第5章:“余っているのに足りない”──自給率と品種ミスマッチの構図
「店頭のコメが高い。足りないらしい」
そう聞けば、多くの人は「日本のコメは足りなくなった」と思うかもしれません。
けれど──本当に“モノ”としてのコメが、足りないのでしょうか?
● 「米不足」と「米余り」は、同時に起こりうる
実は、いま日本には出荷されないまま余っているコメもあります。
用途に合わない、流通経路に乗らない、等級や品種が“店頭需要とズレている”。
そんな理由で、売れない米=余る米が発生しているのです。
一方で、店頭価格は高騰し、「足りない」と報道される。
これは、供給不足というよりも──
供給の“構図”が機能不全を起こしている現象だと、クラリタは考えます。
● 自給率は“数字のトリック”にも支配されている
日本の食料自給率は、政府広報でもよく目にします。
2024年度時点でカロリーベースで約38%前後──
この数字は「日本は食料を自給できない国だ」という印象を与えます。
けれど、それはあくまで「カロリーベース」です。
同じ年の生産額ベースの自給率は、約65%程度。
つまり、“お金に換算すれば”多くの作物は日本で生産されている。
さらに言えば、**主食であるコメは“ほぼ100%国産”**というのが現実です。
足りないと言われる米が、実は最も自給できていた──
この構図の逆説こそ、私たちが見落としがちな視点です。
● 品種と用途の“ズレ”が構図を崩壊させる
なぜ、“あるのに足りない”ことが起こるのでしょうか?
それは、コメが「どんな品種で」「誰のために」作られているか──
その構図と、市場で求められる用途のミスマッチに原因があります。
たとえば:
高級ブランド米が増えた一方で、外食産業や弁当向けの“業務用米”が不足
加工用米(せんべいや弁当)はコスト面で需要が大きいが、供給が追いつかない
等級や検査基準によって“出荷できない米”が出るが、消費者には見えない
消費者は「米なら何でもいい」と思っていても、
市場は「この米でなければ買わない」という細かな分断を抱えている。
その結果、「余っている米」が、「必要とされる米」に届かない。
これが、“余っているのに足りない”という構図の正体なのです。
● 数字と現場が噛み合っていない
自給率という数字は、人を安心させたり、逆に不安にさせたりします。
しかし、構図が破綻すれば、その数字は意味を持ちません。
どれほど国産率が高くても、
それが市場の求める形で出荷されなければ、価格は上がり、供給は混乱します。
そして、“足りない”という言葉が、あたかも“全体の不足”であるかのように扱われてしまう。
クラリタはここで、もう一度立ち止まりたくなるのです。
足りないと言われる米──
それは、「必要とされる構図の中に置かれていない」ということ。
足りないのではなく、「流れない構図」なのです。
構図を整えれば、米は足りる。
整えずに叫べば、米は足りなくなる。
その差は、実は数字ではなく──構図の精度にあるのです。
◇
◆ナレーター補足:品種と用途のミスマッチ
近年の傾向として、ブランド米・高品質米への品種転換が進む一方で、加工用・業務用に適したコメの生産が縮小。
このため外食チェーンや弁当業界では価格高騰が深刻化し、一部では米不足に近い状態となった。
品種別の生産バランス調整機能は制度的に脆弱であり、生産者と消費者ニーズの橋渡しが構造的に機能していない。