街頭
少し蝉がうるさい夏の夜T字路でただ一つの街頭が佇んでいた。
私がその街頭と出会ったのは3年前の春、老後の日課である夜の散歩をしていたところもともと何も明かりのないT字路突如としてに薄い明かりを出したただ一つの街頭が静かに立っていた。いつも見る街頭とは少し古びていて、街頭から出る薄い光はフィンセント・ファン・ゴッホの『夜のカフェテラス』を彷彿とさせるような暖かく冷たさを兼ね備えて、その立ち姿は中世ヨーロッパの静かな町並みを感じさせるようなただ一つの古い街頭だった。「あの光を浴びてみたい」
私はそんな意味のわからない欲望にかられていつものルートから外れてT字路に大きく足を運んでみた。まだ春先で少し肌寒かった。だが、あの街頭薄い光に当てられた途端言葉に表せない温かさを感じて思わず足を止めてしまった。静かに撫でる風、それとともに当てられる温かい薄い光は薄灰色のキャンパスのような私の人生をすこし薄い橙色に染めてくれた。あの日から私は毎日欠かさずあのT字路に行ってはあの街頭の温かくて薄い光を浴びに来ている。しかし、ある日いつものようにあの街頭薄い光を浴びに言ってみたら街頭のポール部分が少し、いや過半数の塗装が剥げていて中から赤褐色のサビが顔をのぞかせていた。「これはまずい」私は久しぶりの焦燥を感じた。あの街頭がこのまま錆びて崩れてしまえば今まで浴びてきたあの温かい光は、妻を亡くして薄灰色だった人生を照らしてくれたあの光はなくなる。私はこれがたまらなく怖かった、私は優しくポール部分に手を当て決意した。「全資産を使ってまで絶対に街頭を治す」私は妻を亡くし、子もいないあの時の私の街頭に対する感情は意味を持たない愚痴を受けて止めてくれるある意味親友以上の感情を持っていた。それ以上何かを失うのが怖かった私は自分勝手に業者を雇ってまずはポール部分のサビを落とし、そして全体的に新たに塗装を施した。生まれ変わったような姿わ見せる街頭、私はある種の達成感に心を満たされた。今までの感謝だ、街頭を絶対に守る!私はそう決めた。あれから私は街頭のありとあらゆる小さな、細かなサビや欠陥を見つけては直しその上には新たな塗装を施した。嬉しかった、私を癒やしてくれた街頭をついに恩返しができたきっと喜んでいるに違いない。私の嬉々とした声とは裏腹に街頭の光が日に日に弱くなり続けた。原因はわからないそこで私はついに街灯の中の電球を新しいものに変えた。その時の私は愚かだった、なぜなら電球を替えた翌日にいつものT字路につくと私が最初に出会った街頭とは全く違う物となってしまった。あの温かさに冷たさをも兼ね備えた薄い光はもうなく、あたらしい最新の電球によって眩い光を放ちながらゴウゴウと燃えるように光っていた。そして最初に見たあの古びて儚さを持つ街頭の面影はもうなく、新しい塗装に塗られた街頭が凛々しく立っていた。
私が今見ている、自分勝手な達成感にまみれ直しをされた新しい街頭は果たして本当に私が癒やされたあの儚い街頭なのか?私は愚かだ、本当に馬鹿だった。自分が癒やされたのは、愛していたのは今の真新しい街頭ではない。あの儚さが、あの温かい薄い光が好きだった…。なのに自分勝手な達成感で余計なことをしたせいでもうあの古びた街頭は二度と戻ってこない。
私は泣いた、ただ泣くことしかできなかった…。今までの過ちを謝るように、悔いるように声をあげて泣いた。
3ヶ月がたった夏の頃、私はいつものようにあそこの街頭を眺めている。もうあの光は浴びれない…私はただあの日の後悔を独り言で黙々と言うことしかできなかった…。
真新しい街頭が私の耳にある蝉の声を遮るようにただ凛々しく立っていた。
解説
テセウスの船は御存知ですか?テセウスの船とはある物体において、それを構成するパーツがその一部またはすべてを置き換えられたとき、過去のそれと現在のそれは「同じそれ」だと言えるのか否かそういうパラドックスです。「私」が街頭に加えたのは新しい塗装と電球だけで街頭の本質は変わっていない、なのに「私」はそんな真新しい街頭からは昔に感じていた温もりを感じ取る事ができなかった。
なら、どこまでが「私」が癒やされた街頭なのか。テセウスの船のように全部は置き換えてなくても「私」は街頭の決定的な何かを置き換えてしまったそれは街頭のポール部分なのか、それとも電球部分なのか…。




