第十一話 届いた声、動き出した心~蓮視点~
今回はちょっと重たい話です。
でも、それでも書きたかったことがありました。
“いじめ”という言葉では片づけられないものが、確かにあるから。
最後まで読んでもらえたら、嬉しいです。
今日の朝ご飯も美味しかった。
豪華番TKGとワカメと豆腐の味噌汁と小茄子のぬか漬け。
冷たい湧き水を水筒に入れ、学校へと向かう。
(昨日は散々だったからな……今日は何事もない事を祈るよ……)
教室へ入ると、普段話しかけて来ない女子が数人、俺の方へ寄ってくる。
面倒事の予感しかない……。
「四ノ宮くん、おはよう〜」
語尾を伸ばし、少し媚びの入った声で挨拶をしてきた。瞬時に俺は全身に鳥肌が立つのを感じた。
母親が女の顔をして男に媚びる姿を散々見てきた俺にとって、こういうのは生理的に無理……
「……おはよう」
誰であろうと、挨拶をされたら挨拶を返すのが礼儀。
だけど、普段話もしない相手が急に媚びるように話しかけてくるなんて……声音に警戒が混じるのは仕方がないと思う……。
「ねぇねぇ、昨日の、大丈夫だった?」
これは……どっちだ?
斎や森の仲間たちなら、俺の怪我を心配する言葉なんだろうけど……
「何が?」
「何って……ねぇ……」
「うんうん、だってほら、昨日凄かったじゃん?」
なんで女子ってこう濁すんだ?
主語は? 凄かったって昨日の出来事の何処にかかるんだ?
なんだよ、この、空気読めば分かるでしょ?的な会話……
「……別に。」
俺は一言だけいうと、女子の間を抜けて、一番後ろの窓際にある自分の席にカバンを置いた。
教室中の目が自分に向いているのがわかる。
昨日の件の顛末がどうなったのか、興味深々ってところだろう。
だけど、ただの興味本位で首を突っ込もうとする連中の希望を叶えてやる義理はない。
俺は全身から話しかけるなオーラ出して自己防衛を図るが――碓水によってあっけなく突破された。
「四ノ宮くん、お……おはよう! あ…あの……昨日…血が出てたけど、大丈夫だった?」
若干ビビリながらも、俺の怪我を気にして懸命に話しかけてきたのがわかる。
「ああ、ちょっとグラついてた乳歯だし、問題ない。」
「それなら良かった……あの……僕……昨日は、その……巻き込んでごめん……」
両手をギュッとしてズボンの布をきつく握りしめているのが目に入った。
(ああ、こいつ、いま、すげー勇気振り絞ってる感じ?)
たとえ、たどたどしい喋りだったとしても、さっきの女子よりは遥かにまともな会話だし、思いが伝わってくる。
「あれは俺が勝手に首突っ込んだだけだから、碓水が気にする必要ない。」
「でも、あの……嬉しかったから……だから、ありがとう……」
懸命に心の内を言葉にして相手に伝えようとする姿と、花が咲くようにはにかみながら笑う碓水には素直に好感が持てた。
「そっか。なら、気持ちだけ受け取っとく。」
出入り口の方がざわついた。
嫌な空気の方に視線を向けると、登校してきたのは荒井だった。
荒井の取り巻きがすぐさま駆け寄っていった。
「おい、荒井、警察に連れていかれたって、マジ?? 」
「なぁなぁ、取調室とかどんなだった?すげーよなー警察沙汰とか。マジこえー。」
なんだこいつら?
”オトモダチ”じゃなかったのか?
「しらねーし、誰だよそんなこと言ったやつ!」
荒井は顔を真っ赤にして反論をした。
「誰って、みんな言ってるぜ? ショーガイザイってやつなんだろ?」
「ヤベーなそれ、荒井、犯罪者ってやつ!?」
女子達がコソコソと陰口を叩くのが聞こえる。
あ、澱みが生まれた。……本当に勘弁してほしい。
ああ、今、この瞬間、クラスのヒエラルキーが変わろうとしてるのか。
昨日まで荒井のご機嫌伺ってたくせに……本当に人間って浅ましいな……。
キーンコーンカーンコーンキーンコーンカーンコーン~~♪
学校のチャイムがなったと同時に、副担任の小沢先生が教室へ入ってくる。蓮が小学2年の時の担任だ。
「はーい、席に付いてー。学級委員長」
「はい。起立、礼」
学級院長の号令で、一同が先生に向かって礼をする。
「おはようございます!」
「着席」
全員が席に付いたところで、小沢先生がクラスを見回していった。
「えー、急なことではありますが、今日から担任の先生が変わります。
副担任だった私、小沢が、今日からみなさんの担任になります。
前任の新見先生は事情があってで2週間ほどお休みになり、その後はみなさんの副担任となります。
欠席者は居ないわね。」
事情……ねぇ……
停職処分になったってことか……
小沢先生は俺が小2の時の担任だった。昔から落ち着いた話し方で、子どもの話をちゃんと聞いてくれる人だった。 少なくとも、前の担任よりは――俺は信じられる気がする。
「それと、この後、緊急全校集会があるので、速やかに体育館へ移動してください。」
ざわついた空気が教室内に漂う。
「ほら、喋ってないで移動はじめて。」
* * *
体育館へ向かう廊下。 小さな声で囁き合うクラスメイトの声が、断片的に耳に入ってくる。
「やっぱあの先生、飛ばされたんだよね……」
「つか、荒井ヤバくね?」
「でもさ、あれ四ノ宮くんが通報したんでしょ……?」
(ああ、またか……)
“興味本位”で盛り上がる空気が、一番気持ち悪い。
俺は無言で歩きながら、足音にだけ意識を集中させた。
体育館の前方に校長先生の姿が見える。
壇上のマイクの前で、静かに一礼したあと、口を開いた。
「皆さん、今日は“いじめ”について、お話ししたいと思います。」
少しの沈黙が落ちる。 先生の声は静かだけど、どこか張り詰めた気配があった。
「いじめという行為は、たとえ子供同士のことでも、
場合によっては“犯罪”として扱われることがあります。
人を殴れば“暴行”、怪我をさせれば“傷害”。
他人の物を壊せば“器物損壊”、侮辱すれば“名誉毀損”――。
子供だからといって、すべてが許されるわけではありません。」
ざわっとした空気が体育館を走る。
普段ならよそ見したり、下を向いたりしている奴らが、この時ばかりは前を向いていた。
「まだ君たちには少し難しい話だったかもしれません。
ですが、これだけは覚えてください。
“自分がやられて嫌なことは、他人にもしないこと”
でも、どうかそれだけで終わらせずに、
“他の人だったらどう感じるか”も、少しだけ想像してみてください。
誰かが笑っていたとしても、本当は傷ついているかもしれない。
声を上げない人ほど、心の中では悩んでいるかもしれないよね。
だから、“されて嫌だったこと”だけでなく、
“されて嫌かもしれないこと”も、しないでください。
もし、いじめられていると感じたら、声を上げてください。
止める勇気がないなら、先生を呼んでください。
これは“チクリ”ではありません。
――他人を傷つけたまま、何も感じないまま、
大人になってしまうことの方が、よほど恐ろしいことです。」
「先生たちも、生徒の声に耳を傾けます。悩みがあれば、校長室の扉はいつでも開いています。
遠慮せずに来てください。」
最後の言葉に、ほんの少しだけ、空気が柔らいだ気がした。
誰かが心からそう言ってくれるって――それだけでも、救われる奴はきっといる。 ……俺だって、あの日、斎が来てくれなかったら、きっと……
気づくと、碓水が俺の方を見ていた。 あの時とは違う、どこか真っすぐな目で。
(……さっきの校長の話、ちゃんと届いてるんだな……)
俺は小さく頷いてから、視線をそらした。
校長の話が終わると、生徒たちは静かに立ち上がり、整列したまま順に体育館を後にした。 ざわざわとした声は戻り始めていたけど、どこか皆の動きが慎重だった。
さっきまで荒井のことを「犯罪者だ」と面白がってたやつらも、今は黙って前を向いている。
(……そうか。やっと“自分たちの問題”として見えたか)
全校集会の内容なんて、普通なら誰も覚えちゃいない。
でも今日は――少なくとも、少しは心に刺さったやつがいたと思う。
教室に戻ると、少し早足で席へ向かった荒井が、碓水の前に立ち止まった。
「碓水、ごめん! 俺が悪かった。お前に酷いことした。校長先生も言ってたけど、もしお前が許せないって言うなら……警察に行ってもいい……。 」
頭を下げた荒井の肩が震えていた。尻すぼみに放った言葉と肩の震えが、荒井の覚悟を表していた。
碓水は一瞬ビクッ!っと反応したものの、ギュッと目を閉じ、右手でシャツの胸元を握りしめた。
きっと山ほど言いたいことがあるのだろう。今までされてきたことを思い出しているのかもしれない。
碓水は自分の心を落ち着けるように、深く息を吐いた。
「……二度と……しないなら……」
小さな声で呟き、唇を噛み締めている。
多分許してはいない。でも、荒井が覚悟を示したから受け入れようとしてるんだ……碓水は……。
ふと、母親の顔が浮かんだが俺は頭をふって、アイツの残像を消した。
荒井の顔は伏せられてて、表情はよく見えなかったけど――床に落ちた水滴から泣いているのがわかる。
安堵の涙か後悔の涙か、俺にはわからない。
ただ、校長の言葉が荒井にも碓水にも届いていたってことだけはわかった。
「はい、席についてー。今から作文用紙を配ります。
今日の校長先生のお話を聞いて、思ったことをでも考えたことでも、なんでもいいから書いてください。
このテーマは貴方たちにとっても先生たちにとっても、とても大事なテーマです。
給食の時間まで、今日は”いじめ”について一人一人きちんと考えて下さい。
話し合ってもいいですが、自分の考えを押し付けたりしないように。
用紙が足りなくなったら前に取りに来て。それでは始めて下さい。」
小沢先生の声が教室に響いた。 用紙が配られる音だけが教室に響く。
荒井の取り巻き二人はキョロキョロと周りを見渡し、誰も話し合おうとしないのを見ると、大人しく鉛筆を持ちだした。
取り巻き二人は早々に終わらせて、退屈を持て余しているようだったが、しばらくすると、何人かが用紙を貰いに席を立った。碓水も、荒井も。
思うところがあるやつが、それなりにいるらしい。
4時間目が終わるチャイムと同時に作文は回収され、教室の空気は元に戻ったように見えて――でも、何人かが碓水の方を見ていた。
* * *
食事の前には手を洗う!を実行して教室へ戻った時……俺の席に――違和感。
隣の碓水の机が、ぴたりと俺の机にくっつけてあった。
本人は既に座ってて、ちょこんと俺の方を見て笑っていた。
「お、おかえり……」
「……ああ」
トレイを置いて俺が椅子を引いた瞬間、碓水が一度だけ深く息を吸ったのがわかった。
(なんか言いたいのか?)
声をかけようとした……その一瞬の間を待たずに、碓水がぽつりと呟いた。
「あのね…お母さんが買ってくる僕のパンツ、可愛くないから嫌だったんだ。
だから、お姉ちゃんのを勝手に……。
僕、ただ可愛いのが、好きなだけで……
でも、それって……やっぱ変……だよね……」
いきなりの告白でちょっと驚いたけど、言ってる内容にはもっと驚いた。
(こいつは何を言ってるんだ??)
俺はふわふわの斎の尻尾も大好きだし、小河童たちは十分に可愛いと思ってる。
俺は牛乳にストローを指しながら碓水に答えた。
「男が可愛いの好きで何が悪い。可愛いは正義だ!」
碓水が目を丸くする。
「お前はお前だ。
誰かに迷惑をかけてるとかじゃないなら――
自分の“好き”を誰かに否定される筋合いなんてない。
……堂々としてればいい。」
そう言ったとき、碓水は目をパチパチさせて驚いたあと、本当に嬉しそうに笑った。 まるで、もらった言葉を丸ごと体温に変えたみたいに、ぽかぽかした笑顔で。
「うん……ありがとう」
俺が茶碗に手を伸ばすと、碓水がトレイのいちごを摘んで、俺のトレイにそっと置いた。
「四ノ宮くんは、かっこいいね!」
満面の笑顔。悪意なんて一欠けらもない、ストレートな善意。それと……荒井を受け入れたこいつの強さ……嫌いじゃない。
「――お前もな」
俺も、ほんの少しだけ微笑んだ。
少しだけ、口角が上がる。
教室の騒がしさも、食器の音も、今だけは心地いいBGMに思えた――
最後まで読んでくださって、ありがとうございます。
何かが届いたなら、それだけで十分です。
もし何も届かなかったとしても、
きっと“誰か”の心には、何か残ったと信じています。
次回は少し静かに、“答え合わせ”のような話になるかもしれません。
また、お時間のあるときにでも覗いていただけたら嬉しいです。