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家に帰るとフェリクスがいた。
帰れと言ったはずなのにのうのうと家に上がり込んでいる。
「あ、おかえり〜。この家お茶くらい置いた方がいいよ」
「……なんでいる」
「え? だって今から帰るったって魔獣がいっぱいいるんだもん。相手に出来ないこともないけど怖いじゃん」
「……今晩だけだぞ」
「やりぃ」
フェリクスは俺の了承を得ずキッチンに立つと、置いてあった食材で野菜スープとパン、プルームフェンの干し肉を出してきた。
……貴重な干し肉を目敏く見つけてきやがって。
明日狩りに行かなければ。
「出来たぜ。食う?」
「俺の食料なんだが」
「お客様に作らせといて文句言うなって」
「お前が勝手に作り始めただけだろうが」
文句を言い足りないが、フェリクスは舌が回る男なのでこれ以上は何も言うまい。
貴族出身のくせに身の回りの事は自分で出来るのがムカつく。
「……さっきの話の続きだけどさ。あ、飯食っといて聞きたくないはナシだぜ」
「……」
口を開こうとして閉じた。先回りされた。
仕方ないので黙って聞くことにする。
「ネクロリスとヴァルハインが冷戦状態なのは知ってるな?」
「……数十年前の戦争で、表向きは休戦条約を結んでるはずだが」
「そ。でも最近ネクロリスとミレナシア聖統国が怪しい動きをしてる。両国とも、男性不要主義だからな」
ネクロリスは禁忌魔道都市。
「命脈炉」という、男性の魂を燃料にした暗黒技術を用いている。
元々はヴァルハイン同盟国がリネルゼア帝国と戦争していた時、ヴァルハインの戦死者や負傷者を拉致して実験材料にしていた。
おかげで他国から全く信用されていないが、その技術は圧倒的で外交的には無視できない。
ミレナシア聖統国は女性神政の楽園で、呪いや病、戦争の中で医学を進歩させ、その結果女性による創成技術を完成させた。
単身で妊娠できるようになったから、男性は「自然の過ち」として切り捨てられた完全女性社会を形成している。
両国が手を組むのは分からんでもないが、なぜ今なのだろうか。
「……なんで今更」
「ヴァルハイン同盟国は今内乱中だ。リネルゼア帝国との戦争も長かったしな。叩くなら今だと考えたんだろう。お前が抜けた穴はデカいってわけさ」
ヴァルハイン同盟国は魔法の支配を嫌い、化学兵器と肉体戦闘を得意とする軍事国家。
徴兵制度があり、男性は一定の年齢を過ぎたら前線に送り込まれる。
そのせいで男性人口の3割が死亡、帰還兵の9割が廃人か精神崩壊者だ。
軍内部のトップは女性で、前線に出るのは男性が大半を占める。
戦争継続を望む上の連中と、和平を望む下の連中が衝突するのは当然のことだ。
「レオン、お前は幾度となく前線に出て帰還し、イカれることなくまた前線に行く。前線部隊にとっちゃ、お前が希望だったんだよ。それが急に行方をくらましたんだから、そりゃ連中も絶望するわ」
「……」
「別に責めてるわけじゃない。でもその結果内乱が勃発、他国もそれを知ってちょっかい出そうとしてるわけだ」
「……それで、ネクロリスが動いたわけか」
頭が痛くなってきた。
ヴァルハイン同盟国は国土が広く、山岳や海、草原や湿地など豊富な資源がある。
一方のネクロリスは北方の辺境国。
冬が1年の半分を占めるから、資源は他国に頼りがちだ。
首都は辛うじて機能しているが、田舎の方は餓死者が多いと聞く。
「お前がヴァルハインに戻って内乱を抑え込めば、少なくともネクロリスはちょっかいを出してこない。国としての信用は皆無だから同盟も組めないし、ミレナシアの協力が得られないと一方的に蹂躙される」
「……逆を言えば、内乱が続けば確実に戦争は起きるってわけだ」
「そういうこと。俺はイシュナラ共和国の人間だから、協力関係にあるヴァルハインが負けたら面倒なことになるんでね」
イシュナラ共和国はミレナシアとは別ベクトルの医療国家だ。
男性に多く発現する「魔素分解病」が流行し、男性の半数以上を喪失。
その結果技術を進歩させ管理を徹底して対応している国で、その医療技術は他国の追随を許さない。
表向きは中立国家だが、禁術を扱うネクロリスや単性繁殖技術を扱うミレナシアとは思想が相容れない。
ヴァルハインは医療援助を受ける代わりに資源の提供をしている。
「この村はヴァルハイン領だ。戦争が起これば間違いなく徴兵されるし、戦火に巻き込まれることは確実。お前はそれを望むのか?」
フェリクスは俺を見据える。
説得材料としては充分な内容だ。
脳裏に俺を慕ってくれる子供たちや、何かと気にかけてくれる村人達の顔がよぎる。
今俺が彼らにしてやれるのは、ささやかな手伝いくらいだ。
「……俺はもう前線から退いた。今はただの村人だ。人脈もなければ金もない。人を動かす力だってない。……俺に出来ることは、何もない」
「お前には力がある。何度も前線から帰還した力と、強靭なメンタルがあるだろ。それを腐らせるな」
「俺は、二度と国の駒にはならん」
「レオン!」
すっかり冷めきったスープを流し込み、フェリクスが引き止めてきたが振り払い、浴室へ向かう。
水道設備は整っているが、給湯器はないので冷たい水をそのままかぶる。
こういう時に属性魔法を使えば簡単にお湯に出来るが、生憎俺には魔法の才能がない。
武器に属性を纏わせるのは得意だが、魔法単体だとコンロに火をつける程度だ。
鏡に映る傷だらけの身体を見て、小さくため息をついた。
フェリクスは俺がヴァルハインから逃げた理由を知っているのだろうか。
……知ってるだろうな。
あいつは優秀な諜報員だったし、情報屋として活動していた時もある。
その上であの話をするのだから、酷いやつだ。
軽く水気を切ってタオルで拭き、お隣のピリン夫人からもらったヘアオイルを毛先に塗ってリビングに戻る。
せっかく髪を伸ばしているのなら手入れしろと言われ、押し付けられたヘアオイルは無香料でベタつかないから結構気に入っている。
リビングに戻るとフェリクスは紅茶を飲んでいた。
「……ま、小難しい話は置いといて楽しい話でもする?」
「……もう寝ろ」
「少しは語り合おうぜ。夜はまだ長い」
「俺は明日朝から狩りに出るんだが」
「付き合い悪いなぁ。分かったよ、ソファー借りるぜ」
「……好きにしろ」
水を飲んでいると、暖かい風がふく。
見る見るうちに乾いていく髪。
「そのまま寝ると風邪ひくぜ」
そういやこいつ風魔法得意だったな。
「……ありがとう」
「どういたしまして。あ、俺もシャワー浴びていい?」
「ああ。俺は寝る」
「おー、おやすみ」
着替えを持って浴室へ向かうフェリクスを見送り、寝室へ向かう。
寝るとは言ったが、今日は寝付ける気がしなかった。
各国の紹介
ヴァルハイン同盟国
レオンの出身国。
小さな国々が集まって国となった、大陸で1番国土が大きく資源が豊富な国。
軍事国家で戦争を好む傾向があり、男女問わず能力があれば戦地に送り出される。
化学兵器や肉体戦闘を好み、魔法に依存することを嫌う。
男性は徴兵され問答無用で戦地に送られるため、帰還した男性は負傷して前線を離れるか精神崩壊して軍内部の「戦士保護区」へ隔離されることが多い。
戦争を続ける戦争継続派と和平派で内部分裂しており、内乱が起こっている。
魔法至上主義国家であるリネルゼア帝国とは数十年に渡り戦争をしていたが、現在は冷戦状態。
リネルゼア帝国
魔法文明が発達した魔導帝国。
女性の方が魔法適性が高い傾向にあり、自然と女性が政軍を掌握している。
男性は魔法適性が高い場合は子孫を残すために国に丁重に保護され、管理される。いわゆる種馬扱い。
魔法適性が低い場合は労働階級扱いで、中には貴族に見初められて愛玩物として所有される。
ヴァルハイン同盟国の東側に国土を広げており、魔法技術を交易として活用している。
魔法至上主義が故に魔法適性が低くなりがちな男性を劣等種と見ている節があり、男性を戦力として扱うヴァルハイン同盟国を非合理主義国家として蔑視している。
ネクロリス
男性の霊を燃料とした命脈炉を扱う禁忌魔導都市。
ヴァルハイン同盟国とリネルゼア帝国の戦争中静観していたが、負傷者や戦死者を回収して実験材料にしていた。
魔導技術はリネルゼア帝国に劣るが、命脈炉のエネルギーは膨大で大きな資源のため、他国は批判しながらも水面下で活用している。
大陸の北方にあり、1年の大半が冬なので常に資源や食料不足に陥っており、命脈炉がある都市部は辛うじて機能しているが、田舎の方は餓死者が絶えない。
他国で男性を拉致する「男性狩り」を行ったため、他国からの信用はゼロ。
ミレナシア聖統国
魔法と科学を融合させた「単性受胎術」「精素合成術」が確立された国。
男性を必要としない社会体制が完成し、「創造の女神」を信仰する神政が支配している。
完全な女性社会で、男性は過去の遺物として神殿に奉られるか、生殖の象徴として芸術や儀式に利用される。
国外の男性がこの地に迷い込むと、神子の生まれ変わりとして崇拝されることも。
表面上はリネルゼア帝国を「女性主導国家」として友好関係を築いている。
イシュナラ共和国とは思想が相容れず敵対関係。
イシュナラ共和国
フェリクスの出身国。
男性特有の「魔素分解病」により、男性の大半を失ったことをきっかけに医療技術が発達。
優秀な男性遺伝子を保存するため「遺伝子管理法」が制定され、男子は国家管理の元、徹底的に保護・選別される。
貴族以外の男性の多くは外界から隔離されたドーム都市で暮らし、女性研究者に監督されている。
ごく限られた男性研究員・治癒士が存在するが、感情表現が乏しく感覚的に“別種”のような印象を与える。
表向きは中立。だが各国に「遺伝資源提供」や「医療技術供与」を行っており影響力は大きい。
基本的に戦争を嫌う穏健派。
禁術を扱うネクロリスや、思想が相容れないミレナシア聖統国とは敵対関係。
カルマディア王国
男児の出生率が極端に低下した「男児誕生阻害の呪い」が発生した国。呪いは今なおこの地を中心に広がっている。
王家には呪いの核を鎮める力があるとされ、外部勢力から「希望の血」として狙われる。
宗教的な戒律が厳しく、婚姻や妊娠に国家の許可が必要。男女の接触すら制限される。
少数の男子は「神子」として厳重に管理され、神殿で暮らす。
宗教国家化し、呪いを浄化する血筋を保護。外部との接触を極端に嫌う。
ヴァルハイン同盟国の南に国土を広げている。
国の位置関係
ネクロリス
ミレナシア聖統国
ヴァルハイン同盟国 リネルゼア帝国
イシュナラ共和国
カルマディア王国