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第三話 声なき記憶、静かなる再生~斎視点~

2話連続投稿企画の2本目になります。


※この話には過去に受けた虐待描写やトラウマの回想が含まれます。

苦手な方はご注意ください。


今回は斎視点で、蓮の“声なき記憶”が語られます。

なぜ蓮が声を持たなかったのか――

そして、斎が初めて“蓮の痛み”に触れる回です。


 夜の帳がそっと降り始めるころ――人の子が再び瞼を開いた。身体を起こそうとするも、どうにも力が入らぬようだ。


「無理をするな。もう少し、休んでいろ」


 ふと、思い出した。名を尋ねていなかったな。  小河童たちからも知らされてはいなかったが――。


「お前の名は?」


 問いかけに返事はなく、人の子は弱々しく首を振り、口元を指差したのち、両の人差し指で×を作った。  そして、少し悲しげに目を伏せる。


「……そうか。言葉を持たぬのか」


 我は膝を折り、そっと顔を近づけた。  喋れぬのなら――読めばよい。


「安心しろ。痛みはせぬ」


 そう囁き、自らの額を熱のある額にそっと重ねた。

 意識を同調させると、流れ込んでくる――蓮という人の子の記憶。 


 声なき日々。嘲る子供たち。親から浴びせられる冷たい言葉。  

 ひもじさと孤独に震えた夜。振り上げられる大きな手。


 それらすべてが、一気に我が意識を呑み込んでいった。

 眉がひと筋、歪む。


 ――声を持たぬ――


 ただ、それだけで、幼き者が、これほどまでに過酷な生を強いられるとは。


「なるほど……服の下の痣は、そういうことか」


 濡れた身体を拭くため、着物を脱がせたときに見つけた痣の数々。  それを指摘した途端、蓮はビクリと身を震わせ、身を縮めた。


 “絶対に他人に身体を見せるんじゃないわよ! 見せたらお仕置きするからね!!”


 記憶の中に響く母の怒声が、心を縛って離さぬのだろう。蓮は頭から布団をかぶり、身を震わせる。 


 我はそっと布団の上から手を添え、優しくポンポンと叩きながら、できるかぎり柔らかな声音で囁いた。


「安心しろ……誰にも言わぬ。大丈夫だ。ここには、お前を害するものはおらぬ」

「大丈夫だ……大丈夫だ」


 何度も、何度も。


 やがて、四半時ほどが過ぎた頃、蓮は布団の隙間から、もそもそっと顔をのぞかせた。


 どこかばつの悪そうな、けれど安堵の滲む表情。その幼さがいじらしく、我は思わず頭を撫でていた。


「ここは森の中の社。我は、この社に仕えるいつきという。  雨の中、倒れていたお前を、小河童たちが鳥居の前まで運んできた。  ここには、お前を傷つける者はおらぬ。安心して、良くなるまで休んでいくとよい」


 我は食事を枕元に寄せ、蓮の身体を支え、上半身だけをそっと起こす。

 冷めた粥の入った小鍋を手に取り、掌から青白い狐火を灯した。


 初めてみるであろうその光景に蓮が目を丸くし、興味深げに見つめている。

 やがて湯気とともに立ち上る香りを嗅ぐように蓮は目を細め、スーッと鼻から息を吸い込み、口元に僅かに笑みを浮かべた。


 匙で掬った粥を、ひと口ずつ口元へ運ぶ。

 三分の一ほど食べたところで、蓮の瞼は再び閉じ始め、やがて静かな寝息を立てた。


 (声を持たぬが、見る目を持つ子……そして、それ故に虐げられる者か)


「言の葉を 持たぬ子の目に 映る世は なおも浅まし 人のさだめか」


 ふと気づけば、雨は止んでいた。  空には細く頼りない新月。  まるで、今にも消え入りそうな蓮という存在を映すかのように、仄かに輝いていた。


 * * *


 夜も深まった頃。

 我は氷水を張った桶を手に、再び蓮の元へと戻った。


 額の手ぬぐいを外し、冷水に浸してしぼり、またそっと戻す。  何度繰り返しても、熱は下がらぬ。


「……まこと、脆きものよな……」


 我が呟きに、部屋の奥から声が返る。


「……せむかたなし。せむかたなし」


 聞き覚えのある声。森の主、しんのう。


「しんのうか。珍しいな、こんな夜更けに」

「森の子らが騒がしくてな。あの子たちは神域に入れぬから、代わりに様子を見に来た」


 しんのうは、手にしていた枝を差し出す。  熟したあけびの実が三つ、甘やかな香りを漂わせていた。


「ちょうど頃合いだったのでな。木からそのまま採ってきた。あとであの子に食べさせてやってくれ」


 どうやら蓮は、森の主にまで気に入られているようだった。

 我は枝を受け取り、戸棚の上へ置き、代わりに湯呑を二つ取り出し、茶を淹れた。


「面倒を嫌うのではなかったか?」


 しんのうが横目でからかうように言う。


「面倒を運んできたのは、森の者たちだ」


 弱った人の子よりも、揶揄ってくる友の方がよほど面倒だ……。


「それでも……人の子は親元に返すべきだと、君もわかっているはず」


 もっともな意見であろう。  だが、蓮の記憶を見た我には、そう容易に頷くことはできぬ。


「返さばや 泡沫なるを 知りながら   手を離すには 時まだ早し」


 和歌に想いを託すと、しんのうは静かに微笑み、茶を啜る。

 ふと見上げた空に浮かぶ新月の頼りなさに、瞬間、蓮の姿が重なった――


 ――その日、静かな夜の底で、小さな声なき鼓動が、確かに世界を変え始めていた。


ご覧いただきありがとうございました。


今回は斎の視点で、蓮の“声なき記憶”に触れる回でした。


言葉を持たない蓮が、それでも何かを伝えようとしていた姿。

そして、それを目の当たりにした斎の中にも、

少しずつではありますが、感情の揺らぎが生まれていく様子を描いてみました。


上手く表現できていたでしょうか。

少しでも、ふたりの間に芽生えはじめた“繋がり”のようなものを感じていただけたら嬉しいです。


**********************************************************

最後まで読んでくださって、本当にありがとうございます。

気に入っていただけたら、評価やブクマでそっと応援していただけると励みになります。

次回も、斎と蓮が少しずつ歩み寄っていく姿を綴っていきます。


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