私が歩むのは破滅の道。その第一歩は些細な浮気でした (雫視点)
それにしてもいったいいつからなのだろうか。私が破滅の道を辿りはじめたのは。
イツキがもらったバレンタインのチョコレートをあいつの顔に投げつけて号泣させた小五の時か、それとも初めて土下座させた粉雪が舞う中二のクリスマスイブだろうか。いや、思えばあの浮気が破滅の道の入り口だったのかもしれない。あれは本当になんでもない些細な浮気だったのに。
「雫って中学から彼氏いるって言っているけど、絶対嘘だよね」
朝の教室に入った時、私の存在にも気付かず浜川美奈というクラスメイトがそう話しているのを聞いた。
「名前聞いても教えてくれないし。多分見栄張っているんだと思うんだけど」
浜川美奈はクラスの中でも一番仲のいい友達だと思っていたからそんな噂話をする彼女には少なからずショックを受けた。
私が近づくと彼女はさっと表情を変えて「雫、おはよ」と手を上げる。私も何食わぬ顔で「おはよう」と答えた。
私は浜川美奈の隣の席に座り、スマートフォンを取り出しメッセージを送った。
「腹立つことがあった。放課後、家きて」
あいつからはいつも通りすぐに返信がある。「ごめん、放課後、生徒会がある。遅くならいけます」
「遅くなったら親がいてベッドで色々できないよね。お前、頭大丈夫? 本気で死ね」
「ごめんなさい」
「生徒会早く辞めろ」
「ごめん、僕も辞めたいんだけど」
「じゃあそもそも立候補すんなよ。お前が頭悪すぎて吐き気がしてきた」
「ごめんなさい」
イライラしてきて、気がつくと一条ユウトというよく知りもしないクラスメイトにメッセージを送っていた。
「この前、告白してくれた件ですがやっぱり気が変わりました」
「どういうこと?」
「私も一条くんと付き合いたいです」
「マジで! 嬉しい。絶対に雫ちゃんのこと幸せにするから」
突発的にした行動に自分でも驚いていた。私は今この瞬間、恋人の佐々木イツキと友達の浜川美奈、二人を同時に裏切ったのだ。
浜川美奈が一条ユウトに恋をしていることを彼女から聞いて知っていた。二人は中学の時からの友人で彼女の片思いはもう三年にもなるということも聞いていた。私は浜川美奈らと世間話をしながら一条ユウトにメッセージを送り続けた。
「ただ付き合うに当たって一つ条件があるんだ」
「条件? なんでも聞くよ」
「前も話した通り私には彼氏がいる。浮気になるけど大丈夫?」
「大丈夫。雫ちゃんと付き合えるならなんでもいい」
「学校のみんなにも内緒だよ?」
「分かった、内緒にする」
こうして私は一条ユウトと関係を持つようになった。あくまで誰にも知れることなく、短い時間だけの遊びのつもりだった。浜川美奈にも、もちろん幼馴染にも知れることなく付き合いを終えるつもりでいたのだ。
だからあの本気の誤爆をやらかした時、文字通り血の気が引いた。メッセージはすぐさま取り消したけど、既読されているのだから取り返しはつかない。送ったメッセージは決して言い逃れができない内容だった。私は「最愛」の幼馴染佐々木イツキに自らの浮気を告白したのだ。
パニックになった私は浮気相手である一条ユウトに連絡を取った。二人の関係が幼馴染にバレてしまったこと。どう言い繕うべきか口裏合わせもしたかった。一条ユウトは思ってもみないことを返してきた。
「いい機会だからあのダサい髪型の陰キャなんかと別れたら。なんなら俺が雫ちゃんの正式な彼氏になるし」
思わず失笑した。一条ユウトが私の正式な彼氏?少し深い関係になったくらいでどんだけ勘違いしたのかと思うと正直笑える。猿顔で元々タイプじゃなかったし、頭も悪く、話もつまらないのは付き合った後で知ったことだ。
ただユウトとメッセージのやりとりしているうちにイツキに浮気がバレたことはそう悪いことでもないと思い始めていた。
ここ最近のイツキは体育祭の準備があるとかで生徒会にばかり時間が取られて私の時間を優先してくれない。さらに浜川美奈にも苛つくとこがあった。なんでも彼女は最近男子に告白されたらしく私にモテアピールを繰り返ししてくるのだ。
「まぁ雫には彼氏がいるみたいだから、告白なんかされなくてもいいよね。断るのも大変だし」
そう彼女はいうけど、私にマウントを取っているのは明らかだ。私がお前の好きな男と何をしているかも知らないくせに。
一条ユウトと堂々と付き合うことで浜川美奈との友人関係は終わるだろうけど、彼女にちょっとした復讐ができる。一方、イツキは絶対に小さな浮気くらいで私から離れるわけがない。むしろ私に寂しい思いをさせたことを反省させ、さらに服従させられる。
「明日、佐々木くんも含めて三人で話し合おう」
そうメッセージを送信すると、明日、学校で何が起こるか想像しただけで体がゾクゾクして、なかなか寝付くことができないくらいだった。
次の日、浮気の事実を突きつけられたイツキは想像以上のリアクションをしてくれた。顔面蒼白、今にも泣き出しそうな幼馴染は無様としか言いようがなかった。何も言葉にできず、すがりつくように私の顔を見つめるこの奴隷を動画に収めなかったのを今でも後悔してるくらいだ。ただイツキはらしくないことを言った。
「雫、なんで浮気なんかしたの? 人としておかしいと思わない? 謝ってくれたら許すから理由を聞かせて欲しい」
そんなことイツキにいって欲しくなかった。イツキはずっと私の味方で、私のいうことだけ聞いてくれる存在でいて欲しかった。
何よりこの私がイツキに謝る?なに生意気言ってるんだ。
気づくといつものようにイツキを罵倒している自分がいた。無能、ブサイク、気持ち悪い、強い言葉を吐くたびにイツキはビクッと体を震わせ、私の目をじっとみつめた。その長い前髪の隙間からわずかに見える美しく儚げな表情を見ると快感を覚えるほどだった。
イツキは本気で苦しんでいる。私が他の男に奪われたと思って心の底から傷ついているんだ。
イツキは耐えられなくなったのか小学生みたいに半分泣きながら逃げていこうとした。
その時、不思議なことが起こった。イツキのみっともない弱々しい背中を見ていると、一瞬すっと心に風が吹き、ありえもしない託宣のような言葉が脳裏をよぎったのだ。
今、判断を誤れば幼馴染の佐々木イツキを永遠に失うことになる。もう二度と後戻りはできない。佐々木イツキの心の底の底にある感情を読み取ってみろ、桐崎雫。
ドキリとして私はユウトの手を振り払いイツキの肩を掴んだ。
イツキはやっぱり震えていて、その顔を見ているうちにさっきの不思議な気持ちも次第に消えていった。そうだ、イツキが私の元から去るなんてことが起きうるわけがない。こいつは一生、私の奴隷のままだ。
この機会に寂しい思いをさせたことを後悔させて、イツキをもっともっとわたしのものにしてやる。その時、わたしはまた一歩、破滅の道を辿ってしまっていたのだ。