雫は雫の道を進んでいる
昼休み、初めて桃園エリカが友達を連れて僕のクラスにやってきたとき、再び教室内は静まり返った。
桃園エリカの横にいるのは清水結衣というチア部のキャプテンを務めるキラキラした女子で、初対面だというのに「噂のイケメン、佐々木イツキだ!」と言って腕に絡みついてくるのだから、僕は何も反応できずに固まるしかない。
「ほら結衣、距離感近い。それにイツキが困ってるでしょ」桃園エリカは友人をやんわりいなし、僕の前にお弁当を置いた。「これ、手作りのお弁当なんだ」
「僕にですか?」
「君以外誰がいるの? あっ味には期待しないで。料理は修行中の身だから」
「エリカってイツキ君にお弁当作るために料理動画見たりしてずっと研究していたんだよ。美人な上に健気でしょ」
「こら結衣、勝手に味のハードルを上げるな」
教室を恐る恐る見渡すと、クラスメイトはそんな僕らの様子を固唾を飲んで眺めていた。校内で一番モテるのは桃園エリカだけど、チアキャプテンの清水結衣は二番目に人気があると生徒会室で聞いたことがある。その二人がいきなり教室にやってきたのだから当然の反応なのだろう。
僕の前の席に桃園エリカは座った。
「交換でイツキのお弁当食べていい?」
「えっ? いや僕のお弁当なんかを桃園会長に食べさせるわけにはいかないです」
「それだと私が食べるものないでしょ。後、君がどんな味が好みなのかも知りたいし」
清水結衣はいたずらっぽい笑みを浮かべた。
「イツキ君。あまり口に合わなくてもエリカを責めないであげて。天下の桃園エリカなのに、この前までお出汁の存在すら知らなかったんだから」
「こら結衣、そういう裏事情をイツキに教えないで! イツキの前だと私結構しっかり者なんだから」
なんか新鮮だった。二人の会話もそうだけど、僕が彼女のお弁当を口に運ぶたびに見せる不安げな表情も、ちょっと不器用な感じの足の欠けたタコさんウィンナーも、「すごく美味しいです」と言った時のホッとした顔も、桃園エリカの新たな一面を見たような気がした。
ただ桃園エリカは桃園エリカ。彼女の元に「桃園会長、写真大丈夫ですか?」とお願いするクラスの女子が現れると、「もちろん。隣においで」と言っていつもの完璧な笑顔でレンズに収まった。本当にプロフェッショナルな人だと感心するしかない。
そんなこんなで僕の人生で一番と言っていいくらい賑やかに昼食をとっていると、不意に強い視線を感じる。
こっちを見ていたのは一条ユウトだ。僕、というより桃園エリカと清水結衣をまるで物欲しげな目つきでじっと見つめている。その姿を見ると思わず心配になった。
あれは雫の彼氏が絶対にやってはいけない行為だ。雫の彼氏は他の女子に目移りしてはいけないというのは言わば鉄則。元カレである僕には痛い思い出が山ほどある。教室で他の女子とおしゃべりするなんてのはもってのほか、コンビニのレジのお姉さんの顔を見たという理由だけで数日口をきいてもらえなかったことさえあったのだ。
その証拠に雫は床を小刻みに蹴りつけている。あれは幼馴染がかなり不機嫌な時にする昔からの癖だ。あのレベルまで達するとただの土下座じゃ済まされない。放課後の雫は荒れて一条ユウトも宥めるのに苦労するだろうなぁ、何度も地面を蹴りつける幼馴染の姿を見てそう思った。
しかし僕の心配は杞憂に終わったようだ。雫が一条ユウトに送った言葉は実に雫らしくないものだった。放課後にこんな誤爆メッセージが届いたのだ。
「今までしたことすべて謝りたい。そして全てなかったことにしてまた仲良く一緒に過ごしたい、なんていったら都合良すぎるかな。とにかく会って話がしたいです」
雫が謝罪するなんて僕との付き合いの中では一度もなかったことだ。二人の間で何があったか知らないけど、きっと喧嘩をして雫が自分から折れたのだろう。こんな弱々しいメッセージを送るほどに雫は一条ユウトのことを大事に思っているのには驚きだった。
もう雫の心の中には自分はいない。分かりきっていたことなのに、改めて現実を突きつけられてしまった。
でも振られてから時間が経ったからか、以前ほど寂しさを感じていない自分にも気づいていた。きっとこうやって人は未練を断ち切っていくのだろう。
雫は雫の道を進んでいる。僕もいい加減自分の道を行くべきだ。
僕は一度深呼吸してから、思い切って雫のIDをブロックし、着信を拒否した。もちろん雫が僕に今更連絡をとってくるはずもないけど自分の中で区切りをつけたかった。
そして桃園エリカにメッセージを送る。
「以前話したファッションブランドからのオファー、受けてみようと思います」