第七話 託されしもの~斎視点~
今回は再び斎視点で物語が進みます。
眠り続ける蓮の傍らで、斎は彼を守ろうと動き出します。
森の神使であるはずの斎が、“町”という人の世界に踏み出す――
その行動の裏にある想いを、感じていただけたら嬉しいです。
今朝はいつもより冷え込むのを感じた。
外は北から少し強めの風が吹き、森の木々を揺らしている。
――木枯らしの季節か
氷を入れた桶を持って廊下を歩く。
何度、こうして水を替えただろう。
高熱にうなされ続けて三日が経つ。
薬を飲むことも粥を啜ることも嫌がり、水だけ飲むと再び眠りにつくだけの時間が過ぎていった。
今の蓮からは――生きようとする意志――をまったく感じることが出来なかった。
母から存在自体を否定されたのだから無理からぬこと。
とはいえ、このままには捨て置けぬ。
森の連中も蓮を心配し、神域の手前でウロウロしている。
魚をはじめ、森の恵みや様々な薬草を見舞いに持ってきては、帰らず、中の様子をうかがっているのだ。
このままでは、身体が持つまい――
蓮の額の手ぬぐいを交換すると、我は縁側から庭へとおりた。
熱が下がらない蓮に、薬草ではなく人が作った薬を飲ませようと思い至ったまでは良かった。
問題は、熱のある蓮を一人に出来ないということだ。
当然ながら森の住人は妖かし。神域内あるこの社には入れぬ。神に近い存在のしんのうは入れるが…あの人のことに疎い浮世離れした者に、人の子の看病など出来るはずもない。
気がのらない相手だが、背に腹は代えられぬ。
我は懐から艶やかな黒い羽根を取出し、ふっと息を吹きかけた。
羽根はふわっと浮き上がり、淡く光を帯びながら、ふわふわと持ち主のところへと向かって行った。
四半時もせず”それ”は現れた。
神域内にやつの気配が侵入したのを感じた。
スーッと襖が開けられ、現れたのはカラス天狗のクロ。
こいつはカラス天狗の長の三男だが、長男は身体が弱く、次男は駆落ちして行方知れず。
長はこいつに跡目を任せたいと考えているようだが、修業が厳しいと逃げ出しているようないい加減なやつだ。どうにも好きにはなれん。
(正直こいつに頼みたくはないのだが…。)
「よぉ、呼ばれたから来たぜ。蓮はどうだ?」
美菜が良からぬことをするのではと、あの日以来見張りについていたクロは、蓮の枕元へと腰を下ろすと、心配そうに、その頭をそっと撫でた。
いい加減なやつではある…が、蓮のことは本気で心配しているのがわかる。
「まだ熱が下がらぬ。用意した薬湯も飲まず、粥も食わず、たまに水を飲み寝ている。」
「おい~、何やってんだよ。あんな苦いモノ、誰だって嫌に決まってんだろ? いくらなんでも、熱出してる子供にそれはキツいって…。」
クロはそういうと、枕元にある薬湯の入った湯呑を指先だけで持ち上げ、
顔をしかめた。
「町に降りて人の薬を買ってこようと思う。その間だけ、蓮を頼みたい。」
クロは二つ返事で了承すると、懐の中から紙と筆を出し、町に不慣れな我に薬屋の地図を書いてよこす。
少し…だけ、ほんの少し、クロの評価を修正することにし、我は後を任せ町へと向かった。
***
蛇滝口より西へと足を運ぶ。
この辺はまだ車どおりも少なく、人も少ない。道なりに行けば町に出る。
夜なら人目も少なく飛んでいけるところだが、流石に昼間は歩かねばなるまい。
神域から出て高尾の山の結界を抜けて、町へ出たときに必ず思うのがこれだ。
先日、美菜を追った時は怒りの為か気がついていなかったが…。
――空気が悪い
道を歩いていると、荷物を積んで走る大きく長い車が通り過ぎ、
走り抜けざまに、後ろから出される黒い煙を吸い込んでしまった。
瞬間、吐き気をもよおす。
(おのれ…あの穴に土塊でも詰めてやろうか…)
走り去る車に、瞬間的に思わず力を使いそうになったが、なんとか思い留まった。
(落ち着け、これしきの事で力を使おうとするなど…我としたことが。)
落ち着こうと深呼吸をしてしまい、再び吐き気をもよおした。 少しばつの悪い思いをしながら、出来るだけ直接汚い空気を吸わぬように、袖口を口に当てたまま先を急ぐことにした。
蓮の住んでいたアパートの前を通り、さらに進むと蓮たちがよく遊んでいる森が見えた。近くに清水が湧いているので水の補給も出来ていいらしい。そのまま旧街道を進む。出来るだけ早く帰ってやりたい。その思いが我の歩く速度を上げたのだった。
町へ入ると人人人…人の負の感情から生まれる澱みが、其処彼処 にある。
気にしている場合ではない。我は地図を手に、目的地へと進む。
我に触れた澱みは次々に消し飛んでいった。
(この辺だと思うのだが…)
入り組んだ道に若干迷いながら薬屋を探していると、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
見物人の先に見えたのは……蓮の母親だった。
(迷って時間を潰すよりは、あやつに聞いた方が良いか…。)
そう思った我は、声を掛ける頃合いを見計らう。
しかし、聞こえてくるのは女同士の怒鳴りあいだ。
「大丈夫だって言ってるでしょ!」
「蓮くんどこですか!? 学校はこの二日無断欠席で、母親の貴女は電話にも出ないし、心配して家に行ったら誰も居ないし玄関に不在通知挟まれたままで! これ日付2日前のですよ!? 貴女、家にも帰ってないってことじゃないですか!」
「そんなのあんたに関係ないじゃない! あんたみたいなのハッキリ言って迷惑よ! 」
どうやら、学校での蓮の関係者らしい女とやりあっているようだ。
女同士のこういう場面では声を掛けたくはない…だが、小耳に聞こえた野次馬の声が、そこから遠ざかろうとする我の足を止めさせた。
「ねぇ、警察に通報した方が良くない?」
「なんか子供がいなくなったって話みたいだな。」
「これ、やばい気がする。親が子供殺して――とかドラマとかでもあるじゃん?」
「通報…しとこうよ。」
我は、野次馬がスマホで警察を呼ぼうとするその手を、咄嗟に掴んだ。
「申し訳ない。あれの子は、事情があって我が預かっている。今からあの場を抑えに行く故、通報は勘弁願いたい。」
「え…あ、はい……。」
咄嗟に捕まれたことに驚いた女の顔が、我を視界に捉えると少し顔を高揚させ言葉少なに了承した。
仕方なく、野次馬の合間を縫って美菜と口論している女へ声を掛ける。
「ご心配お掛けしてしまい、申し訳ない。蓮なら我のところで預かっておる。」
「――貴方は…?」
「失礼した。我は"コレ"の遠縁で斎ともうす。些細あってうちで預かる事になった。」
「……蓮くん、転校するんですか?」
「いや、些か体調を崩しててな…。今、熱を出して寝込んでいる。」
美菜の身体がわずかにピクンッと跳ねたような気がした。
「そう…ですか…。わかりました。では、しばらくお休みと言う事ですね?」
「そうだ。元気になればまた行かせる。手数を掛けるがよろしく頼む。」
そう我が頭を下げると女は深いため息をついたあと、美菜を一睨みして駅の中へと入っていった。
喧嘩が納まり野次馬が散り散りに散ってゆく。
残されたのは我と美菜のみ。
この女、熱があると聞いても、何も言わぬのか……。
何も言わず黙っている美菜に、チリッとした思いがよぎりい方がきつくなる。
「薬屋をはどこだ。」
「……薬ならうちにあるから、一緒に来て。」
そう言って我の前を通り過ぎた美菜からは、あの日とは違い、花のような香りがした。
「――今日は酒の匂いがしないのだな。男と別れるたび、酒を浴びるように飲んでいたと聞いていたが。」
蓮との別れはどうということもないと、そういうことか?
我はわざと揶揄するように言った。
「別に、飲みたくないから…それだけよ…」
背中越しに忌々し気な顔をし我をチラっと見た後は、こちらの様子を気にする風もなく家路へと向かい出す。美菜は歩きながら、ずっと 小さな声でなにか呟き続けていた。
「えっと、服は……あれと、あれ……あ、下着も……」
(ああ、そうか。我に持たせるものを考えるのに必死なのだな。)
手放すことになって、少しは変化があったらしい。
飲みたくないというのは、酒の失敗で”息子に手を掛けてしまった”ことが、心の枷となっている……ということだろうか。
我は少し、髪の毛一本程は認めてやろうと思いつつ、美菜の後に続いた。
秋晴れの空の下、――そこに、ほんの少しだけ、別れた子を思う母の姿が――見えた気がした。
ご覧いただきありがとうございました。
第七話では、斎が初めて“人の世界”に足を踏み入れ、
蓮を守ろうとする姿を描きました。
神の使いでありながら、斎がなぜそこまでして蓮に寄り添おうとしたのか――
それはきっと、蓮の中に“手を伸ばさずにはいられない何か”を見たからなのだと思います。
また、美菜とのやりとりを通して、
私自身、「母親とは」「育てるとは」……そんな問いを、物語の中で探すように書いていました。
上手く描けていたかは分かりません。
けれど、斎という存在を通して、ほんの少しでもその“輪郭”に触れられていたのなら――
嬉しく思います。
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最後まで読んでくださり、本当にありがとうございます。
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次回も、斎と蓮の物語を、心を込めて紡いでいきます。