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朝、都市到着! 

長いので分割しました、次話は二〇分後くらいに!






鬱蒼と茂る森が、傾斜の厳しい丘陵地帯にそびえている。


何者かを守る生け垣のように、見渡す限りの広範囲に広がる木々の密集。


肩身が狭そうに街道が、その木々の集会場を通っている。



そこを歩く、二つの姿があった。


言わずと知れた、蟹と少女である。




彼らは目的地へとひたすらに歩みを進めていた。


急ぎすぎず、しかし遅くなることはない速さの歩みを。


着実に、焦ることなく。



エミダリは、目的地はすぐ其処であったのだから。







振り返れば昨夜のこと、


エミダリ西港湾に宿泊した二人は、

(当然のことながら目立ち、

時に警邏や冒険者、軍兵に絡まれたが、蟹はペットということでどうにか押し切った)



一つの宿兼酒場に入って、食べるモノを食べて、すぐに眠りに着いた。


船の揺れ、海の上にあるという不安定さから生まれた疲れに多くの休息を要するのも自然のことであり、特に旅慣れぬ少女ルナーレの疲れは如何ほどであっただろうか、

その眠りは泥より濃く、まだあどけなさの残る少女の全身に絡みついたのだった。


深い眠り、深すぎる眠り。


そうは簡単に目が覚めぬ、泥濘の安楽。



それは思わぬ影響。とはいえ些細なそれを引き起こしたのだった。


つまるところ、少女はそのために寝坊をしてしまったのだ。




疲れ果て、泥のような眠りから少女が覚醒を果たした時、

既に日は中天に上り、街は活性し、日常の息吹が充満していた。



慌てる少女は、おどおど、とあたふた、と。


寝ぼけ眼で探した姿は、己の相棒のような、友人のような、保護者のような、一匹の蟹。



しかしその姿は何処にもない。


その時、少女の脳裏に走ったのは緊張か。混乱か。不安か。


昨晩確かに、同じ部屋に入り(渋る店主に対し金によるゴリ押しパワーで、蟹と少女は同室を獲得した)



また、寝床に入る直前にも、少女は、蟹の姿を見ていた。

どうにかこうにか研石を使って、己が鋏を鋭く磨き上げようと苦慮している蟹の姿を、

呆れて、どうやっても一人では無理でしょう? という思考を、蟹に抱いたことをルナーレは覚えていた。



それなのにその姿がない。その蟹の姿が、ないのだ。


少女は焦り、そして昨日の事を思い出し不安を覚え、それによりさらに焦燥を加速させた。


無理のないことだ、昨日の蟹の呆れ、もしくは驚き。

少女が魔導を使えぬといったその時の反応を、少女は明敏に覚えていた。


焦るのも、恐れるのも無理のないことだ、

不安とは、こびりつき中々落ちきらない、頑固な皿の汚れのようなものなのだ。



少女の行動が、過敏とも言える程に迅速であり、その所作には、隠せぬ不安がこびり付いているのも、

至極当然のことであった。


最低限の寝間着のみを身に付けたまま、寝具から飛び降りる少女。




いらいらは、じりじりと募る。不安はしょうしょうと高まる。

じわじわと絞め殺される死刑囚のような心持ちを味わう。

高いところから落ちる夢を見た瞬間の恐怖にも似たもの。

喉の奥に嫌な味の汗が迫り上がる間隔にも似た。


それらを振り払うように、

少女は、己の泊まった部屋を見る、水場を、寝具の下を、部屋の隅を。


それは探す行為。求める行為。


だが、


――いない


しばしの間。もしくは一瞬の間。

立ち尽くす少女の顔は青い。




そして、少女は扉を開けて、走り出す。

蟹を探すために、取るものも取らず、着るものも着ずに。



もしかしたら外に出てるのだ、下にいるのだ。そう考えて。そう思って。


無遠慮で、不器用な蟹が、一人相棒をおいて、外に出ているだけなのだ。と、

そう願って、全力を込めて階段を駆け下りる少女。




しかし、少女の不安を、焦燥を、見透かし、あざ笑うかのように、





果たして、蟹は階下に居た。


それも平然として、悠々とした余裕をもって、

少女とは明らかに違う温度をもって、

蟹は、一階の酒場に居た。


ほっ。と胸を撫で下ろし、安堵の為か、膝から崩れ落ちるのは少女。

と、崩れ落ちた瞬間に正気に戻る。



己をこんなに不安にさせたこと。

そもそもこの時間まで起こさずに階下で油を売る気の利かなさ。


そしてなによりも、蟹がいま行っている巫山戯た行為。


少女の神経を改めて逆撫でするかのようなそれに加えて、


一瞬前まで、己が親に見捨てられた稚児のように、

慌て、泣きそうになりながら、感情を発露させていたということへの羞恥。


それらが合わさり少女は、怒りと照れ隠しと安堵が入り交じった感情の爆発に襲われた。



「……あんた」


と、その怨念の籠もった低く濁った音に気付いた蟹。


蟹は振り返る。――甲羅の上に載せているものを落とさないように、気を付けながら。


「おお、起きたかルナ!」


よく寝たようだなぁ、もう昼だぞ。と何事もなく、自然に応える蟹。


彼の甲羅の上には、酒瓶、酒杯、肴、料理。

少女ルナーレが二人でも乗れそうな程の広い甲羅の一面を、

お盆に見立てたかのように、所狭しと並べられる幾つもの物品。


つまるところ蟹は


「なに……やってんのよ!?」


「手伝いに決まっていよう!」


料理を給仕していたのだ。








それが今朝、というよりも少女が起きたときのこと。


時間にすれば三時間ほど前。


奇妙に愛くるしい甲羅にエプロンを巻いた姿の蟹。

その誕生理由とは、

雇っている給仕が病に倒れたため、昼の忙しい食事時に人手の足りなくなった宿屋一階の食堂。

繁忙にてんてこ舞いな主人や他の給仕たち。

見るに見かねた蟹が、相棒たる少女も寝ていることであるし、と助けに入ることを提案。

店主がそれを快諾し、

先ほど説明した情景――あるいは少女を無駄に不安に落としやった情景――が現れたのである。




あの後、昼時のもっとも忙しい時を終えて、蟹と少女は、

店主とその妻に、いやに丁重に見送られ、エミダリ西部湾港を出発した。



少女の不機嫌と感情の爆発、大激怒を浴びた蟹は、まあまあそんなに怒るな、ほれ旨いぞ、と

蟹肉とトマトとニンニクを炒めた簡単なソースが塗られたバケットを少女に勧め、

その食事はあんた的にはオーケーなの? と少女は疑問に思いながらもそれを昼食(遅めの朝食ともいう)として、おいしく頂いたのだった。



そしてかれこれ、三時間、二人は歩きづめであった。



会話はほどほどに、春風の心地よい、麗らかな三時間であった。



丘とも山とも言えぬ、急傾斜とそこに繁茂する木々の小王国。


木漏れ日と風の匂い、春特有の濃く、どことなく甘い森の香りを嗅いで、少女と蟹は歩き続けた。



蟹の背中に乗るでもなく、己の力で確かに地を踏むルナーレに、

その少女の隣を、ちょこちょこと、蟹特有の横歩きで、疲れ知らずの頼もしい歩調で進むのはペンタ。



ふと気付けば急傾斜を登るのも終わり、いつしか二人はなだらかな傾斜を降り始めていた。


緩い坂、緑の葉。


集る虫。群れる蝶。


鳴く蜂、輝く玉虫。


葉には毛虫。蟷螂。


羽虫が、蠅が木々の合間を自由に飛び交う。



遠く木々には朱く果実が色づいて、鳥が啄み、枝を舞台に幾匹もの鳥が合唱祭。


目に優しい、白と赤、時に青が、


花として色づき、形と匂いをもって、


歩く者の眼を和ませるような素朴な彩りを緑界に添えている。




「ふむ、大分、歩いたのではないか?」


「……そうね」



言って、少女は蟹の背に置いた荷袋から水袋を取り出し、口に含む。

蟹は、それを眺める。



少女は蟹に、水を飲むかどうか問うように、水袋を掲げるが、蟹は鋏を振ってそれを柔らかく断る。

蟹は、色々の理由により、水も、食事も、余り必要ないのだが、

そうとも知らぬ少女は、どこか心配そうに蟹を見据えている。


少女は、先ほどの宿での己の醜態、心配と不安の念を恥ずかしく思っているのか、奇妙に沈黙して、蟹を眺めるばかり。


蟹は、その心に気付いているのか、否か、ともあれ、どことなく愛嬌のある円らな黒い瞳と、四対の歩脚を、リズミカルに動かして、地を進む。




ふと、風が吹く。


そして視界が開ける。




「……わぁ!」


「……ほう!」


驚嘆と感嘆。


漏れる二つの声の理由。


それは新たに生まれた視界。

視界に入り込んだその光景にある。


森の領域は急速に疎らに、眼に入るのは一面の草緑。


森の緑ではない、地に群れ這う平原の青緑だ。


そしてところどころに生える木々、なだらかに下っていく傾斜。


今おのれが立つ場所を基点に、

右を向いても、左を向いても、森の終わりと、なだらかな坂。


それらの傾斜の終着には、短く青々とした、大平原の風景。



そしてその奧、少女の場所からはかすかに、しかし確かに見えるのは、大きな大きな生命の領域だ。


人間の世界。喧噪。動くもの、膨大なエネルギーがこの距離からでも伝わってくる。

見れば、視界の隅、あるいは正面に、自分たちと同じような旅人が、歩いているのが解る。

皆がそこに向かっている。あるいはそこから出発している。

そことは、巨大な建築群。遠景からでも重厚な防壁。人々の力の結集の象徴。充満する生の臭い。


生活の空間であり、監視の空間であり、冒険の空間である場所だ。


それは、即ち目的地。


そう、中央迷宮管理都市、エミダリである。




「着いた……の、よね」


「ああ」


「……ふぁぁ」


感嘆、歓喜、呆然、そのどれでもあり、そのどれでもない音が、少女の口蓋から思わず溢れた。


夢にまでみた街、都市、迷宮、彼女にとっての夢、叶わないと諦め欠けていた、世界の中心。





『エミダリは世界の半分』


それは既に1000年以上も前の、古い古い、かつてのエミダリに付いての記述である。



旧帝国の首都にして、新帝国の都。


旧都にして古都、古都にして、新都。


最盛期の人口は三〇〇万。名実共に世界の中心にあり続けた、巨大都市。


それこそがエミダリ。



迷宮出現の折に、そこに棲まう全ての生命は燃やされ、埋められ、貪られ、朽ち、辱められた。


だが、人間の不断の精神と、対抗の意志は、その迷宮を再び管理するまでに至った。


それこそがエミダリ。



現人口は有に一〇〇万を超える、世界最大級の都市。


無数の歓楽街、冒険者の組織、教会施設、研究開発や教育機関が存在し。


世界中から国の大使館が集まり、他迷宮都市の行政機関や冒険者管理組合の出先機関が集まり。


全ての迷宮軍が統括される中央軍の本拠地が置かれ、

多くの商業機関、生活の設備が整えられている場所。


それこそがエミダリ。



古代や無数の文明を礎に、冒険者と商人。軍人と聖職者。鍛冶師と研究者が入り乱れ、


およそありとあらゆる素材が、富が、飛び交うような生きた混沌。


それこそが、それこそが『エミダリ』!





そして少女は走り出す。


感極まった彼女は、感情を抑えきれず、全速で坂を下っていく。


まるで学舎に遅刻したくない、と駆ける学徒のような有様で。


それを追う蟹も、知らず喜びが胸の内から溢れでて、鋏を、荷袋を弾ませている。


大きく、賑やかな、胸が騒ぐような、新たな始まりの地。



一匹と、一人、彼らの胸に去来した感動の、その形は、その大きさはどれほどだったのか。



それは二人にしか分からない。


ただ、まるで子供のように草原を走る二人は、どこまでも楽しそうで、嬉しそうであった。



童子のように進む、蟹と少女。


駆けて、駆けて、駆けるその姿、どこまでも純粋で素朴なその姿。


肩までに伸びる金の髪は、風によって千々に乱れ、


いつもはどこか険と陰を帯びている少女の表情も至福の微笑みに包まれ。


隠しきれない、溢れ出た喜びに包まれている。




進み、進み、走る。


走って、笑って、駆け下りる。


向かうのはエミダリ。


夢にまでみたエミダリ。




そして、蟹と少女は、目的地に到着したのだ。






















「身分証明になるようなものは」


少女が取り出し、渡すのは書類一式。


一応、国の公印である、村長印が押された旅証と身分証明証が、検問官に渡される。


検問官はそれを受け取り、即座にそれがどの国家の公印であるか、

些末な偽装や偽造ではないかを検査する。

(検問官とは幅広い知識、膨大な公印と紋様の記憶が要求される意外に難度の高い職業である)



さて、当然だが都市の出入り口には、検問がある。


都市に自由に居住し、商いをし、迷宮に入ることができるのは、都市に認められた都市居住者のみ。


行政から認可を受けた商業組合加入証明証。都市所属軍人証。下級以上の冒険者証。

聖職者証。王侯印。特別認可状。


それらに加え、都市商売許可証、都市居住証明証といったもの。


そういった色々な認可証をもって初めて、都市機能を自由に十全に利用できるのだ。





少女ルナーレがエミダリに来るのは当然初めてである。



とはいえ、彼女が幾日かの夜、期間を定めて、この都市で過ごすような、流れの旅人であったなら検問は必要ではなかっただろう。


行商人であるのなら荷物を検査されて、それに見合った関税を払えばそれでことは足りたであろう。




彼女はしかし、ここに来たのは、ここに住み、ここを本拠地として、冒険を行うためである。


ならば彼女は、都市に身分を検められて、ここで入市許可証をもらわなければならなかった。


入市許可証がなければ、冒険者組合への加入も、住居を借りることも不可能である。

少なくとも建前上は。


実際には旅人がそのまま住居を借りて、冒険者組合へ偽造許可証で加入し、時に、偽の許可証により悠々と都市生活を営んでいることも多い。が


とはいえ、それは違法であり、もし見咎められることがあれば、そのまま刑罰の対象となる。

一週間の間、入市許可証をもたぬ旅人を泊めた宿屋、入市許可証をもたぬ者に家を売る、あるいは貸した者。

同業者組合その他に加入させた者も、刑罰の対象となる。



もちろん、「一年都市の空気を吸う者は都市のものである」という古い言葉もある。


偽造と偽証によっての住居を得ていたとしても、あるいは無認可であろうとも、一年という期間をなんの問題もなく、犯罪なども起こさず、所定の住居と職業、機関に属していたのならば、そのまま市民として認められるという制度もある。


ただそれはもちろん、財があるのか、縁があるのか、余程都市の構造を熟知しているのかではなければ難しい話であった。



そのため、大多数の健全な求職者は、ここで大人しく検問を受けるのである。


検問のない大手門と、その他、いやに数の多いの小検門の二種類はそこからくるのだ。


これは、治安の極端な悪化、不法な住民の増加に頭を悩ませた100年前のエミダリ行政府が定めた法である。


別段、入市許可証がなくとも、

生活に不便はせず、薄暗く治安の悪い区画には、幾らでも許可証なしで家を貸してくれるような大家おおやが居るだろう。


とはいえ、巡回する警邏。時々ある、区画調査、そういうものにビクビクする生活。

日常の生活に薄暗い所の作りたくない少女は、

素直に検問を受けるのだった。



閑話休題。



……

…………



そうして入市審査が行われる。


ある程度の基準を確認する審査。


とはいえ、それなりに信頼のおける公印と、経歴書、一定の地位にあったものの紹介状があれば、まずもって通る程度の審査ではある。



少女の風貌と、その認証がおそらく偽造ではない公算の高さから、普通だったらこのまま少女は何事もなく、都市へ入ることを許されたであろう。


偽造されたらしき公印でもなく、認章でもない。

(当然、そういったものを鋳造して、審査を越えようとする者も多い

付け加えれば、都市居住証明証や、冒険者の印を偽造し、フリーパスで中に入ろうと企む輩に事欠くこともない)


そういった輩に比べれば、少女はこの上なく善良で、怪しさの欠片もない見当たらない潔白で正統な客人であった。


しかし、少女は簡単には中に通されない。


何故か?




蟹だ!




見るからに魔獣であるという巨体。巨体の蟹。


危険を匂わせるその体躯の大きさと、

鋭い刃と、ノコギリ状の歯を持った鋏。


生半可な刃や鎚などではビクともしなさそうな、堅固そうな甲羅。


その蟹。


それが、少女を都市の中に入れることが躊躇われた理由であった。




時は既に午後の四刻を越えている。


春とは言え、肌寒さは否めない時間帯の春風が、少女の身体を、冷やす。


「ねぇ……、まだかしら? 寒いんだけど」


震える少女は、これ見よがしに、とぼけた表情で検問官に問いかける。

中年の検問官は、少し出ている丸い腹と、風に流れる薄い髪を揺らして困惑している。


「あの、何度も聞きますけど、……この蟹は」


「だからぁ! ペットだって言ってるじゃない、言葉通じているの?」


「ま、まってください、どうして元村娘が、こんな得体の知れない魔獣と出会う機会があるのですか!?」


平行線上の場を掻き乱すように、蟹が鋏を振り上げる。


「ふむ、なに、こう見えても私は理知的な蟹。無闇矢鱈に暴れることなどありえんよ」


「喋るのが、また怪しいんだよ!!」


紛糾。警戒心の塊。職業意識の高い検問官は、度々少女に問い。

少女はそれに怒りを隠さず、応戦し。

場を混乱させるように、蟹が口を挟む。


エミダリ大川を挾んで南側にあるエミダリ南区画、大南門。


小門を合わせて、最大二十にも及ぶ検問所は、多くの客人と旅人で埋まっていた。


それを監視するように軍人が、立ち並び、時折現れる犯罪者、素行の不良な荒くれ者を連行している。


市中に住まう多くの者は、中央の大門から、手慣れたように、フリーパスで中に入っていく。

あるいは一晩の宿、幾日かの、宿を求めるもの、もしくは中に何かの伝手があるものも、平然とした顔で、検問を受ける者たちを尻目に、街の中へと入って行く。



「ねぇ、いい加減いれてくれないかしら」


「では入国目的は?」


「冒険者になるためだ」


蟹が口を挟む。

何かを閃いたのか饒舌な調子。


訝しげに、蟹と少女を目視する検査官。

眼鏡の中年男性に振るわれる蟹の口舌は鋭い。(舌はないが)


「この少女はこう見えても、魔獣使いの適性が認められた優秀な冒険者候補でな」


「この経歴証にはどこにもそんなことは書いていないんですけどね?」


「それは簡単なことだ、中々謙虚で奥ゆかしい家でな、彼女の生家は。

一応の一人前になるまで、その職業を名乗ることを禁じられているのだ

古の時代から、一子相伝、門外不出の秘奥を伝えてきた家の習わしといったやつだな、うむ」


「……本当に?」


「もちろん! 本当だとも、この上なくな」


嘘くさいな、という検問官の眼差しもなんのその。

蟹は、検問官をいなし、胸があったら堂々と張っていただろう。やけに自信満々である。

まさか、これが嘘のわけあるまい? 蟹は嘘付かないのだぞ! と言って蟹は検問官を苦しめる。


「頭痛いですね」


「それで俺はこの一族に代々仕える蟹の魔獣でな、ほら知能もそれなりにあるだろう?

先代にこの少女のお守りを託されてな、それでこうやって彼女の隣にいるのだ。

自分で言うのもなんだがな、俺はこれでも中々に優秀な魔獣なのだぞ?」


ジャキィ、と鋏を見せつける蟹。格好を付けているらしい蟹を、少女さえも少し呆れ気味に見詰めている。


蟹の口舌が冴え渡っている、が。

とはいえ、これで騙される輩がいたら、それはまた問題であろう程度には、蟹は胡散臭い。


案の定、検問官は悩む。




そして、一拍おき。


「わかりました、通って良いですよ」


はぁ、と溜息付き、苦笑して言う。


おそらく、面倒になったのだろう。

加えて、少女が何かを企んでいそうにない、どこにでもいそうな美貌の田舎ッ子であったこと。

蟹の知性が思いのほか高く、これならば充分、都市内でやっていけるだろうと判断したからこそ。

蟹の泡のような法螺話に乗ったのだった。


検問官が、差し迫る己の休憩の時間と、職務の遂行を天秤に掛けたのも、

蟹と少女を通した理由の一つであろうが。



少女と蟹は、そんなことも知らず、お互いに声を立てて、笑いながら、

ちょろいわね、ちょろいな。などと言い合って、都市中央に通じる、大通りへと進んでいった。



「しかし、ありゃなんですかね」


多くの者を検問してきた、中年の検問官にとっても初めての存在であったあの蟹は。


一体なんなのか、かすかに疑問に思ったが、それを胸の奥に沈めて、


検問官は、休憩所へと交代を告げるため、立ち上がった。








『果ての島に伝わる【大亀】にまつわる伝説』



大陸南東の、ディープサウスより西。

その奧に、歪な海流を越え、多くの岩礁を越えた先に

この世の楽園の如き温暖な島がある。

そこに一匹の亀が居た。

それは世界その創世よりそう遠くない時に生まれた亀であった。

彼は歩くのが遅かった。彼は食べるのが遅かった。

日がな一日、島の縁にある一つの大きな岩、そこでぼうとしているのが好きだった。陽の暖かな光が好きだった。

長い年月を掛けて、食べて、成長して、亀は何時しか大きくなっていった。


時には、岩を食べ、時には森を食べ、時には軍隊を食べ、時には国さえも食べて、最後には天使も食べた。

彼は悠久の時を過ごし、何時しか島を出て、大陸に行き、大島に行き、大和島に行き、世界を見て、色々なもの食べて、

それでもその多くは、のんべんだらりと、ぽーっと、一日中、空を見て、太陽を浴びて、風を感じて、海で泳いでいた。


何時しかその姿はさらに大きくなった。

彼は、島を食べることに挑戦したのだ。

その挑戦は一年続き、二年続き、五年、一〇年、果ては一〇〇年続いた。

そして亀は島になった。

巨大な巨大な島である。


そうして、島のごとき巨体の彼は、泳いで、彼の元々住んでいた島々へと帰っていった。

そこで、かれは海に浮かんで、一つの島として、太陽を浴びながらのんびりと過ごすことにした。

何時しかその背には木が生え、草が生え、鳥が住み着いた。

彼は、それを喜び、そして島として、長き世界を茫洋と生きることに満足していた。


騒がしい音が彼の眠りを覚ました。

彼の背が燃えていた。彼の島が揺るがされていた。

一体なにが起こっているのか分からなかった。

しかしやがて、ようやく何が起こったのか、彼にも理解出来たのだった。

それは攻撃だ、それは彼の楽園を揺るがすエゴであった。

それは天使とも、あるいは堕神とも、天上の神の戯れとも伝わるが、詳細は不明であった。

ただ、その後に残ったは、一匹の亀。亀は全ての住民を失った。

亀の背は、丸裸になり、その上、亀の背に二度と、緑が芽吹くことはなかった。


亀は、亀は生まれて始めて、陽に当たる喜び、何かを食べる喜び、鳥の歌声、さざなみと風の合奏音に耳を楽しませるということ、

それら以外の感情を得たのだった。

それは怒り、それは憎しみ、亀はそれを忘れなかった。1000年経とうとも、2000年経とうとも。


そうして、後年、彼は奇妙な小さな生命に出会う。

それは光り輝き、傲慢で、それでいて美しい生命だった。

そしてそういった存在が集まっていた。奇妙な集団だった。

亀は彼らに誘われて、彼らの目標に従うことを善しとした。


亀の背に再び、喧噪が戻り始めた、亀は喜んだ。

いつの間にか、『霧』が彼を包み込んだ。

『図書館』が彼の広い背中に立った。

大きな歩く木が一本立ち、鴉が群れるようになった。

亀も初めて見るような大きな蟹が、背中の一部分を占め。

さらに大きな巨大な竜が降り立ち、何時しか工廠なるものが何棟か立ち並び始めた。

小さなものたちは、協力して、亀も存在は気付いていた外の【力】を使って、

亀の背中に再び、緑と生命を取り戻した。

そこを、大猿が闊歩し、蝙蝠が泊まり、象が歩き、蟻が墓石を立て、

馬面の元神、革命家を自称する元天使や、下馬上人のキメラ。

獅子に、虫、花に、妖精、巨人に、鬼、海月に、蜥蜴人に、竜人。蟷螂に、悪魔。

犬人、粘状生物、人間や、魔族、多くの人形が暮らし始めたのだった。

それはとても賑やかで、とても騒がしい日々だった。

それで亀は喜んだ、嬉しかった。日々に飽きることがなかった。

蟹と語り合うのも、竜と笑い合うのも、誰かと話すのも、何もかもが楽しかった。

彼にとってそれは生まれて始めて経験することであったのだから。


やがて、大亀もまた、天に昇り、予定されていた戦いに臨むこととなった。

多くを守り、多くを休ませた彼は、皆が傷つき己もまた、傷ついたのだった。

四匹の魔将が命を散らし、それを心に痛めた大亀は、生まれて初めて嘆き泣き苦しんだ。


そして戦いは終わり、彼も海へと降りたった。

皆と別れを告げ、時折かれらと会うことを楽しみに、

今も亀は、どこかの海を島として彷徨っていると伝わる。


これが亀にまつわる一つの伝説。


古い古い伝説である。


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