6 兄姉
正午を告げる鐘が、鳴り響く頃。
ローズベリー家の庭園では、爽やかな風が木々の枝葉を揺らし、心地よい日差しが降り注いでいた。
庭園の中央に位置する東屋の、白い丸テーブルの上には、美味しそうなサンドイッチや、焼き菓子、フルーツなどが並べられ、ティーポットからは紅茶の芳醇な香りが漂う。
「うーん、美味しいわ!たまには外での昼食も悪くないわね」
ミリアーナは満足げな表情でサンドイッチを頬張った。隣に座るジャックはそんな彼女を一瞥し、無言のまま同じようにサンドイッチを口に運ぶ。
「おや、ミリアーナじゃないか」
不意に背後から声をかけられ、ミリアーナは振り返った。
そこに立っていたのは、ミリアーナの兄であるローガンと、姉のアイリスだった。
「お兄様!お姉様!お戻りになられてたのね!」
「ああ、ただいま。……彼が例の?」
ローガンは優しい微笑みを浮かべながら、ジャックに視線を移す。ウェーブがかった美しいブロンドの髪を一つに纏め、温和な雰囲気を漂わせている。そして碧い瞳からは、穏やかで優しい印象を与える。
彼は今年で18歳となり、ローズベリー家の嫡男として家督を継ぐ立場にあり、次期当主としての教育を受けている。
一方、隣に立つアイリスは兄とは対照的に、凜とした佇まいの美しい女性だった。亜麻色の髪を結い上げ、知性と気品に溢れるその姿は、誰もが認める美しさと言えるだろう。16歳という若さながら、すでに社交界では名の知れた才媛として名高く、貴族の間では数々の賞賛を集めていた。
二人とも王都にある学園に通っており、普段は寮生活を送っているため、こうして顔を合わせるのは久しぶりだった。
ローガンの問いかけに、ミリアーナはニコニコしながら大きく頷いた。
「ええ、彼はジャック!私専属の従者よ」
ミリアーナの紹介に合わせて、ジャックは軽く会釈をする。二人は互いに顔を見合わした後、改めてジャックに向き直った。
「はじめまして、私はローガン。ミリアーナの兄だ」
穏やかな声色で自己紹介をするローガンとは対照的に、アイリスは静かにジャックを見据えていた。その視線はまるで、品定めをしているかのようだった。
「……アイリスよ」
アイリスは淡々と名乗り、簡潔に終わらせた。どこか警戒しているような態度に、ジャックは僅かに眉をひそめる。しかし、すぐに平静を取り戻し、表情を消した。
「あのね、ジャックってば凄いのよ!一ヶ月で読み書きもかなり上達したし、計算もできるようになったんだから!それにロイドとの手合わせだって何度か互角に張り合ったのよ?将来有望だわ!」
興奮気味に語るミリアーナを見て、ローガンは柔和な笑みを浮かべながら相槌を打つ。
「へぇ、それは凄いじゃないか」
「でしょ?これなら魔物と戦うって時も安心だわ」
ミリアーナの言葉に、アイリスはピクリと反応した。
「……ねえ、ミリアーナ」
「なぁに?お姉様」
アイリスは真剣な眼差しでミリアーナを見据える。その表情は冷静ながら、どこか不安を帯びているようだった。
「…貴方、本気でその子と旅に出るつもりなの?」
「ええ、勿論よ!」
ミリアーナは即答した。その瞳に迷いはなく、真っ直ぐにアイリスを見据えていた。その眼差しを受けてもなお、アイリスの表情は変わらない。
「言っておくけど、外の世界は貴方が思っているよりも遥かに厳しい世界よ。魔物と戦うことは勿論、道中で命を狙われるかもしれないし、それに……」
「大丈夫よ。だってジャックが一緒だもの!」
ミリアーナは自信たっぷりに胸を張った。彼女の瞳に映るのは不安や恐怖ではなく、希望と信頼に満ちた光だった。
ジャックは、そんなミリアーナを静かに見つめていた。
「…彼は魔族との混血なのよね?本当に信用出来るの?」
アイリスが鋭い眼差しを向ける。その瞳には微かな疑念の色が滲んでいた。しかし、ミリアーナは一切怯むことなく答えを返す。
「ええ、ジャックは信用できるわ。私の直感がそう言ってるもの」
「……」
ミリアーナの何処から来るのか分からない自信と確信に満ちた眼差しに、アイリスは思わず溜め息を零した。
「…それだけじゃないわ。貴方はローズベリー家の娘として生まれたのよ。与えられた責務や家のことも考えなさい」
「わかってるわお姉様。でも、きっと外の世界には沢山の新しい知識や出会いが待っている筈よ。この家にいるだけじゃ得られない大切なことだと思うの。それらがきっと、いつかこの家や国のためになる筈なの…!」
ミリアーナの真摯な訴えに、アイリスはしばらく沈黙した後、静かに視線を落とす。伏せられた睫毛が僅かに震え、一瞬迷いを見せた。そして、小さく息を吐き出すと、ゆっくりと顔を上げた。
「……貴方って子は本当………好きにしなさい」
そう言ってアイリスは踵を返し、邸宅の方へ戻って行く。
残された三人は暫くその場で佇んでいたが、やがてローガンが口を開いた。
「アイリスは不器用なりに君を心配を心配しているんだ…」
「………ごめんなさい」
シュンとした様子で謝罪するミリアーナを見て、ローガンは苦笑する。
「君は昔から、夢物語のような事を平然と言う子だった。それでいて、一度言った事は絶対に曲げない頑固なところも……」
「お兄様……」
「きっと私達が、何を言おうと突き進むんだろう?なら、私は応援するよ」
「本当…!」
「ただし約束してくれ。生きて必ず帰ると」
「勿論、約束するわ!」
ミリアーナは力強く頷く。
すると、ローガンは安心したように微笑み、ポンポンと優しく頭を撫でた。
「ジャック。ミリアーナの事を頼むよ」
ローガンの言葉にジャックは静かに頷いた。その瞳は水面のように凪いでいたが、僅かに力強い炎が灯っているように見えた。
それを見て、安心した表現を浮かべたローガンは、アイリスの後を追う様に去って行った。
残されたジャックとミリアーナの間に、しばし静寂が流れお互いの顔を見合った後、どちらからともなく同時に口を開く。
「ねえ、ジャック」
「…なんだ?」
「ありがとう」
「何だよ急に。気持ち悪い」
「もう!人が素直にお礼を言ってるのに、なんでそんな言い方するのよ!」
ぷくりと頬を膨らませるミリアーナを見て、ジャックは呆れた表情を浮かべた。
「…言っておくが、俺は命令だから従っているだけだ」
「それでも感謝してるわ。貴方のお陰で私は夢を叶えられるかもしれないもの」
「……そうかよ」
ぶっきらぼうに言い捨てるジャックだったが、その声色には僅かながら温もりが含まれていた。そして、何事もなかったかのように、すっかり冷めてしまった紅茶を一口啜る。その口元は、ほんの僅かだが綻んでいた。




