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エピローグ 破滅の道の最果てにて (雫視点)

 破滅の道の最果てには光など存在しない。私は暗闇の中でただただ過去の時間を(かえり)み、破滅のきっかけを作ったあの二人を呪うだけだ。


 あの二人が日々発信するSNSには私が住む、ひとり親向けの市営住宅にはない煌びやかな世界が広がっていた。最賃で生活に四苦八苦したり、周りの人間から哀れみの目で見られたり、世間から置き去りにされたような生活を送る私とは対極の世界。


 まるでおとぎ話のように成功を掴んだイツキのことを思うと涙が溢れてくる。ある日、私の元に現れて、「ずっと探してたんだ。雫に会いたかった」と言ってくれて、この市営住宅から連れ出してくれたらどれだけ幸せなんだろう。


 佐々木イツキがモデルとしての人生を歩む一方、桃園エリカは世界的に有名なブランドの専属デザイナーとして活躍している。あの女のデザインした服を纏うイツキが海外のランウェイで歩く姿を見たときは、悔しさで涙が滲んだ。あんな服くらいなら私だって簡単にデザインできそうなのに。本当なら桃園エリカなんかよりもっともっと華やかな未来が待っていたはずなのに。


 あの女のことを思うたびに、焼けついた肌は痛みを覚える。地面を蹴りつけると、今年で七歳になる息子はビクリとした顔をした。その顔を見るとまたムシャクシャしてきて、奴らのSNSに罵詈雑言を書き込んでいた。


「無価値の陰キャ」

「才能なしのバカ女」

「こいつらの人生見ていると哀れで仕方ないんだけど」


 そんなことを書いててまた思い出す。いやでもあの日のことを思い出してしまう。




 あの日、放課後の校舎で桃園エリカの背中を追った。千載一遇のチャンスだった。彼女は一人、放課後には人気が少なくなるエリア、理科の実験室などが連なる廊下を歩いていた。


 バッグの中に手を入れ、瓶を握りしめると、心臓の鼓動が強くなる。今、私が決心すればあの女の人生を終わらせることができるのだ。


 それでも直前になって、躊躇する自分がいた。あの女の人生と引き換えに、私の人生も終わる。私の親にしたって路頭に迷うことになるかもしれない。わずかに残った理性が最後のところで内なる衝動から私を食い止めていた。


 思いがけないことに、最初に行動を起こしたのはあの女だった。桃園エリカは急にくるっと振り返り、私の目をじっと見たのだ。そして言った。


「桐崎雫さん、話がしたい。廊下で話すのもなんだからそこの教室に行こう」


 あの女の目を見たとき、私は確信した。この女はやはり私のことを覚えていたんだ。そして、この女は意図的にイツキを私から奪ったのだと。



 夕日で真っ赤に染まる理科の実験室で私は桃園エリカと対峙した。


 この女の正体に気がつくことができなかったわけだ。小五の時、美少年ともてはやされ、ボーイッシュだったあの頃の面影は薄く、今は男ウケのするヤリマンビッチのような見た目をしている。


 この女の見た目の全てが気に入らなかった。金のロングの髪も、右耳に連なるピアスも、悪びれもなく私をまっすぐに見るその目つきも。


 私はできるだけ嫌味たっぷりに言葉を放った。

「見た目は変わっても、性格は相変わらずみたいね。今の苗字は桃園だっけ? 今も変わらず人の男奪うような生活してるんだ」


「何を言っているのかわからない」


「は? 分かってるくせに」


 この女は小学生の頃からそうだった。男女隔てなく誰にでもフランクに付き合うこの女に教室中の男子が恋をしていた。それでいて当の本人はまるで何も知らないかのようにあっけらかんとした態度をとる性根が腐った嫌な女。でも私は別にこの女がいくらモテようがどうでもよかった。私の所有物に手を出す前までは。


「小五の時も、クラスの男子で唯一あんたに興味を示さなかったイツキに狙いを定めて私を怒らせたのは覚えているよね」


「桐崎雫さん、あなたは誤解している。あの時だって、私は佐々木イツキに本心から恋心を抱いただけ。あなたたちは幼馴染というだけで付き合ってはいなかったし。今回だって別れた後にアプローチをした。そこには純粋な気持ちしかない」


「別れた後? 純粋な気持ち? ふざけるな! わざわざ教師に根回ししてイツキを生徒会に入れたのもあんたでしょ! 今年の生徒会はあんたの意向で例年以上に活動が多いとも聞いた。寂しい思いをさせて、私が浮気をするきっかけを作ったのもあんたなんだ! あんたさえいなかったら今も変わらず、イツキと一緒にいれたのに! あんたみたいな男好きは浮かれた連中とだけ付き合ってればいいの。なんで私とイツキの二人だけの世界に入ってくるのよ!」


 桃園エリカの瞳に一瞬、憂のような色が浮かび、「それはそうだね。奪う気持ちがなかったといったら嘘になる」と言った。

「でも彼をあなたの思うままにしておくことはどうしてもできなかった。初恋の彼が高校生になっても長い髪の毛で顔を隠していたのを見た時は驚いた。さらに偶然、彼があなたに土下座をするような毎日を送っていると知った時はとてもショックだった。彼を救ってあげたかった」


 桃園エリカは一息置いてから言った。

「それに、私がいなくても遅かれ早かれイツキはあなたの元を去っていたよ。あなたはイツキをもっと大事にするべきだったのに」


 その言葉を聞いた時、ついに最後の理性がプツリと切れた。もうためらう気持ちは微塵もなかった。バッグに手を入れ、劇物が詰まった瓶を掴む。バッグを地面に落とし、瓶の蓋をひねった。


 桃園エリカはあっけにとられた表情をしていた。「桐崎雫さん、それは何?」


 ようやく見せた目の前の女の動揺に、思わず笑みがこぼれてしまった。

「ごめん、私、もう正気じゃないんだ。イツキはお前が言うとおり、私の元に帰ってこないことは知ってる。でもイツキを変えてしまったあんただけは許せない」


 私は瓶を握りしめながら桃園エリカにジリジリと近づいた。桃園エリカは私をじっと見ながら後ずさる。

「ねぇ、そんなことをして、苦しむのは私たちだけじゃないよ。責任を感じて将来にわたってイツキも苦しむことになる。あなたはそれでいいの?」


「別にいい。むしろ私はイツキに責任を感じて欲しい。イツキの胸に桐崎雫という幼馴染の記憶を刻んで、一生私のことを覚えていて欲しい」


 桃園エリカは私の目を凝視したまま言った。

「もういい加減イツキを解放してあげてほしい。イツキはようやく笑うようになったんだよ。今、努力もいっぱいしている。失われた時間を取り戻そうと必死に生きてる。あなたにしてもイツキ以外のことに目を向けたほうがいい」


 イツキ以外のこと?この女は何を言っているんだ。一体、そこに何があるんだ。ずっと過ごしてきた美しい顔立ちの幼馴染を失って、その先に何があるというんだ。


「私は警察に捕まるけど、汚い顔になったあんたは二度と男たちからちやほやされることもないでしょうね。せいぜい惨めな人生を送るといい。桃園エリカ、私から幼馴染を奪った罪はそれでしか償えない」


 私が瓶を振りかざした瞬間、桃園エリカはパッと私の手首を掴んだ。二人の人生を左右する一本の瓶はちょうど私たちの頭上で動きを止めた。桃園エリカは言った。


「ねぇ、イツキはあなたに相当ひどい仕打ちを受けたんだと思う。浮気だけじゃない。イツキは話したがらないから具体的に何をされたかはわからないけど、言葉や土下座だけじゃなく、尊厳を完全に踏みにじられる何かをあなたにされた。だけど彼はあなたのことを一言だって悪く言わないのよ」


 あなたのことを一言だって悪く言わないという言葉は思いがけないくらい、胸にズシリと響いた。


「それが一番腹が立つんだ。あいつは私に復讐すらしなかった。憎しみでも何でもいいから、私にもっともっと強い感情を抱いてぶつかってきて欲しかった。あれだけ、ずっとずっと一緒にいたのに。あいつは私に復讐すらしなかったんだ」

 私はそう言って、瓶から手を離した。あの女の頭上に、スローモーションのように濃硫酸の詰まった瓶が落ちていくのが見えた。


 これでこの女の人生も終わり。私から最愛の幼馴染を奪ったことをせいぜい後悔すれば良い。解放感、いやそれとも違う味わったことのない快感で体が満ちていた。


 でもそれも一瞬、瓶はまさか私の方へとくるりと回転し、次の瞬間、私の顔に液体がびしゃりとかかった。私は何が起きたかもわからず、地面に崩れ落ちた。しばらくして、焼け付くような激しい痛みが顔を包み、世界は闇に包まれていった。



それから何が起きたかは激しい痛みの他はほとんど覚えていない。私は病院に運ばれ、長い治療を受けた。私は心を閉ざしたまま、治療を淡々と受けた。


 記憶にはないけど、桃園エリカは理科の実験室に備えつけられた蛇口を使って、私の肌を大量の水で洗い流したそうだ。そのおかげで私の肌の火傷は最悪の状況を免れたと医師は言った。

 それでも左半分は大火傷を負って、終始痛みを帯びていた。でもそんなことすらも、なんでもないことのように思えた。


 私の運命は決した。イツキは戻ってこないし、あの女の人生を破滅させることもできない。残りの私の人生なんて無価値なものでしかない。


 しかし、運命とは不思議なものだ。一つの運命が定まると、また違う運命が回り始める。


 私の治療を担当する医師は意外なことを告げた。その時、まさかの大逆転勝利が確定し、私は喜びで震えるしかなかった。私はイツキの子を妊娠していたのだ。


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