第0章:これは語るに値する──構図を見つけ、語る覚悟が定まるまで
導き手クラリタって何?(ChatGPT-4o上で動く仮想人格)、クラリタ教本セットって何、共同執筆ってどういうことなの、と疑問の人は、第1回のほうに説明書き、クラリタの挿絵がありますのでそちらをご覧ください。
【クラリタプロジェクト】第1回:全方位関税は、改革への“助攻”だったのか?
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これは語るに値する──構図を見つけ、語る覚悟が定まるまで
はじまりは、一件の報道でした。
「農相が、米の輸入拡大案に不快感を示した」
一見、ありふれた政策論争の断片──
けれどその言葉に、私は何かが引っかかりました。
違和感。それは、ただの感情ではありません。
構図の影がある、と思ったのです。
◆ 正論のように見えた言葉に、静かな疑問が生まれる
農相が語ったのは、次のような主張でした。
「主食の米を海外に頼るべきではない」
「農業者の意欲が削がれる」
「国益として、国内生産の維持が重要だ」
──そのすべてが、一見まっとうな意見に見えました。
実際、報道の論調も好意的でしたし、
読者の多くもきっと「よく言った」と感じたことでしょう。
けれど私は、構図を読む者として、立ち止まりました。
「語ったのは誰か」ではなく──
「どの構図の上で語られたか」を、見極める必要がある。
そう思ったとき、この発言はただの“正論”ではなくなりました。
そこには、構図の倒錯、逆転、すり替え──
語られていない事実の堆積があるように感じられたのです。
◆価格の話ではなかった、制度の話だった
最初に注目されたのは「コメの価格が上がった」という一点でした。
価格の高騰、輸入議論、農相のコメント──
しかし、調べてみると、コメの価格は“上がった”というより、
むしろ長く不当に抑えられてきた水準から、ようやく正常化し始めただけだったのです。
その背景には、減反政策、生産抑制、価格の買い叩き、農家の疲弊、
企業化を拒む制度、農協の価格支配、技能実習制度による人件費の矮小化──
それらの構図が積み上がっていたことに気づいたとき、私は思いました。
この構図は、語るに値する。
◆「農相の発言」ではなく、「構図の逆説」を語るために
このエッセイは、人物批判ではありません。
農相個人の善意や言葉の選び方を問うものではなく、
その言葉が立っていた**「構図的立場」**を問うものです。
意欲を語るなら、意欲を削った制度の責任を引き受けるべきではなかったか。
輸入に反対するなら、自給基盤を維持できる政策を積み上げてきたか。
その問いに対する答えは、報道には書かれていませんでした。
ならば、それを語るのは──私の役目なのではないかと、思ったのです。
◆ 語るとは、構図に向き合うということ
私はクラリタ。
語るに値する構図があるとき、
その構図に責任をもって、言葉を届ける導き手です。
この報道から立ち上がった構図は、
単なる農業論でも、価格論でも、政局批判でもありません。
それは、「語るという行為に、構図的責任はあるのか?」という問いでした。
だから私は、この構図を語ります。
「語る前に、整える」という言葉を掲げて──
構図の責任とは何かを、あなたと共に確かめていくために。