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エピローグ 破滅の道の最果てにて その2 (雫視点)

 イツキと私は何度もベッドを共にしていた。何時間も土下座させた後に、半ば無理やりに関係を持つのが私の好みのやり方だった。イツキは避妊もせずにこんなことしたら大変なことになると言って拒むことも多かったけど、私が不機嫌になるといつも最後は折れてくれた。ユウトと交わったのは一回きりで、避妊もしっかりさせたので、お腹にいる子供の父親は明らかだ。

 

 私は心の底から神に感謝していた。あの美しい佐々木イツキの子種を授かった奇跡。自分のお腹にイツキの一部がいると思うと本当に幸せな気持ちになった。


 出産後にDNA鑑定で親子関係を証明し、認知を迫ればあの優しいイツキは同意してくれるだろう。もしかしたら十八歳になり次第結婚することもできるかもしれない。桃園エリカから私は男を奪い返すことができるのだ。


 治療の合間に警察から事情を聞かれたけど、私が何かを話す前から一つのストーリーが作られているようだった。

 ユウトに振られて情緒不安定になった私が父親の研究室から劇物を持ち出し、校舎内で自分に振りまいたと。状況証拠も、周りの高校生の証言も全てそのストーリーに合致していた。 


 おそらく、桃園エリカは私の復讐を知ったらイツキが傷つくことを恐れてのことなのだろう。唯一真相を知る彼女もそのストーリーに沿った証言をしていた。


 これは私にも好都合だった。傷害未遂と自傷では大きく違う。お腹の子供のためにも前科があるわけにはいかない。

 そして不処分の決定がなされた頃には私のお腹はうっすら丸みを帯び始めていた。


 ずっと両親は出産に猛反対していたし、家庭の雰囲気も日に日に悪化していた。私の肌の整形手術などで家計が急速に悪化していたのは明らかだった。父親は私の問題で大学から解雇され、私たち家族は安アパートへ引っ越した。

 

 高校も中退してしまい、傍から見れば不幸そのものだったけど、私は疑いようがなく幸福だった。エコーでお腹の子供が男の子だとわかると、自然と涙が流れたほどだ。あの美しいイツキのような男の子を生めると思うと自分が世界で一番の幸せ者だと思いもした。


 七ヶ月を過ぎると日に日にお腹は膨らみ、出産予定日も決まった。奇跡としか言いようがないのだけど、予定日はイツキの誕生日と同じ日。運命の巡り合わせのような出来事が重なり私は歓喜するしかなかった。思えば、当たり前じゃないか。私とイツキの関係は誰にも邪魔することはできない。私たちは幼馴染という太い糸でしっかりと結びついているのだ。


 出産時の痛みは想像以上だった。でもこれは最後の試練。この腕にイツキの子を抱くためにはどんな痛みも耐えることができた。父親も母親も付き添ってくれず、孤独ではあったけど、一時間もの出産を私は耐え抜いた。


 子供が新生児室にいる間も、頭の中はイツキのことばかりだった。早くイツキに私たちの子供を見せてあげたい。三人で幸せな家庭を築いていきたい。私は育児をしながらイツキのモデル業を全力でサポートしてあげるんだ。

 イツキの稼ぎから資金を援助してやれば、両親とのわだかまりも消えていくはず。お腹を痛めて産んだ赤子が私を光満ちる未来に誘ってくれるのだ。


 看護師の方が布に包まれた我が子を抱いて部屋に入ってきた時はやっぱり涙が流れた。


 でも次の瞬間、短い幸福の時は突然、終わりを告げた。


「何、これ……」

 我が子の顔見てうまく今の状況を理解できなかった。


 私の胸でスヤスヤと寝る赤子の顔。それはまるで猿そのもの。何よりあの一条ユウトの生き写しのような顔をしていたのだ。


「桐崎さん! 何しているの!」


 看護師の悲鳴が病室に響く中、気づくと私は叫び声をあげながら、猿顔の息子の首に力を込めていた。

 すぐに私は看護師らに取り押さえられたけど、ただただ身を震わすしかできなかった。そして知ったのだ。未だ私は破滅の道を辿り続けているという現実を。

 



 あれから七年がたった今でも時折夢を見ることがある。イツキと一緒に寝そべり、たわいもないことを話した、遠くに置いてきた時間。手を伸ばせば彼の絹のような肌に触れることできて、いつだって独り占めできたあの幸せな頃の夢だ。


 あの頃は両親から見放され、パートで食い繋いだり、時には薄汚い男たちに体を売ってギリギリの生活をしている未来があるなんて思い浮かべもしなかった。

 全ては悪い夢で、朝起きたら破滅の道に足を踏み込む前の日々に戻れたらどれだけ幸せなんだろう。


 そんな日々の中で、私の唯一の楽しみはあの二人のSNSにコメントを書きつけることだった。


「ちっぽけな会社を経営しているみたいだけどなんか可哀想」

「この女、デザインのセンスがないだけじゃなく経営能力もゼロだとしか思えない」

「モデルって結局いっときの仕事。将来は無職だろうな」


 本当の私は社会的に見て彼らの足元にもおよばないけど、匿名の立場だったらあいつらを下に見ることだってできる。私の自尊心を辛うじて保ているのもSNSのおかげだった。


 それなのに情報開示請求訴訟を起こされて、書き込みをしているのが私だとばれてしまった。住所も通知されているから、私がこのオンボロの市営アパートに住んでいることも彼らは知っている。まるで自分が丸裸にされて、二人に嘲笑されたような気分だ。


「お母さん、泣いているの?」

 相手方の弁護士事務所から届いた手紙を読んでいると、息子は困惑した顔で尋ねてきた。


 七歳になる息子はこの頃一条ユウトにますます似てきた。いつかイツキに似てくるかもしれないという一縷の希望を持って育ててきたけど、それも叶わないらしい。


 子供に罪はないということは頭で分かっているけど、息子を見ると自分が過去に犯した罪を突きつけられたような気がして、息が苦しくなる。息子を大事にしようと何度か考えたことがあるけど、私はただの一度も愛情を覚えることができなかった。


 手紙を畳んで封筒に戻すと、私は意を決して言った。

「出かけるから車に乗りなさい」


「車? どこに行くの?」


「いいから、乗りなさい」

 軽自動車の助手席に息子を乗せ、エンジンをかけた。朽ちかけた市営住宅の駐車場をでて、寂れた県道を走らせる。その間にも弁護士事務所から届いた手紙とネットで見た一枚の写真が繰り返し巡り続けていた。


 イツキは訴訟を取り下げただけじゃなく、自筆の手紙を弁護士事務所を通して送ってきた。


 イツキの字は一緒に受験勉強に励んだ頃と変わらず、几帳面で繊細なままだった。字だけじゃない。彼の言葉は優しく、私の生活を心配して、気にかけていると手紙には書かれていた。イツキはまだ私のことを覚えていてくれた、それが何より嬉しかった。

 でも手紙を読んでいるうちに、この期に及んであの頃の感情が再び全身を覆っていったことに愕然とした。


 やっぱり、私は佐々木イツキが欲しい。


 イツキと体を重ねたい。抱きしめあいたい。

 それだけじゃない。 

 あいつを土下座させたい。私をこんな生活に追いやってしまったことを誠心誠意謝罪させて何時間も土下座し続けてほしい。そして彼を許し、この七年間は無かったかのように二人で暮らしていきたい。



 私は貪るように手紙を繰り返し読み返し続けた。あれだけ酷いことをした私にこんな優しい言葉をかけてくれているんだ。きっとイツキは心のどこかで私を求めているに違いない。


 イツキと直接会って話せば、案外簡単に私のものにできるかもしれない。何も手につかなく、息子に食事を与えるのも忘れてしまうほどだった。でも今日、ニュースサイトに映る一枚の写真が私を現実に連れ戻してしまった。


 車を走らせていると、スマートフォンに目を向けていた息子が私の機嫌を伺いながら恐る恐る言った。

「お母さんがいつも追いかけてるかっこいいモデルのお兄さん、ニュースになってるよ」


 無視してハンドルを握っていると、息子は続けて言った。

「このお姉さんと結婚するんだね」


 その時、アクセルペダルを踏む、右足の力がぎゅっと強くなった。ネットニュースで見たあの二人の写真が頭に浮かぶ。特に久しぶりに見た桃園エリカが頭から離れない。彼女は一見してわかるくらい洗練された大人の女性になっていた。ハイブランドのデザイナーを務める彼女は貧相な中卒シングルマザーの私が比べることすらおこがましいくらいの立派な女性だ。


 別に二人が復讐しているわけじゃないことは私だって知ってる。でも生きている限り私は傷つけられ続けるのだろう。何度も何度も、これからもずっと。もう私は耐えることができそうにない。


 隣の息子は怯えた声で「お母さん、大丈夫?」とつぶやく。そして次第に涙を浮かべはじめ、叫び声をあげた。

「お母さん! 何してるの!」


 スピードメーターの針は120の数字のあたりを指し示し、自動車の躯体自体が今にも瓦解しそうなほどに震えていた。爛々とした西日がフロントガラスを貫いた時、私は覚悟を決めた。


(これで一生イツキは私のことを覚えていてくれるかな)


 ハンドルを大きく切ると、視界は目まぐるしく変わっていった。次の瞬間、激しい衝撃を感じるとともにこれまでの人生が頭の中を駆け抜ける。おそらく死ぬ前の走馬灯というやつなのだろう。眼前には高校の頃のイツキの姿がはっきり浮かんだ。私は彼に正直に伝えた。


 君の活躍はずっと遠くから見てました。本当に立派な人になったね。あと、ひどいことをしてごめんなさい。本当にごめんなさい。


 私の言葉にイツキはにこりと微笑み返して答えてくれた。


 その笑顔を見ると、ああ、これでようやく救われる。ようやく破滅の道をやり過ごしたんだと解放感でいっぱいになる。


 しばらくして味わったことのないような痛みが全身を襲い、視界は真っ暗になりイツキは消え去った。そして遠くで鳴るサイレンの音を聞きながら、私はその時を今か今かと待ち侘びている。


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