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7 悪夢と灯火


眠らない星々が夜空を彩る深夜。

静寂に包まれたローズベリー家の一室で、ジャックは深い眠りについていた。


「……うぅ……っ」


不意にジャックは苦悶の声を漏らした。眉間に皺が寄り、薄っすらと汗が滲み出している。普段はあまり感情を表に出さないジャックだったが、今の彼は明らかな動揺と恐怖に苛まれていた。


『何故、彼女はこんな魔族との子を産み落としたんだ……』

『あの女が死んだおかげで、お前の世話を押し付けられていい迷惑だ!』


脳内に響く罵詈雑言、心無い嘲笑、暴力、屈辱。それは幼少期の記憶であり、彼が最も忌避している過去のトラウマであった。まるで時間が巻き戻り、当時に戻ったかのような錯覚を覚える程、鮮明かつ残酷な映像が繰り返しフラッシュバックしていく。


「母さん……!」


最後に助けを求めた相手は、物心つく前に病に倒れ亡くなった実母の姿だった。しかし、伸ばした手は虚空を掴むだけであり、助けを求める声も虚しく空に溶けていく。

そんな無力感と孤独感が、更にジャックを追い詰めていく。


『この悪魔が……!』

『役立たず!』

『化け物め!』


「違う、俺は……!」


否定しようとするも、身体は金縛りにあったかのように動かない。心臓の鼓動だけがやけに大きく響き渡り、息遣いも荒くなっている。

必死に意識を集中させ、現状からの脱却を試みる。そして遂に、深い闇の底に沈んでいた意識が、突然断ち切られ現実へと引き戻された。


「……はぁ……はぁ……!」


ジャックは荒い呼吸を繰り返しながら、上体を起こした。全身は酷く汗をかいており、衣服が身体に貼り付いている。心拍数も激しく脈打ち、手足は小刻みに震えている。


「ッ…クソッ……」


舌打ちを一つ零し、乱暴に前髪を搔き上げる。額には玉の様な汗が滴り落ちているが、それを拭うことすら億劫だった。

時計を見れば、夜明けまではまだ相当な時間がある。しかし、到底眠れる状態ではなかった。


「…ジャック?どうかしたの?」


不意に扉が開き、ミリアーナが心配そうに顔を覗かせた。どうやら、ジャックの呻き声を聞いて様子を見に来たらしい。


「……別に…何でいるんだよ」

「喉が渇いたからキッチンに行こうとしたら、ジャックの部屋から唸り声が聞こえて様子を見に来たの。酷く魘されてたわよ?悪い夢でも見たの?」


心配そうな面持ちで尋ねられ、ジャックは視線を彷徨わせる。


「……何でもねぇよ」


素っ気なく返答したものの、その瞳には隠し切れない怯えが見え隠れしていた。


「嘘、全然大丈夫じゃない顔をしてるわ」


ミリアーナは心配そうに問いかける。ジャックはそれを無視しようとするが、どうしても反応してしまう。ミリアーナも引くつもりはないらしく、更に質問を続けた。


「どんな夢だったの?少しでも話せば楽に…」

「うるせぇよ…!…お前には関係ないだろ……」


遮るように放たれたジャックの声は怒気を含んでいた。しかしそれは、無理矢理絞り出した苦し紛れの言葉だと、ミリアーナは容易に見抜いていた。

そして、ジャック自身もそのことに気付いていた。だが、それでも尚、彼は強がるしか無かった。弱い自分を晒したくないというプライドと、拒絶される恐怖が、心の奥底に根深く巣食っているためだった。


「関係あるわ!だって私は貴方の主人だもの!」

「……!?」


突如として大声を出され、ビクリと肩を震わせる。予想外の返答にジャックは困惑していたが、ミリアーナは真剣な表情を崩さず、しっかりと視線を合わせる。その双眸はまるで、全てを見透かしているかのようだった。


「…今は話さなくてもいいわ、せめて何か温かいものでも飲みましょう?」

「……」


強引な提案だったが、それでも尚ジャックは拒絶しようと身を強張らせる。しかし、彼女はそんなことはお構いなしに、ベッドへ腰掛け優しく微笑んだ。


「……ほら、行きましょう」


差し伸べられた手を凝視したまま固まる。やがて意を決したように、ミリアーナの手を取り立ち上がった。

二人は部屋を出てキッチンへと向かう。足取りは重いが、それでもしっかりと前へ進んでいた。

階段を降り、廊下を抜け、キッチンに辿り着くと中には既に明かりが点いていた。扉を開ければ、エプロン姿のエマが朝食のための仕込みを行っていた。


「あれまぁ、こんな時間にどうしたんです?」


優しく微笑むエマに、ミリアーナは事の経緯を説明する。


「そういうことなら任せて頂戴。すぐ準備するから待っててくださいね」


エマは厨房の隅にあるミルクパンを取り出し、牛乳を注いだ。鍋を火にかけながら蜂蜜の入った瓶と、いくつかスパイスの入った容器を用意する。

牛乳が沸騰する寸前で火から下ろし、丁寧に蜂蜜を掬い入れる。次いでシナモンやカルダモン等を少量加えて味を調える。

鍋の中をスプーンでひとかきすれば、ふわりと甘い香りが漂ってきた。

完成したホットミルクを二つのカップに注いで、テーブルに置いて優しく微笑んだ。


「はい、どうぞ」


ジャックはそれを手に取り、恐る恐る口に運んだ。温かさと共に優しい甘さが広がる。その瞬間、張り詰めていた緊張の糸がほんの少しだけ緩んだ気がした。


「美味しい〜。流石エマさんね!」

「ふふふっ。お代わりもあるから遠慮なく言って頂戴ね」

「うん、ありがとう」


二人の会話を聞きながら、ジャックは黙々とホットミルクを口にする。徐々に落ち着きを取り戻してきたのか、表情から険しさが消えていた。


「落ち着いた?」

「あぁ……」


ミリアーナが尋ねると、ジャックはこくりと頷いた。その様子を見てミリアーナは安堵した表情を浮かべる。

暫く沈黙が続いたが、それを破ったのは他ならないジャック自身だった。


「……俺は何処に行っても邪魔者扱いだった」


掠れた低い声で、ぽつりと呟かれた独白にミリアーナは耳を傾ける。


「母さんは俺が幼い頃に死んで、父親は顔すら知らない。俺を育ててくれたのは親戚の家だが、何故かずっと嫌われてた」

「……」

「毎日罵倒され、殴られ、飯も碌に与えられずにいた……その内俺は奴隷商人に売り払われた」


淡々と語られる悲惨な境遇。その全てをミリアーナは黙って聴いていた。同情するでもなく、慰めるでもなく、ただ静かに彼の言葉を聴いていた。

しかし、それがジャックにとっては心地良かった。同情されることを苦痛だと感じている彼にとって、何も言わずただ聴いてくれる存在というのは、逆に救いになったのだ。


「今だって正直言えば不安でしょうがない。俺には魔族の血が流れている。いつまた迫害されるか分からないし、どうせいつかは一人になるんじゃないかって………」

「……」


ジャックの発言を聞き、ミリアーナは黙って俯く。


「所詮俺は、何処へ行っても邪魔者だ。…お前だって、いつかは飽きて俺を捨てるよ」


諦観と自嘲に満ちた台詞に、ミリアーナはゆっくりと口を開く。


「…ねぇ、ジャック」

「…なんだよ」

「貴方は自分が何のために生きていると思う?」


唐突な問いにジャックは眉をひそめ、怪訝そうにミリアーナを見る。


「はぁ……?どういう意味だよ……?」

「そのままの意味よ。貴方は今こうして生きているけれど、それは一体何のため?誰のために生きているのかしら?」


思いもよらぬ質問に面食らう。そもそも人生に目的を持てるような環境に居なかった為、答えなどあるわけもない。


「……知らねぇよ……正直今まで生きてるか死んでるかもよく分からなかったからな…」


感情を排したような平坦な物言いは、諦めと無気力を感じさせるものだった。

そんな彼に対し、ミリアーナは柔らかく微笑んだ。


「貴方に一つ、覚えていて欲しいことがあるわ」


優しく語り掛けるような声音で語りかける。まるで子供に語り掛ける母親の如き慈愛を帯びた声音に、自然とジャックの意識も惹き付けられていく。


「もし貴方が自分の為に生きられないなら、私の為に生きなさい」


凛とした響きを持った宣言に、ジャックは息を呑んだ。


「……は?」

「何度も言ってるでしょう?私は貴方の主人なのよ?つまり貴方の命は私のものと同じなのよ。だったら当然、私の許可無く死ぬことは許されないわ。」


傲慢且つ尊大な口ぶりだったが、不思議と嫌な感じはしなかった。それどころか、ミリアーナの言葉は暗闇の中に在る灯火の様に、仄かに暖かかった。

ジャックは信じられない物を見るかのようにミリアーナを見る。その瞳には猜疑心と期待が入り混じっている。


「……何だよそれ、馬鹿じゃないのかお前……」

「失礼ね。私は馬鹿じゃないわ!貴方の価値を理解しているからこそ、必要な人材として側に置いているのよ!」

「……」

「私は貴方を絶対に見捨てないわ。一人にはさせないし、蔑ろにしない。だから安心しなさい!」


有無を言わせぬ物言いで、断言するミリアーナの言葉は力強く、確固たる意志に満ち溢れていた。

彼女は本気で言っているのだという事が伝わってくる。


「このミリアーナ様に二言はないわ!」


堂々とした口調で言い放つ姿に、嘘や偽りは無かった。


「……ふっ……やっぱお前変だよ」


皮肉交じりの言葉とは裏腹に、どこか楽しげな様子で笑みを浮かべた。それは彼にしては珍しく純粋な笑顔だった。

その笑顔を見て、ミリアーナも嬉しそうに破顔する。


「ふふん、褒め言葉として受け取っておくわ」

「そうかよ」


何処か吹っ切れたような清々しい表情で、ジャックは肩を竦めた。

窓の外は徐々に白み始め、新たな一日が始まる兆しを見せている。朝焼け特有の赤みがかった景色は幻想的で美しくもあった。



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