る、王子への愛と、自らをふがいなく思う姫の言葉を聞きました。
蝙蝠は不思議でした、あれほど好きだった剣を姫はもう全然握ることもなく、
もう外に抜け出すことも、魔物を退治することもなくなってしまったのですから、
それでも蝙蝠は姫様が好きでした、優しい姫様、お話をしてくれる姫様。
蝙蝠もこれはこれで満足でした。
ある日、お姫様は旅の呪い師に会いました。
そして言われます、私なら貴方を世界で一番美しくできるよ、と
食事も手に付かなくなっていた姫は、悩みましたがこれを頼みました。
姫は美しくなりました。それこそ世界の全てを姫を求める程に、
姫はなにもかも魅了することになったのです。
そう誰もかれもが、
姫の受難の始まりです。
ある日、姫は王様に襲われました。
お后様に、じいやに、兄に、、メイドに、門番に襲われました。
ただ、蝙蝠だけが、それに魅了されませんでした。
姫は逃げました、涙を流して、己が浅はかな呪いに縋ったことを悔しく思って、
そして姫は隣国に逃げます、そこでも姫は追われました。
それでも姫様は、隣国の城を目指します。
せめて、せめて、王子に会いたい、逢いたい、そして見初められたいと願って。
しかし彼女の憧れた王子は、これを魔性の美だとして、退けました。
王子は呪いを受けたのです、この世で最も賢くなにもかも見通せるようになるという呪いを。
そして王子は、姫を檻に閉じ込め、海に流しました。
これは魔物であると、言い捨てて。
姫は言います、己が浅はかであったと、
海の上で、蝙蝠は姫に従い全てを見て、全てを聞きます。
姫の声が、もうすでに明るさを失い、夢を失い、背を丸くして、涙を流して、
声を枯らせている姿を全て聞きます。
なにもかも魅了することになる姫は、己が英雄になる夢を失い、王子のため淑女となる夢を失い。
笑顔もなく、笑わずに、嘆きます。
蝙蝠を撫でるその手だけが、ただただ昔と同じでした。
数日経って、お姫様と、蝙蝠は、激しい雨と波に煽られ、
どこかの陸地に辿り着きました。
そこは、彼女たちの住んでいたところとは全く別のところでした。
目を覚ました姫と蝙蝠は歩きます。
そして幾日目に、二人が眠った夜。
朝になると、姫の姿はどこにもありませんでした。
周りには誰かの足跡。
蝙蝠は嘆きます。気付かなかったのです。
姫は何者かに連れ浚われてしまいました。
蝙蝠は探します。でも見つかりません。
何日も、何週間も、何ヶ月も探します。
それでも見つかりません。
数年経って。ある街で。
数日前にある富豪が絶世の美女を、男も女も魅了する美女を手に入れたと蝙蝠は耳にします。
そしてその富豪と絶世の美女が馬車ごと、行方不明になったと。
蝙蝠は探し続けました。
それでも見つかりません。
それでも探しました。
だけれども見つかりません。
まだ探しました。
まだ見つかりません。
そうして馬鹿な蝙蝠は、さらに100年もの長きを探したのです。
当然、お姫様は見つかりませんでした。
長い探索の旅の果て、いつしか蝙蝠も疲れ果ててしまいました。
なにもかも悔やみ、なにもかも恨み、
このような事態を引き起こした呪い師を憎み。
既に遠い昔に感じられる、幼い頃の姫が目を輝かせた勇者の夢を想い。
既に遠く昔に想われる、姫が恋い焦がれた美と知の理想の姿を想い。
深い深い眠りへと、蝙蝠は落ちていきました。
これが南の島に、いまも伝わる、一つのお話。
馬鹿な姫と、馬鹿な蝙蝠の、一つのお話。