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第4章:変われぬ農業──企業化を阻む構造と文化

作るな、と言われ、作っても報われず、やがて離れていった。

でも、ではなぜ──「農業そのもの」が、変わらないままなのでしょうか?


 


● 製造業も小売も企業化した、では農業は?

戦後の日本では、多くの産業が企業体化と大規模化を進めてきました。

工場は機械化され、流通はチェーン店化され、情報は一気にクラウド化された。

けれど──農業だけは、取り残されていた。


今でも日本の農業の中心は、零細な個人経営です。

狭い農地、家族単位の労働、手作業による管理……。

それは「農業はそういうものだから」と、まるで“変わらないことが自然”かのように扱われてきました。


しかし、それは“自然”ではありません。

それは──制度と文化が、変わることを拒んできた構図なのです。


 


● 土地が分かれ、法が縛り、制度が止めた

日本の農地は、戦後の農地改革で細かく分割されました。

この「土地の細分化」は、経済的には合理的でしたが、同時に大規模経営を阻む構造を生み出しました。


加えて、農地法の制限によって、企業が農地を所有・運用することは、非常に困難です。

農業法人を立ち上げても、取得できる土地はごくわずか。

貸し借りも不安定で、投資回収の見通しが立ちづらい。


つまり──農業を“企業として始めたい”と志す者に、土地も、制度も、未来も与えられない構図があるのです。


 


● 守る文化が、変える力を押さえ込んだ

もうひとつ、制度以上に重たいのが「文化的な構図」です。


農業は“守るべきもの”として語られてきました。

先祖代々の土地、家族が継いできた技術、地域に根差した生業。

その語り口は、たしかに温かく、誇らしく、美しいものでした。


けれど──その“守る言葉”が、「変えてはいけない」にすり替わったとしたら?

挑戦者を“異端”と見なし、企業を“外様”とみなす空気が漂ったとしたら?

それは構造的な停滞を生み、やがて“温存”ではなく“放置”へと変質していきます。


守られているように見えて、実は、変わる力が封じられていた。

それが、農業という産業の構造的孤立だったのです。


 


● 変えようとする者は、今もいる

もちろん、この構図のなかでも、変わろうとしている者はいます。

農業法人、ベンチャー系の栽培管理企業、大規模契約栽培に挑戦する若者たち──

彼らは確かにいます。


けれど彼らは、常に制度の外にいる。

行政の支援制度の対象からも外れ、地域社会の中で“浮いた存在”になる。


そうして、「変える人」は“例外”に押し込められ、

「変わらない構図」は、何事もなかったかのように温存される──

それが、今の農業の“日常”なのです。


 


価格が戻った。作れる人がいない。

では変えよう、という声に、今の制度は、どう応えるのでしょうか。


変われない構図の中で、「意欲を奪うな」と語る農政の言葉に、

どれほどの現実感があるのか──

クラリタは、静かに問いかけたくなります。





◆ナレーター補足:労働力と技能実習制度

2020年代の日本農業は、高齢化と慢性的な人手不足のもとで、外国人技能実習生に大きく依存する構造が続いている。

しかしこの制度は、“育成”を目的としながらも、実態としては低賃金労働力の供給源として機能している側面が強い。

これにより、農業の人件費は過小評価されやすく、価格設計の見積もりに反映されにくい状態が続いている。

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