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4 君と朝食


朝露が庭園の花々を濡らす早朝。

ローズベリー邸のキッチンから、カチャカチャと皿を洗う音と、パンを焼く香ばしい匂いが漂っていた。


「まったく!お嬢様は何を考えていらっしゃるんだか……」


メイド服を着た若い女性が、皿を拭きながらぶつぶつと独り言を漏らす。


「何処の馬の骨かも分からない子供を連れてきて、自分の従者にするなんて……前代未聞ですよ!」


愚痴をこぼしながらも手は止めず、てきぱきと朝食の準備を進めている。そして彼女の横では、壮年の女性が鍋の蓋を開けて中のスープをかき回しながら苦笑いを浮かべた。


「まぁ、お嬢様らしいと言えばらしいじゃない」

「エマさんまで!」


新人メイドのナタリーは不服そうに唇を尖らせる。そんな彼女の様子を見て、エマは優しく微笑んだ。


「ミリアーナお嬢様は昔から突拍子もないことを平気でなさる方だけど、それと同じくらい、何事にも一生懸命なお方だよ。きっと今回も、何か考えがあっての事なんだろうさ」


そう言って温かいスープをカップに注ぐエマ。彼女は長年ローズベリー家に仕えており、ミリアーナの奔放さにも慣れている様子だった。

しかし、屋敷に来てまだ日が浅いナタリーは、納得いかない表情のまま腕を組む。


「だからって急に奴隷を買って来るなんて信じられません!しかもあの髪と目……魔族の血が入っているんじゃないですか?気味が悪い……」

「ナタリー」

「っ!?」


鋭い眼光を向けるエマに、ナタリーはハッと我に返り、慌てて口元を抑えた。


「そんなこと言うもんじゃないよ。私たちが憶測で他人を差別するのはよくないことだよ」

「……すみませんでした」


反省するナタリーに、エマは穏やかに首を振る。。


「それに、例えそうだとしても旦那様は種族による差別などしない方だよ。そうでなければ、お嬢様があんな風に育つわけがないからね」


そう言われてみると確かにそうだ。ミリアーナはいつも活発で、分け隔てなく接してくれる人物だった。


「まあ、とにかく暫く様子を見ようじゃないか。お嬢様が認めたのなら、きっと悪い子じゃないはずさ」


エマの言葉に、ナタリーも渋々ながら頷いたのだった。


***


同時刻、ジャックは既に目を覚ましており、自分の部屋でボーッと窓の外を眺めていた。


鳥のさえずり、木々を揺らす爽やかな風、遠くで働く使用人たちの話し声。どれもが新鮮で、不思議な感覚だった。狭い檻の中で過ごしていた時とは明らかに異なる朝の始まりに、戸惑いながらも安堵している自分に気づいた。


(夢じゃないんだな……)




コンコン─── 。


不意に扉をノックする音が室内に響いた。

「ジャック、起きてる?」


ドア越しに聞こえてきたのはミリアーナの声だった。


「起きてる」

「良かった。朝食が出来てるから食堂に来てくれる?」


ジャックは「ああ」と短く返事をし、クローゼットから着替えを取り出した。綺麗にアイロンがけされたシャツは肌触りが良く、袖を通してみればサイズもぴったりだった。

着替えを済ませ廊下に出ると、芳醇なバターの香りとコーヒーの匂いが漂っていた。思わずお腹の虫がぐぅっと鳴った。その匂いに誘わるように食堂へ向かうと、既にミリアーナが席についていた。


「おはよう、ジャック」

「ああ」

「さぁ座って。冷めないうちに食べましょう」

「……俺達だけか?」


テーブルの上には二人分の食器と料理が並べられている。他の家族の姿は見受けられない。


「ええ。お父様は執務で忙しいから、基本食事は自室か執務室で取っているの。お母様も外交の公務で他国に行ってるから、当分は帰って来ないわ」


サラダを小皿に取り分けながら、ミリアーナは事も無げに言った。


「他にもお兄様とお姉様がいるんけど、寮制の学校に通ってて、週末ぐらいしか帰って来ないのよ」

「……ふーん」


淡々と語られる日常に、ジャックは曖昧に相槌を打つ。貴族の家庭事情など全く知らない為、相応しい返答が思いつかなかったからだ。


「さぁ早く食べましょう」


促されるまま席に着き、フォークを手に取る。焼き立てのパン、スクランブルエッグ、カリカリに焼かれたベーコン、彩り鮮やかなサラダ。どれもシンプルながら手が込んでおり、美味しそうな湯気が立ち昇っている。無言で食べ始めるジャックを見て、ミリアーナは満足げに微笑む。


「ほら、沢山食べて肉を付けなきゃ!せっかく顔が良いんだから、痩せっぽっちだと勿体ないわよ」

「…余計なお世話だ」


勝手なことを言うミリアーナを横目に、ジャックは黙々と食事を続ける。だが内心では、そんなやり取りすらも新鮮で意外と悪くないと思っていた。

こんな風に誰かと一緒に食卓を囲むのも、随分久しぶりの事だった。


他愛無い会話を交わしつつ食事を終えると、給仕をしていたメイド達が空いた皿を下げにやってきた。


「もう、こんな時間だわ。早速だけど、今日は勉強から始めましょ!」

「…勉強?」


時計に視線を向けながら、言い放ったミリアーナの言葉に、ジャックは怪訝な表情を浮かべる。


「ええ、まずは基本的な読み書きからだけど、文字は読める?」


尋ねられて、ジャックは素直に首を横に振った。元々、裕福とは言い難い環境で生まれ、奴隷商に売られてからも教育など受ける機会は全く無かった。


「わかったわ。じゃあ、まずは私が簡単な単語や文章を教えてあげるわ!ついてきて」


その提案に異論は無かったので大人しく同意し、ミリアーナの後に続く。途中、数人の使用人達から向けられる好奇と不信感の籠った視線を感じながらも、特に気にせず歩を進めた。


「着いたわよ」


そう言ってミリアーナが案内したのは、広々とした空間に壁一面の本棚が並ぶ、まさに書斎と呼ぶに相応しい部屋だった。本棚には歴史書や魔導書、文学作品などの多岐にわたるジャンルの蔵書が所狭しと詰め込まれており、インクと紙の独特な香りが漂っていた。


「ここで座って待ってて」

「ああ」


椅子に座り、手持ち無沙汰にあたりを見渡す。高い天井に吊り下げられたシャンデリアが、柔らかい光を室内に落としている。壁には高価そうな絵画や写真が飾られ、家具一つ一つにも細かな彫刻が施されている。

暫く待っていると、ミリアーナが何冊かの本を抱えて戻ってきた。


「取り敢えず絵本や簡単な読み物を持ってきたから、これを私と一緒に読んでみましょ」

「……わかった」


手渡された本は装丁が可愛らしく、挿絵が豊富に使われているものばかりだった。内容は童話や寓話など子供向けのものが中心のようだ。


「私が音読するから、ちゃんと見ながら覚えてね」


ミリアーナがジャックの隣に腰を下ろす。お互いの肩が触れ合うほどの距離に一瞬躊躇したが、ミリアーナは意に介さずページを捲っていく。


「昔々、あるところに王子様がいました。王子様は───」


ミリアーナの朗読が始まると、鈴を転がすような澄んだ声が室内に響き渡る。文節に合わせて丁寧に、時には感情を込めて語りかけてくる。

ジャックは最初こそ慣れない為、上手く文字を追いきれなかったが、徐々に目が慣れていき、次第にストーリーに入り込んで行った。


「───そして王子様とお姫様は幸せになりましたとさ。おしまい」


読み終えたミリアーナがパタンと本を閉じると、ジャックはホッと息をついた。簡単な単語を中心とはいえ、短時間でこれだけ多くの情報を詰め込まれるのは流石に疲れたようだ。額にはうっすら汗が滲んでいる。


「どうだった?」

「思ったよりも難しいな…」

「最初は誰だってそうよ。ゆっくり覚えていきましょ。少し休憩したら、今度は文字の書き方を練習しましょ!」

「……わかった」


ミリアーナは立ち上がり、窓際に設置されたティーテーブルへ向かい、用意されていたティーセットを使い手際よく紅茶を淹れ始めた。その背中を見つめながら、ジャックはふと考える。


(アイツ、なんだかんだ面倒見が良いんだな)


「さぁ、飲んでいいわよ」


差し出されたカップを手に取り、中を覗き込むと、琥珀色の液体が揺れている。口を付けると、柑橘系の爽やかな香りと甘みのない渋みが広がった。喉越しが良く飲みやすい。


「美味しい?」

「…悪くはない」

「もう!素直に美味しいって言えばいいのに」


ミリアーナは不満そうに頬を膨らませたが、それも一瞬の事で直ぐに笑顔に戻った。


「ねえ、ジャック。いつかは私のために、毎日美味しい紅茶を淹れてよね?」

「……俺がか?」

「当たり前じゃない。従者の嗜みとして覚えてもらわなくちゃ困るわ」


悪戯っぽく笑うミリアーナに、ジャックは一瞬呆気に取られた表情を浮かべた後、静かに息を吐きだした。


「…命令なら仕方ない」


そう呟くと、ミリアーナは満足げに微笑んだ。

その後、再び二人はデスクへと戻り、今度は文字の書き取り練習を開始した。ミリアーナの書いた字を真似て、何度も繰り返し書いていく。初めはぎこちなく歪な形だったが、練習を重ねるごとに少しずつ上達していった。


「うん、なかなか筋がいいわね」

「………」


褒められ慣れていないジャックは、照れ臭そうに顔を伏せる。そんな反応も面白おかしく感じるのか、ミリアーナは更に上機嫌でレッスンを続けていった。


一方その頃、部屋の外では、偶然通りかかったエマが扉の隙間から中の様子を伺っていた。


「おやおや……仲がよろしくて何よりだわ」


穏やかに呟く彼女の口元は緩やかに弧を描いていた。



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