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エミダリとは! 久々の進まない話 冒険者登録! (いきなり興奮する)男

先週は、余り時間が取れなかったので、大分時間が掛かりました。

とりあえず、三日前から空いた時間を使って、書けた分を投稿しておきます。

少しでも楽しんで貰えれば幸いです。











門を抜けるととそこは人の海だった。



まず漂うのは、生活の臭い、都市の空気とも言うべき混沌とした匂いだ。





そして目に見える世界全てに満ちる人の山。



そして世界のあらゆる方向から向かってくる。

歩みの音、騒がしい声。喋る音、商う音。


笑い、怒鳴り、泣き声、困ったような声。

無数の音源の自動的反響。



賑やかな喧噪が、無量とも言えるべき厚みで、蟹と少女を包み込む。



……おら!こっちみろおらぁ! おめぇなにメンチきってんだよ……


……やすいよ~、アゴッティア平原産の石頭馬、今なら旧金貨50枚でどうだ!


……髪、切りますよぉ~! 

  旅の始まりに備えて、どうですかそこのお兄さんちょっと整えていきません?


……串ぃ、串ぃ焼きぃ~、1本銅貨3枚でーす、5本セットで銀貨1枚! 

  今なら勉強しとくよ~、おとくだよ~。


……ねぇ、そこのカッコイイお兄さん。ああん鶏冠が綺麗だねぇ、鳥人間の可愛い子いるよ!どうだいちょっと休憩でもさ


……鍵ぃ~、錠前つくりやーす。家内安全、商売繁盛、全ての源は鍵と錠から~ どうですか~


……錠前!! 錠開けますよ!! 

  盗賊ギルドや裏のギルドで培った鍵開け術、寄ってらっしゃい! 見てらっしゃい!


……それでさ、あのクエストさ、あいつ結局依頼失敗してんの! ばっかだよね~。


……俺の筋肉を見ろ! この牛野郎! そこの半馬野郎もだ!




無数の人間が、精霊種が、亜人が、声を上げ、笑い、物怖じせずに、

それぞれの目的に従って生きているという光景。



都市を舞台にしたその光景は、人間賛歌の具現。素晴らしい、今を生きるものたちの生活の営み。


ともすれば、野卑とも言えるその光景を見て、素晴らしいとただ想った蟹は、知らず鋏を鳴らす。




ふと、蟹がよこを見れば、下馬上人ケンタウロスの人運びが、人を乗せ目的地まで、有料で運んでいた。


牛の頭をもった巨漢。蛇の下半身の妖艶な女性。 木の如き肌をもった木人。


あちらに豚人が居れば、翼人と鳥人間が宙を漂っている。


商人たち、それも日常の些細な道具を扱うような、小売り商の呼び込みの声。




大通りの商用区画でもあるのだろう、無数の屋台、出店、市が立ち並び、

旅人、あるいは日常を送る冒険者や軍人、旅の商人相手に盛んに声を掛けている。


食料品の出店があれば、路上の硬貨両替商がいる。


鍵屋がいれば、一体なんの店なのか、スケイルアーマーとフルプレートが値札もなく釣り下げられている店がある。


果実を専門に取り扱う者。散髪屋、流しの楽器調律師。 香水の路上販売。銀や鉄の細工。コミカルな玩具を並べた土産物屋。


一山幾らとも知れぬ屑酒の出店。牛肉と米のどんぶりを出している店の横には、無数の飛蝗の炒め物と揚げ物が並んでいる。




空を飛ぶ言葉の混交。混じる言葉は方言混じり。


新帝国の公用語が俗化した各地方言。


大概は意味が通じているようだが、


時に、南洋商大陸(ディ-プサウス)の若者と、最北部ツェンダールの屋台出展者が、

方言の方向性、発音の変化の著しい違いのためか、交渉に苦慮しているというような光景が見られた。



狼型獣人やら、虫型の四脚亜人が、連れだって歩いている。そして少女と蟹にぶつかりそうになり、避ける。


それを契機に、少女と蟹が正気に戻ったかのように、歩みを始める。




とはいえ、少女は未だに口をぽかんと、開けたままだ。



乞食風の男たちが何人も角に集まっていたり、地面に寝ている。


ボロを纏った象人の商人団が、その巨体ゆえに、市中を歩きづらそうに、肩身狭く歩いている。




都市の強さと活気。

それを否応がなしに味合わせる、広く厚い人間の臭い。生命の香り、都市の広さが、蟹を包む。

都市の喧噪が、少女を惑わせる。


あらゆる生命、あるゆる職業がそこにあった。



蟹と少女はその雰囲気に当てられ、僅かに尻込みする。


少女に至ってはふらふらと今にも倒れ込みそうである。


だが、それは一瞬のことだった、ここは始まりに過ぎないのだ。

その、ここで、一体どうして尻込みして、怖じ気づくことが出来るのか?


少女は、懸命に拳を握りしめ、頭を揺らしながらどうにか前を向いている。

歩みは、揺れて、迷子になるのも時間の問題、といった状態ではあったが。



「……すごいな、っと、大丈夫かルナ」

「……う~」


人の熱気にやられたらしい少女を、抱えるように、鋏で押し留める蟹。


「うむ、迷子になっても困るしな。どうだ、……ここは俺の背に乗るということで」

「……是非、お願いするわ」


何時になく素直に、蟹の甲羅に座る少女。

通行人や、出店の者たちがそれを見ていた。


流石にこの100万都市の住民も、喋る大型の蟹魔獣は極めて珍しいのか、視線が強く集まっているようである。


遠巻きにチラチラ。


面白いものを見たという表情、商機を窺う商人の視線。


あるいは訝しげな、警戒するような表情。


好奇心に満ちた眼差しもある。


研究者か、宗教者か、冒険者か、商人か、あるい生活者か、そのどれでもあるのか。


多種多様な存在が、傍を通り、視線を蟹に向けていた。




「むぅ、なんだ、こう……照れるな!」


「……はぁ」


――ほんとにマイペースなんだから ――悪いことではあるまい?






太陽の日射しは未だ空にある、それが夕陽に変わる半刻前というところか。


気を取り直した蟹と少女は、都市を眺めながら、しかし着実に歩みを進めていた。


時は金なり。である


「とりあえず、迷宮管理組合という所に行って冒険者登録をすればいいのだったな」

「うう……え。ああそうね、そうよ」

「人に酔ったのかルナ?」


しょうがないじゃない、こんなに沢山の人と臭いが集まっているなんて。

と顔を伏せ、少女は蟹にがっしりとしがみつく。


「ふっ、甘えん坊だなぁ、ルナは」

「っ、ちょ、ちょっと馬鹿にしないでよねあんた、というかなに笑ってんの? むかつくんだけどっ!?」


きー、と猿のようにがなり立てる少女を背に、蟹は歩みを続ける。


背負う少女のわめき声も、周囲の人々の喧噪、蟹への視線もなんのその。


人の活気。蟹にとって無上に好ましいその空気味わうように、力強く、道を進む。




商店に大通りに溢れる屋台、軒を連ねる店と店。


異種族、人族を問わない無数の歩行者。


建物は、石造りのものが多く、

古代から続く建築法を使っているのか中には5階建て近くのものも、珍しくない。


密集し、隙間なく立ち並ぶ建築群は、狭苦しいが、どこか温かい。


大通りから覗く、無数の小路には、酒屋、住宅、軍兵の詰め所があり、

路によっては得体の知れないもの、危険を匂わせる者がたむろしているが、

場所によってはうらさびれた教会や、古い長屋、アパートメントが粛然と立ち並んでいることもある。


馬と空挺蠅が留められている厨舎らしきもの。


あるいは魔導や、工具の、機巧の生産鍛治区画。


宿泊者の泊まるだろう宿屋と、落ち着いた酒場。


見ればゴーナリア産のガラス細工専門店。その他、檜細工、漆細工といった工芸品の専門店が立ち並ぶ小路も存在している。


それそのものが骨董品のような、古代遺跡を利用しているらしい骨董品店があれば、

蟹があの兄弟から噂に聞いた百貨店なるものも立っていた。


娼婦や男娼の並ぶ、怪しい雰囲気の夜の歓楽街も、小路の先、区画の奧に覗ける。


カジノか何かか、ごろつきや荒くれが、悄然とした顔で、一つの店から出てきていた。


あるいは敬虔な正統教会の聖堂と、修道院が立ち並び、その前を黒い全身を覆う服を着た老僧が、小路の掃除をし、その横で少年少女が石を蹴って遊ぶ。


もしくは魔導魔法の小さな学府出先機関かなにか、その隣には見るからに実験棟といった形の煉瓦造り。

緑の煙、謎の異臭が漂い漏れている小路も存在している。


時に見えるのは、遙か東方、大和島の物らしき木造神殿と、それに似た建築様式の木造建築が密集する区域がある。


一つの小路では、常連しか利用しないだろう古ぼけた酒場が軒を連ねており、

蛇顔の亜人と、ずるがしこそうな小鬼族の若者が樽を盤に見立ててチェスを楽しんでいる他に、

老人や中年の男性たちが、種族を問わずに、酒を酌み交わす暖かな音が見えた。





蟹は進む、少女を乗せて、人の生活の合間を縫って。


今を生きる都市の生活。その香しい芳醇を存分に嗅ぎ、陶酔するように心を沸き立たせて、


混沌とした町並みを眺めて、小路を眺めて、人々の溢れる大通りを眺めて、着実に前に進んでいた。




ここまでの混沌とした区画を、通称南区画、川向こうとも呼ぶらしいことを、昨日の船上の兄弟から聞いていた蟹は、そこで得た情報を、思い出すように、確認するように、目前の都市の形と脳裏ですりあわせを行っている。


甲羅の上からは、幾分落ち着いたのかルナーレの、あちらを見て、こちらを見て、と、きょろきょろとした様相。





中央迷宮。かつて新帝国の首都であったエミダリを三日三晩の間、燃やし尽くし。奪い尽くした脅威の存在。


3000年の歴史を誇るとも伝わる、エミダリ中央聖堂を始めとした歴史遺産を全て塵芥へと変え、

最後にそこに住んでいた全住民を、思う存分に嬲り尽くしたと伝わる、最初の迷宮。



その迷宮勢力を再び迷宮に押し込めるのに、

当時、既に権力の分離分散が進み、地方の自治が広がり、往年の大帝国の面影も消えて久しい新帝国の、その残る全ての力が費やされたといっても過言ではなかった。


各地の有力諸侯、半ば自治独立した地方や都市も、このときばかりは、我が身のことのように一致団結した。



人間とは賢しいもの、生半可の危機の前でも政局争いを続けようとする。

しかし、それが生半可ではなく、一目で重大だとわかる危機だったならば?

それも言葉も、交渉も通じないような、絶対的に敵対が宿命付けられた勢力であったのならば、

その時、人は初めて一致団結できるるのだ。



真に迫った、不可避の絶対的暴力への恐れが、大同団結を生んだ。


北はツェンダール、サフトニス、ナラスト、ゴーナリア。


西は、アサンデル、シーベネシア、ツァンチェリ、タレンコイア、オードリアス。


南は、ディープサウス諸国、アゴッティア遊牧連合、マザーニア、フェルケット。


東に至っては、旧暦からの人類の天敵、魔王領、ダフト=クロア、蒼内海岸都市同盟、トルゲー人の新興帝国、大和島。


果ては、南島の最果ての島。北東の大島。南西のゼローニア海洋王国。



これら全ての大陸世界地方全ての地域勢力が、一致団結した例は、約8000年の長きに渡る有史上のおいて、これが最初にして最後であった。




集まった軍はおよそ一八〇万。

多分に歴史的装飾というあの史書独特の悪癖が混じっていたとしても、

最低でもその半数が、周辺諸国に展開したことは確かであった。


新帝国という長い平和と豊穣が培った。

過剰とでも言える増加人口と、諸処の歴史的系譜の産物とでもいうべき、人類の連合軍。


兵站は、周辺諸国と、世界各地の食料が集まり、

それでも足りず末端に餓死者を出したというほどのばかばかしい大軍。



その大軍は、五年の時をもって、一六〇万を、を四〇万にまで減らすような、

多くの苦難と犠牲を払ったものの、みごと首都を襲った地底の堕神勢力を、元の住み家であった迷宮へと撤退させることに成功したのだった。


この時に、灰燼に帰した都の上に建てられのが現在のエミダリであり、史上初めての迷宮都市である。




そのエミダリの構造は、大まかに分けて、五区画。


一区画が、ワインランド港湾都市よりも大きい、世界最大級の都市。



蟹ことデンザロスの入った南区画。


エミダリ大川をまたぐように建設されたエミダリの西と南の玄関口だ。


それは残りの四区画の一部と、橋により繋がっているのが特徴である。

エミダリ大川の幅は数百メートルにもなり、多くの住人がその橋を利用しなければ生活できない、市民の大動脈でもある


残りの区画は、東、西、北、中央の四区画。


それぞれの区画は、厚い城壁により覆われており、区画と区画の移動は、各地にある門により行われる。


この門は二四時間、常に開け放たれており、有事には閉じられることとなる。

その有事とはつまり、迷宮に潜む敵のことと考えてもらって間違いはない。


都市の中に防壁が、時に堀があり、大川が流れる理由も、其処にあるのだ。


川を挟んで向こうの四区画はそれぞれ、迷宮入り口を持っている。


これは彼らが地上に出てきた時の四つの侵入口であり、

それを埋めることも叶わなず、そして放置するわけにもいかない人類は、それら全てを覆い、城壁で囲んだのであった。



その四つの入り口も、中で繋がっているとされるが、現在その四つが合流するほどの階層にまで辿り着いていないため詳細は不明である。




川向こうの南区画は、客人や、行商人の窓口であると共に、川を挟んで向こうの四区画で有事が起きた際には、川を自然の要害として利用した、対迷宮の前線となるためにも存在している。

現在は、多くの人口を抱える、住宅区画を幾つも抱えているという特徴もある。



さて、ついで都市の主な機能を、大まかに分けるならば、10。


行政区

広い都市の行政、立法、司法を担う議会と官僚組織、出先機関が街の各地に存在する。

総括をする行政庁舎は南区画の深部に存在。(非常時に中央区画にあったら危ないという判断のため)


教会区

世界各地の教会の支部、修道院、人の人心に深く根付いた信仰の中央機関の一つであり、また魔導魔法研究機関も行っている。

主に西区画に大きな聖堂が多いものの、小さな聖堂と修道院や孤児院は各地に点在。教会図書館も存在している。


大商業区

大規模な商人、卸売り業者、輸送業者、株式、換金、それら全てを一挙に担う、世界的な商業機関が集まる機関区画。

また商業ギルドについてもここに本部が存在している。

主に、中央区と東区と南区の川沿いに存在している。


軍区

街の警邏、巡回、夜警などの治安維持業務。

そしてなによりも迷宮監視と、迷宮内の一定区画防衛を行う、治安維持のエキスパート。

各区画ごとに存在、また全世界の軍組織の頂点に立つ都市軍総庁舎が中央区に存在。

 


冒険者区 

主に、宿屋、歓楽街、鍛冶、生産、学府の出先機関、そして外してはいけない迷宮管理組合などが集まり混沌とた区画。

幾つかの荒事に関するギルドも存在している。

南地区以外の全てに存在、周辺地域、迷宮、時には他の迷宮都市への応援なども計画差配している。


学区 

所謂大学府を中心とした区画、一都市に四大学府を持つのはエミダリが世界で唯一である。

内容は、冒険者六学の他にも、詩学史学、哲学、数学、工学、修辞学や神学、博物学に医学などがある。

四大学府、一二学府がエミダリには存在し、都市中に点在している。


住居区

各地の大通りや裏小路以外の場所に、一定の区画を設けて造られている、住居の群れ。

高級住宅街や、学府専門住宅街、冒険者専門住宅街などが造成されている。


小商業区

所謂、生活必需品、食料品、サービス産業、手紙請負や、荷物運搬代行、その他小売り業。

先んじて言えば、市、屋台などの小規模な、商業区画も指す。

住宅街や、学区、冒険者区、軍区など各地に点在し、市民の生活を助けている。


各国出先機関

世界各国の大使館、都市出張所、各迷宮都市の行政出張所と迷宮管理組合出張所が存在している。

無数の情報を交換し、時に相互扶助を計るために、世界の中心であるエミダリには多くの人々が自然集まる。

これには、エミダリ成立の前身が世界の連合であったことももちろん起因している。

東区に多数密集している。



工匠区

鍛冶、大規模鍛冶、魔具兵器、機巧の建造研究。あるいは道路や水道局、建物の建築建造整備を請け負う業者と人員が集まった土臭い場所。

工匠ギルドもここにある、南区に多い。


(これに貧民区を入れて11種と言う者もいる。

南区の城壁外には無いが、他の四区画の城壁の外には多くの労働者や貧民が集まっている。

犯罪の温床であり、治安悪化の要因でもあるが、低賃金の労働力として重宝もされている。

また下水区画にも一定の人口が住んでいると伝わるが、詳しくは不明である)




長い説明になったが、そういった構造と歴史を持つ、

広大さな都市をいま、蟹と少女は歩いているのだ。


さて、二人が、進めど進めど生命ばかり、それも多様な種族のそればかりだ。


幾分辟易してきそうなものだが、蟹と少女は飽きる気配もなく、鼻歌などを拵えていた。


多数の人々が、ペンタとルナーレ同じように道を進む、

ペンタとルナーレに向けられる視線は、そろそろお馴染みともなった、あの胡散臭げな、あるいは好奇心に彩られた無遠慮なもの。


それを疎ましく思いながらも、

周囲の景観。町並み。人の歩き方。

雑然の内に集まる一定の秩序に親しみながら、知者のごとき余裕をもって蟹は楽しみ行く、



ふと、橋が見えてきた。


「おおぉ!」


「……ん、なに、よ……おおぉ!」


とても巨大な橋だ。

広く、高く、丸い。


数百メートル先にまで届く、金属と木工の組み合わせられたデンザロスの始めて見る建築様式の橋であった。


要所にあるらしい紋章の組み合わせが面白く、また目を引いた。


「これは……そうか! うむ、有事には多分、蓄えた【力】を使って、橋が上がるのか!面白い」


「橋があがるぅ?」


この巨大な橋が? 嘘でしょう? と言いたげな少女。


嘘なもんか、疑うのをよせやいと、鋏を振って蟹は応える。


「あのゼンマイやら歯車の機巧と繋がって、導力となるのだろうな。

まこと生命の周到さ、創意工夫の妙味とでもいえばいいのか……」


――そう言う点では固着した俺などには、一生浮かばない発想かも知れないな。


……古い友人は発芽すらしなかった科学的精神の残滓とでもいうのだろうが、うむ、やはり面白いな。

と、そう呟く蟹に陰はない。





橋を進む、遠くに見えるのは川の終わりか、

幾つもの船が、橋の下をくぐり、時に、岸にあるらしい倉庫に荷を揚げている。


橋を照らす空は、いよいよ沈み、赤と朱、青と蒼、黒と灰と白と黄色が段々畑を作って、

新たに都市に入り、橋に臨んでいる蟹と少女を応援しているように艶やかに深みを帯びた虹色を作る。


「まあ進もうか、精々……気張らずにな」


「……ええ、そうね」




















蟹と少女が、橋を降りると、そこにも無数の建築物があった。


先ほど己たちの居たところに比べると、より明確な秩序によりそれらが並び立っているようだった。

明朗な区画、どこになにがあるのか、人の行き交いにも適したさらに大きな通路。

石畳により整理された(南区画は土の地面である)文明の芳香。


立ち並ぶ石造建築も、より洗練されたデザインだ。


古代の様式。旧帝国時代の意匠。百花繚乱な紋様、精緻な塑像。


あるいは新帝国の幾つかの様式、混合様式、新様式。


技巧の粋が使われているが、どれも華美というよりは質実剛健、無駄のない落ち着いた佇まいである。



「ごめん、ようやくちょっと落ち着いた」

「うむ、ご自分で歩かれるがよかろう」

「なに……、その口調」


さっさ、さっさと、中央区画を迷いなく進む、少女と蟹。

石畳が脚に心地よい、舗装された地面の感触とは実のところ独特だ。



少女の靡く金髪、空を見上げれば、殆ど夜に近しかった。



『貯蓄式』の魔導器らしい街灯に、灯りを点す役人たちが、大通りを歩き、その点灯職務に進めていた。


裏路地にまでは、流石にその灯りは届かないが、しかし大通りは、歩くのに十分以上の光源を得ていた。


穂先が全くぶれない槍を構えた警邏団が、蟹を凝視しつつ傍を通り過ぎる。

蟹は、鋏を振って、必死に自分は悪い蟹じゃないよ、とアピール。

荷袋を背負う蟹の奇矯な行動が、愛嬌に見てとれたか、警邏の人員は、なにごともなく傍を通り過ぎて、そのまま裏路地へと散っていく。



「ああまで露骨に凝視されてはな……やりにくくて叶わんよ」

「しょうがないでしょ、確かによく見てみると、あたしが一発で慣れたのがおかしい程度には、あんた化け物にしか見えないもの」

「いやに最初馴染むのも早かったな、言われてみれば、案外にお前は気安い奴だ、多分ご家庭の薫陶の賜物ではないか?」

「あったりまえでしょ! 家のお父さんとお母さんは見た目だけで相手を判断することはないんだからっ!」



クププププ、と蟹が泡とともに笑い。


「な、なによ、あんた馬鹿にしてんの!?」

と少女が白く、端正な顔をきっ、と伸ばす。


「まさか! ただ、……本当に家族のことが好きなんだな、と思ってな」

「……なんでそれだけで笑うのよ」


「いやそれはだな、船の上と、さっき朝起きたときのお前の慌てたような、不安に迷っている子犬のような顔も同時に思い出してな」

「~~~」


少女の顔が茹で蛸のように真っ赤に染まる。

ぷるぷる震えて、心底に恥ずかしそうな元村娘の姿は、大通りの人通りの中、非道く目立つ。


「まあ、安心しろ。

何度でも言うが、俺は蟹だがな、せめて見守り、出来うる限りお前を助けたいと思うよ。

縁が出来たのだ、無下にする気も起きんよ。

お前が、そして俺がこの町でどのような物語を紡ぐのか、今はそれだけが楽しみだ。

だから安心しろ。そして些末な不安など捨てろ、お前が心を悩ませるのはこれから始まる冒険活劇のみだよルナーレ、違うか?」


「……かっこつけてるでしょ」


「むぅ……何故バレた」


「似合わない気障な台詞なんだから、そりゃわかるわよ。

ここまで数日だったけど、あんたの奇行と天然っぷりは十分に承知してるんだからね!」


そういって笑う少女は、またもや何処か恥ずかしそうである。

それは蟹の言葉に喜色を得たためか、安堵を得たためか。


ともあれ、蟹と少女は、確固たる仲間として、変わらず、脚を止めず、城壁に囲まれた都市の中心を歩く。


いつしか川のの流れも、そのせせらぎも、遠く後ろに流れている。


目をこらして、立ち並ぶ建築群、三階建て、二階建て、時々五階建て、そしてその背後にかすかに見える城壁。




中央区画に存在する内壁だろう。




その内側にこそ、中央迷宮エミダリ総合迷宮管理組合の庁舎が存在し、


厳重に警護された都市軍と防衛設備が鎮座し、


それを囲むように商店や鍛冶屋、薬に魔具、紋章と魔法、なによりも色々の道具を扱うそれぞれの専門店が並び、


酒場に、宿屋、簡素なアパート、他にも、軍の訓練施設や、小学府、教会が疎らに存在しているのだ。



迷宮に最も近いこれらの店は、特に質の高く、高位の冒険者の溜まる酒場が多い。


それらを尻目に、それらの店を利用しているらしい冒険者たちの目線を甲羅に感じながら、

蟹と少女は、入り組み迷路のような、内壁の内側を進んでいく。




――かなり、出来るな……こいつら


降ってくる視線、そしてその視線を送る者たちの佇まいから、

蟹は身震いし、ワクワクを止めることが出来なかった。人間の研鑽と前進を文字通り肌身に感じるためだ。


何処か腰が引けている、少女の尻を、

鋏で叩き、

きゃんっ、という音と、な、なにすんの! という声を聞きつつ蟹はそれでも堂々と直進する。




かつかつ、と音を鳴らし、その分の距離を確実に縮める。



やがて威厳が漂う、新古典方式の丸みを帯びた、石造の四階建てが目の前に出現する。



形式にとらわれない、命知らずな冒険者ども。

世界を見て、居場所を求め、時にスリルを友として、悪逆に見送られての死を必須とする。

俗世間に生きられないアウトサイダーたち。




その総本山。その親の親。 それら全ての護り手。


確かな威厳と重み、

そして用事があるのか、絶えず冒険者たちが、そこから出て、そこに入っているという活気。


扉に刻まれた紋様は、

大和島の東洋的な龍を基調とした半円に、剣と剣が盾に龍のように絡みついた歪な形。



エミダリ中央迷宮、迷宮管理組合、中央総合組合の紋章である。



「ここか」

「っ……えっ、ええ、そうみたいね」

「脚が震えているぞ?」

「き、気のせいよ!?」

「うむ、全身の間違いだったな」


少女は蟹の甲羅をぼすんと叩く。

荷袋から水袋、水を飲み、すーはーすーはー、息を吸う。


「うう~、……緊張してきた」

「そう緊張することもあるまいに、何も取って食われる訳ではなし、ほれみろ」


蟹が鋏で指し示すその先には、少女と同じような雰囲気の若者。

あるいは見るからに未熟そうな薬師、そこらのチンピラと言ったような顔付きの青年。

ルナーレと同じように脚を震わせ、一八〇度回転してそのまま家路につこうとしている臆病者チキン


「あんなのでも冒険者になれるのだ、というよりもお役所仕事なのであろうな」


どんどんと扉を、門をくぐり、入って行く人物たち、それと同じような速度でまた、安心したような顔の人物が出てきていた。


「それに船上で聞いた話だとな、まず落ちることはないらしい」

「ほ、ほんと?」

「ああ、蟹は嘘を吐かない! 前も言っただろう?」

「え、ええ……確かにね、そうねそうだったわ。ってけっきょく前にそういった時は嘘だったじゃないの!!」

「ちっ」


覚えていたか、と蟹。

あんたねえ……、と少女。


「まあともかく落ち着け、焦って損をすることがあれど、得をすることなど有り得ない……それが人生ってもんだ」

「あんた蟹でしょ?」


蟹は鋏を振り上げて誤魔化す。少女は目を細めて、蟹を見ている。


「うほんっ ……細かいこたぁいいんだ。ともかく落ち着け。

そうだな、手のひらに『蟹』と三回描いてそれを飲み込むと蟹の味がするらしいと聞く」

「落ち着くんじゃなくて!? 

…………はぁー。……なんだか緊張してるのが馬鹿らしくなるわね」


そう言い、未だ小柄なその身体を大きく伸ばし、気合いを入れるように己の頬を二、三回パンパン、と叩く。

ルナーレは、己の整った鼻梁、微妙に釣り上がった目尻を、そしていつもはぶすっと堅くなりがちな口角を柔らかく緩めた。


「……うん、ここまで来たんだもの! 後は受付に行くぐらい、どーってこたぁないわね、ほんと」

「うむ。その意気だ。俺はそれが言いたかったのだ」

「はいはい」


そうして蟹と少女は、扉を開いた。














既に真っ暗な夜の道を、嬉しそうな少女と、蟹が歩いている。


「いやぁ、思いのほか簡単だったわねぇ」


「言ったとおりだろう?」


「うっ、認めたくないけど確かに、受付の人もちょっと変な人だったけど優しかったし」


「うむ、先行きも見えたしな、さて、では」


「行きましょうか」



そういって少女と蟹は、受付に紹介されたアパルトメントへと向う、


そこに恐れもなく、不安もない。


彼らは今から冒険者になったのだ。


栄誉と危険を愛し、欲望のまま生きる迷宮開拓者に。



彼ら二人の顔から浮き彫りになるのは、この上なく綺麗な少女の微笑みと蟹の笑い声のみで、ただ雲に隠れかけた春月だけがそれを見守っていた。








では一刻ほど前に何があったのか。





一刻前。


蟹と少女が、中央迷宮管理組合の石造庁舎の内に入ると、

蟹に対して多少の注目が、一瞬集まった。


射貫くような、値踏みするような視線の矢の鋭さに、多少たじろいだものの、まだまだ若い少女と蟹は、胸と甲羅を張って堂々と、木で加工された庁舎一階の事務受付所を進んだ。


幾つかある窓口や、個室受付の中、空いているものへと狙いを定める。


一つの小さな個室、受付室が空いているので、二人はそこに向かった。





未だ齢一四の若き少女と、その齢は悠に三〇〇〇を越える蟹の、緊迫の一時だ。


すぐに顔を伏せていた担当官が、顔を上げ、入ってきた冒険者見習いを見る。


蟹は絶妙に、視界から外れ、受付机の真下に入り、話を伺う。



――なんで隠れるの!? ――なんとなくだ。




「……冒険者登録ですね」


理知的な眼鏡の女性、二〇代の中頃と言った年齢の、黒髪の美女。


その髪は、後頭部で渦巻くようにまとめられ、全体的に落ち着いた雰囲気を醸し出していた。


目はたれがちだが、情けなさや、弱さと言った印象とは奇妙に無縁であり、意志の強そうな鉄面皮が、全体的硬質な印象を見る者に与える。


平たく言えば、組しがたく冷厳そうな女性である。



「えと、はい! お願いします」


そういって書類を渡すルナーレ。


すぐさまそれに目を通し、手慣れた速さでそれを読み下す受付嬢。


「……はい、確認しました。年齢は十四歳でよろしいでしょうか」


「ええ、それが何か?」


「失礼ですが、何か武芸の心得や、魔導の心得、それともその他に詳しい技術、専門的な技術でもあるのですか?」

「えと……それは、」


「ないのなら、一体どうして冒険者になれると? 

出すぎた言葉になりますが、巷間の話に上るような成功や栄誉の物語のイメージに取り憑かれているのでは?

冒険者とは危険なものです、汚く、野蛮な目にあうことも、迷宮で敵の亜人に貪られることもあれば、迷宮軍に捕らわれ帰ってこなかった者も沢山います。

死と隣り合わせ、同業者の中にも、野蛮な存在、卑劣な悪党はいくらでもいます。生きる上の現実なのです。

なにもないのなら、その年で冒険者になることなどやめたほうがいいでしょう」


長く冷淡とも取れる、受付嬢の台詞、しかしそれは真剣味を帯びた、芯から忠告である。

これは覚悟を、そして現実を示しているのだろう。

少女は、俯く、だが、俯いたままでは決してない、手を、拳を握りしめ、心の底を掴んで、歯を食いしばって、面を上げた。


「っ……私は、私には! 覚悟が、覚悟がある!!」

「覚悟とは?」

「死ぬ覚悟、求める覚悟。あんたの言ったことなんて、ひ、百も承知よ!! その上で、その上で、私は私の命を掛けて、此処に来てるのっ!!」

「いつ死んでもいいと?」

「まさか! そんな簡単に死ぬもんですか! ただ私は思うままに、後悔せずに生きたい、それだけのことよ。

確かに私には何もないかもしれない、技もなく、学もない。

それでも何かできることはある。体力はある。筋力もそれなりにある。意志だってある。何か必要なら後で得ればいい!

……何か問題でもある!?」


ゼーハー、ゼーハーと一息に言い切る少女。蟹にもし人の顔があれば満面の笑みを浮かべていただろう。


――これだ、この意志。このぶれない真っ直ぐさ、善きものとしての生命の象徴とでも言うべき、この姿!


「素晴らしいな」


「素晴らしいですね」


蟹と受付嬢が言葉を放ち、それが偶然にも一致する。


受付嬢は驚いて、少女の足下を見る。

するとそこには蟹がいた。

偶然にも、部屋に入ってくる蟹の姿を見ていなかった職業に熱心な彼女は、そこでで初めて蟹と会う。


「珍しい、蟹の魔獣ですか、……今晩は」

「ん? おおこんにちは、良い夜で」


ええ、良い夜ですね、と受付嬢。

蟹への挨拶もほどほどに、受付嬢は少女へと目を向ける。


「ルナーレ・ジュールさんとおっしゃいましたね、私の名前はネイスラゴット・エーレール、ネースで結構です」

「えっ、あ、ええとルナでいいわ、こっちのコイツが」

「ふむ、ペンタという、よろしく頼む」


少し遅めの自己紹介。

それは相手を認めた故か。


「ルナとペンタですね、それで、貴方の覚悟のほどを聞かせて頂きました。

正直なところ、心構えと貴方の精神的な素質としては、かなり好みですね」


「えっ!? ……えと、好みって、ええ!? いっ、いや私は、好きになるなら男の人がっ!?」


動転する少女は、途端に顔を真っ赤に染めてあたふたあたふた。

蟹はポンッと鋏を打ち呟く。


「ああ、好みってそういう……」

「違います!!」


語気を荒げるのはネース。

正気に返ったのかゴホンッ、と咳き込む。

そして顔を真っ赤にして「そう、そうよね、ビックリした」といっている少女にキッと目を向ける。


「私は元々冒険者です、

今は故あってコネでこの職位に就いていますが、色々な冒険者を見てきました。それこそ腐る程に。

そして生き残るのは、大成するのは、大抵貴方のような目をした、

そう、諦めない可能性といえばいいのか、進む意志をもったといえばいいのか、そういった生気をもった人間ばかりでした。


淀みの中であれ、清きの中であれ、激しい水流の如き勢いを持って、生きる者こそが、私は冒険者にふさわしいと思っています。


貪欲であれ、卑劣であれ、悪人であれ、神経質であれ、善人であれ、なにを信奉していようと矜持がなければ、冒険者はいけない」



その点あなたならば、全く問題はありません、と続けられるに至って、少女は気恥ずかしそうに、顔を背ける。と

「どうしたルナ! べた褒めじゃあないか」

「うう、うるさいわね!!」


「とはいえ、問題は戦闘能力なのですが……

それさえなければ、もうこのままFランク冒険者認可証を渡していますね」

「なら問題ないということだな!」

「つまりどういうことです?」

「俺をルナの使役魔獣ということにすればいい」

「あんたその設定まだ忘れていなかったの?」


それならばどうだ?と提案する蟹。

渋る受付嬢。


「問題はない、と思いますが、肝心の本人が未熟のままではどうしようもないのでは?」

「そこはあれだな、うむ俺が責任をとって、一流の冒険者に仕立て上げて見せよう。

なにコイツは奇妙に筋力と、体力が歳と性別を発達させていてな、先祖に獣人でもいたのかもしれん」


また、適当なことを、と少女が蟹を睨む。

まあ気にするな、方便だよ、方便。と蟹は少女を軽くいなす。


――本当に方便であるかどうかはおいておいてな。

と蟹は心の奥で考えるが、それを臆面にも出さず会話を続ける。


「……そういうことならば、ええ、まあいいでしょうね」


――この輝きは、ええ得難いものですし ――うむ、そうだろう、そうだろう。

――うう……あんたらなに微妙に意気投合してんのよ……


「分かる者には分かるのだよ、お前の魅力はなっ!」

「ええ、得難い者ですよ、貴方は。挫折してもそのまま折れることなく成長して欲しいですね」


鋏を広げた蟹が、自らの眼の前でそれを交差させ、市井の衣服展覧系雑誌に出てくる女のとるようなピースポーズを取っている。

その奇怪な蟹に対して、蟹は生まれつきピースしかできないと言ったのは、何時の時代の哲学者であったか。といった話題を振る受付嬢。、

少女を放って歓談する時間がしばし続き、その後、じと目の少女が、早く話を進めなさよっ! と言ったためようやく話は本題へと進んだ。


「でも、こんなに簡単でいいの? ホントに」

「いいのですよ、これは前座のようなもの、実際はEランク冒険者になって初めて本当の意味で冒険者になった、と言えるのですから」

「おお、聞いたことがあるぞ! たしか試験があるのだよな」

「なんであんたが知ってんのよ……」

「人徳かなぁ」

「蟹ですけどね…… ええ、ともあれ、Eランク昇格試験があるのは確かですね」


一息を付く、水を飲み、もう何度も何度も説明して、暗記を越えて、無意識に口から説明できるそれを、ネースは説明する。


「ここで、Fランクの認定を受けて、初めて冒険者となる資格を得たようなものです。


誤解する人も多いのですが、初心者冒険者――Fランク冒険者とは冒険者候補のようなものに過ぎません。


ここでどうにか酒場に己の顔を売るか、通い、仕事を受注し、クエストを受け、酒場の主や、先輩冒険者に顔を売り己の立ち位置を確保して、

迷宮やクエストで手に入れた素材を、

研究機関や鍛冶屋、武器屋、下取り専門の店などにこまめに売り払い。


学府や、訓練場などで、技を磨いて、その果てにようやく先輩冒険者や酒場の主に紹介状を書いてもらって、Eランク昇格試験を受けることができます」


「つまりこれからが本番っていうことかしら」


「ええ全くもってその通り、技を磨き、体力を磨き、顔を売り、仕事を探し、馴染みの商人を得る。

一見地味ですがこういった丁寧な下積みが、後年のかけがえのない宝になります。

余程の実力があっても、まず全員が初心者冒険者から始まるのはそのためです。

書では学べない経験と知識。得難い協力者の人脈。

例えどんなに強いAランクの冒険者であっても、そういったモノをおざなりにして。

そのランクにまで至った者など、まずいませんね」


「薫陶を受け、弛まず精進すること、か……どうだルナ、面倒になったか?」


「は、まさか! いいじゃない、やってやろうじゃないの! というのが今の気持ちね」


実力も知識も足りないことは、自分が一番知ってるんだから、むしろ願ったり叶ったりよ。

と言葉を放つ少女の眩さ。


ネースもペンタも、それを見て嬉しそうに、あるいはそれでこそ、といった納得の表情を浮かべる。

そこに呆れなどは存在しない、純粋な祝福と期待の感情。



「まず、貴方がするべきことは酒場を得ること、ある程度の地理と法規を知ること。

道具の種類や、六武学について詳しい知識を得ること。迷宮についての、あるいは周辺の地理についての基礎を知ること。これですね」


そういって受付嬢は、詳細な手書きの地図を行う。


それを待つ間に、蟹と少女は、リズムに合わせて相手の手の平を一定の所作に従って叩く遊びに興じる。



しばらくすると書き上がったそれを見せて、ネースは幾つかの注意と指摘を行う。

少女と蟹の資産に見合った、幾つかの賃貸物件の紹介。


それとは別に個別の酒場紹介。



曰く、古い知人が営んでいる、小さなうらさびれた、静寂の申し子のような酒場失格の酒場がある。


曰く、酒場の主も昔は一流の冒険者であって、コネとアドバイスの質は大したもの、偏屈だけれども


曰く、数こそ多くないがそれなりに優秀な冒険者がたむろしていることもあるので、使いたければ使うべき

曰く、とはいえ、そこでは知り得ないこともあるだろうから、その他の多くの人々で賑わう酒場も併用すべし。



「貴方は中央迷宮の管理組合へと登録したため、紹介した物件も酒場中央区のものですが、他区の施設や、迷宮探索に不自由はないので、その辺りはご自分の実力と相談の上お決めください、なにかあったら平日の午後の七刻までにここに来て、是非なんでも質問してください。


 ――以上です! 貴方の歩く道の先に栄誉と矜持の光のあらんことを!!」


「あ、ありがとうございます」

「素直に礼を言うことも出来るのだなルナーレ」

「出来るに決まっているでしょう? というか前にあんたにもしたでしょう!?」

「う~む、覚えていないなぁ」


キーッと猿のように、顔を真っ赤にして、髪を揺らす少女をみながら、蟹は受付嬢ネースへと口を開く。


「しかし、いいのか? ここまで肩入れするように丁寧に」

「いいに決まっているでしょう? 官僚でもなし、気に入った雛、見込んだ卵に注力することは当然です。

なにもかも、平等であるべき理由が全くありませんからね」


――確かにそうだなぁ ――そうでしょう?


「と、ともかく、本当にありがとう、えっとネースさん」

「ネースでいいですよ、ルナ、そしてペンタ」

「おお、色々と助かったぞ、それとついでに俺の分も冒険者登録しておいてくれないか?」

「さらっと、去り際に面倒なことを言わないで貰えますか?」

「くっ、すまんなぁ」

「全くすまないと思ってなさそうな声音に腹が立ちますね」

「いや、そんなことはないぞ、ほらこの純真そうな顔と瞳を見ろ!」


そういって己の顔を鋏で指し示す蟹。


……

…………


「全くわかりません、蟹の顔など、というか顎が結構鋭いですね。

でもそのこじんまりとした口と瞳は中々に愛らしい」


「おお! わかるか」


「なんで喜んでるのよ、あんた」


――それと口内と甲羅に紋章が彫られているようにも見えますね。

という思考は、心に沈めて、受付嬢は、淡々と言葉を作った。





ともあれ、こうした一連の顛末の果て。


一人と一匹は、冒険者となった。






そうして今、二人は石畳を歩いているのだ



そこに憂いなく、そこに抜かりもなく。


迷いさえ、とりあえず何処かに置いてきたかのような、気儘な脳天気さで、

二人は、石畳を進み進む。


僅かな灯りに照らされた、大通りを、笑顔で進むんでいるのだ。















大通りを進む、蟹と少女の良い心地は、しかし面倒極まりない闖入により止められる。


石畳、旧都時代の建築を流用したらしい石造と、新築の木造、三階建てから二階建ての家々の前。


組合庁舎を出て、大通りに戻った二人の歩みは止まらず、

目的の紹介されたアパルトメントへと二人は向かう、その途中の出来事であった。


導器の灯りが、奇妙に明るく頭上から降り落ち、

ルナと、ペンタ、そしてその近くを歩いていた、全長5mもありそうな石造人ゴーレムや、下馬上人の女性冒険者数人を照らし出す。

傍には他にも、触覚と羽を生やし、宙を飛んでいる高位妖精人も居る。


その羽から出る。幻想的な鱗粉の輝きに蟹が目を奪われた瞬間。



「おい、そこの魔獣連れ、止まれ!」


と呼び止めるのは粗野な声。

見ると、数人の黒に寄った紫の僧服を身に纏った、神官らしき男たちが近づいてくる。


「貴様、魔獣使いだな!」


妙に殺気だった、男たちが、二人を取り囲み、苛ついたように話しかける。


「えっ、……そうですけれど」

「おおぉ!」


そういってX字を胸の前で描いて、数人の男たちは、神よ! と呟く。


「人の世の正道を歪める不埒な輩め」

「邪神に己を捧げた魔女め!」


そして投げかけられるのは、罵詈雑言。

顔を猪のように歪め、なんのためらいもなく、

数人の男たちが、口汚く少女をなじるという異様の光景。


蟹は、顎をキィキィ鳴らせる。怒りと不満の表れか。


「なっ、なにをいきなり、ほざいちゃってるのよ!? あたしが魔女なわけないでしょ!?」


二人を囲むように、数人の男は円を組む、よく見るとその肉体はかなりの練度を誇っているようだった。

彼らの代表らしき若く精悍な、短髪の男が、進み出て、己の顔を、少女の顔へと近づけて、氷のように冷たい低声で、少女を威圧する。


「魔女に決まっているだろう? 暗き淀みに生きる魔獣、人ならざるそれを神はお許しにならない」


「はぁ?」


「この世には、生まれついての絶対的な階級が存在する。

神々の定めた法と秩序。あるいは絶対の誓願だ。

我らが法の神が、認めた、世界に先だって存在する、先験的アプリオリな絶対法。

人こそが至上、精霊種は濁りをもつ、亜人は汚れている。

植物は支配されるモノに過ぎず、獣は機械のごとき矮小な存在。

魂より汚れきった魔物と魔獣は、存在さえも許されない!


この世においての種としての階級こそを守ることが、世界、強いては世界全ての正義なのだ!」


――この男、狂人か?

と蟹が、鋏を構える。危機への備え、いざというときのための警戒。


少女は、ぷるぷると震えているが、意を決して、目を逸らさずにその若い男へと口を開く。


「そんなの誰が決めたっていうのよ!」

「神だ!!」


当然のことだろう? と男は喋る。

それを強く不快に思っているのは少女。


そして苦笑するのが、蟹。

――この都市のどこかにいるらしい、『騎士』がこのことを聞いたならば、どう思うのか。

と嘲笑を禁じ得ない蟹を尻目に、少女と男は激論を交わす。


「そんなの、初めて聞いたわよ? 休日教会の説法でも、そんなこと教わらないし、第一教典にも第二教典にも、そんなことどこにも書いてないわ!」

「喝!! 黙れっ、魔女風情が、賢しい口を挟むな。

これは偉大な予言者にして神の僕たる我らが遠祖、ポードル・レイヤールさまの受けた神聖にして犯すべからざる魂の啓示!!

賢しい魔女は知らないようだがな!」

「あ、あんたたちが、あの、紫帯の狂犬とかいう原理主義者……」

「その名で我らを呼ぶなっ!! 魔女がっ!!」


拳を振り上げた若い男の、左足首が、寸断されかかる。

蟹の我慢の限界であった。

陶酔的狂乱の中にある男の隙を突いたその一撃は、見事に彼の足を、脛と分かつところであった。が

その時、横合いから、その拳を止める者があった。




「何時から教会はマフィアの一員になったのだ?」


殴りかかった男と同じような歳の、金髪を短く刈り上げた長身痩躯の男。

朱と蒼の色が混じった軽鎧の下、その肉体は細身ながらも、無駄の削ぎ落とされた、戦闘の為に整えられた筋肉を構成している。

左の胸には、階級章、背には外套を身に付けた、軍の警邏団員であるらしかった。


「きさまぁ、ぐっ 警邏隊の、カルロス・カルタタン」


ぐぅ、と呻く僧侶の男を、死んだ魚でも見るかのような瞳で冷淡に見下ろしている警邏の男。

そのカルロスと呼ばれた男の同僚たちも駆けつけてきたのか、いつの間にか周囲には、警邏隊特有の軽鎧を身につけた男たちが集まっていた。

さらに周囲には、異種族や人族、魔族、ありとあらゆる人間が、遠巻きに野次馬をしていた。


注目に気付いたのか、警邏隊と争うのを不利とみたのか、殴りかかろうとしてた男たちは、一歩退く。


「くっ、離せ!」

「は、いいご身分だな、教会衛士さまは」


「お、お互いに、問題を起こしたら不味い立場……っ、うぐっ」


「下衆がっ!」


吐き捨てたカルロスは、しかしその手を離す。

男たちは、そそくさと、身を改めて、その場を離れている。

少女と蟹は、その闖入者への闖入者からもたらされた助けをポカン、と見ている。


「……あっ、…………ありがとぅ」


正気に戻ったらしい、少女が礼を述べる。


気にするなと、腕を振ってカルロスは少女に、厳めしい無表情のまま忠言する。


周囲に居る警邏隊の男たちも、どこか緊張を緩めて、雑談に花を咲かせ始めている。


野次馬も散り始める。中には蟹に注目しているものも当然のことながら居るが、それもしばらくすると消えた。



「気をつけろ、あれは正統教会ポードル派の若頭補佐ベルベロ。血気盛んな狂信者だ」

「……純粋人族原理主義者ね」

「ああ、野蛮でな、警邏でも手を焼いている。

立件には至っていないが、噂によると魔獣使いの冒険者が幾人か行方不明になっているのもあいつらの仕業と聞く、精々注意するんだな」


げんなり、とした顔でルナーレ。

蟹は、先ほどから、ずっと口をつぐんでいる。


「ご忠告にも感謝するわ、……どう考えても異端の類よねそれ」

「ん、ああ間違いなくな。初代のポードル・レイヤール公を始めとした大貴族の援助、教会の権利確立への協力、惜しみない寄付、その他色々あるがそういったものと無縁だったのならばああまで増長はしていまい」

「ふんっ、気分悪い」

「災難なことで」


そういってカルロスは、鼻で笑い、踵を返す。

少女と蟹も、それを見届ける前に、さっさと歩みを進める、己の目的地へ向けて。


プリプリと怒っているた少女も、

二十分ほど歩いたらそれも薄れたのか、ただでさえ何処かきつそうな所のあるその顔を、厳しく歪めながら沈黙していた。

その横で蟹が、シャキン、シャキンと意味もなく鋏を鳴らしている。


「狂信者というものは、何時の世も変わらぬモノだな」

「なによあんたも絡まれた経験でもあんの?」

「ああ、それなりにな、話の通じない確信犯ばかり目にしてきたよ」


どこか皮肉めいたその口調。

遠くを見る老人のような、死の間際の鴨の如き哀愁。


「あんた蟹の癖に、ほんと、色々と蟹らしくないわよね」

「はっ、惚れるか?」

「ほ、惚れないわよ、ばかっ!!」


ククク、と蟹が笑う。

少女は頬を膨らませる。


何時しか周囲の街灯の本数が消えていく。


所定の位置に警邏らしき男が、立っているのが見える。


巡回任務証と旗を掲げた冒険者が数人、周囲を通り過ぎる。



大通りの終わり近く、幾つかの他の区画へと繋がる道などない、城壁の角と角の部分へと繋がる道。




やがて道は絶たれ、幾つかの小路と、目前の城壁へ上るための石造りの階段が目に付く。


そこを登って、城壁上で、うおぉぉぉと叫びたい気分に襲われたが、蟹はどうにか己を押し留める。



「確か次は、そこの道を入って、五分ほどであったな」

「……そうね」


薄暗い道、人を飲み込もうとする道。

しかし幾つかの民家、寂れた(こんな辺鄙な場所にあるのだ、当然のことである)酒場から漏れる光によって、どうにか、そこを通行するのに不便はない。逆に言えばその程度の光源しかないわけではあるが。


なにかが潜んでいそうな空気。

不穏と緊張。物盗り、強盗、強姦魔、辻斬り、集団犯罪者。

不安の種に事欠くことはない。


「ねぇペンタ」

「なんだルナ?」


「あんたって何年生きてきたの? というよりも何をして生きてきたの?」


今まで口に出されなかったのが、おかしい程の根源的な問い。


少女は、少しの覚悟を込めて、自らを助けた、時に愉快なこの蟹へと問いを向ける。


「……たくさんだ」

「ふざけてるの!?」

「いや、口で説明するのも面倒なだけだ。だが、そうだな、楽しい仲間、愉快な友人には恵まれた人生ではあったよ」

「だから、蟹じゃないの……っ……そう、まあいいわちょっと急すぎたわよね」

「ああ急だ、っとここではないか?」


道の先。ネースに言われた通りの大きさの建築物が見えてくる。

五階建て、石造り。地震といったものとは無縁なこの地域独特の高さをもったそれの建築様式。

無骨で、素朴を越えて、硬質。

冷たい雰囲気。せめてもの慰めに要所要所を加工している木の造。ベランダや軒などが、逆にその石の冷たさを引き立てている。


「ここ? でかいわねー」

「ああ、でかいな、しかし妙に冷たそうな家だ」


既に灯りも遠いこの小路の奧。そこにあるこの集合住宅。

本当にここに住むのか? というか俺たちの他に誰か住んでいるのか?

そういった疑問に襲われる静かで、死の気配さえ漂った無の匂いに包まれた建築物である。


その建築のベランダは一階につき、二つ。

つまり一つの階に二部屋あるのだろう。


その広さは、少女の実家の一階部分が二戸分といったところか。

中々に広い。



ルナは、さっそく管理人室へと向かう。

一階の右側がそうであるらしい。


正面の玄関を入り、見える廊下は、

外から見た石造りのそれではなく、一面に木が張られているのか、温かく落ち着いた様子である。


そのことに幾分、少女と蟹は安堵を覚えた。



僅かに、小さな蝋燭の明かりが、廊下の途中に存在し、本当に微かな光量で廊下を覆っていた。


その蝋燭の隣に、管理人室というプレートが掛かった扉。


その向いにも扉があり、そこには倉庫と記されている。



トントンッ、というノックの音。


ざっざっ、ギシギシと木面の床が、歩いている訳でもないないのに音を上げる。



ギィ、と扉が開き、中から出てきたのは幽鬼さながらの老婆。

背の曲がった、齢を到底、測ることのできない老妖女。

60にもみえれば、80にも見える。100を越えていると言われても驚かない。


しかしその眼差しの強さと、綺麗に整えられた白髪が、

その皺だらけの老女を、か弱い存在だとは思わせない。


これは、不気味だ。


「んあだい」


籠もった声、もごもごと動く口。


「……あ、えと、組合の紹介で来たのですけど」

「んん、はっ、こんな時間にねぇ、ここを紹介する意地の悪い窓口受け付、ネースの奴かい?」

「え、ああそうです、はい」

「ふんっ、でぇ、そっちの蟹もお前のさんと同室なのかい?」

「うむ、頼む」

「こりゃぁ。驚いたねぇ、喋る蟹とは」


ちっとも驚いて居なさそうな口調で老婆は続ける。


「ま、迷惑さえかけなきゃぁ、それでいいよ、金は明日もらう、今日は、ほれっ!」


ポンと、投げ渡されるのは鍵。

えっ、と少女が目を白黒させるが、全く意に介さず、老婆は話を続けている。


「月に小金貨5枚、正直に言って格安だよ、規模を考えればね」


とはいっても、辺りは暗いし、碌に店もない、大通りも遠い、冒険者にはいまいちな物件かもしれんがね、カッカッカ!


と口を半月に開いて、シャッシャと笑い、老婆は扉を閉める。


そしてガチャリ、と鍵の音。



「え」

「剛毅な婆さんではないか、老いたりとも気骨を感じる」

「ええー」

「どうした?」

「本当にこれだけ?」

「そのようだな」


少女の顔には、呆然と、驚き。


なんかもう疲れた、と少女は、肩を降ろして、とぼとぼ階段へと向かう。




階段を登る少女、それに付き合う蟹。

鍵の指し示す番号は三階の一号室。


階段は灯りの一切射さない暗黒一色。

足と手を使って、それを確認しながら、時に腰に帯びた剣と、背に背負う荷をぶつけながら。

蟹に支えられつつモノ、嫌に急勾配なその階段を登っていく。


三階に着いたときには、少女はぜぁぜあ、と聞いたことのない息切れを起こしていた。




廊下を進む、その先には窓。そこから差し込む月明かりを頼りに、一歩一歩慎重に進む。


ひとまずのゴール。しばらくの住家を前にして、疲れが押し寄せてきたのか、


少女は、ふらふらと、歩みを進める。


感動が、見る物が、得た情報量が、多すぎる。

都市の活気は、少女を酔わせ、そしてふらつかせる。

慣れるまでは、しばらく毎日、こういった状態であるのかもしれない。

ともあれ、蟹と少女は、この都市で生活の基点に辿り着いたのだ。




扉に鍵を差し込む。


開く。


ギィギィという錆びた蝶番の音。


しかし淀みなく開かれる扉。




そこは大広間であった。

玄関。

リビング。

用を足すための便所(アパート下には繋がっており、そこに糞尿を溜めておく仕組み)


個別の寝室が三つ、キッチンもある。


一部屋一部屋は十分な余裕をもった、ともすれば少女にとっては広すぎる程の空間であった。


蟹と少女が、夜を、昼を、朝を、これから過ごすであろうその空間は、

多くが磨かれた木と、なめらかな石に覆われている。


石造りの暖炉。外へと続く、煙突。


幾つかの木箱、そして本棚、一つの机と、そしてリビングにおいてある一つの寝台。


それだけが置いてある。丁寧な作りの部屋だ。

不思議と掃除が行き届いているのか、埃臭くなく、カビくさくもない。


窓からは、春の月が望める。



一面からたれ込む、月光を、頼りに、荷物を置き、少女は、部屋の中央にある寝台へと飛び乗る。


ボンッと、肌触りの良い感触。


奇妙に家具と設備が整っているこの一室を考えれば、確かに小金貨5枚は破格である。




「ああ、至福、しふく~」

「疲れが取れそうか?」


「ええ……」


……


…………



一気に疲れが出たのか、摩耗した精神と肉体が、睡眠を要求したのか、


少女は、気がつけば一瞬で、着の身着のまま、眠りに着いていた。



目を瞑り、喜ぶように、微笑み、眠る、あどけない少女。


蟹は、毛布を少女の荷からとりだし、そっとそれを掛ける。



窓から月光を一瞥し、そしてまた少女を見る。

微笑みように、軽く笑って、その後

とことこ、と己も部屋の片隅に座り、簡単に眼を瞑る。




想うのは、今日のこと、一日のこと。



あるいはここ数日の少女と出会ってからのこと。


そしてこれからのこと。


これから日々を暮らすこの街のこと。




それらを想って蟹は、目を瞑る。





後には、すやすやと眠る少女のあどけない顔。


そこから漏れる、小さな鼾と。


静止する蟹の暖かみがあった。





そうして、


彼らの、晴れやかな一日は、終わったのだった。









『鍛冶』 ガルニゼス


エミダリア植民国ツァンチェリ高原共和国の出身


言わずと知れた三工人の一人。

鉱石小人、山小人とも言われる鍛冶人ドワーフの英傑。

【力】に関する深い理解、鉱石のみならず、植物、生体素材さえも熟知した、熟練の鍛冶師。


世界でも有数の鉱脈を持ち、エミダリア旧帝国の資材建材を担ってきたツァンチェリにおいて、知らぬ者の居らぬ技術顧問官であり、その任期は300年にも渡る。

一説によれば、

ティオニソス反逆帝の一代帝国の発展に寄与した、秘密技術団の一員であったとも噂される。


瑞々しい発想、確かな技術力、儀式大家にも通じる【力】への熟達。

『鍛冶』のその能力が真に発揮されるのは、

『英雄進撃』により、アサンデル、オードリアス、トロアキアを瞬く間に手中に収めた『有角姫』の下においてである。

彼の開発した防具、武具、様々な装備、さらには魔導器に、魔法器、【鍵】【道】の純度の高さは、今もって並ぶ者のあり得ぬほどの高みに、厳然として在る。


その経歴において、最も重要なのは三工人として、【神の武器】を生んだことでもあろう。

『四つ耳』と『小鬼』がそれぞれ、神器とマッフ機巧を生み、ガルニゼスは彼らとの共同研究により、外に満ちる【力】を、【力】そのものとして武具に精練することを可能にした。

これは【力】を使い、何らかの特別な素材を創ることとは違い、【力】の性質を持った武具という新たな地平の出現を意味したのだった。


天上戦争においては、地軍の装備を整え、かつ『小鬼』の機巧建造に助力した。

また、その幅広い知識と無骨だが実直誠実な人格を買われて、その他の研究者肌の地軍構成員の善き相談相手となった。


新暦においては『大地・物質』あるいは『創造』の神として広く崇められている。

芸術家から、鍛冶師、冒険者に土木作業員に至るまで、物に携わる者、全ての尊敬を一心に集める彼の武具は、現在、世界のあちらこちら、冒険者から果ては迷宮内の魔物の間にまで流通している。


これは彼が、今も何処かで自らの武具を造り続けているため、とも伝わってる。







『吸血鬼』リーリア


南方亜大陸ディープサウス ペレルチ山嶺出身


吸血鬼の魔将。その知名度は著るしく低いモノの、侮れぬ実力者である。

長い金の髪、長身痩躯から、愛くるしい幼女まで、幅広い変化を持ち、

吸血鬼の種族異能である霧化と怪力に長けたパワーファイター。


ただし、本人は純血の吸血鬼でもなく、そもそも種族的には魔人に分類される吸血鬼でさえない。

吸血鬼を名乗っているだけの、蝙蝠の化身である。

長き生を得ることの出来た巨大蝙蝠が、吸血鬼の姿を取っているというのがその正体である。


自らの種族にコンプレックスを抱いているためか、

空想的な英雄願望が行動の節々滲み、良くも悪くも素直で幼い印象のぬぐえない存在であり、

それが元で、『艶華』にからかわれることが多かったと伝わる。


その英雄願望は、『吸血鬼』に魔族の勇者を名乗らせ、鉄仮面を被らせ、二刀剣を振り回させた。

さらに奥の手と称して『鍛冶』と『四つ耳』に造ってもらった神器に、『三殺剣トライスニル』と名付けたりもしたらしい。


とはいえ実力は紛うことのない本物であり、

天上戦争においては、神を三柱、その手で打ち倒したと伝わる。

それには高位神『流転』パンタレイも含まれていたという。


地軍においては『騎士』『公爵』『剣聖』『老師』といった面子から深い薫陶を受けた。


新暦においては『悪魔』 人の弱さにつけ込み、人を道を外させる悪鬼として、一部地方にまことしやかに伝わる。

本人は、おそらく世界の各地をあてどもなく放浪しているのだろう。



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