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回想 同窓会 敵意





新暦1622年 死の月。


大陸南方、ゴルシュナメルク島にて。



四方を絶壁に囲まれ、激しい潮流に護られているゴルシュナメルク島。


幾つかの伝説の舞台となった経歴の他に、何も持たないこの島。

多分これからも歴史の表舞台に立つことはないであろう小さな島だ。


至近の半島には漁民がおらず、

遠く漁をたしなむ者たちも、潮の流れ、波の激しさからこの地へと至ることは決してないこの島。

遠く、忘れ去られたノートのような、

あることはある、しかしもう二度と陽の目を見ることはないだろうその島に、

この日、幾人幾匹の客人が訪れていた。



島に居住する鳥でもなく、は虫類でもなく、虫でもない、大きな知性持つ生命体が幾つか。




何もかも阻むかのような島の奥の聖堂に、彼らは集う。


島でただ一つの建築物であるその聖堂は柱が巡らされ。

その上に天蓋が置かれている。


柱も天井も草木に覆われ、自然の揺りかごといった様相の、


島固有の樹木に囲まれた、古い建築様式の聖堂だ。





そこに動く影が八つ、密やかな同窓会、あるいは密談を執り行っていた。



その影の内の一人、人型の身体を持つ一名が落ち着いた様子で他の七名を見渡している。





「さて、実はねデンザロス。 私たちが集まった理由は、貴方の頼みを聞くためだけじゃないのよ」


金の長髪、薄緑の見るからに繊細な衣服。

トーガのようなそれのみを身に付けた、女神のような雰囲気の長耳族。

彼女が淡々と言葉を放った。


その長い耳には一切の汚れがなく、ピンと立ち、誇示されている。

それは美しく形よく、なによりも如実に、彼女が長耳族であることを示していた。


柔らかな物腰で、

古い時代に使われたであろう、寝台のような椅子に座り、彼女は、他の者を窺っている。


身振りに粗野なところは一切なく、その口から生まれる言葉も、雨の滴のように色めいて自然だ。





彼女の言葉を引き継ぎ、黒い鳥が、羽を広げた。


「ハナスベキコト! アルヨ!」


カー、と鳴いて言葉を締める鳥。


その姿は、一見なんの変哲もない『鴉』。


黒羽は、涙を湛えた乙女のような艶やかさ。


濡れたような鴉羽の艶色美を見せつけるように『鴉』は両翼をさらに広げ、

客人の一人――先頃、己の肉体を縮小化させ、身に付けた紋章を新しくしたばかりの蟹――の背中に乗る。


『鴉』である彼の口から響くのは、しかし人間の成人男性の声音。


どこかおかしなその鴉は、毛繕いするような嘴の突っつきを蟹の甲羅に浴びせかけている。


彼なりの独特のコミュニケーションだ。

常頃、蟹はこのコミュニケーションを嫌がっているが、『鴉』にはやめる気配は全く見えない。

1000年経っても全く変わらぬコミュニケーションに、ある種の感動さえ蟹は覚える。



「話したいことなぁ」


いかにも嫌なことを聞いた、という調子で声を聞くのは突っつかれている蟹――デンザロスである。


――この面子でわざわざ? 相当にきな臭い。


と蟹は思念を及ばす。

人の顔がもし蟹にあったもなら、露骨に嫌だ、ということを表情で主張していたであろう。





「事件」


蟹の質問に端直に答えるのは『人形師』と呼ばれる存在。


全身をローブで覆った彼は、己の自慢であり全てでもある、奇跡の完全自律人形を五体。

これみよがしに侍らせていた。


人間と寸分違わぬ構造と機能。

見た目も人間そのもの、その知性においても人間に匹敵する究極の自動人形。


『人形師』ゲウーネェフの持てる知識と技術全てが注ぎ込まれたであろうその人形たちは、一切の表情を変化させず、当然のように、『人形師』の傍に付き従い、己の主の挙動を、細部まで注視している。

主の些細な望みに、確実に対応できるように、と。



先の女性長耳族――『智慧』キュリエルと同じように、寝台に腰を落ち着かせている彼の表情は、ローブに覆われて確認できない。




「至急解決。必要」


ぽつりぽつりと、低い声がぶつきりに会話を進行させる。



他の影、即ち、場に集っている客人は、事態の進行をただ見守っているのみ。


『四つ耳』リューレアーは、聖堂を支える円柱の一つに背をもたれ、己の小さな身体を伸ばしながら、

眠たげな表情で、欠伸をするように、にゃ~、と鳴いている。


『無貌』チャルデルラスは、膝を地面に突いて、

土下座をするような体勢で、腕のみを天上に伸ばしたまま動かない、彼の日課である祈りだ。

その日課は平均して。一日14時間行われる、飽くことなき狂信者の祈祷である。

しかしそれを気にする者はこの場には一人も存在しない。


『海王』と呼ばれる魔将は、その膨大な触手の一本のみを海底からこの場に伸ばし参加している。

そのため彼は複雑な挙動がとれない。うねうねと動く、巻き貝の触手は、

リューレアーの子供めいた体よりも太く、弾力を持ち、どこかなめらかな白色の光沢を放っている。

存在感はピカイチだ。

その彼は、時折触手を動かして、なんらかの意志を伝えようとしているようだった。

不思議と意図がわかるのが不思議といえば不思議か。




彼らはこの場において、会話に積極的に参加する気は微塵もないようだった。

観劇に招かれた招待客のような不遜さで、ことのなりゆきを、ただ静かに見守っていた。


そもそも『無貌』に至っては外の世界の音が聞こえているかも怪しいだろう。

世界を理解し、干渉し、確かめながら、そのうえ己の魂をも確かめる、深い深い瞑想。

魂の奥の奥、魂自体が元々は絶対なる神の一部であったという事実への感謝を捧げるように、

己の魂の、そこに満ちる【力】の奥、小さいな孔を探すように、心を静めている彼に、届く言葉はありえない。




ただ最後の一人、

『賢者』のみが、『鴉』や『人形師』、『智慧』の言葉に耳を傾け、発言の機会を窺っていた。


見事な円錐型の一本角を額から、天上に向けてそびえ立たせている彼女は、精霊種の一種族「有角人」だ。


この世の全ての書に通じ、科学と哲学をこよなく愛し、実験と実践を友とする狂人一歩手前の烈士。


小ぶりな眼鏡。理知的な瞳の色。綺麗に伸びた背筋。膝の上に重ねられた両手。

落ち着いた学者のような佇まい、冬の雪山から流れるてくるような静かな美。

知識人めいたその顔かたち。


だが貌に浮かぶのは月を割ったかのような狂笑。


落ち着いた知性を感じさせる美貌の上に置かれるのは、

世界の全てを嗤い、解体して、飲み込もうとするような欲望の笑み。





「いやぁ、やっばいんだよねぇこれがさ!」


その見た目とは反するような、無軌道に高い声の調子。

『賢者』が取り出すのは、一冊の書。

危機感の全く感じられない高い声が、面白がるように弾んでいる。


エンゲルス・バッキオス著『神話・物語録』

『賢者』が掲げる書の名である



「ううむ、俺が字を読めないと知っての処遇だろうか、 ……そもそも本を手で取れないのだが?」


言い、デンザロスは鋏を持ち上げ、ひとはさみ。己の鋏をアピール。

知らないわけがないだろう?という蟹の面差し。


その蟹の上で『鴉』が背中を歩き回る。

『無貌』の喘ぐような祈りの声――恍惚と陶酔の声が聖堂に低く流れている。

嫌になるほど神秘的なBGMだ。


知ってるよ! と弾んだ表情の『賢者』が、ただ一人、小児の如き快活さで場にある。


「相変わらずの蟹っぷりだなぁ! デンザロス。1000年経っても君が蟹のままでうれしいよボクは」


「貴様に喜ばれるために、俺は蟹であるわけじゃあないんだがな」


――というよりも蟹以外に変化するわけなかろう?


とんだホラーだ。と肩をすくめる蟹。

この場合はすくめるのは甲羅であろうが。


場が温まってきたことを察知したのか『人形師』が、手を軽く上げる。


それに呼応するように『人形師』の自律人形が動き出し、『人形師』の肩を揉み始めた。


同時に、海王の触手を磨き始める者、、猫と長耳族と蟹と有角人に茶を出す人形も現れる。





「続き」

「ガァーー」


と『人形師』と『鴉』の先を促すような声。


静観するように『智慧』と『四つ耳』は出された茶を飲む。



蟹は出されても飲めないのに目前に出されている茶碗を見る。


鋏を傾げる。


その後、『人形師』の方をじと目で見つめる。


『人形師』は、気にするなサービスだ、と腕を振り。


蟹は、改めてその茶碗に眼を向ける。


そしておもむろにそれを鋏で叩き潰し。破片が飛び散り。茶が流れ出る。




「そうだねいい加減、話をはじめようか」


有角の女性は、息を吸い、どこかゆるい、ふざけた雰囲気を収める。


場に突如として緊迫の空気が現れる。


遠く鳥の鳴き声、猫のあくびの音。


割れた湯飲みを片付ける人形の作業音が、ざっ、ざっ、と響いている。



……


…………



「なにかが蠢いている」


そして、生まれた言葉は、宙に漂ったまま動かない。


必要以上に不明確で、抽象的な言葉であったから。


だが、有角人の表情は深刻である。この上なく真面目である証だ。

なによりも、『賢者』にとってそれはとても珍しい表情だ。


楽観と狂気を母に生まれたかのようなこの有角人のシリアスな表情。


つられるように、『鴉』は羽を広げ、『智慧』は厳しい表情で場を見据える。


『海王』の触手が急に激しくうねりを帯び、


『無貌』の詠唱はいつしか止まり、『人形師』が拵えた造られた被造美の人形は整列する。


『大蟹』は鋏をシャン、と鳴らし、『四つ耳』がにゃ、と呟く。







「なにか、とは?」


皆を代表して、質問をするのは蟹。


皆とはいっても、要領を得ていないのは蟹だけであったようだ。


『賢者』は、角を撫でながら事も無げである。



「敵だよ、敵」


「……まさか」


信じられない。と蟹。

真実だよ! と有角美人


「嘘をついてもしょうがないだろう? とはいえ確かに確証はないんだけどね」

「ならば、……なぜ」

「幾つかの推量材料から簡単に導かれたことさ」


ふむ、続けろ。とこの場にいる者の眼差しが『賢者』に集まる。


ひときわ強いのは蟹の眼差し。


要領をえないが聞き捨てのならない発言である。


敵、敵には最大級の警戒を、それが蟹の生き方でもあった。



「まず第一に、ここ数年、あるいは数十年、音信一切不通の何をしているのか、全くわからない奴が、私たちの仲間内に出てきたこと」

「それのどこがおかしいのだ?」


蟹の疑問。


「おかしいでしょ、『鴉』の情報網に引っかからないてことだよ? 蟹の旦那さんよぉ!」

「む……確かにそれはおかしいな」


でしょー! と『賢者』。

前言撤回、『賢者』の深刻な表情は最初だけであったようだ。


補足しておけば、基本的になにをするのも自由だが、強大な力を持つのが地軍という存在である。

なにをしでかすかわからず、なにかを企みかねない存在も多い。

無条件に善を至上とするような存在は、実のところ地軍にはそう多くない。

誰もが皆、個人的な欲望、個人的な問題意識や意図から旧神と戦ったのだ。

そこに絆はある。しかし無条件の信頼はない。

彼らは強大な力を相互に監視し、時に牽制している。


いまこの世界に生きるものに、その高すぎる力を振るい、欲望を果たそうとする者が出ないように、

『智慧』や『鴉』といった存在は、

誰が何処にいるのか、何をしているのか、それらの情報を出来うる限り集めて、管理しているのだ。


例えば、『死の悪魔』や、堕神であり元旧神の『大嵐』 元天使『白焔』などは特に厳しい監視を受けている。



そういった監視があるほかに、

地軍という存在は、近くに行けば顔を合わせ、定期的に歓談する程度には仲間意識をもっている。




つまり、数十年といったスパンで連絡が取れなくなること、位置がわからなくなることなど通常ならば、まずありえないのだ。



もしそれがあり得るとしたら、それは恣意的に味方から身を隠し続けているということに他ならない。


有角の『賢者』の話を助けるように、長耳族の『智慧』が口をはさみ、情報を補足する。



「こちらで把握してる限り、音信不通なのは四名『吸血鬼』『図書館』『百腕』『首なし』」


「まて、初めて聞く」


慌てたような蟹の声。


「そりゃあんまり外に出ないような連中はしらないだろうねっ!」


知らないのも当然だろう?と言うのは『賢者』


「しかしそれだけでは、「敵がいる」などとは……、発想を飛躍させているのではないか?」

「やあやあ、それだけじゃあないさ、ないんでさ! ないんでさー!」



癪に触るようなテンションの高さ。


「うざいぞ」 


思うに留まらず蟹は、口から泡と一緒に心の中で思ったことを条件反射的に呟いていた。



「うん、ごめんねー! そこで問題はこれさ! この本。ブック! ルック!」


テンションの上がり方は留まるところを知らない。

数秒前の蟹の言葉をてんで意に介していないその様は。

蟹が己の言葉が通じているのか不安になる程である。


とはいえこれが『賢者』の平常運転である。恐ろしいことに。


――全く進歩していない……


と蟹が考えるのにも無理はなく、『賢者』のともすればお寒いような一人舞台は、止める者もおらず、そのまま続く。





『賢者』が先ほどかざした書を再び、かざす。


「エンゲルス・バッキオス著『神話・物語録』!」

「バッキオス!」


蟹は驚く、それは純粋な意味での驚きである。

つまり昔の知り合いが作家になったことに素直に驚く元同級生の体だ。


その驚きの理由は簡単。


エンゲルス・バッキオスとは歴とした魔将の名であるからだ。



その二つ名は『図書館』

その本体は図書館、意志持った巨大図書館の魔将である。


独自のコミュニケーション方法をもった、かつての地軍の本拠地でもあった魔将。


蟹の驚きには、図書館が図書館自ら本を作るという行為への奇妙な感慨が多分に含まれているのだ。


そして音信が不通であると『智慧』の報告した魔将の内の一人である。





「ううむ、まさか『図書館』が本を書くなんてなぁ」


少しずれたところのある、蟹は素直におどろいている。

心なしか、鋏が震えているように見えるのもそのためだ。



「うむ、本を生む図書館、書き手要らずの画期的な図書館じゃあないか」


蟹は、暢気にそう言って、何か問題でも?と

本を手に持ってぶんぶん振り回している『賢者』の方を見た。


しかし声が放たれたのは横合い、『智慧』からである。


「……問題おお有りよ、音信不通の『図書館』が書く本よ?」



頭が痛い、といった様子の『智慧』。顔色が著しく悪い。


『智慧』は頭痛の持病を持っており、古い時代にもよく頭痛を催していた。と蟹は記憶している。


その持病はなぜかこうやって皆で集まるときによく発症するようで、蟹はその度に純粋な心配の念を送っていたのだ。





「この中に書いてあることが問題なのにゃ」


助け船のように、声が外から飛んでくる。


リューレアーが円柱の傍で丸くなりながら蟹を見ている。


知っているのかリューレアー! と蟹は彼女を見やった。


「カニさんが洞窟で眠り込んでいる最中に読んだにゃ、ベストセラーだからにゃ」


「この内容はねぇ、僕たちのこと! 僕たちの特徴、僕たちだけしかしらないような時代の話、それが沢山載ってるのさ」


「……つまり?」


信じたくないが。


「利敵行為!それ以外のなにものでもないね!」

「本当か?」

「ええ、信じたくないことだけど本当よ、この本のせいで、私たちの活動の幅が狭められていることは間違いないわ」


「最近は僕たちの知名度もぐんぐん上がっているところさ! 嬉しいね!

ありふれた教会の説法だけではなく、それまで埋もれていた魔将たちが沢山のストーリーを持って紹介されてるのさ、

本を読める層を中心に、ベストセラーだけあってかなりの速度でこの話が広がっているのは確かさ!」


君なんて元の姿だったら、本を読んだ人には一目で正体ばれちゃうね、今だったら。


「……」


沈痛なデンザロスの沈黙。

図書館が乱心したのか、あるいは


「なにものかが彼の意識に干渉しているか、だね」


僕はその可能性が確かだと思っているよ。と『賢者』


「なら、『図書館』は敵の手に落ちた、と?」


「うん! と言いたいところだけど、そうは言い切れないね、残念な、いや幸運なことかなこれは」


「どういうことだ角付き」


「簡単なことさ鋏持ち! この本が完璧じゃあないってことさ」


ごほん、とわざと咳き込み、胸を張って、角を威嚇するように上げる。


そして蟹の方を見下ろしながら、笑顔で会話を続ける。


広くもないが狭くもない聖堂に、潮と緑の空気が風と共に流れ込んでくる。



一瞬の沈黙のあとの嬉々とした『賢者』


「例えば、僕たちのこの列伝も、全てのことが細かく書いてある訳じゃあないし、

書かれている伝説にしたって、量はあるけど、その大半は僕たちに全く関係ない伝説だからね。

それと、僕たち自身のことじゃなくて、僕たちに関わるかもしれないという程度の伝説。

間接的に、婉曲的にしか関わらない話。象徴的な意味で、もしかしたら僕たちことかもしれないという程度の話。

そんなのも多いのさ。むしろそっちのほうが大半だね!」



「つまり完全ではない?」


「イエース! おふこーす! 『図書館』は広い意識を持っているからね、うん。

多分主要な意識は乗っ取られたか、相手の支配下に入ったんだろうけど、

その全てが入った訳じゃあないんだよ! 

元々面積に比例するように意識も広い奴だしね。

自分の記憶を製本して、記憶のスペアにしてる奴だよ?

意識のスペアだってあってもおかしくないし、

少なくともただで乗っ取られるとはボクには思えないね!」


「情報が部分的だったり、示唆的だったり、概略的なのは、抵抗の証であると?」


「そうじゃなきゃこんな半端な内容で出さないよ! これはこっちがかなりやりにくくなる以上、

つまりこれまで以上に人目につきにくくなることを考えると、間違いなく僕たちに対する嫌がらせだからね!

効果を半減させる意味なんてないんだよ」





しばしの空白。

蟹は情報を改めて咀嚼し、整理する。


『賢者』は、席に座り、茶を飲んでいる。


『鴉』が、デンザロスの甲羅の上でいつの間にか寝ていた。


『智慧』は、なにをするでもなく目を瞑っている。


『四つ耳』は件の書を手にとって読んでいる。


『無貌』は沈黙したまま、地に跪いて、頭を垂れている。


『人形師』と『海王』がチェスを指して遊んでいた。

人形を介して、駒の感触で場を判断しているらしい『海王』が優勢であるようだ。






「厄介な……」


蟹が再び口を開いたのは、数分後のことであった。

鋏は、力無く地面に横たわっていた。


「うん、厄介なことさ、このことを話し合うために僕たちが集まる必要があったわけなんだ!」


「だから貴方の頼みは渡りに船だったのよデンザロス。こういう時でもなければ私たちは皆、集まる機会もないのだから」


「背後に、蠢く者、か ……見立ては?」

「多分堕神じゃあないかなぁ、迷宮を造らず、地上を逃げ回ってる元旧神連中」


「隙を突かれたか、あるいは正面切ってやられたか」


「もしかしたらそのどちらかもしれないよ!」


「で、俺はどうすればいい」


「うん! これを」


渡されたのは手紙。書状。


「君は冒険者として生きるんだろう? それも中央迷宮に行くっていうじゃあないか!」


これ幸いなのさ! とテンション高めな『賢者』 眼鏡がずり落ちている。


そもそも――なぜコイツは先ほどから語尾を強めているのか?


わからん俺にはわからん。


蟹の懊悩を尻目に、角を振り回すように話続ける『賢者』





「この手紙をね、渡して欲しいの中央迷宮に、エミダリにいる『騎士』に、

あとはぁ! 内に籠もって出てこない魔将連中に会うことがあるならぁ!、話したことを伝えてくれるとボク嬉しいな!」


『賢者』は笑って蟹を叩き。

その衝撃で『鴉』は目を覚ます。




「オワッタカ! オワッタカ!」


カァー! カァー!と『鴉』の鳴き音。

話を改めて聞いたらしい『海王』は触手を上下に振り、理解を示し。

『人形師』は立ち上がり、己に従う美麗の侍女人形群を連れて、聖堂の奥、地下にある寝室へと入っていく。

『四つ耳』は、飛び上がり、身体を伸ばして、己の耳を二三撫でて、にゃあ。と言いながら今度は毛繕いを始めている。

『智慧』と『賢者』も連れだって地下室へと歩き始める。



よろしくお願いね。お願いするよ!とこちらを一瞥する二人も、多分『人形師』と同じように、それぞれの寝室に下りていったのか、予め蓄えてあるらしい食事を摂りに向かったのだろう。



と、途中で『賢者』が振り向いた。


「ああ、そうだ連絡は『鴉』とか、『人形師』の人形で行うことにするからね、あしからず!」


そして地下へと降りていった。






ただ一人、蟹は先ほどの会話に思いを馳せている。


(『吸血鬼』『図書館』『百腕』『首なし』)


仲間の名と姿を思い浮かべる。


思いとともに湧くのは想い。


黒く、溶岩のように、蟹の底で湧くのは醜い怒りの情念。

暗いそれを、面には出さない。

努めて深く深く底に仕舞う。


『智慧』にしろ『賢者』にしろ、似たような気分だろう。

かつて地軍として、共に戦った我ら四六名。

姫を頂点としたあの輝かしい時代を共に過ごした仲間。


全員が親友とは言えぬ、全員が朋友とも言えぬ、所詮、危機の前に手を結んだ同盟者のようなものなのだから。

だが、苦難を、危機を、喜びも、悲しみも共に乗り越えたことも確かなのだ。

そこに絆はあるのだ。太くなくとも、蟹にも、皆にも絆はあるのだ。


少なくとも蟹はそう信じていた。


蟹も、猫も、巻き貝や、長耳族にも、それに似た考えはあるはずなのだ。、

ならば一体どうして、仲間に危害を加えているかもしれない存在を看過することが出来るのか。


蟹は、ふと見ると、『無貌』が傍に立っていることに気付く。


のっぺらとした、まるで張り付けたかのような顔のパーツ。部品、表情。

一切の変化を見せず、静止したままの表情で、人形のような瞳をこちらに向けている『無貌』




「偽りの向こうにこそ神はありけり、


神を気取りし地獄の蠅の如き面罵必定の落ちたる偽神。


宿りし思いを捧げるには高く、甲殻を震わせるには低いものなり。


汝、迷宮と霧中の幻影を思うことなかれ、見るな、祈るな、心を燃やすな。


信じろ、そしてなすべきことをなせ」




言っていることが、蟹に全てが理解できたわけではない。


彼の発言は高踏を飛び越えて、印象を飛び越えて、


狂気の入り交じった思考の断片をそのまま撒き散らかすようなものだから。



ただ蟹は、そこにあった心を、感情を静かに汲み取った。

溢れ出る感情のまま、行動することは危険だ。鋏は持ち上げたら振り下ろさなければならない。

機会を考えるべきなのだ。理性持つ存在として、この狂気の神秘主義者はそう言っているのだ。


蟹の心配、もしかしたら死んでいるのかもしれないかつての仲間を想う心。


蟹の不安、もしかしたら操られているのかもしれないかつての仲間を想う心。



そういった、逸る心を見抜いての発言。


狂気の住人にまで心配されるとはどれほどわかりやすい蟹なのか己は。

そう自嘲めいた考えを浮かべつつ、『無貌』へと感謝を捧げるデンザロス。



「うむ、すまんな迷惑をかけた」


「おお神は空にいない。届かない、己の祈りの届かない。ああ、ああ、この世の奥深きに私は行きたい」


そう言って、『無貌』は外へ出て行った。

祈りの続きを行うのだろう。


それをぼうと眺めていた蟹の甲羅にポンッ、と乗る毛深い物体。


「まあそんにゃカッカすんにゃ、どうにかなるにゃ!」


ことを見守っていただろうリューレアーと


「オチツイタ! タノシイコトカンガエロ!カンガエロ!」


と蟹を突っつく『鴉』が後には残った。


見れば『海王』の触手もゆらゆら揺れて、蟹の身体を慰めるように揺さぶっていた。



「むう、余計なお世話ばっかりする連中だなぁ」



気を取り直した蟹が想うのはこれからのこと。


想像するのは冒険者。


想像するのは千年前となにもかもが違うこの世界。

そこで生きる己の姿。それを想う。


この世を再び生きると決めた己には、迷いも不安も必要ない。


蟹はそう考えて、これからさきの旅のことだけに心を巡らせるのだ。


不安はある。とはいえおいおい解決していくだろう。こちらには頼りになる友人が沢山いるのだ。


無用な心配は要らない、性格には問題のあるやつらばかりだが、蟹は信頼している。


だから、蟹は己の楽しみに素直にまっすぐに集中するのだ。それが流儀というものなのだ。






そして、いつしか聖堂には、


蟹の低い重低音の声と、猫の笑い声。


鴉の鳴き声と、狂信者の深いの祈りの音のみが流れ始める。



その音は、どこか暖かかった。









九烈士


『賢者』フィネイルゥ=アーサトナス


旧ダフドクロア南方域(現クローア防衛国)出身


精霊種の一種族である有角人の学者。

冷たい印象の理知的な美人だが、その性格は極めてアッパー。

しかしその知謀は間違いなく地軍随一である。

地軍の知恵袋の一人であり、万学博士の異名を取る。


元々は、魔王領に接していた東方の大国ダフドクロアの大学府学長であり。

同時にダフドクロアの儀式大家として、

魔王率いる軍勢を、三度一人で食い止めた紛う事なき英雄である。


遙か西方シーベネシアから、モレサス、エミダリアと、

破竹の快進撃を続けてきた『有角姫』の前に最後に立ちふさがった相手でもあり、

彼女の指揮した三万の軍勢は、『有角姫』率いる一五万の軍勢を三日食い止め、

一度は『有角姫』に死の恐怖を味合わせたとされる。


その会戦ののちに躊躇なく『有角姫』に帰順。

以降は、面白そうという理由のみで天上戦争にまで文句一つ言わずに付き従った。


地軍においては、『魔王』『人形師』らとともに作戦立案を担当。

同時に『四つ耳』や『鍛冶』『小鬼』ら三工人の魔具開発にも協力。

また天上戦争においては、後衛として多くの戦闘に参加。

戦争を通して、神四柱を屠ったとされる。


新暦においては『知恵』の神として信仰される。

元々『智慧』と渾名されていたキュリエルがいるので、この辺りの渾名の変遷は後の世の多くの神父候補をテストで苦しめることとなる。

現在は、世界中を気の向くまま、旅をしているとも、南方の島に密かに隠れ棲んでいるとも伝わる。








『智慧』キュリエル=ロンリエ


大森林の出身とされる。


太古から続く有力長耳族氏族の族長の娘であったと伝わるが、詳細は不明。

歴史の面舞台に現れたのは旧暦6030年頃。

ティオニソス反逆帝の一代帝国において宮廷魔法士としてであった。

その時には既に永き時を生きた長耳族――高位長耳族であったとも伝わる。


ティオニソス帝が崩御し、その後長らく歴史の面に姿を表さなかったが。

『有角姫』ネーベンハウスの『英雄進撃』と共に再び姿を表す。

一説によれば『有角姫』の教育役を務めていたとも、『有角姫』の才能を見込んだとも伝わるが真偽はわからない。


天上戦争では、地軍随一の儀式大家として活躍、神秘大家であったとも伝わる。

その世界理解は『大猿』に並び、また治癒刻印に、再生刻印に優れ、

多くの傷ついた魔将や烈士を救った。


新暦においては『平和』の神として厚く信仰される。

また医療や、病を司る神であり、魔導と魔法の理を見守る神とも伝わっている。

現在は大森林の奥深くで隠棲しているとされる。


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