第九話 命に、謝れ~蓮視点~
本日のお話は、蓮の学校での出来事が描かれます。
「命を大切にする」という蓮のまっすぐな信念が、ある事件をきっかけに強く表れる回です。
今回もぜひ最後までお楽しみください。
高尾山の麓近く、蛇滝口を登ったところに石作りの鳥居がある。鳥居をくぐり、石の階段を上った先の小さな社が今の俺の住まい。
社の裏手にまわり、一歩踏み出す。普通の人間には見えない小道。
風が止まり、音が消える一瞬――そこに、斎と共に暮らす“もうひとつの世界”がある。
社の神域内のさらに奥するこの空間は、社のある人の世界と神の世界を繋ぐ中間に位置するらしい。
どんなに偉い神様でも、主である宇迦之御魂神様 以外 は勝手に入ってこれないらしい。
もっとも、この家の主さまは人気の神様で、日本全国あちらこちらに祀られている為、ここにはほとんど帰ってこないらしい。この家に住み始めて2年半、俺は一度も会ったことがない。
特に――火災になってからは、一度も帰ってきていないそうだ。
そりゃぁ、そうだよな…。
身勝手な人間がお賽銭盗みに来て、入ってなかったからって火をつけられたんだ。怒ってこなくなるのも当たり前だよな…。
斎に寂しくないのかと聞いたことがあるけど、千年も生きる斎にとっては、たかが十数年なんて大した月日ではないらしい。
まぁ、大きな神社の手伝いで呼び出されたりしてるから、全然会えないということもないようだ。
でも、いつ神様が来ても良いようにと、斎が毎日綺麗に屋敷を整えているのを見てるから、俺としては、たまには帰ってきてくれれば良いのに……と思ってたりする。
朝、目が覚めると、先ずは障子を開けて深く深呼吸をする。新鮮な空気を肺を満たし、眠っていた身体の細胞を静かに、ゆっくりと起こしていく。
今の時間は朝の5時半。俺の朝は自分の部屋の掃除と社周りの掃除から始まる。
布団を片付け、手早く部屋の掃除を終わらせ、着替えて外に出ると俺は掃除小屋から鎌を取り出した。
初夏にもなると、草が覆い茂り石の階段を隠そうとして、刈り取らないと結構危険だからだ。
たま~にチラホラと訪れる参拝客もいる中で、足を取られて転げ落ちるとかされたら、洒落にならない……。怪我した血で境内を穢されるのはごめんだ……。
刈り取った草は、階段脇の茂みに投げ入れておく。こうすれば、土の中にいる微生物や虫の力で分解されて、いずれ朽ちて土に還る。
植物も動物も、ちゃんと土に還してやれば、その養分は草木育てて実をつけたり、雨で養分が川に流れて、水草やプランクトンが育てて――最後は魚が旨くなる!←コレ大事!!
その魚を俺たち人間は食って生きてる。その人間も、今は死んだら火葬して壺に入れて埋められるけど、土葬の時代には土に還って養分になってたんだよなぁ……。
巡る命とか、なんか自然って凄すぎる……命に感謝だよな…。
そんなことを考えながら、階段に掛かる草を刈り取っていく。
石の階段には手すりもなく、所々少し斜めになっていたりして正直ちょっと危ない。
雨の日にはハラハラするので、参拝客には来てほしくないというのが本音だ。
俺が稼げるようになったら、お金を貯めて手すりをつけようと思う……。
片側の1/3くらいまで狩り終えた頃、ミニ斎から声が聞こえてきた。これは斎が術を込めて作ってくれた俺のお守り兼、斎限定通信機だ。
モフモフ形態の斎を真似て作った可愛い白狐のぬいぐるみストラップで、俺のお気に入りだ。
『蓮、そろそろ朝餉の用意が整うぞ。』
斎は毎日、俺の為にご飯の用意をしてくれる。
空狐という位にいる斎は、本当は肉体を持たない魂だけの存在らしく、自分だけであれば食事は必要ないって、クロが教えてくれたことがある。
でも、俺のために、式で作った依り代に魂を宿し、ご飯を作って一緒に食べてくれている。俺を引き取った時からずっと……。
「ありがとう、今戻るよ。」
社に戻って急いでシャワーを浴び、身支度を整えて居間へと向かう。
香ばしい焼き魚の匂いと、味噌汁の香りが胃袋を刺激し、早く栄養を寄こせと催促する。
居間に入ると丁度斎が朝餉の膳を並べ終えたところだった。
「おかえり、蓮」
銀に輝く長い髪を紐で結わいて、頭には三角巾、着物の上に割烹着という姿で迎えてくれる斎を見ると、いつもながら――勿体ない――という思いが脳裏を過ぎる。
神使という存在なだけに、人間離れした綺麗な顔をしていて、それだけに三角巾に割烹着という定食屋のおばちゃんみたいな姿が似合わなさすぎるんだよな。
「ただいま、外の階段のところ、結構草が伸びてきてたよ。」
「そうか、これからの季節は成長が早いから、まめに手を入れるとしよう。」
斎は割烹着を脱ぐと、綺麗にたたみ朝食の席につく。
その時の流れるような身のこなしが、いつもながらに綺麗だと思う。
「斎は他の仕事あるでしょ?そのくらい俺がやるからいいよ。」
斎は子供だから…という目で俺を見ない。
俺がやりたいと思うことは、余程無茶な事以外、やるチャンスをくれる。
「失敗したとしても、それは経験となりお前の中に残る。助けがいる時には力を貸す。」ということらしい。
「そうか。では、頼むとしよう。くれぐれも怪我をせぬよう、気をつけろよ」
「うん、わかった。いただきます。」
塩鮭とだし巻き玉子、海苔、豆腐の味噌汁ときゅうりの糠漬け。
今日も美味しくて顔がほころぶ。
甘い玉子焼きも好きだけど、斎の作るだし巻き玉子は絶品で、無限に食べられそうな気がする。
この玉子焼きに使われている卵は、神域内の屋敷の庭で放し飼いにされている鶏たちが産んでくれたもので、黄身の色も味も濃くてめちゃくちゃ美味い。
竈で炊いたご飯の真ん中を少しへこませて、朝収穫した卵を割って入れる。醤油をさっと一回し、刻み海苔と小葱の微塵切り、鰹節と白ごまをふりかければご馳走だ。ちなみに、醤油の代わりに味噌でも美味い。
うん、明日の朝はそれにしてもらおう。
食べ終わった後に、自分で食べたものと斎の食器を洗い、片付けてから学校へと向かう。いつも美味しいご飯作ってもらってるんだから、そのくらいはするさ。
湧き水を入れた水筒を持ち、ランドセルを背負う。
「斎、行ってきます。」
俺が出掛ける挨拶をすると、斎は必ず頭を撫でながら見送ってくれる。
「気を付けていってくるといい。」
さすがに小5にもなると、少し恥ずかしい気もするけど……嫌いじゃない……。
大切にされていると感じる瞬間だから…。
まぁ、大体こんな感じで俺の一日が始まるわけなんだけど、学校はあまり好きじゃない。でも、前に斎に言われたんだ。
「子供が学校へ行くというのは、大人が仕事に行くのと同じだ。それが”勤め”だからな。」
「仕事ならお金が貰えるのに、学校行ったって何も貰えないじゃん……。」
「それは考え方によるな。確かに金にはならんが、努力に見合った対価なら貰えるはずだ。ーー知識という対価をーーな」
正直、目からウロコだった…。
母親が帰らなくなったあの頃、腹を空かして森で食べられる木の実を教えてくれたのは小河童たちだった。
毒の実に苦しむことなく、何度、空腹を癒やしてくれたかわからない。
――知識は身を助ける――というのを、俺はこの身体で知っていた。
学校の勉強が、いつか自分を助ける知識になるなんて、その時まで思いつかなかったんだ。
宿題は、大人でいう与えられた仕事で、テストは与えられた仕事がどれだけ出来てるのかを知るためのもので、点数がその評価だとも言っていた。
だから、勉強は嫌いじゃない。
問題は……クラスメイトだ……。
授業中、後ろから飛んでくる消しゴムのカスや、休み時間にSNSで流れてくる陰口まじりのメッセージ、休み時間の噂話という名の悪口に……含みのある会話でのイジメ。
負の感情がそこかしこに溢れて澱みを生んでいることもしばしばある…。
俺はどうも中てられやすい体質らしく、負の感情に中てられると吐き気がしてくる……。大人より、子供の方が素直というか我慢が利かないというか……正直酷い。
そういう時は、机の中に忍ばせてあるミニ斎をそっと握りしめる。
斎の込めた術式が、ふわりと俺を包み込むのを感じた。吐き気が治まり、ほっと息をつく。
この体質も、修業をすれば中てられることもなくなるらしい。
今まではまだ小さいからと止められていたけど、10歳になった俺は、夏休みになったら、いつも遊んでいる滝で滝行してもいいって、やっと許可が出た。夏休みが待ち遠しい。
ちなみに指導してくれるのは、クロだ。一応、高尾山のカラス天狗で、滝行は子供のころから自分もやってきた大ベテランだと自慢された。修行から逃げ出してるくらいなんだけど…本当に大丈夫…かな…?
午前中の授業が終わり、給食の時間だ。
斎の作るご飯と違って……うん、野菜とご飯の味が全然違う……全体的に素材の味が薄かったり、エグ味があったり……でも命を――いただきます――ってするからには、残さず食べるのが礼儀だって俺は思ってる。
ちょっとだけ、重い足どりでトイレから戻ると、何か教室の中がざわついていた。
嫌な空気が漂っている。給食の配膳を待つ列と反対側の教室の後ろの方で3人の男子生徒が一人の生徒の周りを囲んでいた。囲まれていたのは、碓水優紀。大人しいけど、掃除もさぼらない真面目なやつという印象だ。
「なにそれ~? 女のパンツ!?マジで!? キモッ!!」
「今日のパンツもいちごか?それともウサギちゃんですか~?」
「女のパンツなんか履いてさ、マジ気持ちわりーんだよ!」
クラスで1番偉そうにしている、いつも五月蠅い…名前、憶えてないけど…そいつが碓水の給食に手を掛けた。
ガッ!! っとそいつの手がトレイを横からはじいた。
――ガターンッ!!
器が床に叩きつけられ、カランカラン と転がる音。 味噌汁が ビシャッと床に広がり、湯気が消えていく。 ご飯は散らばり、牛乳パックは ポスンッと横倒しになった。
次の瞬間――
そいつが靴のまま一歩踏み出し、――グシャッ―― と白米を踏みつけた。
その瞬間、俺の中で何かがブチッっと音を立てた。
「見てらんねー、キモすぎ。早く片付けろよ、汚ねーんだよ。」
教室の中の凍り付く空気よりも、冷たい怒りが俺の中で蠢きだした。
ポケットの中のスマホを取出し、クロに教わったアプリを起動してそいつの側に近寄った。
「おい。謝れ。」
「は?なに? こいつかばってんの?」
俺は一歩、そいつらの輪に踏み込んだ。教室の空気がぴんと張りつめる。
「違う、食べ物に謝れっていってんだ。俺たちは命貰って食ってんだよ。謝れ。」
「はー?お前意味わかんねー。」
取り巻きの一人がくすっと笑い、牽制するように言う。
「四ノ宮は関係ないだろ、引っ込んでろよ。」
「女物のパンツなんて履いてんの、いるだけで迷惑なんだよ」
俺は目を細め、そいつらの顔をじっと見据えた。
「それの何が悪い。碓水が女のパンツ穿いてて、お前ら何か迷惑でもかけられたのか?」
「ウチらのクラスに、そんなやついらねーし」
中心にいたヤツがふんっと鼻を鳴らす。
「碓水、お前明日から学校くるなよなー。お返事はー?」
そいつは碓水の髪の毛を引っ張り、無理やり上を向かせる。
碓水はガタガタと震え、目には涙を浮かべていた。
俺はそいつに人差し指を向け、真っ直ぐにそいつの目をみて言ってやった。
「名前も覚えてないけど、俺もお前みたいなやつ嫌いだから、迷惑だ。とっとと消えろ――」
――その瞬間、教室の空気が再び凍りく。
自分でも驚くほど低く底冷えするような声が出た。
やつは驚いた顔をして、取り巻き連中は一歩後ろへと下がり、やつの後ろへと隠れた。
「お前が言ってるのは、今俺が言ったのと変らない。本当にくだらない。実害がないなら見なければいい。自分の行動で回避できるんだからそうすればいいだけだ。」
俺はさらに一歩を踏み出し、たじろぐそいつの目の前に立つ。
「何より――お前のいう理由が食べ物を粗末に扱っていい理由にはならない。肉も野菜も、その命を俺たちに与えてくれてるんだ。だから謝れ!」
誰もが物音を立てることもなく、俺たちの様子に注目していた。
その静寂を破ったのは、碓水の髪を引っ張っていたやつだった。
「は……は――!? お、お前、なに、いい子ちゃんぶってんだよ!!」
俺は半ば呆れながら、思ったことをそのまま言葉にした。
「馬鹿かお前は。いい子ちゃんぶってるんじゃなく、俺はいい子だ。」
堂々とそう答えた俺に、やつは拳を振り上げた。
――ガッ!!
鈍い音と共に、左頬に痛みが走る。
「きゃっ――!!」
その声に、教卓の方で丸付けしていた担任が慌てて顔を上げた。
「なに……!?」
凍っていた教室の空気が一瞬揺らぐ。
あ……歯が抜けた……。口の中に血の味が広がり、鉄みたいな匂いが鼻に抜ける。
俺は口の中から抜けた歯を手に吐き出した。
血にまみれたそれをポケットにしまうと、代わりにスマホを取りだした。
掛ける番号は110。
センターの人間がすぐに電話に出た。
「すみません、警察ですか? 傷害事件です。場所は浅沼小学校の5年2組の教室です。」
その後はハチの巣をつついたような大騒ぎ。
女子に呼ばれて駆け付けた担任に、保健室へと連れていかれ治療をしている最中に、警察がきて校長先生も出てきて、斎と相手の親が呼び出され、俺は給食を食べ損ねた状態で校長室に呼ばれた。
ああ……俺の給食……食べてやれなくて、ごめん……。
食べそこねた命たちに心の中で謝りながら、俺は担任の先生に連れられて校長室へと向かった。
最後までお読みいただきありがとうございました。
第9話では、蓮が自然の中で育まれた価値観を学校という現実の場で貫こうとする姿を描きました。
次回はこの出来事のその後が、物語にどう影響していくのか、ぜひ見守っていただけたら嬉しいです。