2.王子様との偽りの恋人ごっこ。
私は元奴隷だ。
奴隷市場で当時8歳だった私をカルマのボスが買ってくれたことにより私の人生は大きく変わった。
ボスに買われてから、ボスやカルマの者たちから裏社会で生きる術を学び、私自身もカルマの一員としてできることから仕事を始めた。
19歳になった今も私はカルマの一員として裏社会で元気に生きている。
裏社会は表社会に比べてあまり明るいものではないが、ボスは私を人間にしてくれた。
ボスに買われなかったらただの奴隷として変死していたっておかしくなかったし、死んでいるように、死にたいと思いながら強制的に生き続ける未来だってあったかもしれない。
だから私はボスに恩義がある。
決して強制させられて裏社会を生きているのではなく、ボスの力になれるのならと私が自主的にそうしているのだ。
裏社会で生き続ける為には心を殺さなければならない。
それができなければ必ず精神が壊れる。
誰からも何をするにもまずはそれから教えられた。
だから私は初めて誰かを殺した時も、初めて誰かに抱かれなければならなかった時も必死に心を殺して自分が壊れないようにした。
だけど一つだけ心を殺せなかった仕事がある。
5年前、私が14歳の時に受けた仕事だ。
私が受けることになった仕事は隣国のとある貴族であることを偽り、自国の学院に留学することだった。
そこで出会った王子様の偽りの恋人になったあの半年間だけ私は年相応の少女だった。
*****
「エラ、足元に気をつけて」
「はい、ノア様」
美しいこの国の王子様、ノアに手を引かれて、学院内の園庭を歩く。
園庭には所々川が流れており、その周りには草花や木が生い茂っている。
ここは本当に学院内なのだろうかといつ見ても思ってしまうほどの雄大な自然がここには広がっていた。
私はそんな庭園をノアに誘われていつものようにノアと共に散歩していた。
仕事の為に身分を偽って学院へ来てもうすぐ半年。
今の私は隣国のとある貴族であり、ここへは期間を決めずに留学へ来ている。
…のがまあ、仕事の為の表の事情で、本当は私の留学を機に、共に隣国へやって来た私の両親役がこの国の貴族や王族からいろいろな情報を探ることが目的だった。
自然な流れで欲しい情報を得る為に、こちらも貴族になっているのだ。
今回の私の仕事はほぼないと言ってもよかった。
同年代の子ども相手では特に知りたい情報も得られないからだ。
ただ大人しく、貴族らしく振る舞っておけばいいだけの仕事。つまらないが私が生きる裏社会は常に人が死ぬ世界でもある。これだけで報酬が貰えるのならこんなにもいい話はない。
「今日もエラは誰よりも美しいね」
「…っ、ノア様。恥ずかしいです」
「ふふ、恥ずかしがらないで、僕のエラ。ほらもっとエラの顔を見せて」
「…もう、ノア様、からかっていますね?」
「何のことかな?」
甘い雰囲気で美しい庭園を美しいノアと歩き続ける。
太陽の光に照らされてキラキラと輝くサラサラのノアの暗い青色の髪はサファイヤのようで何よりも美しく、私を見つめる緑色の瞳は砂糖を煮詰めたようにドロドロとした甘さを持つ。
彫刻のように完璧な端正な顔立ちのノアは貴族や平民、全ての国民の憧れであり、崇拝までする者もいた。
最初こそノアのことなんて美しい王子様くらいにしか思っていなかった。
だが、少しずつノアを知っていくうちにノアのことを好きになり、私は人生で初めて恋に落ちてしまったのだ。
だからノアに愛を告白された時は仕事先だというのに迷わずノアの恋人になることを選んでしまった。
必ず別れが訪れる悲しい偽りの恋人に。
「君の国では宝石が特産物だったね。この美しい真珠のブローチも君の国のものだよね?誰からの贈り物かな?」
「ええ。よくわかりましたね。ですがこれは誰かからの贈り物ではありませんわ」
何故そんなことを聞くのだろうかと疑問に思いながらも表情は一切崩さず、ふわりと笑う。
隣国の真珠であることは間違いないではないが、これは贈り物ではない。正しくはこの仕事の為にボスが用意した衣装の一つだ。
「それはよかった。僕以外の誰かからのものをこれからも身につけたらダメだよ?」
ふわりと私と同じようにノアが笑う。
恋人になって初めて知ったことだが、ノアにはよく意味のわからない独占欲というか、嫉妬心がある。
正直恋人になってもうすぐ2ヶ月になるが、未だに何がノアの気に触ることなのかわからない部分も時々ある。
それでも私はノアを愛していたし、ノアに夢中だった。
この一時が永遠であればいいと何度も願った。
しかし現実というものは残酷なもので、時間は確実に過ぎていき、留学という名の仕事も終え、私は表面上の隣国へ帰国することになった。
つまりそれはノアとの永遠のお別れを意味していた。
*****
「エラ。あちらに帰国しても毎日手紙を出すよ。週に一回は花束を。二週間に一度はエラに会いに行くから」
「…ありがとうございます、ノア様」
表面上の隣国へいよいよ帰る日がやって来た。
ノアは私が乗る馬車の元までわざわざ私を見送り来て、私に別れの挨拶を寂しげな笑顔を浮かべてしていた。
ノアは知らない。
私が実は隣国の貴族ではないということを。
ノアが知っている私の全部は全て偽りだということを。
ノアが知っている私の住所も身分も何もかも。全てが偽り。ノアが唯一正しく知っているのは私の〝エラ〟と言う名前だけだ。
きっとここで別れればノアは本当の私を見つけることなどできないだろう。
だがそれでよかった。
ノアは王子様で私は元奴隷の裏社会の人間。
どう考えても、どう足掻いても身分が違いすぎる。
本来ならこうやって話しかけられていること自体おかしいのだ。
ましてや恋人だなんてもってのほか。
私はノアの偽りの恋人だった。
全て、何もかもが偽りだった。
「ノア様」
「ん?どうしたの?」
「愛しております、心から」
だけどこの想いだけは本物だ。
私を真っ直ぐ見つめる美しいノアに私は微笑む。
瞳から涙が溢れ出ないように堪えながら。
「…はは、嬉しいな。僕もエラを心から愛しているよ」
そんな私に優しくノアが笑う。
そしてそっと私の頬へ口づけをした。




