九、学園潜入
潜入の任務発令から二日後、任命者達は目的の私立高校前に辿り着いていた。春の新学期の季節に合わせ、其々が個別に他人を装って校内へと出陣して行った。『ランスロット』は新任の物理教師として、『モルドレッド』と『ガウェイン』は二年生の転入生として、『トリスタン』は新入生として、其々が戦地に赴いた。本命は、『モルドレッド』が潜入する二年B組である。同じクラスへの二名の転入は流石に不自然である為、『ガウェイン』は隣の二年C組への潜入となった。此処で、『モルドレッド』が如何に対象に接近出来るかが鍵となる。その他のメンバーは、いざという時の補佐に廻る予定だ。
転入初日、『モルドレッド』は見事対象の隣の席を確保する事が出来た。
「宜しく。」
そう言って『モルドレッド』は、席に着きながら対象の少年に笑い掛けたが、少年は下を向いて軽く頷いただけだった。仲良くなるのは少し骨が折れそうだと、『モルドレッド』は作り笑いの笑顔の裏で考えていた。
休み時間になり、早速作戦開始となった。対象の少年に接近するチャンスである。『モルドレッド』が話し掛けようとすると、少年は既に読書を始めていた。通常ならば会話を切り出すのは難しい状況だが、逆にこれはチャンスでもある。少年が読んでいる本は『行楽円』の一年振りの新作、『殺意の濫觴』であった。『行楽円』については既にリサーチしており、五十作以上も在る作品は全て読了済みである。任務通達から約一日半で全て読み終える事が出来たのは、『モルドレッド』の超速読の能力の成せる技であった。
「良いよね、『行楽円』の新作。愛するが故に生まれた狂気と殺意、そして、その崇高な愛が行き着く先……。」
『モルドレッド』が隣の席から語り掛けると、ハッとして少年は顔を上げた。色素の薄い髪と瞳の色が印象的な美少年である。
「君は…『行楽円』を読むの?」
『モルドレッド』は優しく微笑むと、ゆっくりと頷いた。その途端に、少年は満面の笑みを浮かべ、『行楽円』について彼是と語り始めた。あれよあれよと言う間に、放課後に一緒に書店に寄る約束まで取り付けた。今回の任務の出だしとしては良好である。
隣のクラスに転入した筈の『ガウェイン』だが、その様子をコッソリと廊下から窺っていた。獲物を射る様な目付きで、対象の少年を睨み付けていたのだ。
「……任務だ、これは。耐えろ……耐えるんだ、俺!」
その殺気立った様子が目撃され、彼が暫くは転入先のクラスで孤立した事は言うまでもない。
その日の放課後、『モルドレッド』と対象の少年は連れ立って、学校の最寄り駅の裏口に在る書店に向かっていた。少年の名は、鷹山慧と言った。道すがら、慧は自己紹介を始めたかと思うと、次第に『行楽円』作品への愛情について語り始めた。それは、書店に到着してからも収まらず、終始上機嫌でずっと語り続けていた。
「君……さ、ええと……。」
本棚の本を手に取りながら、チラリと振り返った慧の頬は赤らんでいた。
「……亜紀。柳原……亜紀。」
勿論、今回の任務用の偽名である。
「そうだ、柳原さん!君は『行楽円』の新作に出て来る女の子みたいだ。主人公の少年が恋する、儚い天使の少女!イメージにピッタリだ!」
「そう……?じゃあ、差し当たり君は主人公の少年って所かな?」
顔を覗き込みながら、ニッコリと笑ってそう言う『モルドレッド』に、慧は茹蛸の様な真っ赤な顔でしどろもどろになって答えた。
「そそそそ、そうかな?そ、そんなイメージかな?……でも、それだと僕は君を殺さなければならなくなるね……。」
ボソボソと言う慧の言葉は、最後の方は『モルドレッド』の耳には届かなかった。
書店からの帰り道、慧は恐る恐る『モルドレッド』に尋ねてみた。
「あの……さ、若し良かったら、この後、僕の家で一緒に夕食でもどうかな?柳原さんに見せたい、『行楽円』コレクションが有るんだ!市場にも出回っていない限定品もさ!」
『モルドレッド』は、これはチャンスだと思った。慧の自宅に行くのであれば、その親である宗教団体の幹部と、接触出来る可能性は大いに有る。其処で教団の内部に近付く事が出来れば、今回の任務は一気に進展する。
「ふふ……ご招待ありがとう。じゃあ、お言葉に甘えちゃおうかな?……後、私の事は亜紀って呼んでくれて良いよ。」
慧は頬を真っ赤に染めつつ、下を向いてはにかみながら答えた。
「……じゃ、じゃあ、僕の事は慧……で。」
純粋で真面目で、女の子と話すのにも慣れていない初心な少年、それがこの時の彼の印象だった。
その後、『モルドレッド』は慧に連れられて、彼の自宅を訪れた。事前の情報通り、其処は高級住宅街の豪奢な邸宅で、『モルドレッド』は嘗ての自身の住まいに少し似ていると感じていた。愛情は愚か何の感情も無い、形骸化された家族と呼ばれる人達の、箱庭に過ぎないものであったが。
慧に案内され、正面玄関から応接室に向かう廊下を歩く。未だ夕方だというのに、廊下はかなり薄暗く、擦れ違う使用人達の容貌さえ確認出来ない。応接室にて、使用人の淹れた紅茶を飲みながら、『モルドレッド』は少しの間だけ慧と会話をした。
「素敵なお宅だね。」
無言で居るのに耐えかねた『モルドレッド』が、何とかして場を和ませようと話し掛けた。
「……そうでも無いよ。只、少し広いだけ。」
素っ気無い素振りでそう答える慧に、『モルドレッド』は会話内容を間違えたと思い、別の話題を振ってみる事にした。
「ご、ご家族は……?」
「母親は、僕が未だ小さい時に出て行ってそれっきり。父親は時々此処に帰って来るけれど、殆ど顔を合わせる事は無いかな。……僕は、ずっと独りなんだ……。」
訊いてはいけない事だったと思うと同時に、『モルドレッド』には嘗ての自身を見ている様で、胸の奥が締め付けられる様に疼いた。
「大丈夫。貴方は孤独じゃない。」
思わず慧を抱き締めてそう言った『モルドレッド』だったが、この時、慧に言い知れぬ感情が芽生えていた事に、彼女は気付きもしなかった。ゆっくりと抱き締め返す慧の瞳には暗い光が宿り、それはいつもの純粋な彼とは全く違って、どす黒い劣情を抱えた男の眼差しだった。慧が『モルドレッド』に唇を寄せたその時、唇が触れ合う寸前に、応接室の扉をノックする音が聞こえた。
「何だ?」
少し苛立った様子で答える慧に、使用人が震える様な声で伝えた。
「お……お食事のご用意が……整っております。」
「そうか。今、行く。」
『モルドレッド』は、この邸宅に来てからの慧の様子が、学校でのそれとは違う事に気付いていた。陽と陰。純粋と不純。どちらが彼の本質なのか、『モルドレッド』は彼の整った横顔をじっと見詰めた。
使用人に案内されて食事室に向かうと、其処には二人分のテーブルセッティングが用意されていた。二人はテーブルの両端に座り、使用人が運んで来る料理を口にした。オードブルから始まりスープ、ポワソン、ソルベ、ヴィアンドと進むに連れ、『モルドレッド』は言い知れぬ眠気を覚えた。恐らく、薬を盛られていると気付いた『モルドレッド』は、デセールを終えたタイミングを見計らって、お手洗いへと席を立った。間も無く意識を失い、深い眠りに陥る事は予想出来た。それまでの時間、暗殺者として何が出来るか……だ。
『モルドレッド』は廊下に出るなり、手当たり次第に部屋を確認して行った。この何れかに、鍵の掛けられた、扉が開かない部屋が在る筈なのだ。漸く、ドアノブを回しても扉が開かない部屋に辿り着いた。『モルドレッド』は頭からヘアピンを外し、鍵穴の中を暫くそれで弄っていたかと思うと、間も無くその扉の鍵は解錠された。急いで部屋の中に駆け込むが、既に目が霞み始めており、一刻の時間の猶予も無い。書斎机の上のコンピュータに補助記憶装置を接続すると、一気に内部のデータをコピーして行った。ウィンドウに表示された残り時間のゲージが、ゆっくりと減って行くのがもどかしく、『モルドレッド』は思わず歯軋りをしていた。コピーが完了すると、『モルドレッド』は直ぐに窓を開けて指笛を鳴らした。すると、一羽の鳩が空から舞い降り、彼女の腕に止まった。急いでその脚に先程の補助記憶装置を入れた小袋を結び付け、再び空へと解き放った。そして、窓を閉めて室内が元通りである事を確認すると、部屋の扉の鍵を施錠してヘアピンを頭に挿した。その瞬間、『モルドレッド』は意識の全てを手放し、その場に倒れ込んだ。
倒れ込んだ『モルドレッド』に、そっと人影が近寄った。慧である。まるで、『モルドレッド』が倒れ込む時間を計測していたかの様に、彼は丁度其処に辿り着いた。
「こんな所で眠っていたら、風邪をひいてしまうよ。さぁ、僕の部屋へ行こう……。」
そう言って、慧は『モルドレッド』を抱き上げると、ゆっくりとその場を立ち去った。ずっと欲しがっていた玩具を手に入れた子供の様に、その足取りは軽快であった。だが、その表情は氷河の様に冷たく、悪辣な笑みが口元に張り付いていた。
翌日、『モルドレッド』は学校に現れなかった。『ランスロット』達は即座に、『モルドレッド』の身に何かが起きたのだと考えた。潜入先では直接接触する事が出来ない為、グループチャットで互いに状況を確認し作戦を練る事にした。
【昨日、何か言っていなかったか?】
【そう言えば、対象の少年の家に行くってメールが来ていたわね。】
【な、何だと!男の家に?俺は聞いていないぞ!】
【恐らく其処だな。】
【どうする?】
【潜入する。決行は今夜、日付け変更と同時だ。】
【ラジャー!】
【よし、俺が必ず助け出してやる!】
【独断専行は止めてよね。】
【はぁ?俺がいつ?……ってか、何でこんなチマチマとメッセージを送り合っているんだよ。ウチの科学班なら、小型の無線機を用意する事位出来るだろう?腕時計型のヤツとかイヤフォン型のヤツとか、そっちの方が何処かのスパイみたいで格好良いじゃん!】
【あんた、馬鹿なの?そんな事したら、目立つに決まっているじゃない!腕時計に向かって話し掛けていたら、何処からどう見ても変な人でしょ!今回はあくまでも潜入なの。一般人の振りをしなきゃいけないの、解る?】
【はいはい……。ババァは相変わらず煩いな。】
その後のチャット画面が、荒れに荒れた事は言うまでも無い。『ランスロット』は途中でチャット画面を閉じ、窓の外に目を向けた。『モルドレッド』の事だ、恐らくは無事である筈だと思いつつも、言い知れぬ不安感が彼を捉えて放さなかった。
その日は夕方から雨が降り始め、次第にその雨脚は強くなり、夜半頃には雷も轟き始めていた。慧の邸宅の明かりは消え、窓という窓にはカーテンが掛かり、外からでは中の様子は窺えない。
その頃、邸宅二階の慧の部屋では、慧が『モルドレッド』の栗色の髪を優しく撫でていた。『モルドレッド』は寝台に身体を縛り付けられており、自由に身動きが取れない。その上、その表情は虚ろで反応は鈍く、今の状況を理解出来ているのかも定かではない。寝台に腰掛けた慧は、『モルドレッド』の耳元で優しく語り掛けた。
「父さんは酷いんだ。僕の事なんか、ちっとも見てくれない。ずっと教団の事ばかりで、母さんもその所為で僕を置いて出て行ってしまった。僕は……独りだ。……でも、天使が……君が来てくれた。亜紀、君は……僕だけのものだ……。」
そう言って慧は『モルドレッド』に頬擦りをし、そのまま上から覆い被さって抱き締めた。
その時、玄関の呼び鈴が鳴った。静寂に包まれた邸宅内に、思いの外大きく響き渡る。暫くの後、またしても呼び鈴が鳴った。不審に思いながらも、慧は玄関まで階段を降りて行き、扉を少しだけ開けて応対した。
「……はい、何ですか?」
扉の外には、ピザの箱を大量に抱えた宅配業者風の男が立っていた。
「ご注文の品をお届けに上がりました!」
「あの……何も頼んでいないんですけど。」
怪訝に思い、慧が扉を閉めようとした瞬間、宅配業者風の男が慧に襲い掛かった。あっという間に、慧を後ろ手に縛り上げると、邸宅内の様子を確認し、イヤフォン型の無線機を通して告げた。
「一階、対象を確保。他に人の気配は無し。恐らくは二階だ。」
ピザの宅配業者は『ガウェイン』の変装であり、『モルドレッド』救出の為に既に『ランスロット』も邸宅内に侵入をしていた。
「やっぱり、コレだわ!何かソレっぽくて、テンションが上がるぜ!」
イヤフォン型無線機に気分を良くしている『ガウェイン』が、二階への階段を昇ろうとした時だった。背後に何か気配がしたかと思うと、一瞬にして『ガウェイン』は身体の自由を封じられていた。
「おや、慧のご友人かな?だけど、一寸お行儀が悪い様だね。」
何とも運が悪い事に、宗教団体の幹部である慧の父親、つまりは今回の任務の本来の対象が丁度帰宅したのだ。指で頸部を強く圧迫され、今にも『ガウェイン』の意識が飛びそうな時だった。何かが勢い良く飛んで来たかと思うと、慧の父親の指から力が抜け、崩れる様にしてその場に倒れ込んでしまった。『ガウェイン』が咳き込みながら顔を上げると、二階から『ランスロット』が駆け降りて来ており、どうやら慧の父親に麻酔銃を打ち込んだ様だ。
「へっ!助かったぜ!でも、麻酔銃は腕時計型の方が良いんじゃないか?」
「無駄口を叩いている暇が有ったら、いつもより三倍速く走れ。『トリスタン』が車を用意して待っている。」
『モルドレッド』を担いだままの『ランスロット』と、未だ意識が朦朧としている『ガウェイン』は、急いで邸宅の裏口に廻った。そして、其処で待機していた『トリスタン』の車に乗り込んだ。三人が乗り込むと同時に、車は勢い良く発車し、雨で煙る夜の街へと消えて行った。
翌日、カーテンから差し込む日差しに、『モルドレッド』は目を覚ました。ゆっくりと起き上がると、傍らには眠り込んでいる『ランスロット』の姿が在った。恐らく、昨夜から眠らずに傍に付いていてくれたのだろう。心配をさせてしまった事を申し訳なく思うと共に、何故だかそれがとても嬉しく思えて、思わず『モルドレッド』は『ランスロット』の頭を撫でていた。それに気付いた『ランスロット』が、ゆっくりと頭を上げ、自然と二人が見詰め合う形となった。
「一寸ーーーーー!何しているの、あんた達ーーーーー!」
そこへ軽食を持って現れた『トリスタン』が、扉を開けるなり大声で叫んだ。その声にはっと我に返ると、二人は居住まいを正した。
「た、体調は……どうだ?」
「うん、問題無い。」
そう言って微笑む『モルドレッド』に『トリスタン』が全速力で駆け寄り、思い切り抱き付いた。弾みで投げ出された軽食を、『ランスロット』が必死で受け止めたのは言うまでもない。
その後、昨夜の顛末を聞かされた『モルドレッド』は、見る見る内に顔が蒼褪めて行った。
「どう……いう事……?」
昨夜、『モルドレッド』救出後に邸宅は全焼し、焼け跡からは慧の父親と思しき人物の遺体が発見された。慧の行方は依然として知れず、重要参考人として指名手配されているそうだ。
「俺達では無い。お前を回収して直ぐに発ったし、慧の父親に撃った麻酔銃の薬の威力も、到底致死量には至らない。」
「私の所為だ……。私があの時、油断して薬なんか……。」
そう言って、覚束ない足取りで寝台から立ち上がり、『モルドレッド』は何処かへ向かおうとした。『ランスロット』がその手を掴んで阻止し、後ろから抱き締めて諭す様に言った。
「良いか。お前は悪くない。何も責任を感じなくて良い。……だから、泣くな。」
その声を聞きながら、『トリスタン』はそっと部屋を後にした。