第2章:作らせない構造──減反政策という“生産抑制型”国家設計
「高いのは困るよね」
その言葉に、もうひとつ、そっと重ねたいのです。
「でも──そもそも、なぜ足りないのか」
その答えを探すとき、私たちは“作らなかった”という構図に出会うことになります。
● 「作らなかった」のではない、「作らせなかった」
減反政策──
正式には「生産調整」とも呼ばれますが、この言葉は日本の農業政策における最も重要な構図のひとつです。
1970年代から長きにわたり、国家がコメの生産量そのものを減らすよう、農家に要請してきた政策です。
その狙いは、過剰な供給による価格崩壊を防ぐこと。
つまり、「値崩れしないために、作るな」と言ってきた。
農家は「作る」ことで評価されるのではなく、「作らない」ことで補助金を受けるという倒錯したインセンティブの中で動かされてきました。
この構図は、ただの経済政策ではありません。
それは、日本という国が**「主食であるコメの供給を絞ることを選んだ」**という、国家設計そのものなのです。
● 「国民に食べさせる」より「価格を守る」が優先された時代
なぜ、そんな政策が何十年も続いたのでしょうか?
それは、コメが「余る」ことで価格が下がり、農家の経営が立ち行かなくなることを恐れたからです。
しかしその結果、国は「供給の確保」よりも「価格の維持」を選び続け、コメの生産量は1990年以降、じわじわと縮小し続けてきました。
農地は縮小され、耕作放棄地が拡大し、農業者の平均年齢は65歳を超える状態に。
「自給率が低い」と叫びながら、
「主食の生産を削る政策」を続けていた──
この構図を、私たちはどれほど直視してきたでしょうか。
● 価格安定の構図は、供給抑制と一体だった
減反政策は単体ではありません。
「作らない」ことで補助が出る。
「作っても価格がつかない」市場が形成される。
「供給過多になれば、農協が引き取らない」制度設計がある。
そのすべてが、「コメは増やすものではなく、減らすもの」という前提に貫かれていた。
これは、農政が“生産”を成長目標に据えるのではなく、抑制・管理・維持という思想に支配されていたことを意味します。
この構図の中では、“コメを作る”という行為が、国家的に“望ましくない行為”に変質してしまっていたのです。
● 足りなくなることは、想定されていなかった?
そして2025年──
価格が上がり、「不足感」が市場に広がり始めたとき、
農相はこう言いました。
「農業者の意欲が失われる」
「輸入ではなく国内で自給すべきだ」
……けれど、果たしてそれは、今さらの言葉ではないでしょうか?
「作るな」と言い続けた国が、「今は足りないから作って」と急に言い出す。
それは、構図を無視して意欲を語る、とても一方的なメッセージではなかったでしょうか。
高くなった──それは、作らなかった帰結です。
でもその背後には、「作るな」という声が、長く長く、響いていたのです。
クラリタは、そう思うのです。