3.元恋人の王子様から逃れられない。
あれからノアとはもちろん一度も会うことはなかった。
同じ国にいるとはいえ、生きる世界が違うのでそうなって当然だ。
5年前のあのまだ幼かったが本気で彼を愛していた当時の記憶は今思い出しても強烈で鮮明だ。
だがきっとあの頃のようにもう身を焦がす程ノアを愛していない。今だってノアの姿を見てしまったからたまたま思い出したに過ぎない。
それだけ長い時間が過ぎてしまったということだ。
だからきっとノアも私と同じはずだ。
檻の中から無駄に煌びやかでどこか嘘っぽいオークション会場を見つめる。
「…」
全ての取り引きが終了したオークション会場内はそれでも熱冷めやらぬといった感じでまだまだ人々の帰る気配はない。
あちこちで今日の収穫についてや今日のオークションとは関係のないような会食や仕事の話がされている。
私の仕事はもう終わった。この国の王子、ノアの元に運ばれる前にさっさとここから逃げなければならない。
高値で落としてくれたのにごめんなさいね。
本当はノアに久しぶりに会ってみたい気持ちもある。
だがそれでもあくまで私は今仕事中。ここでなるべく大きな騒ぎにならないようにカルマに帰って情報を渡すことが最優先だ。
頭の中でそんなことを考えていると数人のオークションスタッフが私の檻の側までやって来て私を檻ごとステージの袖に運び始めた。
「…」
最後に一目だけ。もうこんなイレギュラーがない限り出会わないであろう王子様をこの目に焼き付けておこう。
そう思い客席内のノアが座っていた場所に視線を向ける。
あれ?いない?
だがそこには彼の姿はもうなかった。
ああ、もう一度だけ最後にノアの姿を見たかったのだが残念だ。
「エラ」
「…っ」
舞台袖でノアが昔のように私の名前を呼ぶ。
あまりにも予想外の場所からいきなりノアに呼ばれたので、私はただただ驚いて固まった。
先程まで客席に座っていたはずなのにもうここまで移動してきたのか?
そもそもここは関係者のみが出入りを許されている場所であり、客であるノアはここへは入れないはずなのだが。
「どうです?近くで見ればますますその美しさが際立つでしょう。エラと名付けられたのですか?」
「…彼女には名前がないのですか?」
「ええ。彼女はうちの商品ですのでそのようなものはございません」
「…そうですか」
私の目の前でオークションのオーナーである中年の身なりのいい男とノアが私について話をしている。
私はそれをただ黙って見つめていた。
「…エラ」
またノアが私の名前を呼ぶ。
昔と同じように優しい笑顔。だが何故だろうか彼の瞳はどこか仄暗い。
「ねぇエラ。何故君がここにいるのかはわからない。だけど君を買ったのは僕だ。君はもう僕だけのものだ」
檻の外からノアが私の頬に優しく触れる。
「会いたかったよ、エラ。もう二度と逃がさないからね」
そしてノアは私に微笑んだ。
だがその目には一切の光がなかった。
ノアも私と同じだと思っていた。
しかしどうやらそうではないようだ。
*****
結論から言うとまず逃げられなかった。
ノアの手によって檻から出された私に逃げる余地などなかったからだ。
檻から出てすぐに絶対に離さないと言わんばかりにノアに腰を抱かれ、移動中もそのまま。
さらに移動する私たちの周りにはまさに虫1匹たりともノアに触れさせないと言った数の護衛が配置されており、まるで逃げる隙がない。
事を大きくすることはもちろん仕事上望まれないことなので仕方なく私はノアについて行くことにした。
ノアはまだ私を愛してくれているのだろうか。
それとも黙って姿を消した、自分を騙していた私を愛していたが故に憎んでいるのだろうか。
可愛さ余って憎さ百倍というやつで。
とりあえずまずは私がノアの知っている貴族〝エラ〟ではないということを伝えることから始めよう。
ノアが愛した女ではない、と。
「…あの」
「…ん?」
「さっきオーナーが私の名前はないって言っていたけど本当はあるの、私の名前」
私の腰に手を回して歩き続けるノアの顔を覗き込んでおずおずと声をかける。
まずは貴族の〝エラ〟との違いとしてノアに敬語を使わない。
「私の名前はオフィーリアっていうの」
そして全く似ても似つかない名前を名乗ってみた。
今の私は貴族をしていた〝エラ〟と見た目も随分違う。もしかしたらこの時点で他人の空にだと思ってくれるかもしれない。
「…オフィーリア。それが君の本当の名前なの?エラ」
「うん」
「そう。僕のエラはね、嘘をつく時に一瞬だけだけど左側を見るんだ。今見ていたでしょ?」
「…」
あの頃と何も変わらず美しく微笑むノアに表面上は笑顔だが冷や汗をかく。
まさか自分にそんな癖があったとは知らなかった。つまりノアに嘘がバレた可能性が高い。
「…嘘なんだね」
私の様子をしばらく黙って見つめた後、ノアは有無を言わさない圧を笑顔で私にかけてきた。
これに関してはもう逃げ場はないようだ。
「…そうだよ。本当はクロエっていうの」
なので自分でも往生際が悪いと思ったが今度は違う名前を名乗った。
「…」
ノアが感情の読めない笑顔を私に向ける。
だが目が確実に笑っていないことだけはわかる。
オークション会場を出て、目の前に現れた馬車の扉が護衛によって開かれる。
すると私はその馬車にノアによって乱暴に押し入れられた。
「エラ。君の嘘にはもう騙されないよ。さっきも言ったけど僕は君を買ったんだ。君はもう僕のものだからね。それだけはちゃんと自覚して」
仄暗い笑みを浮かべてノアが馬車に後から入ってくる。
どこか歪んだ感情が表に出ている気がするノアを見て私は悟った。
多分ノアを騙すことなんてできないし、逃げられない、と。
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